蔵書目録

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「和洋 独唱」 帝国劇場 (1911.7)

2020年04月06日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
      

  帝國劇場一口説明

 ▲基礎工事 一萬數千本の松丸太を打ち上部を鐵筋混凝土 コンクリート にて固め一枚の盤石 ばんじゃく となり居れば堅牢無比
 ▲鐵骨煉瓦 造 つくり なる上に屋内處々に消火栓を備へ器械的防火戸の設 もうけ 亦嚴なれば火災の虞 おそれ 絶無とすべし
 ▲白色化粧 煉瓦を外部一面に貼付し瀟洒人目に快く廂 ひさし の鐵材に用ひたる橄欖色の塗料と對映美なり
 ▲大理石材 を贅澤に使用し装飾の華麗なること我邦 わがくに の建築に多く其比を見ず夙 つと に宮殿と迄に歌はる
 ▲大旋風機 を屋頂 おくちやう に備へ場内の空気を絶えず屋外に吸出し清冷の気と交替せしむれば夏も苦熱なし
 ▲切符制度 にして十日前より切符發賣され何人にも申込順により良き場所の得らるゝは頗る平民的
 ▲特一二等 切符は電話にて注文すれば所望の座席番號を記入したるもの自轉車にて即日配送せらる後部に特別休憩室の設けあり之に優雅の装飾を施す
 ▲時代風俗 十二ヶ月の壁畫は二階の食堂を飾り山野河湖朝暮晝夜の景色 けいしょく 畫は二階の休憩室を美にす
 ▲霓裳羽衣  げいしょうえ の曲を爲せる天女の畫 え は舞臺正面より觀覽席の天井に懸け一面に描かれ絢爛目を驚かす
 ▲白鴿數羽  はくがふすうは の彫刻物は貴賓席上にありて天眞を擬 まが ひ二三階の前欄及び舞臺前面亦精緻の彫刻を有す
 ▲蓄電式  にて電燈を點すれば不時に場内の暗黒を來たす憂 うれひ なく燈具また嶄新艶美なるものを用ふ
 ▲彩色硝子  さいしきがらす を各部の窓及び天井に用ひ二階の食堂には孔雀の尾を爲して五彩殊に鮮 あざやか なる物を貼せり
 ▲廻轉舞臺  まわりぶたい は電力にて運轉すれば迅速且つ圓滑なり糶 せり 出しの如きも亦器械力に依れば澁滞を憂ひず
 ▲特製椅子 は腰を懸くるも座するも共に自由なり
 ▲祝儀心付 等は觀客の常に五月蠅 うるさ しとする處此劇場には其心配一切無用切符代の外何等御失費なし
 ▲見物場所 廣やかなれば狭き所に多人数膝を突き合はすが如き窮屈なく頭上を人の跨 また ぐ無作法なし
 ▲一名二名 の御見物に便利なるは一人づゝの切符を發賣し一枡何人誥 づめ と云ふが如き事なければなり
 ▲下足預所 三ヶ處あれども靴又は草履の方は其儘にて座席に入らせらるゝを得べく正面の入口には
 ▲自働靴拭  じどうくつぬぐひ を備ふ刷毛 はけ を電力にて囘轉し瞬時に汚塵を拭ひ去る快き装置なり昇降口には正面玄關と
 ▲左右車寄 せとあり何れより出入するも自由なれど切符面に記載したる分座席に近くして便利なり
 ▲開演時刻 は多く夕方なれば一日の用向を濟ませたる上にて食事後にゆるゝと觀覽するを得べし
 ▲食物飲料 は食堂ありて和洋望の物を供給し不當の代價を要求せざれば場内の御食事も亦輕妙便利
 ▲貴賓觀覽 席を二階左右に設け高貴の御用に備へ下方の把手 とりて にて引出せば優に安座するの餘地を得
 ▲座下裏面 に帽子掛けの装置あり聊 いさゝか の携帯品は併せて之を収むるの便あり但し嵩高 かさだか の物品はすべて
 ▲携帯品預 りにて鄭重に保管の責 せめ を負ふ預り所は表玄關および左右車寄内にあり無論料金を要せず
 ▲運動逍遙 には各階の表廣間および左右の廊下何れも之に適す諸種の賣店あり又喫烟の設備を有す
 ▲客用電話 を三階畳敷休憩室に備ふ御宅より急用は座席番號を通ぜば直に本人に取次がしむるを得
 ▲洗面化粧 の爲め各階に其室あり男子用婦人用を區別す夏季冷水を縦 ほしいまま に使用するを得るは爽快なり
 ▲男女便所 また各階にあり器械的に臭気を排出する装置あれば温熱の候と雖も決して不快の感なし
 ▲供待溜所  ともまちたまりじよ を場外左右に備へ且つ廣濶の空地を控へ居れば自動車馬車人車の停泊に聊 いさゝか も混雑を見ず
 ▲人車切符 を左右車寄にて發行する外不時の雨には地下室に雨傘足駄 あしだ の臨時賣店を開き御用に應ず
     
 第一  水滸伝雪挑鬪     一幕

    太郎冠者作
 第二  悲劇 心の聲     二幕

 第三  イタリヤン、ダンス
         ゼ、ローズ


 プリンシパルス、ガール 小春
 同       ボーイ 龜代子
 バレー    、ガール 花子
 同       ボーイ 蔦子
 同       ガール 龍子
 同       ボーイ 蝶子
 同       ガール 延子
 同       ボーイ かね子
 同       ガール 早苗
 同       ボーイ 靜枝
 アンダースタヂー    文子
 同           愛子
 同           重子

    江見水蔭原作 
 第四  畫師實は間者     一幕

 第五  和洋 獨唱 
     柴田環

  泰西音樂の普及を計る目的を以て當演劇中に特に聲樂を加へ斯道の名家にして我が楽界夙 つと に鶯 うぐひす の名ある柴田環女史の出場を乞ひ連夜和洋の歌謠一曲宛 づゝ を演ずることとせり

  第六
   鎌倉濤聲館の場

 實業家
一山田夫人芳子   浪子
 官吏
一山田夫人信子   菊枝
一濤聲館下女小春  勝代
一濤聲館女將お高  嘉久子
一待合女將おとく  房子
一信子妹 喜代子  千枝子
一乳母 おしげ   はま子
一藝者 きな子   壽美代
 米國婦人
一ミスサムスン   律子
一芳子妹 花子   日出子
一庭掃女      龍子
一女学生太田節子  蝶子
一同  仁村弘子  かね子
一同  白根琴子  小春
   其他大勢

   太郎冠者作  
 第六  喜劇 三太郎     一幕

 『逗子濤聲館庭園の場』女学生の一團がポルカのダンスを踊りて引込み濤聲館の下女お春バケツを提げボンヤリ出 い で來れば女將お高後を追ふて登場しお春を追ひ遣 や り折柄 をりから 入り來れる實業家山田夫人芳子同 おなじく 妹花子官吏山田夫人信子同妹喜代子褓姆お茂等を迎へてお世辭を振撒き客に呼ばれ慌てゝ上手に入る芳子は愛兒三太郎を花子に預け『若 もし 迷子にでもしたら姊樣 ねえさん は生きては居りませんよ』と嚴重に謂ひ置き信子等と散歩に行く花子喜代子之を見送りたる後安樂椅子に倚掛 よりかゝ り盛 さかん に姊の惡口を謂ふ其中 そのうち 花子は三太郎の帽子を冠 かぶ り居らざるに心付き取り來らんとて暫時三太郎を喜代子に托して去る喜代子が守 もり をなせる所へ米國婦人ミスサムスン入り來り三太郎の可愛 かはゆ きを見夫 それ を借らんとして言語通ぜず引奪 ひつたく る樣にして抱き取るお春出で來たりて電話の掛りたる事を告ぐるを以て喜代子は心ならずも三太郎を見捨てゝ奥に入るサムスンは三太郎を抱き亞米利加の子守唄を歌い乍ら寢かし付けるをお春物珍しく眺め居るとサムスンは突然歌を止め三太郎をお春に押付けて去りお春は又客の呼ぶが儘に三太郎を抱きて下手に入る花子歸り來り三太郎の在 あ らぬに驚き喜代子と共にオロゝ聲にて呼 よば はりつゝ探しに入るお春三太郎を抱きて出で來り其場に居合はしたる藝妓 げいしゃ きな子に預けきな子は又之を女將おとくに渡しおとくは三太郎を抱きてきな子の後を追ふ間もなくお徳三太郎を抱きて再び出で來り之をお高にお高は又之を唖 おし の庭掃女 にわはきをんな に預けて去る芳子信子等 ら 散歩より歸り來り唖女 おし の三太郎を抱けるを見花子等を窘 たしな めんと信子の子昇子を乳母車より出し乳母に抱かせて垣根裏に忍ばせ其車に三太郎を入れ花子等が歸り來るに及んで芳子は愛兒を失ひたる悲しみの餘り投身して死せんと脅 おびやか せば信子は之を見兼ぬる風にて我子を身代りとして渡せば兩人の罪を許さん事を乞ひ車の内の三太郎を昇子なりとて花子に渡す花子受取り喜代子と共によくゝ見れば昇子と思ひしは三太郎にして昇子と偽り揶揄 なぶ つて遣らうと云ふ姊の惡戲 いたづら と知り兩人は一杯食はされたと云ふ思入 おもひいれ 芳子信子は思はず吹出す模樣にて幕

 第七  ケーキウオーク

 一ガール      浪子
 一ボーイ      律子
 一ガール      房子
 一ボーイ      千枝子
 一ガール      龜代子
 一ボーイ      蔦子
 一ガール      小春
 一ボーイ      蝶子
 一ガール      花子
 一ボーイ      かね子
 一ガール      早苗
 一ボーイ      日出子
 一アンダースタヂー 文子
 一同        愛子
 一同        重子
 
 第八  隈取安宅松      一幕

    右田寅彦作  
 第九  所作事 夕涼鴨川風

  

 上の写真は、「帝国劇場新狂言 (ケーキウオーク)」とある絵葉書のもの。    

 柴田環関連:

     

 ・上左の写真:大正二年八月一日発行の『婦人画報』 第八十五号 の口絵とその説明。

   声楽家環女史

  南洋より帰朝して三浦医学士と結婚の式を挙げた声楽の名家柴田環女史。
  Mrs. Tamaki Shibata , a vocalist , who got marrited to Mr. Miura , Igakushi , soon atter she returned from the South Seas.

 ・上右の写真:大正三年一月一日発行の『淑女画報』 第三巻 第一号 の口絵とその説明。 

  問題の人々(三)

  医学士三浦政太郎氏夫人の環女史と云へば誰れ知らぬものもない声楽家で、屡ゝやかましい問題の種となつた方です。其後しばらく三浦医学士と共にシンガポールの護謨園で新家庭をお作りになつてゐましたが、先頃帰朝して今では貞淑な三浦夫人として納つてゐらつしゃいます。然し機会があれば欧米に渡つて天稟の才を磨き世界の楽界に名を上げやうとの野心をもつてゐらつしゃると云ふ事です。


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