ホイッスルバード あいざわぶん

小公園の桜に思う

松山市は昼からず~っと雨との予報なので、本日は
午前9時過ぎから散歩に出た。

城山(松山城が建つ所)に登ろうかと思ったが、今日
だって人が多いだろ、と思った瞬間、行く気は失せた。
なので、城下の東雲公園に向かった。

東雲公園は隣りに市立・東雲保育園があり、公園は
園児たちの良い遊び場になっている。大通りからは
隔離されているので人に知られてなくて、何本もある
大きな桜木を独り占めで鑑賞できる場所なのだ。

帰りにスーパーに寄ると、農家が直接卸している蕨が
普通の本数で108円で売られていた。
そうなれば何も躊躇うことはなく、二束を購入。
帰宅して直ぐに灰汁抜き処理を始めた。
今から晩御飯が楽しみである。

私も歌詠みの端くれですから、公園で花を見ていたら
自然に桜を詠んだ短歌が次々と頭に浮かんでくる。
例えば、最も有名な歌として与謝野晶子の一首。

 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人
 みなうつくしき

例えば、古くは西行の一首も有名である。

 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの
 望月の頃

例えば、岡本太郎の母の岡本かのこの一首。

 桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)を
 かけてわが眺めたり

例えば、斎藤茂吉の高弟・佐藤佐太郎の一首。

 夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちて
 しだれ桜は輝(かがやき)を垂る

例えば、上田三四二の美しい技巧的な一首。

 ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて
 谷にゆくかも

もう書かないけれど、こういう作品を思いながら桜を
眺めるのは実に心の栄養になるものなのだ。

お気付きの方が居るかもしれないが、上記の作品で
人間が出てくる歌は与謝野晶子の一首だけである。
しかも、遭う人遭う人を「みな美しい」と言っている。
私は、城山に行かなかったのは遭う人遭う人を美しく
感ぜられないから行かなかったのだ。
その違いを、歩きながらずっと考えてしまった。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る