この曲は何年前なのだろう。
これ以後、この曲を越えるものはないのではないか、と私は思う。
大震災で亡くなった方も、こういう状態であることは確かだろう。
生き残った人は、あまり故人にひっぱられずに、自分の未来に向かって生きるべきだろう。
もし私が死んだら「私の為に悲しまず、生きている人は自分の未来に向かって歩んで行ってもらいたい」と、必ず思うでしょう。
この世の生活、あの世の生活、どちらも大事だから。
Akikawa Masafumi - Sen no Kaze ni Natte
これ以後、この曲を越えるものはないのではないか、と私は思う。
大震災で亡くなった方も、こういう状態であることは確かだろう。
生き残った人は、あまり故人にひっぱられずに、自分の未来に向かって生きるべきだろう。
もし私が死んだら「私の為に悲しまず、生きている人は自分の未来に向かって歩んで行ってもらいたい」と、必ず思うでしょう。
この世の生活、あの世の生活、どちらも大事だから。
Akikawa Masafumi - Sen no Kaze ni Natte
因があって果が生ずるので、何事も受け入れるのが今生の修行。
例え、今死んでもそれの因があったということ。
津波で死のうが、放射能で死のうが、癌で死のうが、それは各故人の因があって出た果であるので、受け入れなければならない。
それを繰り返し繰り返しやっていれば、必ず自分の中に光を見いだすだろう。
情をなくす。
欲をなくす。
何事にも、こだわらないことだ。
それなくして、光は見いだせないだろう。