ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

遂にゴミ拾いを休止することに

2020-04-28 17:04:12 | 世相
 遂に、5年間やってきたゴミ拾いを休止することになりました。新型コロナの感染拡大が止まらない情勢なので、これもやむを得ないことでしょう。事の次第はこうです。

 先週のこと、神戸市の環境施設課(?)の職員に新型コロナ感染者が出たという短信ニュースがあって、相方がこんなことを言い出しました。

「神戸市のゴミ収集職員が3人も感染したんだってよ! こんなだから感染者が500人にもなって、・・・もう、ゴミ拾いは止めて!」と、まるで感染した原因がゴミ収集にあったような口ぶりでした。

 これに対し私の方は、ゴミ収集と感染との因果関係がまだ確定したわけではなく、県内の感染者もまだ500人未満のはず、と御託を並べて抗ってみました。

「とにかく道に落ちているマスクは危険だから、拾うのは止めて!」と、相方は引きません。

 どうやら彼女は、体液のついたマスクがどうにも気に入らないのです。その場は、マスクだけは拾わないことで一旦治まりました。

 ところが翌朝、近くに住む次男から次のような主旨のメールが届きました。

 ―― 命よりもゴミ拾いが大事? 一人で住んでいるならともかく、
    一緒に住む家族にもうつしかねない。ひいては孫にもうつし
    かねないからゴミ拾いは止めてくれ!・・・

 何と今度は、次男を巻き込んでのカラメ手で来たのです。さすがにこれには参りました。

 “命よりもゴミ拾いが大事”、これも現実をありのままに見ようとしない “認知のゆがみ”、アルコール依存症者にありがちなことです。

 そもそも道に落ちているゴミの大半は、持ち主の邪魔になった物。中には当然、不潔な物も混じっています。そんなことは重々承知している私ですが、頭の片隅にはこんな独りよがりな考えもありました。

「たとえゴミ拾いで自分が罹っても構わない。人の為にもなることの一体どこが悪い?!」慢心からの見事な開き直りです。

 今の日本は医療崩壊の瀬戸際にあります。命懸けで日夜頑張って下さっている医療関係者のお陰で、辛うじて踏みとどまっているだけなのです。

 こんな危機的なときに自分自身の慢心から、たとえ自分1人でも感染者を出そうものなら彼らの足を引っ張るだけです。ゴミ拾いに執着する余り、こんな当たり前なことにも思い至りませんでした。

 アルコール依存症回復期の私が新たに囚われている依存先の一つ、ゴミ拾い。目の前に見えているゴミを拾わないなんて正直、辛いです。

 5年続けてきた活動で、巡回コースの道や公園がやっと小綺麗になってきたばかりです。ゴミ拾いを止めた途端、道も公園も目に見えて荒れていくでしょう。そんな光景を想像するだけで情けなくなってしまいます。

 とは言っても当分の間、ゴミ拾いを止めます。こざっぱりした道や公園に慣れた住民には、今度こそ民度が問われるのでしょうが・・・。

 さて、これからどうすべきか? 慣れ親しんだゴミ拾いコースから一旦離れ、散歩だけの新コースに変えるべきでしょうか? 今のところ決めかねている私ですが、まぁ、なんとかなるでしょう。



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