私は何度か父に連れられ釣りに行きました。
セットされた糸巻きには、父の几帳面さを表すように「① 新大長 ウキ長」など、取付ける竿やウキがすぐに分かるよう記してあります。
歩いて30分もかからない近くの堀まで、釣竿とビク(釣れた魚を入れる網カゴ)、ウキや板状の鉛などが入った釣用の道具箱を持って出かけるのです。
釣りに行く日の朝は早く、朝日が登る前の、少しひんやりとした空気を感じながら、露が降りた雑草の道をそっと歩いて釣場に向かいます。
父は釣場に着くと、手際よく準備を整え、鏡の様な水面に釣糸を垂らすのでした。
波紋が音も立てずに幾重にも広がります。
そして、その波紋の中心に赤と黄色と黒の線が入ったウキが音もなくスクッと立ちます。
そこまで父はほとんど言葉を発していません。
手取り足取り私に教える事はしませんでした。
まるで、
「なぁ、釣りはこんな風にやるんだ」
と、背中で語るかのように黙ってウキだけを見ています。
私も少し遅れて、父がしたように釣竿に釣糸を繋ぎ、ゴム管にウキを差し、板鉛をちぎって糸に巻き、生きたミミズを針に付け水面に投げ込みます。
オモリが軽すぎるとウキは水面で横になり、重すぎると水中に没してしまいます。
それが一発で決まると気持ち良く、様に成るのですが、何度もオモリの量を変えると、水面が忙しく波立ってしまいます。
そんな時も、父はチラッとこちらに目をやるだけでした。
「何をやってるんだ」
とでも言っているように感じられ、私は緊張したものです。
程なく、父のウキが小さく浮き沈みし、これ以上はないタイミングで手首を跳ね上げ竿を上げました。
ウキはしばらく浮き沈みしながら、針から逃れようとする水面下の魚の動きを生々しく表しています。
私の心臓はドキドキと鼓動を打ち、その一部始終を息をするのも忘れて見つめるだけでした。
西側にある外屋の波板の屋根を修理する際に、外屋に置いている棚に父の釣り道具が入った釣竿ケースを見つけました。
父が亡くなってすでに18年経っています。
この間、この釣竿ケースを開いてみることはなく、埃をかぶってここに眠っていたのでした。
久しぶりにケースを開けてみました。
竿は父の手によって色が塗られていたり、リールを取り付けられるよう金具をつけるなど加工されていました。
セットされた糸巻きには、父の几帳面さを表すように「① 新大長 ウキ長」など、取付ける竿やウキがすぐに分かるよう記してあります。
そして、父が使っていた"肥後守” も入っていました。