TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

父の想い出<鮒釣り>

2020-09-19 06:41:00 | 父の想い出
私は何度か父に連れられ釣りに行きました。

歩いて30分もかからない近くの堀まで、釣竿とビク(釣れた魚を入れる網カゴ)、ウキや板状の鉛などが入った釣用の道具箱を持って出かけるのです。

釣りに行く日の朝は早く、朝日が登る前の、少しひんやりとした空気を感じながら、露が降りた雑草の道をそっと歩いて釣場に向かいます。

父は釣場に着くと、手際よく準備を整え、鏡の様な水面に釣糸を垂らすのでした。

波紋が音も立てずに幾重にも広がります。

そして、その波紋の中心に赤と黄色と黒の線が入ったウキが音もなくスクッと立ちます。

そこまで父はほとんど言葉を発していません。

手取り足取り私に教える事はしませんでした。

まるで、
「なぁ、釣りはこんな風にやるんだ」
と、背中で語るかのように黙ってウキだけを見ています。

私も少し遅れて、父がしたように釣竿に釣糸を繋ぎ、ゴム管にウキを差し、板鉛をちぎって糸に巻き、生きたミミズを針に付け水面に投げ込みます。

オモリが軽すぎるとウキは水面で横になり、重すぎると水中に没してしまいます。

それが一発で決まると気持ち良く、様に成るのですが、何度もオモリの量を変えると、水面が忙しく波立ってしまいます。

そんな時も、父はチラッとこちらに目をやるだけでした。

「何をやってるんだ」

とでも言っているように感じられ、私は緊張したものです。

程なく、父のウキが小さく浮き沈みし、これ以上はないタイミングで手首を跳ね上げ竿を上げました。

ウキはしばらく浮き沈みしながら、針から逃れようとする水面下の魚の動きを生々しく表しています。

私の心臓はドキドキと鼓動を打ち、その一部始終を息をするのも忘れて見つめるだけでした。



西側にある外屋の波板の屋根を修理する際に、外屋に置いている棚に父の釣り道具が入った釣竿ケースを見つけました。

父が亡くなってすでに18年経っています。

この間、この釣竿ケースを開いてみることはなく、埃をかぶってここに眠っていたのでした。

久しぶりにケースを開けてみました。



竿は父の手によって色が塗られていたり、リールを取り付けられるよう金具をつけるなど加工されていました。




セットされた糸巻きには、父の几帳面さを表すように「① 新大長 ウキ長」など、取付ける竿やウキがすぐに分かるよう記してあります。



そして、父が使っていた"肥後守” も入っていました。













父の想い出<道具箱>

2020-09-18 07:49:00 | 父の想い出
今住んでいる家が完成し、私の父や母がこれまで暮らしていた借家を引き払うことになりました。

時計店を営んでいた狭い借家には、布団や鍋釜の他、食器などの生活用品など沢山ありました。

父の商売道具である時計の修理に使っていた小型のペンチやドライバー、ピンセットからグラインダー、ガラス研磨機なども随分沢山ありました。

新しく建てた家に持ち込める荷物の量には限りがあり、私は最小限に絞り込んで欲しいと思っていました。

ただそれだけしか考えることができませんでした。


父や母にとっては、今まで使っていた全てのものが必要なものだったようです…

特に父は、ありとあらゆる仕事道具を持って行こうとしました。

そんな父に、私は、
「そんなもの持って行ってどうするのか」
と、詰め寄ってしまいました。

   … 父の気持ちも考えずに。

父は泣く泣く、小さな3段になった引出しに、どうしても捨てることのできない道具だけを仕舞い、後は廃棄用の袋に詰め込み手放しました。


きっと、後ろ髪を引かれる思いだったことでしょう。



今でも、その道具箱が父と母が寝起きしていた和室の棚に残っています。






もう使うことはないとは言え、私は、父の生きてきた証である時計の修理道具を、たった3段の引出し1つにまとめさせてしまったのです。


私は時々、その道具箱の引出しを開け、後悔の想いと共に、その道具を使い生きていた頃の父の姿を思い浮かべます。





父の想い出<小床の絵>

2020-09-13 09:38:00 | 父の想い出
私の父について、また、少しだけ話をします。

父は小さな時計店を営んでいました。

時計店を営みながら、習字の塾も開いていました。

60歳も過ぎた頃、何を思ったか大学の講座に申込み、日本画を学び始めました。

数カ月だと思いますが大学に通い、墨絵や顔彩を使って描く本格的な日本画を描き始めました。

実は、父の母親も趣味で日本画を描いていたようで、父もその血を引いていたのかもしれません。

今、私が住んでいるこの家に来てからも、沢山の絵を描きました。


家の小床には、昔、父が描いた鯉の絵が飾ってあります。

玄関や廊下の壁に漆喰を塗った時、小床の壁も真っ白な漆喰に塗り替えました。

小床には小さな蛍光灯が付いていましたが、光量が足らず寂しい感じでした。

なんとか、父の描いた絵を明るい照明で照らしたいと思い、位置や方向を自由に変えられるスポットライトに交換しました。




時季に合わせて額を替えたり、書にしたりしています。






父は戦時中、南支で爆撃に遭い耳が聞こえにくく、片方の目も見えていませんでした。

片目が見えないと遠近感が分かりません。例えば、投げられたボールをうまくつかむこはできません。

父も筆で文字を書いたり絵を描く時、筆先が紙に触れる感覚がつかみにくかったようです。

それでも、その事を苦とも思わず筆をとり当たり前のように書や絵をかくのです。

また、絵や書を飾る額も自作していました。

ところが、片目で額をつくると歪みが出てしまうようなのです。

父、本人には正確な四角形に見えていても、両方の目で見る私たちには歪んだ四角形に見えるのです。

これは本人がいくら努力しても越えることのできない壁です。

父には正しい四角形が歪んで見えるのですから…  。

私は父にその事を伝えることはしませんでした。


父が残した沢山の絵や書を見ていると、夜中も山の様な反故紙の中で書を書いている父の姿や、足が悪くなってもスケッチブックと絵の具を持って電動三輪で出かけて行く父の姿を思い出してしまいます。