高尾駅前からバスで八王子城山へ行く道すがら、左手に続くなだらかな尾根が前から気になっていたのです。
尾根の名前は太鼓曲輪尾根。
曲輪というのは城郭を構成した石や土で囲まれた区画(例えば本丸とか)のことなんですって。
ということは、昔ここには太鼓櫓が建っていて、お城を敵から守るために誰かが詰めていたのでしょうね。
…と、いうわけでめちゃくちゃ花粉が飛んでいる本日、決死💦覚悟で歩いてきましたっ🐾
高尾駅からバスでふたつめの「宮ノ前」バス停で下車。
しばらく行くと右手に大きな梅の木がある広い空き地があります。
中央道の車の音に導かれるままに笹藪の中を細い道なりに進んで中宿橋をわたるとすぐに尾根を示す手製の小さな標識が現れます。
しばらくは竹藪のなかを地形に沿って尾根をたどります。
286ピークあたりを過ぎて次のピークを目指す途中にいきなり寸断されて崖っぷちの場所に出ました。
いよいよ、堀切の登場のようですね。
この高さまで掘り下げた、戦国武将の威勢をこんな山のなかで垣間見ることができるとは、、すごいなっ👀
大手門へと続く道を横目に、再び登り返して、第二堀切に到着しました。
さてさてお次は…。
第三堀切に到着しました👀
こちらはあたり一帯に切り出した石がゴロゴロと転がり、今までと比べてもかなり規模が大きな堀切のようです。
すぐ脇から見下ろす木々の間からは、八王子城のお殿様の住居だった御主殿跡地も見えて、下を歩く人の声や沢の流れまでがはっきり聞こえてきます。
…察するにこの第三堀切があるあたりはこの太鼓曲輪尾根のなかで守りの要だったところでしょうね❗️
ここからなら敵の襲来を知らせる太鼓の音もお殿様んちからよく聞こえたでしょうね。。
写真は第三堀切を上がり切った場所から下を見てますが、もはや急峻な山にしか見えません。
続くこの大きなモミの木が目印の第四堀切には表示が見当たりません。
他所と比べてこの堀切は、南面に石積のあとがはっきり見られるため、南側斜面から攻め入る敵を仮定すると堀切がかつては敵の目からどんな風に見えていたのか?を一番イメージしやすい場所かもしれません。
よく見ると足元の石もひとつひとつ、人の手がはいったかたちをしていて、生々しい👀
楽しい尾根歩きはいよいよ329のピークを過ぎて、最後の第五堀切に到着しました。
そして、ここからが1番に八王子城跡(城山)を大きく正面に見ることができました。
その先の宮内省の城山/御霊谷境界標石を越えれば、尾根は富士見台から小仏バス道路に続く一般登山道に合流します。
もとの地形を多少は利用しているのでしょうが、山を削ってこんなに大きな堀切を造成するのはかなり大変だったでしょうね❗️中央道高架)~太鼓曲輪尾根~421ピーク~新井・摺差バス停方面~蛇滝口バス停~高尾駅
追記
山から下山した中央線踏切あたりでひとりの男性からすぐ先の湯の花トンネル慰霊碑の所在を聞かれました。
このトンネル前で終戦直前たくさんの民間人を乗せた列車がアメリカ機に機銃掃射され60人以上が亡くなった痛ましい事件があったことは以前から知っていましたが、私もこの機会にと立ち寄ってから帰途につきました。
(慰霊碑は蛇滝口バス停裏手の線路沿いでトンネルもすぐ先)
再びの太鼓曲輪尾根の記事はこちら➡️
尾根の名前は太鼓曲輪尾根。
曲輪というのは城郭を構成した石や土で囲まれた区画(例えば本丸とか)のことなんですって。
ということは、昔ここには太鼓櫓が建っていて、お城を敵から守るために誰かが詰めていたのでしょうね。
…と、いうわけでめちゃくちゃ花粉が飛んでいる本日、決死💦覚悟で歩いてきましたっ🐾
高尾駅からバスでふたつめの「宮ノ前」バス停で下車。
すぐ前の商店を右に入ると御霊谷川が見えてきます。
川の流れに沿ってしばらく歩くと今日目指す尾根が見えてきました。
しばらく行くと右手に大きな梅の木がある広い空き地があります。
実はこのあたりでかなり迷ってしまっいましたが、尾根への取り付きはこの梅の木を正面に向いてそのまま真っ直ぐ進んだ竹藪の奥❗️
中央道の車の音に導かれるままに笹藪の中を細い道なりに進んで中宿橋をわたるとすぐに尾根を示す手製の小さな標識が現れます。
しばらくは竹藪のなかを地形に沿って尾根をたどります。
286ピークあたりを過ぎて次のピークを目指す途中にいきなり寸断されて崖っぷちの場所に出ました。
いよいよ、堀切の登場のようですね。
この高さまで掘り下げた、戦国武将の威勢をこんな山のなかで垣間見ることができるとは、、すごいなっ👀
堀切とは人工のキレットでして、これが八王子城のような山城を構成する上で、尾根づたいに敵が進撃するのを防ぐ役割を果たしているのだとか。。
そして、このような堀切が大小6つも続くのがここ太鼓曲輪尾根最大の見どころなのです。
第一堀切からほどなく次の堀切に着きました。
第一堀切からほどなく次の堀切に着きました。
ここはさっきと比べて低い造りで、傍らの木には片堀切と表示があります。
なるほど。片方だけ掘ったというわけね…🤔
大手門へと続く道を横目に、再び登り返して、第二堀切に到着しました。
ここもかなりの高低差があるため、落ちないように慎重に巻きながら、降りて行くことにします。
薬研堀と言われる堀切の底は、長い年月の堆積物で、上げ底になってはいますが、それでもこの高さ❗️
当時は落ちたら死ぬほどに凄まじい絶壁だったのでしょうね。。
さてさてお次は…。
第三堀切に到着しました👀
こちらはあたり一帯に切り出した石がゴロゴロと転がり、今までと比べてもかなり規模が大きな堀切のようです。
すぐ脇から見下ろす木々の間からは、八王子城のお殿様の住居だった御主殿跡地も見えて、下を歩く人の声や沢の流れまでがはっきり聞こえてきます。
…察するにこの第三堀切があるあたりはこの太鼓曲輪尾根のなかで守りの要だったところでしょうね❗️
ここからなら敵の襲来を知らせる太鼓の音もお殿様んちからよく聞こえたでしょうね。。
写真は第三堀切を上がり切った場所から下を見てますが、もはや急峻な山にしか見えません。
よくここまで山を造り上げたものだ💧
続くこの大きなモミの木が目印の第四堀切には表示が見当たりません。
他所と比べてこの堀切は、南面に石積のあとがはっきり見られるため、南側斜面から攻め入る敵を仮定すると堀切がかつては敵の目からどんな風に見えていたのか?を一番イメージしやすい場所かもしれません。
マニアにはかなり時間を忘れて楽しめることは間違いないでしょう笑
よく見ると足元の石もひとつひとつ、人の手がはいったかたちをしていて、生々しい👀
楽しい尾根歩きはいよいよ329のピークを過ぎて、最後の第五堀切に到着しました。
この第五堀切はいかにも外堀らしい大きさを感じさせる造形ですね❗️
そして、ここからが1番に八王子城跡(城山)を大きく正面に見ることができました。
その先の宮内省の城山/御霊谷境界標石を越えれば、尾根は富士見台から小仏バス道路に続く一般登山道に合流します。
太鼓曲輪尾根もいよいよおしまいですね。。
合流した名もないピークには、宮内省御料局三角点の標石がポツリと建っていました。
その先、421のピークで正午を迎えて木の根に座り小休止。。
合流した名もないピークには、宮内省御料局三角点の標石がポツリと建っていました。
その先、421のピークで正午を迎えて木の根に座り小休止。。
ここで花粉に負けて💧、今日はそのまま下山することにしました。
とはいえ、たった3時間の里山歩きでも尾根から外れて下へ上へと堀切観察で細かく動き回ったこともありまして、なかなか充実したマイナー道散歩となりました❗️
もとの地形を多少は利用しているのでしょうが、山を削ってこんなに大きな堀切を造成するのはかなり大変だったでしょうね❗️中央道高架)~太鼓曲輪尾根~421ピーク~新井・摺差バス停方面~蛇滝口バス停~高尾駅
追記
山から下山した中央線踏切あたりでひとりの男性からすぐ先の湯の花トンネル慰霊碑の所在を聞かれました。
このトンネル前で終戦直前たくさんの民間人を乗せた列車がアメリカ機に機銃掃射され60人以上が亡くなった痛ましい事件があったことは以前から知っていましたが、私もこの機会にと立ち寄ってから帰途につきました。
(慰霊碑は蛇滝口バス停裏手の線路沿いでトンネルもすぐ先)
再びの太鼓曲輪尾根の記事はこちら➡️