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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

教会に入ってきたニューエイジ 第5回

2015年07月26日 | 日記

私はミューリアルに単刀直入に聞いてみました。「私は深い霊媒に相談をしたいです。ところでこちらは宗教団体ですか?」ミューリアルは答えました。「いいえ、私たちは宗教家ではなく、霊的な人です。何を手伝いましょうか?」。私は私が気になっている事をこう言いました。「私は私の人生の方向を知りたいと思っています。私はどこに向かっているかを知りたいのです」。彼女はすぐにスーツのポケットからトランプを取り出しました。私はそれが占いカードであることを知っていました。私は「ミューリアル、私は宇宙系から直接来る霊媒の声を聞くことを望んでいます。そのようなカードなどは不要です」。ミューリアルは答えました。「私は天のオーラを開いて記録を閲覧するために、ただカードを使うだけです。天には永遠に保管されている記録があります。それは宇宙の巨大なコンピューターのようなものです。私はカードを使用して、マスターと交信するのです。しかし、もしあなたがカードを望まないならば、それを使用しない方法もあります」。ミューリアルはすぐに目を閉じて深い瞑想の世界に入りました。

 

彼女は心を傾け、自分の内的世界から聞こえてくる音声を聞くために精神を集中しました。しばらくして、彼女は目を閉じたまま、彼女が一度も会ったことのない私の親や兄弟たちの姿、そして人格を描写し始めました。それだけでなく、イギリスにいる私の友人との関係を詳細に言い当てました。彼女は百科事典を読んでいるように神秘的な情報を正確に言い当てるのです。私だけが知っているある出来事について聞いてみましたが、彼女はそのような事件の経緯と原因を説明してくれました。私は額から汗が落ちるのを感じました。私は彼女の霊能力に屈するしかありませんでした。

 

ミューリアルの霊媒解説は1時間くらい続きました。瞑想を通じた霊媒解説を終えた時、ミューリアルはきれいなパンフレットを渡して、毎週水曜日の夜の集会に出席するように勧めました。私は瞑想を通じて、宇宙の巨大なコンピューターにある「全人類の記録」を自由に閲覧するミューリアルの能力に魅了されました。また、彼女が言った転生と前世について多くの興味を持つようになりました。もし私がミューリアルのような能力を得ることができれば、人生の本質についての多数の質問に対する答えを見つけることができるだろうと考えました。「なぜある人は、悲惨な病気と貧困の中で生まれ、ある人は、健康と幸福の中で一生を生きて行くのだろうか?」。このような不平等への回答がニューエイジの中に隠されていると信じるようになりました。


教会に入ってきたニューエイジ 第4回

2015年07月25日 | 日記

4.心理学から神秘主義に

 心理的な恐怖と魂の不安の中で苦しんでいた私は、ニューエイジを通して精神の内的平和を得ようとしました。そして、ニューエイジ哲学が約束する潜在能力の啓発を通して人生を正常に生きようとしました。私は、いくつかの会議やセミナーに参加するうちに、ニューエイジに関する高度の情報を得るためには、アメリカのロサンゼルスに引っ越さなければならないという結論に達しました。ロサンゼルスで私はニューエイジ思想を伝える雑誌を購読して、より多くまた深くニューエイジの中心思想に引きこまれていきました。そして前世に関する興味を持っている私の運命について、洞察力のあるアドバイスを与えることのできる特別な霊力を持っている人と会うことを求めていました。また私の霊魂の奥深くまで見抜いて、知恵と知識を与えることができる人と会いたかったのです。私の魂を苦しめる痛みの理由と原因について、説明できる特別な人を探していました。

 そしてある日、私はニューエイジ雑誌に掲載された広告から、精神的集会があることを知りました。その集まりの名前は「光のあたる道」でしたが、そこは超自然的な力を体験するところでした。私は霊媒に関する問題においては、欺瞞と詐欺がたくさん飛び交っている事実を知っていたので、その集まりの真実性をよく観察しようと思いっていました。私は安っぽい占い師との出会いを求めていたのではなく、特別な能力を持っている人に会いたかったのです。しばらくして、私はサンタモニカの深い谷間に車を走らせていました。その精神的集会の場所は、チベットの人々が使用しているチャイムの音がして、神秘的な雰囲気がありました。室内に入ると、ほのかな香りが漂っており、非常に神聖な場所という感じを受けました。一人の女性が笑顔で私を迎えてくれました。私は彼女に 「こんにちは。私は、ここの指導者に会いたくて来ました」と言いました。彼女は、「私がここの指導者です。私の名前はミューリアルです。何かお手伝いできることはありますか?」と言いながら、私を小さなテーブルがある部屋に案内しました。彼女が座った椅子の後ろにかかっているペッパー大学の修士学位証と個人カウンセリングや家庭相談員資格証を見て、彼女への学術的信頼感が生まれました。


教会に入ってきたニューエイジ 第3回

2015年07月24日 | 日記

3.健康療法を通じたニューエイジ入門

『緊張病』という本の終わりに、私は「ニューエイジ健康協会」という団体が、ロンドンにある事を知りました。この健康法についてより多くの情報を得るために、その団体の創設者に会ってみることにしました。その団体の指導者であるマルクス・メクローデュス大佐は、非常に親切で思いやりの深い人でした。彼はアメリカからイギリスに導入された新しい心理学について教えてくれました。彼が特に強調していたのは精神的な治療を通して体の癌を治療するということでした。彼は私の心理的なうつ病の原因を説明しながら、次のように言いました。「私が確信しているのは、今あなたは前世で得たことを繰り返しているに過ぎないということです」。私はびっくりしながら、「いや、前世などあるのですか?」彼は答えました。「その通りです。私は前世があるという事実を確信しています。実際には、私達はすべて何度も転生をしているのです」。

私は困惑しました。転生の概念について前に聞いたことはありますが、このように確信を持って言われるのを聞いたことがありませんでした。彼はこの方面についての専門家だったので、私は彼の言葉を否定することができませんでした。彼の家を離れる時に、私は前世に関してとても興味を持つようになっていました。前世の研究を通して、私は世俗的な成功に導いて行く鍵となる可能性を垣間見ることができ、この時から私はニューエイジ運動に徐々に巻き込まれていきました。

 その時以来、私はニューエイジの多数の本を読破し、ニューエイジ運動に深く参加した人々の神秘的な経験に憧れました。ニューエイジ運動家たちは、私のような重病に苦しんでいる人々に、新しい健康法を紹介すると言いながら、彼らの思想と哲学を患者に注入します。そして患者は、現世での健康と成功を約束してくれるようなニューエイジの概念と神秘的な奇跡の深みに没入します。

 


教会に入り込んだニューエイジ 第2回 

2015年07月23日 | 日記

1部:ウィルベルン氏の体験 「私はこうやって、ニューエイジに入門した!」

2.始めは精神心理学から

私はすべての宗教からしばらくの間、解放されたと思いました。むしろ宗教のない生活の方が形式だけの宗教的な生活よりもよいと考えたのです。「今日は食べて飲もう、明日には死ぬかもわからないのだから」というのが私の人生観となっていました。しかし、まだ私の生涯には、真の幸福とやりがいがありませんでした。キリストの宗教が私を縛るくびきであると思っていましたが、宗教を捨てた後も、真の平和は味わうことができませんでした。不安と憂鬱はますます深くなって行き、十代の時に感じた恐怖と緊張が再び私を襲ってきました。平和と幸福を得るために、私は再び精神心理学の本を読んでみることにしました。そうするうちに図書館の書棚に置かれている小さな本が私の注意を引きました。

その本は、精神セラピストであるピーター·ブライディーが記録した「緊張病」という本なのですが、その本の中で、彼は病気の原因と治療法について論じながら、全体的にニューエイジ思想でカバーしていました。体と心と精神はお互いに関連付けられているので、体を治療するために、心を先に治療しなければならないという概念を紹介しながら、「全体的なバランス、全体的な健康」という表現を使用していました。彼は「エネルギー、バランス、全体」という言葉を強調しながら、ニューエイジの治療の概念を説明しました。私は彼が提示するこれらの概念を非常に良い概念だと思いました。その本の最後の部分で、彼は一般的な医学ではほとんど扱われていない鍼治療、ヨガ療法、瞑想療法、霊媒手術、転生など神秘的な治療法を紹介していました。私はその本を通してニューエイジ運動(新世代の運動)という言葉を知りました。私は最初、それが何を意味するか分かりませんでしたし、そのような神秘的な魔法のようなものには心を奪われずに、健康の回復に必要な情報だけを得ることにしました。

 


教会に入り込んだニューエイジ 第1回

2015年07月22日 | 日記

1部:ウィルベルン氏の体験 「私はこうやって、ニューエイジに入門した!」 

1.クリスチャン信仰がいやになる

私はイギリスの小さな町のクリスチャン家庭に生まれました。私の父は、小さな教会の牧師でしたが、私は聖書の真理について深く理解していない状態で成長し、聖書の言葉に対する懐疑と冷淡さが心を満たしていました。また、中高校時代、学校の先生や友達が私の信じる宗教を笑い、冗談のまとにし、嘲笑する言葉を聞くうちに、クリスチャンとしての自分の人生を重荷に感じるようになりました。

 これらの不満やストレスは、思春期の私にとって非常に耐え難い重荷となりました。16歳になったある日の朝、私は学校の講堂で激しい恐怖感の中で呼吸が困難になり、胸が締め付けられるような痛みを感じました。それ以来、私は別人になり始めました。医師は安定剤を与え休養することを勧めましたが、私の病気の原因を教えてくれなかったので、私は失望しました。私は私の病気を治療するために、人間の心理への理解が必要だと思いました。そのような中で私は大学に入学することになり、そこで大学の友だちと一緒に酒とロック音楽に没頭しました。ただし、私の体だけは、一週間に一回教会に行っていましたが、実際的な面においてキリスト教との関係は、完全に終わっていました。大学を卒業した私は良い仕事と豊かな経済的余裕の中で人生を楽しむようになり、最終的には週に一度行っていた教会も、これ以上出席しないことにしました。