問題になっているビッグモーター社の前社長の会見 拝見いたしました。筆者も現職時代これに似た経験があり非常に興味深く注目しております。
孔子の思想で「徳治主義」というのがあります。徳のある人物が世の中を治めれば社会は平穏かつ繫栄し物心共に豊かな余となるであろう。それを助けるためには民衆は特ある人物に従い自らの振る舞いを律しなければなりません。との趣旨であろうと筆者は理解しております。これは現在の民主主義の形態が想像もできなかった紀元前の思想であります。現代は1970~80年代の「リゲインを飲めば休まず仕事ができる」時代でもありません。徳治主義の思想は現代では韓半島と日本に色濃く残る文化です。右肩上がりの経済成長が続いた時代には産業能率研究機関がハウツーものとして推奨した時代でもありました。この徳治主義の決定的な欠陥は「トップは民衆に対して徳がある人物である」との前提で支配・被支配の関係を説いたものであると筆者は考えています。それではトップが徳も無く打算と悪意に満ちた人物であったとしたらどのような結果となるでしょう問題が発覚した場合には「知らなかった 現場が勝手にやったことなんだろう」との論理になることは現在・過去の事例で明らかであります。最近問題になった韓国発祥の宗教教団問題も子に文化が色濃く影響していると考えています。
もう一度書いておきます。トップダウンを自認する組織では問題が発生した時 トップが知らなかった との論理は存在しまいのです。