7日 種子島の基地から打ち上げられたH3ロケット1号機・・・結果的に打ち上げにしっぱおそたことは国民の一人としてとても残念に思います。・・・筆者この日の元の国に生まれ育って4分の3世紀が過ぎました。余命はカウントダウン状態であります。来し方行く末を見るにつけ近年の日本国に関して何か大きな錯誤があるのでは?と考える日々なのであります。恥ずかしながら筆者 現役時代同僚や上司から「尻尾を振らない犬は可愛くない」とか「ドアの内側に入れない男」とか「お前の目はせせら笑っている」などさんざん言われてきた存在でありましたが「俺には俺の生き方がある」なんて虚勢を張って生きてきたものでありました。最近の出来事の中で気が付いたもの挙げておきますと・・・よ~いドンで始まったコロナ特効薬の開発競争で結局日本ではコロナの特効薬を作ることができなかった こと また「この会社がつぶれるときは日本国がつぶれる時と言われていた電機関連の会社が事実上外国勢力につぶされる結果となったこと ハウステンボスが身売りしたこと ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代にあった日本国の経済が今ではベストテンから除外されそうになったこと 自称マルクスレーニン主義者がいなくなってしまったこと・・・等があります。肯定すべきことであるのか否定すべきことであるのかに関しては別として 今現在 日本国で何が起きようとしているのか?に関して筆者の考えを書いてみたい思いに駆られました。
筆者が古くから付き合う女性で元公立小学校の校長がおります。現在では初等教育のボランティアのようなことをやっておられますが 彼女曰く「現在の教育が間違っている」と断言されております。現在の教育は子どもの興味を喚起して長所を伸ばす教育ではなくお受験を突破するために特化した教育を社会が求めていること なのだそうです 子どもたちは必ずしも興味がないことを強制的に身に着けるよう求められている実情があるというのです。大人が求めるとおりに良い子をふるまうことが指針となっているというわけです。何か特別な能力や才能・興味・・・ これだったら自分は努力を惜しまないのに・・・というv部分を摘み取っているというわけです。これでは世界に傑出する才能が発揮されるわぇがありません。
次に書くのは筆者自身の考えであります。魔王何十年も昔のことでありますが 当時の経済紙に書かれていた記事で「一つの組織にはゼネラリスト(全体を見渡す組織の基本的な方向性を考えるべき人と 組織のそれぞれの部署で必要なスキルを発揮するスペシャリストが存在していて この両者の片方が不全では組織が目的を十分に達することは不可能となる」なる趣旨であったように記憶している。ここで問題となるのは この両者は対等の関係にあるのか 支配・被支配の関係にあるのか?の問題なのであります。終身雇用制が主であった時代 残念長エア その関係は支配・被支配の関係にあったことは事実であります。これがアメリカやヨーロッパの社会であったなら スペシャリストとゼネラリストは特別の契約関係がない限り対等な立場で主張が起こ主張が行われるのでしょうが 日本国においてはこれは可能な環境にありませんでした。したがって十分なスペシャリストが育つわけもなく その多くは「言われたようにやるだけでいい」なる状況に落ちる場面が多く存在したのであろうと考えております。そのうえ文化として「応援団のような存在の人たち」が存在することが組織を硬直化させてしまう現象が起き始めて現代日本社会を作り上げてきたのではないか?と考えます。失礼ながら現在 政府が対応をしようとしていることはピントがずれているとしか考えられません。