天下太平のやせ我慢日記

近くの孫達
男の子は中二で受験戦争を控えその下は修学旅行で胸躍らせ、一番下は苦労しましたが3年生、ピアノを習い始めた

2度目のウオーキング

2012年04月16日 | Weblog

 朝は宮津市の健康診断の申し込み書持って府中方面へウオーキング開始、色々みちくさ食ってかえったが、午後再度のウオーキング開始した天候がまずまずで道すがら路上に生える草花を眺めながら何時もよりユッタリと歩いた。

 幾組かの鴨の群れが居たが総数は激減、集団ごとに数を数えると殆どが偶数の塊、ツガイなのだろう、おしどり夫婦というが、鴨どり夫婦なのだろう。太公望たちも何人か釣り糸を垂れていた。

 

 のどかな田舎の風景だ、ALWAYS、の風景は幾分か残されている、帰り道ウオーキング中のお年寄りに声をかけられる。前の世界長、現岩滝化学にいた方ではないか?、といわれた、見覚えがなく、幾分狼狽えた、どちら様でしたか?

 前何度も伺った松田です、と言われようやく合点がいった。峰山の取引先であったマツダ金物店の社長だった。懐かしい思い出話で花が咲いた。与謝の海病院に車を置いて海辺の散歩を楽しみにに来たと言われた。

 聞くとS19年生で2月生まれで全く同じ歳だ、お年寄りなんて我が事を棚に上げ赤面の至り、帰宅すると中学の同窓会の案内が来ていた。いろいろ偶然が重なる、与謝野町で議員をしていた広野くん等が幹事をしているようだが、

 今回は糖尿病と心筋梗塞で通院の身欠席通知を出すことにした。6月に北の屋ホテルで開宴とのこと、皆元気でいてほしい、同窓生に鬼籍に入ったものも随分多くなった我らの年代、終戦の1~2年まえの子沢山の時代に貧しくても心豊かな世代、ALWAYSの世代、

今は少子高齢化等先の見通せない、殺伐とした世代の様に思えるが、

 

 


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