天下太平のやせ我慢日記

近くの孫達
男の子は中二で受験戦争を控えその下は修学旅行で胸躍らせ、一番下は苦労しましたが3年生、ピアノを習い始めた

小字ウオーク府中、、。

2008年03月14日 | Weblog
 

国分寺跡にて、探検隊と講師の話を聞く、私の自宅より徒歩で5分少しにある。



先だって小字ウオークで府中の鎌倉時代とか平安時代の古い地名を古地図を便りに歩いたが、全容を知るには時間が足りない、

 この日は4時間あまりであったが、もっと詳しく知るには下調べやらを万全にしても数ヶ月はかかると思う、前にライフワークにしたいと書いたが、とても其処までやれそうもなく焦らずゆっくちと続けたいが、



 先日のウオークの分は写真をいくらかデジカメに撮ったのでこのブログやメインのHPにアップしていきたい、HPの方は昨年暮れに立ち上げたが、未完のまま更新すら出来て無く、そのうちに、、、そのうちにと引き延ばしている。夜勤後は睡魔と披露があり祭りも控えて見通しは暗い、、。



ここに少しだけアップしておこう。



左は飯役さんで印筺がなまったものと思われる。、国府の印鑑を入れた筺(はこ)のことらしく、いんやくさんと子供の頃読んでいた。

中央は国分地区にあります。鬼が身を投げた池があったとか、近くなのに私は初めて見た。鬼に関する伝承は府中

地区には多く、鬼石とか色々あった。また資料館には鬼の古い面があり、奇っ怪な顔は迫力があった。

 

その右のお稲荷さんは田の神さんで子供の頃この狭い小屋に初午で籠もったもの、いろいろ果物とかの供え物を

分け合った。今も続いている地蔵盆とこの初午が子供の頃の楽しみであった。
どんど焼きとか、甘茶祭り、月見など風流な楽しみも数多かったが、
いつしかほとんど消えていき地蔵盆のみいま残っている。

 

 右端もしくは下段は溝尻地区の漁村の桟橋から望む横一文字の橋立で、この地区にも伊根の船屋と同じものがまだ残っている。

私の家にもあったが小学生の頃売り払ってしまった。



 かつては賑わった漁村であるが、いまはクロクチ(オオノ貝)やアサリなどが捕れる。この桟橋から丹海の船が出て、岩滝の

橋立中学に通った、、。今はバスに変わりこの桟橋は使われていない



ブログでは容量など制約があり小字ウオークのような大量のデータは扱いづらく、、今後は作成中?、、のHPで取り上げていきたい