「あなたにとって音楽とは?」アーティストからのメッセージをお届けします。というコーナーで、先週8日の放映ではピアニスト イリーナ・メジューエワ が次のようなメッセージを贈っている。
「音楽は、作品を通して死んだ人と対話でき、新しい発見がいつでも出てきます。
奥行きの深い世界、豊かな世界、終わりのない世界、すばらしい世界、クラシック音楽をたくさん聴いてください。
そして、自分の心、自分の世界を豊かにしてください。」
吉田秀和は、バッハは邪魔しない音楽と言ったが、バックハウスのベートーヴェンも、聴く者を安らぎの世界に誘ってくれる。
ヴィルヘルム・バックハウス
(Wilhelm Backhaus, 1884~1969)はドイツ・ライプツィヒ出身のピアニスト。、ピアノの流派をたどると、バックハウス→ダルベール→リスト→ツェルニー→ベートーヴェンというところからベートーヴェンの直系の弟子とされる。
同時代のギーゼキングが当代屈指のモーツァルト弾きなら、バックハウスは、不世出のベートーヴェン弾き出あった。
レイフ・オヴェ・アンスネスについては・・・
アンスネスはレパートリーにも慎重な姿勢で、じっくりと取り組みをみせてきた。同時代の作品への目配りもあれば、ハイドンの清新な録音もあるように、絞り込んだなりに多彩な作品を手がけている。それでも、彼は自分が弾く必要を感じるときまで、機が熟すのを待つように作品を待たせておく。<略>
音楽はどこからやってくるのか。そして、聴き手をどこへ連れて行くのか。
たとえば、彼の弾くラフマニノフには、澄んだ音の向こうに壮大な自然が広がる。2011年9月にはヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でNHK交響楽団と協奏曲第3番を演奏した。「ラフマニノフは、風と波、鐘の音がする」と語る彼の言葉は、響きの想像力と確実に繋がっていた。構築的な演奏を見通しよく展開し、第二楽章での深々とした歌いかけを経て、堂々としたフィナーレまで、端正なピアノがラフマニノフの大きな世界を呼び覚ましていった。
アンスネスの評価は好意的に書かれており、見た通りの誠実な人でありそうだ。今年2月のサロネンとフィルハーモニア管弦楽団との共演でのベートーヴェンの第4番、終演後のサイン会での彼の表情を思い出す。
イギリスのピアニスト、ポール・ルイス(1972~)のピアノは、完璧度の頂点を極めるテクニシャンのそのものだ。
イギリスのリヴァプール生まれ。アルフレッド・ブレンデルに師事し、1994年のロンドン国際ピアノコンクールで2位受賞。2010年夏のBBCプロムスで異なる指揮者とオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏、一人の演奏家がプロムスのワン・シーズンでベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏するのはプロムス史上初めてのことであった。イルジー・ビエロフラーヴェク指揮BBC響と第1番&第4番、アンドリス・ネルソン指揮バーミンガム市響と第2番、ステファン・ドヌーヴ指揮ロイヤル・スコティッシュ響と第5番、そしてサー・マーク・エルダー指揮ハレ響と第3番を共演した。
またニューヨーク・タイムズ紙のアンソニー・トマシーニは語る。「もしベートーヴェン・ソナタ全集の録音を推薦するとしたら、私ならばポール・ルイスの録音を選ぶだろう」
エリソ・ヴィルサラーゼ(1942~ )
グルジアの女性ピアニストで、演奏家としてのみならず、教育者としても名高い。祖母よりピアノの指導を受けた後、トビリシ音楽院、モスクワ音楽院で学んだ。1962年にチャイコフスキー国際コンクールで3位に入賞、1966年にはロベルト・シューマン・コンクールで優勝した。スヴャトスラフ・リヒテルと親交を結び、深く影響を受けた。
ルドルフ・バルシャイ、キリル・コンドラシン、リッカルド・ムーティ、クルト・ザンデルリング、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、エフゲニー・スヴェトラーノフ、ユーリ・テミルカーノフ、などの著名な指揮者、世界の主要なオーケストラと共演している。ヨーロッパの作曲家の作品や、チャイコフスキーをはじめとするロシア音楽を主要なレパートリーとするが、特にシューマン作品の解釈には定評があり、リヒテルはヴィルサラーゼを「世界一のシューマン奏者」と称えた。
経済雑誌「エコノミスト」アートのコーナーで昨年のジュネーブ国際コンクールピアノ部門で1位になった萩原麻未のことが載っていた。
「とりわけピアニッシモが驚くほど美しい。最弱音にもかかわらず、風にゆれてきらめく光のように、輝かしく豊かに響く。フォルティッシモが必要なところでも決してピアノの鍵盤を叩くことはなく、やわらかな響きのまま大きく跳ねる。まるで会場の紀尾井ホールが光に満たされてくるようだった。
このような、やわらかな美しさに輝くピアニッシモはこれまでに聴いたことがない」と、ここまで書いている。
丁寧な若いピアニスト?
ジャンルカ・カシオーリ(1979~ )
イタリア出身のピアニスト兼指揮者、兼作曲家。
ベートーヴェンの「Dolce」に惹かれて
2007年、シューマン・ピアノ曲全曲録音を果たした伊藤さんは、日本を代表する“シューマン弾き”としても知られている。
「有賀先生の前でも、ライグラフ先生の前でも、初めて弾いたのはシューマンでした。留学中にはライグラフ先生が次々シューマンの曲を課題にくださって。気づいたら、約20年間、シューマンと向き合っていました」
その後、伊藤さんは、シューベルトの作品に力を入れてきた。CDとしてはすでに、「シューベルトピアノ作品集」の1~5が発表され、この5月には最新作6が発売になる。また、8年連続で開催してきたシューベルト中心のシリーズ「新・春をはこぶコンサート」が、4月29日、最終回を迎えようとしている。
大きな区切りを迎えるいま、伊藤さんは、今度の展開をどう考えているのだろうか。
「次に私が向き合っていくのは、おそらくベートーヴェンだと思っています。もちろん、シューマンとシューベルトは“私の宝もの”なのでこれからも大切にしていきます。ときどきはブラームスに浮気しながら(笑)」
シューマンはシューベルトを尊敬していたし、シューベルトが尊敬していたのは、ベートーヴェン。伊藤さんは、30年以上の歳月をかけて、その流れをたどっていくことになる。
今後、私たちにどんなベートーヴェンを聞かせてくれるのだろうか。
「ベートーヴェンといえば、過酷な運命と向き合う“闘う男”という印象が強いでしょう。でも、中には、彼の別の一面を見せてくれるものがあります。たとえば、ピアノソナタ第28番や30番など……そうした作品を中心に、挑戦していきたいです。私が惹かれるのは、ベートーヴェンの楽譜にたびたび現れる「Dolce」の部分です。彼のドルチェほど優しいドルチェを私は知りません。おそらく彼は、本当は誰よりも優しい人だったのではないでしょうか。そんなベートーヴェンの一面に、スポットを当てたいと思っているのです」
ピアニスト▽
ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連⇒アイスランド→スイス)
エマニュエル・アックス(ウクライナ⇒米国)
ジュリアス・カッチェン(米国)
ウィリアム・カペル(米国)
エミール・ギレリス(ソ連)
リリー・クラウス(ハンガリー⇒イギリス)
エレーヌ・グリモー(フランス)
アルトゥル・シュナーベル(オーストリア→米国)
ルドルフ・ゼルキン(チェコ)
シューラ・チェルカスキー(ウクライナ)
イェフィム・ブロンフマン(ロシア)
マイラ・ヘス(イギリス)
バイロン・ジャニス(米国)
マレイ・ペライア(米国)
ウラディミール・ホロヴィッツ
(ウクライナ⇒米国)
ベンノ・モイセイヴィチ(ロシア)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ポーランド)
アレクシス・ワイセンベルク(ブルガリア)
ピアニストにしたって凄いメンバーが揃っている。ホロヴィッツ、ルービンシュタインの両雄を中心に、ギレリス、ゼルキン、女流のクラウスやグリモーまで出てきて、どうなっているの、といった世界。
今若手ピアニストで将来を期待され最も人気があるのは男性ではロシアの25歳ダニール・トリフォノフ、女性では中国人ピアニストの王羽佳(ユジャ・ワン1987~)だろう。とくに彼女はこれから音楽の道を歩もうとする多くの学生たちに絶大な人気があるらしい。それは自由奔放な彼女の生き方に共感を覚えるからだろう。
11月に来日するマイケル・ティルソン・トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団の大阪公演を今から首を長くして待ち望んでいるが、トーマスの指揮もさることながら、実はピアノ協奏曲第2番で共演するユジャ・ワンのピアノも大きな楽しみの一つなのである。
40年前の小澤征爾と武満徹の対談でも語っていたが、近い将来中国人演奏家たちが世界のクラシック界を席捲する予想は見事に当たったようだ。それはとくにピアニストに顕著で、中国人ピアニストとして先に李雲迪(ユンディ・リ1982~)が世に出たし、同い年の郎朗(ラン・ラン1982~)の活躍は今やもっとも目覚ましいものがある。他にも中国系のアメリカ人ピアニストで、まだ20歳を越えたばかりの昨年のチャイコフスキー国際コンクールで2位に入賞したジョージ・リー(1995~)など、新星の出現を挙げると枚挙にいとまがない。
シューマンのピアノ曲。コーデリア・ウィリアムズという女流ピアニストが弾いている。
Cordelia Williams has been acclaimed as a pianist of great power and delicate sensitivity, drawing in audiences with her rich sound, natural eloquence and “spell-binding simplicity”. She has performed all over the world, including concertos with the English Chamber Orchestra, in Mexico City, and City of Birmingham Symphony Orchestra, and recitals at Wigmore Hall, Royal Festival Hall and Beijing Concert Hall. In December 2014 she made her debut with the Royal Philharmonic Orchestra, playing Beethoven’s Emperor Concerto at Barbican Hall, London and Symphony Hall, Birmingham.
At the core of Cordelia’s musicality is a fascination with the human soul and the artistic expression of struggles and beliefs; alongside her performing career she gained a First in Theology from Clare College, Cambridge. She is recognised for the poetry, conviction and inner strength of her playing and the depth and maturity of her interpretations. Cordelia is drawn especially to the music of the late Classical and early Romantic periods: her debut CD, featuring Schubert’s complete Impromptus for SOMM Recordings, was released to critical acclaim in July 2013 and she recently recorded music by Schumann for release in July 2015.
Her curiosity towards religions and faith has led to her current project, Between Heaven and the Clouds: Messiaen 2015. In collaboration with award-winning poet Michael Symmons Roberts, Lord Rowan Williams and artist Sophie Hacker, this year-long series of events and performances explores the music, context and theology of Messiaen’s Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus.
Cordelia has a great enthusiasm for presenting and introducing music; her Cafe Muse evenings bring classical music out of the concert hall and into the relaxed setting of bars and brasseries. She is also a passionate chamber musician, having appeared with the Endellion, Fitzwilliam and Maggini quartets among others. Since becoming Piano Winner of BBC Young Musician 2006, she has performed with orchestras including London Mozart Players and Royal Northern Sinfonia, and given recitals at the Barbican Hall and Purcell Room, as well as in France, Italy, Norway, Switzerland, Austria, Thailand, China, America, Mexico, Kenya and the Gulf States. This season includes appearances at the Cheltenham Festival, Cadogan Hall and Kings Place.
Hearing her mother teach piano, Cordelia wanted to learn to play too, and began lessons at home as soon as she could climb onto the piano stool. She gave her first public piano recital to celebrate her eighth birthday. She spent seven years at Chethams School of Music in Manchester, studying with Bernard Roberts and Murray McLachlan. She went on to work with Hamish Milne in London, Joan Havill and Richard Goode, and is grateful to have received support from the Martin Musical Scholarship Fund, the Musicians Benevolent Fund, the Stanley Picker Trust, the City of London Corporation, the Arts and Humanities Research Council and the City Music Foundation.
View Cordelia’s past concerts.
シューマン:
ダヴィッド同盟舞曲集/幻想曲/創作主題による変奏曲
コーデリア・ウィリアムズ - Cordelia Williams (ピアノ)
録音: 10-11 January 2015, Turner Sims Concert Hall, University of Southampton, United Kingdom
朝もやの向うに見える山景色のように、光と影が交差するような、そして時折葉陰から眩い朝日がさすような、そんな音楽であります。
バッハの曲を聴いていていつも思い出すのは吉田秀和氏の語ったことだ。長年連れ添ったドイツ人の奥さんを亡くした時、悲しみに明け暮れし、何もする気がおきず、仕事も投げ出した。その時はさすがに音楽すらも受け入れられなかった。そして徐々に音楽を聴きだすようになっていったが、しかしどれも強く訴えすぎて気持ちが受け容れられなかった。「でも、バッハだけは何も邪魔しなかったな・・・」と呟いた。
フレデリック・ショパンの舟歌嬰ヘ長調作品60は、1846年に作曲・出版された。三部形式で書かれ、シュトックハウゼン男爵夫人に献呈された。この作品の叙情性は「ノクターン」に通ずるが、イタリア的な明るさが垣間見え、ヴェニスのゴンドラの揺れを表わす左手の伴奏形が提示された後、優美な右手の旋律が現われる。一度聴けばいつまでも記憶に残る素敵なメロディーをもつピアノ曲である。
心を癒してくれるシューマンの嬰ヘ長調
2015年11月19日(木)
いい曲、なんの曲。
シューマンに「3つのロマンス」 Op. 28というピアノ・ソナタがある。
1839年、29歳のシューマンがウィーンに滞在していた頃の作品で、シューマンとクララとの結婚の仲介役となったロイス=ケストリッツ伯に献呈された。3曲はそれぞれ異なる傾向をもっているが、ここで採りあげる第2番 嬰ヘ長調が断然好い。気分を和らげ心を癒す、そんな素敵なソナタだ。昨夜聴いたアリス=紗良・オットはDGのアーティストなので、残念ながらNMLでは聴けないが、アリスの若い時の演奏でCAvi-music盤が一枚だけあるが、そのなかにこの嬰ヘ長調が収められている。
シューマンは晩年精神を病み、最終的に精神病院で亡くなりました。そのような境遇がシューマンの人生のすべてだったと誤解させているのかもしれませんね。
それで、みんながシューマンはその人生のほとんどの時間正常であったことを忘れ、彼の作品を狂ったように誇張して演奏し、彼が一生涯精神を病んでいたように思わせるのです。実は、シューマンが精神病院に入ってから創作した作品ですら、世の中の人々が思っているほど狂ってはいません。みんな大げさに考え過ぎています。シューマンの作品の豊かな感情表現や情景描写は、一概に語ることはできません。演奏者は音楽の情感、音符に込められた意味を真摯に理解すべきです。たとえば、多くの演奏者はシューマンが楽譜に書いた「アッチェルランド」を見ると、まるで突進するように弾いて音楽全体のバランスを崩し、前後の段階に何が書いてあるのかを考えようとしません。
私はシューマンに向き合うもっともよい方法は、やはり楽譜に戻ることだと思います。楽譜から彼の本心を探り出すのです。シューマンの作品には深い情感が流れています。それらの情感を汲み取ることは容易ではありませんが、真剣に楽譜を読み、注意深く考えながら弾いているうちにそれらを感じ、正しい解釈ができるようになるでしょう。
ヴィルサラーゼがシューマンの音楽について雑誌の取材で以前語っていたことがある。
シューマンの作品は深遠でとても複雑です。シューマンを演奏するには、作品を深く理解するだけでなく、作品以外の多くのことも理解しなければなりませんが、もっとも重要なことはシューマンに対する感覚です。シューマンに共感する何かがなければ、彼の世界に入って行くことはできません。~
シューマンを演奏するときに一番危険なことは、それぞれの作品を同じようにとらえることです。シューマンの作品は複雑で、ひとつひとつの小節が変化します。それをうまく処理しないと、すべてが同じような紋切り型の表現になってしまいますが、やり過ぎて一小節ごとに変化させると、これもまたすべて同じ、千篇一律になってしまいます。
それでは、どのように弾けばよいのですか?
とても簡単で、でも実際にやるのはとても難しい秘訣がひとつあります。それは、ルバートです。シューマンは言うまでもなくショパンでも、演奏者はできる限りルバートを使わなければなりません。しかもルバートしているということを、聴衆に絶対に気づかれてはいけません。もし聴衆が気づいたのなら、それはルバートではなく、アッチェルランドかリタルダンドです。テンポが変わったと気づかせずに、自在にテンポを操るのがルバートなのです。
ある人がランドフスカに、「ルバートをどのように弾いたらいいでしょうか」と尋ねたとき、彼女はこう答えました。「私がどこでルバートしていたか、例を挙げて言っていただけますか?」。ルバートとは、まさにそういうことなのです。ここでルバートしていると指摘できたら、それはすでにルバートではないのです。
マレイ・ペライア(Murray Perahia, 1947~)はアメリカ生まれのユダヤ人ピアニストで指揮者。老けた感じでもっと高齢かと思っていたらまだ60歳代だった。
今日、ロンドン響の演奏会に出かけるがベルナルト・ハイティンクのブルックナー第7番の方ばかりに注目しがちだが、実は前半のプログラムはペライアのモーツァルト第24番のコンチェルトが用意されている。
彼のレパートリーは多様で、なかでもウィーン古典派やドイツ・ロマン派音楽を得意としている。ピアニストとしてこれから円熟期を迎えようとする43歳の時に不幸にも右手の負傷というアクシデントに見舞われる。ピアノが弾けない間、バッハ音楽の研究に没頭したという。音楽家が不幸に落ち込んだ時、いつも愛の手を差し伸べてくれるのはバッハ一人しかいないようだ。ベートーヴェンではより深刻に落ち込んでしまうだろうし、モーツァルトでは心情を逆なですることだろう。音楽家評論家の吉田秀和が高齢になって愛妻を先に亡くした時、何をするにも手が付けられず、困っていたがあれだけのモーツァルト信奉者が「唯一救われたのはバッハだった」と供述している。そして同じくペライアもこう言う。「以前にもまして演奏が楽しくなった」
傷が癒えたあと、ゴールドベルク変奏曲、イギリス組曲、などのバッハの鍵盤音楽を多く録音した。これらは一度聴いてみたいものである。しかし、その後も傷の状態は完全ではなかったようだが、60歳代に入りようやく指の調子も戻り演奏活動を再開している。
よく言われることだが彼のピアノは指をケガした前と後では少し変わったと。以前は明るい打音と冴えわたるリズム感が持ち味であったが、その後、構成力がさらに高まり、音の陰影が深まり、逞しさが増した。彼は指揮者でもあって自ら弾き語り指揮をすることも多い。ケガの前の70年代から80年代にかけて収録したイギリス室内管弦楽団とのモーツァルトピアノ協奏曲全集は評価が高い。でもこうしてみると彼の演奏はほとんど知らないことに気づく。(京都コンサートホールのロビーで何か衝動買いしそうだ)
若き10代の頃にマールボロ音楽祭に参加して、カザルスやゼルキンなどの大巨匠とも出会い、多くの影響を受けた。そして30歳半ばになって今度はホロヴィッツとも一緒に仕事をする機会を得て、ここでも多大な影響を受ける事になる。
今日、共演するハイティンクとは相性が良く、ロイヤル・コンセルトヘボウ管と一緒にアジアツアーなども行った間柄である。そんなこともあって今日のモーツァルトのコンチェルト、息の合ったところをじっくりと愉しみたい。
2015年 07月 10日
小山実稚恵ピアノ・リサイタル
2015年7月10日(金)
d0170835_18541522.jpg明日、びわ湖ホールの大ホールでピアノ・リサイタルがある。今年でデビュー30周年を迎える小山実稚恵のピアノ演奏会だ。彼女のピアノは4月にフェスティバルホールで、大野和士指揮東京都交響楽団との共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いたのが初めてであるが、その時の印象は力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。今回は協奏曲ではなく、シューベルト、ショパン、そしてリストとそれぞれのピアノ曲をじっくりと聴けるということで期待している。 曲目もどれも親しみやすいものばかりで彼女の人柄に直に接することができることだろう。
<演目>
シューベルト:
即興曲 変イ長調 作品142-2
即興曲 変ホ長調 作品90-2
シューマン:
フモレスケ 変ロ長調 作品20
バッハ/ブゾーニ:
シャコンヌ
リスト:
愛の夢 第3番 変イ長調
巡礼の年 第3年より 第4曲「エステ荘の噴水」
ショパン:
ピアノ協奏 第2番より 第2楽章 「ラルゲット」(ピアノ・ソロ版)
ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 「英雄」
追記:
2015年7月11日(土)
d0170835_18102073.jpg
d0170835_18121086.jpgこの人のピアノは最初少し大味に感じないこともないが、曲が進につれて興に乗ってくるタイプ。今日の演奏でも最初のシューベルトは物足りなかったが、シューマン、そして後半プロ最初の「シャコンヌ」は圧巻であった。まるでオルガンの音色を彷彿させるようなスケールの大きい、神々しさに満ちた演奏を聴かせた。このあたりから調子が上がり、あとのリスト、ショパン、さらにアンコールを4曲も披露。なかでも3曲目の「ヴァルトシュタイン」のロンドにいたっては、これ一曲聴いただけでも今日のリサイタルに足を運んだ価値がある。
偉らそばらず気持ちの良いピアニストだ。
小山実稚恵のラフマニノフが予想以上に良かった。力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。
大野和士の指揮は今日で3回目だが、今迄でいちばん生き生きと溌剌としたもので、新しい門出に相応しいものであった。東京都交響楽団はすべての楽器において水準の高さを示し、どのパートも音をしっかり出し切ることに長けており、特に管の響きには安定感がある。コンサートマスターの矢部達哉は先々月号かの「音楽の友」で小山実稚恵と対談していたが、好感のもてる人柄で、この人から感じる誠実さそのものがオケの顔そのものであるように思えた。
プログラムに矢部氏が指揮者大野和士の印象を述べている。
オーケストラの存在意義というものを考えた時、まずは僕らが精一杯良い演奏をして、お客様に喜んでいただくことが大前提。それは今後も続けていくわけですけど、一方でベートーヴェンやブルックナーの作品が、100年以上経った現在もなぜ生きているのか、改めて考えるようになりました。その理由は、オーケストラが作曲家を深く理解して、真髄に迫ることを続けてきた、それが聴き手にも認められたから。だからこそ作品が生き続けたのではないか。クラシックには200万枚売れるアルバムはないですけれど、200年聴き継がれる曲はたくさんある。そうやって生命を保ち続けるものが芸術だろうと。
大野さんの姿勢はまさにそこにあって、作曲家の心に入り込んで、何を表現したかったのか、何を伝えたかったのか、真髄に迫ることができる。本当に稀な指揮者だと思います。
d0170835_1831204.jpg今日のチャイコフスキーの4番、本場ロシアのオーケストラ並みに迫力ある響きを聴かせたが、来月に聴くモスクワ放送響もチャイコフスキー5番をやる。それとまた小山実稚恵がビアノを弾く、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。あの堂々とした弾きっぷりでやるのだろう、これまた愉しみである。
久々にポリーニのピアノを聴く。格調高い演奏は朝の冷たい空気によく混ざり合う。
偶然だが、ポリーニはミケランジェリ、ブレンデルと同じ1月5日生まれ。3人は11年ずつ年が離れている(ミケランジェリは1920年、ブレンデルは1931年、ポリーニは1942年生まれ)
そして3人とも格調高い演奏をする。
ギレリスときたら次はやはりリヒテルだろう。ロシアの両雄は何かにつけて個性のある実力派ピアニストであった。二人の比較はまた別の機会として、ここではスヴャトスラフ・リヒテル
(Sviatoslav Richter、1915~1997)に触れる。彼のピアノを愛する日本人ファンは多いが、でもリヒテルが初めて日本の土を踏んだのは遅く、1970年の万博の時で、もう55歳になっていた。それまでは「幻のピアニスト」と称され、当時西側諸国で演奏に接する機会は全くなかったし、ただただソ連に凄いピアニストがいるといった噂話だけであった。どんな事情かよく知らないが、ギレリスが早くから西側で演奏をしたのとは対照的である。強烈に印象深い逸話がある。指揮者のユージン・オーマンディがギレリスと共演し、彼に最高の賛辞を贈ろうとしたら、ギレリスはこう言った。「リヒテルを聴くまでは待ってください」と。
繊細な感受性を持ち合わせたリヒテルはまた、何かと話題の多いピアニストでもあった。スタジオ録音が嫌い、演奏会でも気が載らなかったらキャンセルする、飛行機嫌いなので活動範囲が限られていた、等々。そんな彼は、一方では、場内の照明を消し、ピアノだけにスポットライトが当たるように演出したり、小さな演奏会場で演奏曲目を予告せずにリサイタルを行うなど、ユニークな試みも実践した。
彼のピアノはダイナミックで劇的で、それでいて反面、繊細で緻密で・・・といったものだった。遺した多くの演奏のなかでも一押しに上げるのは「テンペスト」である。同曲で、この演奏を越える演奏を僕はいまだに知らない。
オルガニストでもあった父親の手ほどきもそこそこに、訓練めいた練習は子供の頃より積んでこなかった。チェルニーなんて弾いたことがない、音階の練習もしなかった、自由奔放に弾いた。最初に彼がピアノを前にして弾いたのは、ショパンのノクターンであり、この「テンペスト」であった。
ショパン:
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 op.11
ショパンの母国ポーランド生まれのピアニスト、 クリスティアン・ツィマーマン(1956~)
音の”色つけ”においては彼の右に出るものはいない、現代最高のピアニストのひとりだろう。ここにショパンのピアノ協奏曲第1番の二つの演奏がある。
ひとつは1978年11月のロサンゼルスでのライヴ、もう一枚は1999年8月、トリノでの演奏。前者はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団との共演、後者はポーランド祝祭管弦楽団を自らが指揮し、独奏も兼ねた演奏である。22歳と43歳、この20年あまりの開きは、演奏にどのような違いをもたらしたのか。
17歳でベートーヴェン国際音楽コンクールで優勝したあと、2年後の1975年、ショパン国際ピアノコンクールにおいても史上最年少で優勝するという天才ぶりを若くして示すが、この最初の演奏では、信じられないほどの澄みきったピアニズムが、豊潤な音楽作りに定評のあるジュリーニの棒のもとで、生き生きとわるびれることなく自己主張をしている。やはり、この頃から只者ではなかったのだ。そして着実に実績を積み、世界の檜舞台で活躍するようになってからの2回目のショパンは、さらに磨きがかかり、その上に、ツィマーマンの個性が思う存分に発揮され、歌いに歌い上げるかなり個性的な演奏といえるのではないか。
第1番は、実は第2番より後に書かれた。ロマンティックな2番にくらべて、曲として構成がしっかりしていてスケールも大きい。ただ以前より指摘されていることであるが、ピアノ独奏部に対してオーケストラ部分が貧弱であり、第三者によりオーケストレーションされた可能性が高いとも言われはしているが、今日に及んでもやはり偉大なピアノ協奏曲の一つとして挙げられる。
いずれにしてもポーランドの血を引くツィマーマンにとって、やはりショパンは切っても切れない、もっとも肌にあった音楽であることには変りない。この人の、無理がなく自然に流れるような美しいピアニズム、そしてその安定した音色は、これも彼の右に出る人はいないだろう。ショパン弾きの天才である。
アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931~)はチェコ出身のオーストリアのピアニストである。最近まではとくにそうは感じなかったが、アバドとの共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の人間味豊かな秀演を聴き感動した。
そしてまた今、モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」ニ長調 をほかの日本人ピアニストの演奏と聴き比べて見て、そのあまりにもの違いと、彼の音楽性の高さを今更ながらに思い知らされることとなる。この曲は、1789年(フランス革命)モーツァルト 晩年の作品で、人気作曲家として名を知られるようになっていたが、経済状況はどん底にあった中、ポツダムで出会ったチェロ奏者ジャン・ピエール・デュポールの作品に基づいてこの変奏曲が作曲された。和音が美しく響くのが特徴で、転調やオクターブによるダイナミックさも加わり、聴く以上に変化に富んだ深さを見せるピアノ曲である。しかし、音楽性に乏しいピアニストが弾くと、単なるピアノ練習曲にしか聴こえないから不思議だ。この曲を他の誰よりも、彼は、丁寧に、気持をこめて弾ききる。そこには真摯な態度に満ちた人間性さえ浮かび上がってくるようだ。
ブレンデルの演奏は、華麗さや派手さはなく、地味ではあるが、知的で、音楽性に富み、王道を行くピアニストと言える。それに、彼の人間性の豊かさであろう。
レパートリーはたいへん広く、中でもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった、ドイツ・オーストリア音楽に長け、とくにベートーヴェンとシューベルトはその中心をなす。
NML のラインナップを探して見ると、彼の30歳前半の若い時期のディスクがある。その中でハイドンのピアノ協奏曲ニ長調Hob.XVIII:11を聴くが、どちらかと言えば単調で変化に乏しいハイドンが、ここまでも生き生きと、飽きさせない、しかも深い音楽になるかと感心する。
彼は確かにレパートリーは広いが、録音に関しては、こだわりを持ち、重要であると考える作品は何度もレコーディングを重ねた。たとえば、d0170835_23425498.jpgベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲やピアノ協奏曲は3度録音し、シューマンやブラームスのコンチェルトも2度、さらにはシェーンベルクのピアノ協奏曲といった珍しいものまで2度録音している。
NML ではズービン・メータ指揮ウィーン交響楽団とのピアノコンチェルトを聴くことができる。
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 「皇帝」 Op. 73
数年前に引退宣言をしたため、残念ながら、今聴けるのは彼の数多くのディスクにおいてのみである。
そうそう、もう一曲、シューベルトを挙げておこう。即興曲を聴いていると、シューベルトという作曲家もホントいいなーと思う。
「音楽は、作品を通して死んだ人と対話でき、新しい発見がいつでも出てきます。
奥行きの深い世界、豊かな世界、終わりのない世界、すばらしい世界、クラシック音楽をたくさん聴いてください。
そして、自分の心、自分の世界を豊かにしてください。」
吉田秀和は、バッハは邪魔しない音楽と言ったが、バックハウスのベートーヴェンも、聴く者を安らぎの世界に誘ってくれる。
ヴィルヘルム・バックハウス
(Wilhelm Backhaus, 1884~1969)はドイツ・ライプツィヒ出身のピアニスト。、ピアノの流派をたどると、バックハウス→ダルベール→リスト→ツェルニー→ベートーヴェンというところからベートーヴェンの直系の弟子とされる。
同時代のギーゼキングが当代屈指のモーツァルト弾きなら、バックハウスは、不世出のベートーヴェン弾き出あった。
レイフ・オヴェ・アンスネスについては・・・
アンスネスはレパートリーにも慎重な姿勢で、じっくりと取り組みをみせてきた。同時代の作品への目配りもあれば、ハイドンの清新な録音もあるように、絞り込んだなりに多彩な作品を手がけている。それでも、彼は自分が弾く必要を感じるときまで、機が熟すのを待つように作品を待たせておく。<略>
音楽はどこからやってくるのか。そして、聴き手をどこへ連れて行くのか。
たとえば、彼の弾くラフマニノフには、澄んだ音の向こうに壮大な自然が広がる。2011年9月にはヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でNHK交響楽団と協奏曲第3番を演奏した。「ラフマニノフは、風と波、鐘の音がする」と語る彼の言葉は、響きの想像力と確実に繋がっていた。構築的な演奏を見通しよく展開し、第二楽章での深々とした歌いかけを経て、堂々としたフィナーレまで、端正なピアノがラフマニノフの大きな世界を呼び覚ましていった。
アンスネスの評価は好意的に書かれており、見た通りの誠実な人でありそうだ。今年2月のサロネンとフィルハーモニア管弦楽団との共演でのベートーヴェンの第4番、終演後のサイン会での彼の表情を思い出す。
イギリスのピアニスト、ポール・ルイス(1972~)のピアノは、完璧度の頂点を極めるテクニシャンのそのものだ。
イギリスのリヴァプール生まれ。アルフレッド・ブレンデルに師事し、1994年のロンドン国際ピアノコンクールで2位受賞。2010年夏のBBCプロムスで異なる指揮者とオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏、一人の演奏家がプロムスのワン・シーズンでベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏するのはプロムス史上初めてのことであった。イルジー・ビエロフラーヴェク指揮BBC響と第1番&第4番、アンドリス・ネルソン指揮バーミンガム市響と第2番、ステファン・ドヌーヴ指揮ロイヤル・スコティッシュ響と第5番、そしてサー・マーク・エルダー指揮ハレ響と第3番を共演した。
またニューヨーク・タイムズ紙のアンソニー・トマシーニは語る。「もしベートーヴェン・ソナタ全集の録音を推薦するとしたら、私ならばポール・ルイスの録音を選ぶだろう」
エリソ・ヴィルサラーゼ(1942~ )
グルジアの女性ピアニストで、演奏家としてのみならず、教育者としても名高い。祖母よりピアノの指導を受けた後、トビリシ音楽院、モスクワ音楽院で学んだ。1962年にチャイコフスキー国際コンクールで3位に入賞、1966年にはロベルト・シューマン・コンクールで優勝した。スヴャトスラフ・リヒテルと親交を結び、深く影響を受けた。
ルドルフ・バルシャイ、キリル・コンドラシン、リッカルド・ムーティ、クルト・ザンデルリング、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、エフゲニー・スヴェトラーノフ、ユーリ・テミルカーノフ、などの著名な指揮者、世界の主要なオーケストラと共演している。ヨーロッパの作曲家の作品や、チャイコフスキーをはじめとするロシア音楽を主要なレパートリーとするが、特にシューマン作品の解釈には定評があり、リヒテルはヴィルサラーゼを「世界一のシューマン奏者」と称えた。
経済雑誌「エコノミスト」アートのコーナーで昨年のジュネーブ国際コンクールピアノ部門で1位になった萩原麻未のことが載っていた。
「とりわけピアニッシモが驚くほど美しい。最弱音にもかかわらず、風にゆれてきらめく光のように、輝かしく豊かに響く。フォルティッシモが必要なところでも決してピアノの鍵盤を叩くことはなく、やわらかな響きのまま大きく跳ねる。まるで会場の紀尾井ホールが光に満たされてくるようだった。
このような、やわらかな美しさに輝くピアニッシモはこれまでに聴いたことがない」と、ここまで書いている。
丁寧な若いピアニスト?
ジャンルカ・カシオーリ(1979~ )
イタリア出身のピアニスト兼指揮者、兼作曲家。
ベートーヴェンの「Dolce」に惹かれて
2007年、シューマン・ピアノ曲全曲録音を果たした伊藤さんは、日本を代表する“シューマン弾き”としても知られている。
「有賀先生の前でも、ライグラフ先生の前でも、初めて弾いたのはシューマンでした。留学中にはライグラフ先生が次々シューマンの曲を課題にくださって。気づいたら、約20年間、シューマンと向き合っていました」
その後、伊藤さんは、シューベルトの作品に力を入れてきた。CDとしてはすでに、「シューベルトピアノ作品集」の1~5が発表され、この5月には最新作6が発売になる。また、8年連続で開催してきたシューベルト中心のシリーズ「新・春をはこぶコンサート」が、4月29日、最終回を迎えようとしている。
大きな区切りを迎えるいま、伊藤さんは、今度の展開をどう考えているのだろうか。
「次に私が向き合っていくのは、おそらくベートーヴェンだと思っています。もちろん、シューマンとシューベルトは“私の宝もの”なのでこれからも大切にしていきます。ときどきはブラームスに浮気しながら(笑)」
シューマンはシューベルトを尊敬していたし、シューベルトが尊敬していたのは、ベートーヴェン。伊藤さんは、30年以上の歳月をかけて、その流れをたどっていくことになる。
今後、私たちにどんなベートーヴェンを聞かせてくれるのだろうか。
「ベートーヴェンといえば、過酷な運命と向き合う“闘う男”という印象が強いでしょう。でも、中には、彼の別の一面を見せてくれるものがあります。たとえば、ピアノソナタ第28番や30番など……そうした作品を中心に、挑戦していきたいです。私が惹かれるのは、ベートーヴェンの楽譜にたびたび現れる「Dolce」の部分です。彼のドルチェほど優しいドルチェを私は知りません。おそらく彼は、本当は誰よりも優しい人だったのではないでしょうか。そんなベートーヴェンの一面に、スポットを当てたいと思っているのです」
ピアニスト▽
ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連⇒アイスランド→スイス)
エマニュエル・アックス(ウクライナ⇒米国)
ジュリアス・カッチェン(米国)
ウィリアム・カペル(米国)
エミール・ギレリス(ソ連)
リリー・クラウス(ハンガリー⇒イギリス)
エレーヌ・グリモー(フランス)
アルトゥル・シュナーベル(オーストリア→米国)
ルドルフ・ゼルキン(チェコ)
シューラ・チェルカスキー(ウクライナ)
イェフィム・ブロンフマン(ロシア)
マイラ・ヘス(イギリス)
バイロン・ジャニス(米国)
マレイ・ペライア(米国)
ウラディミール・ホロヴィッツ
(ウクライナ⇒米国)
ベンノ・モイセイヴィチ(ロシア)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ポーランド)
アレクシス・ワイセンベルク(ブルガリア)
ピアニストにしたって凄いメンバーが揃っている。ホロヴィッツ、ルービンシュタインの両雄を中心に、ギレリス、ゼルキン、女流のクラウスやグリモーまで出てきて、どうなっているの、といった世界。
今若手ピアニストで将来を期待され最も人気があるのは男性ではロシアの25歳ダニール・トリフォノフ、女性では中国人ピアニストの王羽佳(ユジャ・ワン1987~)だろう。とくに彼女はこれから音楽の道を歩もうとする多くの学生たちに絶大な人気があるらしい。それは自由奔放な彼女の生き方に共感を覚えるからだろう。
11月に来日するマイケル・ティルソン・トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団の大阪公演を今から首を長くして待ち望んでいるが、トーマスの指揮もさることながら、実はピアノ協奏曲第2番で共演するユジャ・ワンのピアノも大きな楽しみの一つなのである。
40年前の小澤征爾と武満徹の対談でも語っていたが、近い将来中国人演奏家たちが世界のクラシック界を席捲する予想は見事に当たったようだ。それはとくにピアニストに顕著で、中国人ピアニストとして先に李雲迪(ユンディ・リ1982~)が世に出たし、同い年の郎朗(ラン・ラン1982~)の活躍は今やもっとも目覚ましいものがある。他にも中国系のアメリカ人ピアニストで、まだ20歳を越えたばかりの昨年のチャイコフスキー国際コンクールで2位に入賞したジョージ・リー(1995~)など、新星の出現を挙げると枚挙にいとまがない。
シューマンのピアノ曲。コーデリア・ウィリアムズという女流ピアニストが弾いている。
Cordelia Williams has been acclaimed as a pianist of great power and delicate sensitivity, drawing in audiences with her rich sound, natural eloquence and “spell-binding simplicity”. She has performed all over the world, including concertos with the English Chamber Orchestra, in Mexico City, and City of Birmingham Symphony Orchestra, and recitals at Wigmore Hall, Royal Festival Hall and Beijing Concert Hall. In December 2014 she made her debut with the Royal Philharmonic Orchestra, playing Beethoven’s Emperor Concerto at Barbican Hall, London and Symphony Hall, Birmingham.
At the core of Cordelia’s musicality is a fascination with the human soul and the artistic expression of struggles and beliefs; alongside her performing career she gained a First in Theology from Clare College, Cambridge. She is recognised for the poetry, conviction and inner strength of her playing and the depth and maturity of her interpretations. Cordelia is drawn especially to the music of the late Classical and early Romantic periods: her debut CD, featuring Schubert’s complete Impromptus for SOMM Recordings, was released to critical acclaim in July 2013 and she recently recorded music by Schumann for release in July 2015.
Her curiosity towards religions and faith has led to her current project, Between Heaven and the Clouds: Messiaen 2015. In collaboration with award-winning poet Michael Symmons Roberts, Lord Rowan Williams and artist Sophie Hacker, this year-long series of events and performances explores the music, context and theology of Messiaen’s Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus.
Cordelia has a great enthusiasm for presenting and introducing music; her Cafe Muse evenings bring classical music out of the concert hall and into the relaxed setting of bars and brasseries. She is also a passionate chamber musician, having appeared with the Endellion, Fitzwilliam and Maggini quartets among others. Since becoming Piano Winner of BBC Young Musician 2006, she has performed with orchestras including London Mozart Players and Royal Northern Sinfonia, and given recitals at the Barbican Hall and Purcell Room, as well as in France, Italy, Norway, Switzerland, Austria, Thailand, China, America, Mexico, Kenya and the Gulf States. This season includes appearances at the Cheltenham Festival, Cadogan Hall and Kings Place.
Hearing her mother teach piano, Cordelia wanted to learn to play too, and began lessons at home as soon as she could climb onto the piano stool. She gave her first public piano recital to celebrate her eighth birthday. She spent seven years at Chethams School of Music in Manchester, studying with Bernard Roberts and Murray McLachlan. She went on to work with Hamish Milne in London, Joan Havill and Richard Goode, and is grateful to have received support from the Martin Musical Scholarship Fund, the Musicians Benevolent Fund, the Stanley Picker Trust, the City of London Corporation, the Arts and Humanities Research Council and the City Music Foundation.
View Cordelia’s past concerts.
シューマン:
ダヴィッド同盟舞曲集/幻想曲/創作主題による変奏曲
コーデリア・ウィリアムズ - Cordelia Williams (ピアノ)
録音: 10-11 January 2015, Turner Sims Concert Hall, University of Southampton, United Kingdom
朝もやの向うに見える山景色のように、光と影が交差するような、そして時折葉陰から眩い朝日がさすような、そんな音楽であります。
バッハの曲を聴いていていつも思い出すのは吉田秀和氏の語ったことだ。長年連れ添ったドイツ人の奥さんを亡くした時、悲しみに明け暮れし、何もする気がおきず、仕事も投げ出した。その時はさすがに音楽すらも受け入れられなかった。そして徐々に音楽を聴きだすようになっていったが、しかしどれも強く訴えすぎて気持ちが受け容れられなかった。「でも、バッハだけは何も邪魔しなかったな・・・」と呟いた。
フレデリック・ショパンの舟歌嬰ヘ長調作品60は、1846年に作曲・出版された。三部形式で書かれ、シュトックハウゼン男爵夫人に献呈された。この作品の叙情性は「ノクターン」に通ずるが、イタリア的な明るさが垣間見え、ヴェニスのゴンドラの揺れを表わす左手の伴奏形が提示された後、優美な右手の旋律が現われる。一度聴けばいつまでも記憶に残る素敵なメロディーをもつピアノ曲である。
心を癒してくれるシューマンの嬰ヘ長調
2015年11月19日(木)
いい曲、なんの曲。
シューマンに「3つのロマンス」 Op. 28というピアノ・ソナタがある。
1839年、29歳のシューマンがウィーンに滞在していた頃の作品で、シューマンとクララとの結婚の仲介役となったロイス=ケストリッツ伯に献呈された。3曲はそれぞれ異なる傾向をもっているが、ここで採りあげる第2番 嬰ヘ長調が断然好い。気分を和らげ心を癒す、そんな素敵なソナタだ。昨夜聴いたアリス=紗良・オットはDGのアーティストなので、残念ながらNMLでは聴けないが、アリスの若い時の演奏でCAvi-music盤が一枚だけあるが、そのなかにこの嬰ヘ長調が収められている。
シューマンは晩年精神を病み、最終的に精神病院で亡くなりました。そのような境遇がシューマンの人生のすべてだったと誤解させているのかもしれませんね。
それで、みんながシューマンはその人生のほとんどの時間正常であったことを忘れ、彼の作品を狂ったように誇張して演奏し、彼が一生涯精神を病んでいたように思わせるのです。実は、シューマンが精神病院に入ってから創作した作品ですら、世の中の人々が思っているほど狂ってはいません。みんな大げさに考え過ぎています。シューマンの作品の豊かな感情表現や情景描写は、一概に語ることはできません。演奏者は音楽の情感、音符に込められた意味を真摯に理解すべきです。たとえば、多くの演奏者はシューマンが楽譜に書いた「アッチェルランド」を見ると、まるで突進するように弾いて音楽全体のバランスを崩し、前後の段階に何が書いてあるのかを考えようとしません。
私はシューマンに向き合うもっともよい方法は、やはり楽譜に戻ることだと思います。楽譜から彼の本心を探り出すのです。シューマンの作品には深い情感が流れています。それらの情感を汲み取ることは容易ではありませんが、真剣に楽譜を読み、注意深く考えながら弾いているうちにそれらを感じ、正しい解釈ができるようになるでしょう。
ヴィルサラーゼがシューマンの音楽について雑誌の取材で以前語っていたことがある。
シューマンの作品は深遠でとても複雑です。シューマンを演奏するには、作品を深く理解するだけでなく、作品以外の多くのことも理解しなければなりませんが、もっとも重要なことはシューマンに対する感覚です。シューマンに共感する何かがなければ、彼の世界に入って行くことはできません。~
シューマンを演奏するときに一番危険なことは、それぞれの作品を同じようにとらえることです。シューマンの作品は複雑で、ひとつひとつの小節が変化します。それをうまく処理しないと、すべてが同じような紋切り型の表現になってしまいますが、やり過ぎて一小節ごとに変化させると、これもまたすべて同じ、千篇一律になってしまいます。
それでは、どのように弾けばよいのですか?
とても簡単で、でも実際にやるのはとても難しい秘訣がひとつあります。それは、ルバートです。シューマンは言うまでもなくショパンでも、演奏者はできる限りルバートを使わなければなりません。しかもルバートしているということを、聴衆に絶対に気づかれてはいけません。もし聴衆が気づいたのなら、それはルバートではなく、アッチェルランドかリタルダンドです。テンポが変わったと気づかせずに、自在にテンポを操るのがルバートなのです。
ある人がランドフスカに、「ルバートをどのように弾いたらいいでしょうか」と尋ねたとき、彼女はこう答えました。「私がどこでルバートしていたか、例を挙げて言っていただけますか?」。ルバートとは、まさにそういうことなのです。ここでルバートしていると指摘できたら、それはすでにルバートではないのです。
マレイ・ペライア(Murray Perahia, 1947~)はアメリカ生まれのユダヤ人ピアニストで指揮者。老けた感じでもっと高齢かと思っていたらまだ60歳代だった。
今日、ロンドン響の演奏会に出かけるがベルナルト・ハイティンクのブルックナー第7番の方ばかりに注目しがちだが、実は前半のプログラムはペライアのモーツァルト第24番のコンチェルトが用意されている。
彼のレパートリーは多様で、なかでもウィーン古典派やドイツ・ロマン派音楽を得意としている。ピアニストとしてこれから円熟期を迎えようとする43歳の時に不幸にも右手の負傷というアクシデントに見舞われる。ピアノが弾けない間、バッハ音楽の研究に没頭したという。音楽家が不幸に落ち込んだ時、いつも愛の手を差し伸べてくれるのはバッハ一人しかいないようだ。ベートーヴェンではより深刻に落ち込んでしまうだろうし、モーツァルトでは心情を逆なですることだろう。音楽家評論家の吉田秀和が高齢になって愛妻を先に亡くした時、何をするにも手が付けられず、困っていたがあれだけのモーツァルト信奉者が「唯一救われたのはバッハだった」と供述している。そして同じくペライアもこう言う。「以前にもまして演奏が楽しくなった」
傷が癒えたあと、ゴールドベルク変奏曲、イギリス組曲、などのバッハの鍵盤音楽を多く録音した。これらは一度聴いてみたいものである。しかし、その後も傷の状態は完全ではなかったようだが、60歳代に入りようやく指の調子も戻り演奏活動を再開している。
よく言われることだが彼のピアノは指をケガした前と後では少し変わったと。以前は明るい打音と冴えわたるリズム感が持ち味であったが、その後、構成力がさらに高まり、音の陰影が深まり、逞しさが増した。彼は指揮者でもあって自ら弾き語り指揮をすることも多い。ケガの前の70年代から80年代にかけて収録したイギリス室内管弦楽団とのモーツァルトピアノ協奏曲全集は評価が高い。でもこうしてみると彼の演奏はほとんど知らないことに気づく。(京都コンサートホールのロビーで何か衝動買いしそうだ)
若き10代の頃にマールボロ音楽祭に参加して、カザルスやゼルキンなどの大巨匠とも出会い、多くの影響を受けた。そして30歳半ばになって今度はホロヴィッツとも一緒に仕事をする機会を得て、ここでも多大な影響を受ける事になる。
今日、共演するハイティンクとは相性が良く、ロイヤル・コンセルトヘボウ管と一緒にアジアツアーなども行った間柄である。そんなこともあって今日のモーツァルトのコンチェルト、息の合ったところをじっくりと愉しみたい。
2015年 07月 10日
小山実稚恵ピアノ・リサイタル
2015年7月10日(金)
d0170835_18541522.jpg明日、びわ湖ホールの大ホールでピアノ・リサイタルがある。今年でデビュー30周年を迎える小山実稚恵のピアノ演奏会だ。彼女のピアノは4月にフェスティバルホールで、大野和士指揮東京都交響楽団との共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いたのが初めてであるが、その時の印象は力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。今回は協奏曲ではなく、シューベルト、ショパン、そしてリストとそれぞれのピアノ曲をじっくりと聴けるということで期待している。 曲目もどれも親しみやすいものばかりで彼女の人柄に直に接することができることだろう。
<演目>
シューベルト:
即興曲 変イ長調 作品142-2
即興曲 変ホ長調 作品90-2
シューマン:
フモレスケ 変ロ長調 作品20
バッハ/ブゾーニ:
シャコンヌ
リスト:
愛の夢 第3番 変イ長調
巡礼の年 第3年より 第4曲「エステ荘の噴水」
ショパン:
ピアノ協奏 第2番より 第2楽章 「ラルゲット」(ピアノ・ソロ版)
ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 「英雄」
追記:
2015年7月11日(土)
d0170835_18102073.jpg
d0170835_18121086.jpgこの人のピアノは最初少し大味に感じないこともないが、曲が進につれて興に乗ってくるタイプ。今日の演奏でも最初のシューベルトは物足りなかったが、シューマン、そして後半プロ最初の「シャコンヌ」は圧巻であった。まるでオルガンの音色を彷彿させるようなスケールの大きい、神々しさに満ちた演奏を聴かせた。このあたりから調子が上がり、あとのリスト、ショパン、さらにアンコールを4曲も披露。なかでも3曲目の「ヴァルトシュタイン」のロンドにいたっては、これ一曲聴いただけでも今日のリサイタルに足を運んだ価値がある。
偉らそばらず気持ちの良いピアニストだ。
小山実稚恵のラフマニノフが予想以上に良かった。力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。
大野和士の指揮は今日で3回目だが、今迄でいちばん生き生きと溌剌としたもので、新しい門出に相応しいものであった。東京都交響楽団はすべての楽器において水準の高さを示し、どのパートも音をしっかり出し切ることに長けており、特に管の響きには安定感がある。コンサートマスターの矢部達哉は先々月号かの「音楽の友」で小山実稚恵と対談していたが、好感のもてる人柄で、この人から感じる誠実さそのものがオケの顔そのものであるように思えた。
プログラムに矢部氏が指揮者大野和士の印象を述べている。
オーケストラの存在意義というものを考えた時、まずは僕らが精一杯良い演奏をして、お客様に喜んでいただくことが大前提。それは今後も続けていくわけですけど、一方でベートーヴェンやブルックナーの作品が、100年以上経った現在もなぜ生きているのか、改めて考えるようになりました。その理由は、オーケストラが作曲家を深く理解して、真髄に迫ることを続けてきた、それが聴き手にも認められたから。だからこそ作品が生き続けたのではないか。クラシックには200万枚売れるアルバムはないですけれど、200年聴き継がれる曲はたくさんある。そうやって生命を保ち続けるものが芸術だろうと。
大野さんの姿勢はまさにそこにあって、作曲家の心に入り込んで、何を表現したかったのか、何を伝えたかったのか、真髄に迫ることができる。本当に稀な指揮者だと思います。
d0170835_1831204.jpg今日のチャイコフスキーの4番、本場ロシアのオーケストラ並みに迫力ある響きを聴かせたが、来月に聴くモスクワ放送響もチャイコフスキー5番をやる。それとまた小山実稚恵がビアノを弾く、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。あの堂々とした弾きっぷりでやるのだろう、これまた愉しみである。
久々にポリーニのピアノを聴く。格調高い演奏は朝の冷たい空気によく混ざり合う。
偶然だが、ポリーニはミケランジェリ、ブレンデルと同じ1月5日生まれ。3人は11年ずつ年が離れている(ミケランジェリは1920年、ブレンデルは1931年、ポリーニは1942年生まれ)
そして3人とも格調高い演奏をする。
ギレリスときたら次はやはりリヒテルだろう。ロシアの両雄は何かにつけて個性のある実力派ピアニストであった。二人の比較はまた別の機会として、ここではスヴャトスラフ・リヒテル
(Sviatoslav Richter、1915~1997)に触れる。彼のピアノを愛する日本人ファンは多いが、でもリヒテルが初めて日本の土を踏んだのは遅く、1970年の万博の時で、もう55歳になっていた。それまでは「幻のピアニスト」と称され、当時西側諸国で演奏に接する機会は全くなかったし、ただただソ連に凄いピアニストがいるといった噂話だけであった。どんな事情かよく知らないが、ギレリスが早くから西側で演奏をしたのとは対照的である。強烈に印象深い逸話がある。指揮者のユージン・オーマンディがギレリスと共演し、彼に最高の賛辞を贈ろうとしたら、ギレリスはこう言った。「リヒテルを聴くまでは待ってください」と。
繊細な感受性を持ち合わせたリヒテルはまた、何かと話題の多いピアニストでもあった。スタジオ録音が嫌い、演奏会でも気が載らなかったらキャンセルする、飛行機嫌いなので活動範囲が限られていた、等々。そんな彼は、一方では、場内の照明を消し、ピアノだけにスポットライトが当たるように演出したり、小さな演奏会場で演奏曲目を予告せずにリサイタルを行うなど、ユニークな試みも実践した。
彼のピアノはダイナミックで劇的で、それでいて反面、繊細で緻密で・・・といったものだった。遺した多くの演奏のなかでも一押しに上げるのは「テンペスト」である。同曲で、この演奏を越える演奏を僕はいまだに知らない。
オルガニストでもあった父親の手ほどきもそこそこに、訓練めいた練習は子供の頃より積んでこなかった。チェルニーなんて弾いたことがない、音階の練習もしなかった、自由奔放に弾いた。最初に彼がピアノを前にして弾いたのは、ショパンのノクターンであり、この「テンペスト」であった。
ショパン:
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 op.11
ショパンの母国ポーランド生まれのピアニスト、 クリスティアン・ツィマーマン(1956~)
音の”色つけ”においては彼の右に出るものはいない、現代最高のピアニストのひとりだろう。ここにショパンのピアノ協奏曲第1番の二つの演奏がある。
ひとつは1978年11月のロサンゼルスでのライヴ、もう一枚は1999年8月、トリノでの演奏。前者はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団との共演、後者はポーランド祝祭管弦楽団を自らが指揮し、独奏も兼ねた演奏である。22歳と43歳、この20年あまりの開きは、演奏にどのような違いをもたらしたのか。
17歳でベートーヴェン国際音楽コンクールで優勝したあと、2年後の1975年、ショパン国際ピアノコンクールにおいても史上最年少で優勝するという天才ぶりを若くして示すが、この最初の演奏では、信じられないほどの澄みきったピアニズムが、豊潤な音楽作りに定評のあるジュリーニの棒のもとで、生き生きとわるびれることなく自己主張をしている。やはり、この頃から只者ではなかったのだ。そして着実に実績を積み、世界の檜舞台で活躍するようになってからの2回目のショパンは、さらに磨きがかかり、その上に、ツィマーマンの個性が思う存分に発揮され、歌いに歌い上げるかなり個性的な演奏といえるのではないか。
第1番は、実は第2番より後に書かれた。ロマンティックな2番にくらべて、曲として構成がしっかりしていてスケールも大きい。ただ以前より指摘されていることであるが、ピアノ独奏部に対してオーケストラ部分が貧弱であり、第三者によりオーケストレーションされた可能性が高いとも言われはしているが、今日に及んでもやはり偉大なピアノ協奏曲の一つとして挙げられる。
いずれにしてもポーランドの血を引くツィマーマンにとって、やはりショパンは切っても切れない、もっとも肌にあった音楽であることには変りない。この人の、無理がなく自然に流れるような美しいピアニズム、そしてその安定した音色は、これも彼の右に出る人はいないだろう。ショパン弾きの天才である。
アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931~)はチェコ出身のオーストリアのピアニストである。最近まではとくにそうは感じなかったが、アバドとの共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の人間味豊かな秀演を聴き感動した。
そしてまた今、モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」ニ長調 をほかの日本人ピアニストの演奏と聴き比べて見て、そのあまりにもの違いと、彼の音楽性の高さを今更ながらに思い知らされることとなる。この曲は、1789年(フランス革命)モーツァルト 晩年の作品で、人気作曲家として名を知られるようになっていたが、経済状況はどん底にあった中、ポツダムで出会ったチェロ奏者ジャン・ピエール・デュポールの作品に基づいてこの変奏曲が作曲された。和音が美しく響くのが特徴で、転調やオクターブによるダイナミックさも加わり、聴く以上に変化に富んだ深さを見せるピアノ曲である。しかし、音楽性に乏しいピアニストが弾くと、単なるピアノ練習曲にしか聴こえないから不思議だ。この曲を他の誰よりも、彼は、丁寧に、気持をこめて弾ききる。そこには真摯な態度に満ちた人間性さえ浮かび上がってくるようだ。
ブレンデルの演奏は、華麗さや派手さはなく、地味ではあるが、知的で、音楽性に富み、王道を行くピアニストと言える。それに、彼の人間性の豊かさであろう。
レパートリーはたいへん広く、中でもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった、ドイツ・オーストリア音楽に長け、とくにベートーヴェンとシューベルトはその中心をなす。
NML のラインナップを探して見ると、彼の30歳前半の若い時期のディスクがある。その中でハイドンのピアノ協奏曲ニ長調Hob.XVIII:11を聴くが、どちらかと言えば単調で変化に乏しいハイドンが、ここまでも生き生きと、飽きさせない、しかも深い音楽になるかと感心する。
彼は確かにレパートリーは広いが、録音に関しては、こだわりを持ち、重要であると考える作品は何度もレコーディングを重ねた。たとえば、d0170835_23425498.jpgベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲やピアノ協奏曲は3度録音し、シューマンやブラームスのコンチェルトも2度、さらにはシェーンベルクのピアノ協奏曲といった珍しいものまで2度録音している。
NML ではズービン・メータ指揮ウィーン交響楽団とのピアノコンチェルトを聴くことができる。
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 「皇帝」 Op. 73
数年前に引退宣言をしたため、残念ながら、今聴けるのは彼の数多くのディスクにおいてのみである。
そうそう、もう一曲、シューベルトを挙げておこう。即興曲を聴いていると、シューベルトという作曲家もホントいいなーと思う。