丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 

乗りバス(三ケ木⇒橋本)が好きです
大倉尾根in 焼山out
1980年から2024年まで蛭ケ岳通い続けています!!

気になるピアニスト  すばらしい世界、クラシック音楽をたくさん聴いてください。

2016-11-30 04:49:19 | 音楽
「あなたにとって音楽とは?」アーティストからのメッセージをお届けします。というコーナーで、先週8日の放映ではピアニスト イリーナ・メジューエワ が次のようなメッセージを贈っている。
「音楽は、作品を通して死んだ人と対話でき、新しい発見がいつでも出てきます。
奥行きの深い世界、豊かな世界、終わりのない世界、すばらしい世界、クラシック音楽をたくさん聴いてください。
そして、自分の心、自分の世界を豊かにしてください。」


吉田秀和は、バッハは邪魔しない音楽と言ったが、バックハウスのベートーヴェンも、聴く者を安らぎの世界に誘ってくれる。
ヴィルヘルム・バックハウス
(Wilhelm Backhaus, 1884~1969)はドイツ・ライプツィヒ出身のピアニスト。、ピアノの流派をたどると、バックハウス→ダルベール→リスト→ツェルニー→ベートーヴェンというところからベートーヴェンの直系の弟子とされる。
同時代のギーゼキングが当代屈指のモーツァルト弾きなら、バックハウスは、不世出のベートーヴェン弾き出あった。


レイフ・オヴェ・アンスネスについては・・・
アンスネスはレパートリーにも慎重な姿勢で、じっくりと取り組みをみせてきた。同時代の作品への目配りもあれば、ハイドンの清新な録音もあるように、絞り込んだなりに多彩な作品を手がけている。それでも、彼は自分が弾く必要を感じるときまで、機が熟すのを待つように作品を待たせておく。<略>
音楽はどこからやってくるのか。そして、聴き手をどこへ連れて行くのか。
たとえば、彼の弾くラフマニノフには、澄んだ音の向こうに壮大な自然が広がる。2011年9月にはヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でNHK交響楽団と協奏曲第3番を演奏した。「ラフマニノフは、風と波、鐘の音がする」と語る彼の言葉は、響きの想像力と確実に繋がっていた。構築的な演奏を見通しよく展開し、第二楽章での深々とした歌いかけを経て、堂々としたフィナーレまで、端正なピアノがラフマニノフの大きな世界を呼び覚ましていった。
アンスネスの評価は好意的に書かれており、見た通りの誠実な人でありそうだ。今年2月のサロネンとフィルハーモニア管弦楽団との共演でのベートーヴェンの第4番、終演後のサイン会での彼の表情を思い出す。



イギリスのピアニスト、ポール・ルイス(1972~)のピアノは、完璧度の頂点を極めるテクニシャンのそのものだ。  


イギリスのリヴァプール生まれ。アルフレッド・ブレンデルに師事し、1994年のロンドン国際ピアノコンクールで2位受賞。2010年夏のBBCプロムスで異なる指揮者とオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏、一人の演奏家がプロムスのワン・シーズンでベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏するのはプロムス史上初めてのことであった。イルジー・ビエロフラーヴェク指揮BBC響と第1番&第4番、アンドリス・ネルソン指揮バーミンガム市響と第2番、ステファン・ドヌーヴ指揮ロイヤル・スコティッシュ響と第5番、そしてサー・マーク・エルダー指揮ハレ響と第3番を共演した。
   
またニューヨーク・タイムズ紙のアンソニー・トマシーニは語る。「もしベートーヴェン・ソナタ全集の録音を推薦するとしたら、私ならばポール・ルイスの録音を選ぶだろう」


エリソ・ヴィルサラーゼ(1942~ )
グルジアの女性ピアニストで、演奏家としてのみならず、教育者としても名高い。祖母よりピアノの指導を受けた後、トビリシ音楽院、モスクワ音楽院で学んだ。1962年にチャイコフスキー国際コンクールで3位に入賞、1966年にはロベルト・シューマン・コンクールで優勝した。スヴャトスラフ・リヒテルと親交を結び、深く影響を受けた。
ルドルフ・バルシャイ、キリル・コンドラシン、リッカルド・ムーティ、クルト・ザンデルリング、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、エフゲニー・スヴェトラーノフ、ユーリ・テミルカーノフ、などの著名な指揮者、世界の主要なオーケストラと共演している。ヨーロッパの作曲家の作品や、チャイコフスキーをはじめとするロシア音楽を主要なレパートリーとするが、特にシューマン作品の解釈には定評があり、リヒテルはヴィルサラーゼを「世界一のシューマン奏者」と称えた。

経済雑誌「エコノミスト」アートのコーナーで昨年のジュネーブ国際コンクールピアノ部門で1位になった萩原麻未のことが載っていた。

「とりわけピアニッシモが驚くほど美しい。最弱音にもかかわらず、風にゆれてきらめく光のように、輝かしく豊かに響く。フォルティッシモが必要なところでも決してピアノの鍵盤を叩くことはなく、やわらかな響きのまま大きく跳ねる。まるで会場の紀尾井ホールが光に満たされてくるようだった。
このような、やわらかな美しさに輝くピアニッシモはこれまでに聴いたことがない」と、ここまで書いている。

丁寧な若いピアニスト?
ジャンルカ・カシオーリ(1979~ )
イタリア出身のピアニスト兼指揮者、兼作曲家。

ベートーヴェンの「Dolce」に惹かれて

 2007年、シューマン・ピアノ曲全曲録音を果たした伊藤さんは、日本を代表する“シューマン弾き”としても知られている。
「有賀先生の前でも、ライグラフ先生の前でも、初めて弾いたのはシューマンでした。留学中にはライグラフ先生が次々シューマンの曲を課題にくださって。気づいたら、約20年間、シューマンと向き合っていました」
 その後、伊藤さんは、シューベルトの作品に力を入れてきた。CDとしてはすでに、「シューベルトピアノ作品集」の1~5が発表され、この5月には最新作6が発売になる。また、8年連続で開催してきたシューベルト中心のシリーズ「新・春をはこぶコンサート」が、4月29日、最終回を迎えようとしている。
 大きな区切りを迎えるいま、伊藤さんは、今度の展開をどう考えているのだろうか。
「次に私が向き合っていくのは、おそらくベートーヴェンだと思っています。もちろん、シューマンとシューベルトは“私の宝もの”なのでこれからも大切にしていきます。ときどきはブラームスに浮気しながら(笑)」
 シューマンはシューベルトを尊敬していたし、シューベルトが尊敬していたのは、ベートーヴェン。伊藤さんは、30年以上の歳月をかけて、その流れをたどっていくことになる。
今後、私たちにどんなベートーヴェンを聞かせてくれるのだろうか。
「ベートーヴェンといえば、過酷な運命と向き合う“闘う男”という印象が強いでしょう。でも、中には、彼の別の一面を見せてくれるものがあります。たとえば、ピアノソナタ第28番や30番など……そうした作品を中心に、挑戦していきたいです。私が惹かれるのは、ベートーヴェンの楽譜にたびたび現れる「Dolce」の部分です。彼のドルチェほど優しいドルチェを私は知りません。おそらく彼は、本当は誰よりも優しい人だったのではないでしょうか。そんなベートーヴェンの一面に、スポットを当てたいと思っているのです」



ピアニスト▽
ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連⇒アイスランド→スイス)
エマニュエル・アックス(ウクライナ⇒米国)
ジュリアス・カッチェン(米国)
ウィリアム・カペル(米国)
エミール・ギレリス(ソ連)
リリー・クラウス(ハンガリー⇒イギリス)
エレーヌ・グリモー(フランス)
アルトゥル・シュナーベル(オーストリア→米国)
ルドルフ・ゼルキン(チェコ)
シューラ・チェルカスキー(ウクライナ)
イェフィム・ブロンフマン(ロシア)
マイラ・ヘス(イギリス)
バイロン・ジャニス(米国)
マレイ・ペライア(米国)
ウラディミール・ホロヴィッツ
(ウクライナ⇒米国)
ベンノ・モイセイヴィチ(ロシア)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ポーランド)
アレクシス・ワイセンベルク(ブルガリア)
ピアニストにしたって凄いメンバーが揃っている。ホロヴィッツ、ルービンシュタインの両雄を中心に、ギレリス、ゼルキン、女流のクラウスやグリモーまで出てきて、どうなっているの、といった世界。


今若手ピアニストで将来を期待され最も人気があるのは男性ではロシアの25歳ダニール・トリフォノフ、女性では中国人ピアニストの王羽佳(ユジャ・ワン1987~)だろう。とくに彼女はこれから音楽の道を歩もうとする多くの学生たちに絶大な人気があるらしい。それは自由奔放な彼女の生き方に共感を覚えるからだろう。
11月に来日するマイケル・ティルソン・トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団の大阪公演を今から首を長くして待ち望んでいるが、トーマスの指揮もさることながら、実はピアノ協奏曲第2番で共演するユジャ・ワンのピアノも大きな楽しみの一つなのである。
40年前の小澤征爾と武満徹の対談でも語っていたが、近い将来中国人演奏家たちが世界のクラシック界を席捲する予想は見事に当たったようだ。それはとくにピアニストに顕著で、中国人ピアニストとして先に李雲迪(ユンディ・リ1982~)が世に出たし、同い年の郎朗(ラン・ラン1982~)の活躍は今やもっとも目覚ましいものがある。他にも中国系のアメリカ人ピアニストで、まだ20歳を越えたばかりの昨年のチャイコフスキー国際コンクールで2位に入賞したジョージ・リー(1995~)など、新星の出現を挙げると枚挙にいとまがない。

シューマンのピアノ曲。コーデリア・ウィリアムズという女流ピアニストが弾いている。
Cordelia Williams has been acclaimed as a pianist of great power and delicate sensitivity, drawing in audiences with her rich sound, natural eloquence and “spell-binding simplicity”. She has performed all over the world, including concertos with the English Chamber Orchestra, in Mexico City, and City of Birmingham Symphony Orchestra, and recitals at Wigmore Hall, Royal Festival Hall and Beijing Concert Hall. In December 2014 she made her debut with the Royal Philharmonic Orchestra, playing Beethoven’s Emperor Concerto at Barbican Hall, London and Symphony Hall, Birmingham.

At the core of Cordelia’s musicality is a fascination with the human soul and the artistic expression of struggles and beliefs; alongside her performing career she gained a First in Theology from Clare College, Cambridge. She is recognised for the poetry, conviction and inner strength of her playing and the depth and maturity of her interpretations. Cordelia is drawn especially to the music of the late Classical and early Romantic periods: her debut CD, featuring Schubert’s complete Impromptus for SOMM Recordings, was released to critical acclaim in July 2013 and she recently recorded music by Schumann for release in July 2015.

Her curiosity towards religions and faith has led to her current project, Between Heaven and the Clouds: Messiaen 2015. In collaboration with award-winning poet Michael Symmons Roberts, Lord Rowan Williams and artist Sophie Hacker, this year-long series of events and performances explores the music, context and theology of Messiaen’s Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus.

Cordelia has a great enthusiasm for presenting and introducing music; her Cafe Muse evenings bring classical music out of the concert hall and into the relaxed setting of bars and brasseries. She is also a passionate chamber musician, having appeared with the Endellion, Fitzwilliam and Maggini quartets among others. Since becoming Piano Winner of BBC Young Musician 2006, she has performed with orchestras including London Mozart Players and Royal Northern Sinfonia, and given recitals at the Barbican Hall and Purcell Room, as well as in France, Italy, Norway, Switzerland, Austria, Thailand, China, America, Mexico, Kenya and the Gulf States. This season includes appearances at the Cheltenham Festival, Cadogan Hall and Kings Place.

Hearing her mother teach piano, Cordelia wanted to learn to play too, and began lessons at home as soon as she could climb onto the piano stool. She gave her first public piano recital to celebrate her eighth birthday. She spent seven years at Chethams School of Music in Manchester, studying with Bernard Roberts and Murray McLachlan. She went on to work with Hamish Milne in London, Joan Havill and Richard Goode, and is grateful to have received support from the Martin Musical Scholarship Fund, the Musicians Benevolent Fund, the Stanley Picker Trust, the City of London Corporation, the Arts and Humanities Research Council and the City Music Foundation.

View Cordelia’s past concerts.


シューマン:
ダヴィッド同盟舞曲集/幻想曲/創作主題による変奏曲
コーデリア・ウィリアムズ - Cordelia Williams (ピアノ)
録音: 10-11 January 2015, Turner Sims Concert Hall, University of Southampton, United Kingdom

朝もやの向うに見える山景色のように、光と影が交差するような、そして時折葉陰から眩い朝日がさすような、そんな音楽であります。


バッハの曲を聴いていていつも思い出すのは吉田秀和氏の語ったことだ。長年連れ添ったドイツ人の奥さんを亡くした時、悲しみに明け暮れし、何もする気がおきず、仕事も投げ出した。その時はさすがに音楽すらも受け入れられなかった。そして徐々に音楽を聴きだすようになっていったが、しかしどれも強く訴えすぎて気持ちが受け容れられなかった。「でも、バッハだけは何も邪魔しなかったな・・・」と呟いた。

フレデリック・ショパンの舟歌嬰ヘ長調作品60は、1846年に作曲・出版された。三部形式で書かれ、シュトックハウゼン男爵夫人に献呈された。この作品の叙情性は「ノクターン」に通ずるが、イタリア的な明るさが垣間見え、ヴェニスのゴンドラの揺れを表わす左手の伴奏形が提示された後、優美な右手の旋律が現われる。一度聴けばいつまでも記憶に残る素敵なメロディーをもつピアノ曲である。


心を癒してくれるシューマンの嬰ヘ長調
2015年11月19日(木)

いい曲、なんの曲。
シューマンに「3つのロマンス」 Op. 28というピアノ・ソナタがある。
1839年、29歳のシューマンがウィーンに滞在していた頃の作品で、シューマンとクララとの結婚の仲介役となったロイス=ケストリッツ伯に献呈された。3曲はそれぞれ異なる傾向をもっているが、ここで採りあげる第2番 嬰ヘ長調が断然好い。気分を和らげ心を癒す、そんな素敵なソナタだ。昨夜聴いたアリス=紗良・オットはDGのアーティストなので、残念ながらNMLでは聴けないが、アリスの若い時の演奏でCAvi-music盤が一枚だけあるが、そのなかにこの嬰ヘ長調が収められている。

シューマンは晩年精神を病み、最終的に精神病院で亡くなりました。そのような境遇がシューマンの人生のすべてだったと誤解させているのかもしれませんね。

それで、みんながシューマンはその人生のほとんどの時間正常であったことを忘れ、彼の作品を狂ったように誇張して演奏し、彼が一生涯精神を病んでいたように思わせるのです。実は、シューマンが精神病院に入ってから創作した作品ですら、世の中の人々が思っているほど狂ってはいません。みんな大げさに考え過ぎています。シューマンの作品の豊かな感情表現や情景描写は、一概に語ることはできません。演奏者は音楽の情感、音符に込められた意味を真摯に理解すべきです。たとえば、多くの演奏者はシューマンが楽譜に書いた「アッチェルランド」を見ると、まるで突進するように弾いて音楽全体のバランスを崩し、前後の段階に何が書いてあるのかを考えようとしません。
私はシューマンに向き合うもっともよい方法は、やはり楽譜に戻ることだと思います。楽譜から彼の本心を探り出すのです。シューマンの作品には深い情感が流れています。それらの情感を汲み取ることは容易ではありませんが、真剣に楽譜を読み、注意深く考えながら弾いているうちにそれらを感じ、正しい解釈ができるようになるでしょう。

ヴィルサラーゼがシューマンの音楽について雑誌の取材で以前語っていたことがある。

シューマンの作品は深遠でとても複雑です。シューマンを演奏するには、作品を深く理解するだけでなく、作品以外の多くのことも理解しなければなりませんが、もっとも重要なことはシューマンに対する感覚です。シューマンに共感する何かがなければ、彼の世界に入って行くことはできません。~
シューマンを演奏するときに一番危険なことは、それぞれの作品を同じようにとらえることです。シューマンの作品は複雑で、ひとつひとつの小節が変化します。それをうまく処理しないと、すべてが同じような紋切り型の表現になってしまいますが、やり過ぎて一小節ごとに変化させると、これもまたすべて同じ、千篇一律になってしまいます。

それでは、どのように弾けばよいのですか?

とても簡単で、でも実際にやるのはとても難しい秘訣がひとつあります。それは、ルバートです。シューマンは言うまでもなくショパンでも、演奏者はできる限りルバートを使わなければなりません。しかもルバートしているということを、聴衆に絶対に気づかれてはいけません。もし聴衆が気づいたのなら、それはルバートではなく、アッチェルランドかリタルダンドです。テンポが変わったと気づかせずに、自在にテンポを操るのがルバートなのです。
ある人がランドフスカに、「ルバートをどのように弾いたらいいでしょうか」と尋ねたとき、彼女はこう答えました。「私がどこでルバートしていたか、例を挙げて言っていただけますか?」。ルバートとは、まさにそういうことなのです。ここでルバートしていると指摘できたら、それはすでにルバートではないのです。

マレイ・ペライア(Murray Perahia, 1947~)はアメリカ生まれのユダヤ人ピアニストで指揮者。老けた感じでもっと高齢かと思っていたらまだ60歳代だった。
今日、ロンドン響の演奏会に出かけるがベルナルト・ハイティンクのブルックナー第7番の方ばかりに注目しがちだが、実は前半のプログラムはペライアのモーツァルト第24番のコンチェルトが用意されている。
彼のレパートリーは多様で、なかでもウィーン古典派やドイツ・ロマン派音楽を得意としている。ピアニストとしてこれから円熟期を迎えようとする43歳の時に不幸にも右手の負傷というアクシデントに見舞われる。ピアノが弾けない間、バッハ音楽の研究に没頭したという。音楽家が不幸に落ち込んだ時、いつも愛の手を差し伸べてくれるのはバッハ一人しかいないようだ。ベートーヴェンではより深刻に落ち込んでしまうだろうし、モーツァルトでは心情を逆なですることだろう。音楽家評論家の吉田秀和が高齢になって愛妻を先に亡くした時、何をするにも手が付けられず、困っていたがあれだけのモーツァルト信奉者が「唯一救われたのはバッハだった」と供述している。そして同じくペライアもこう言う。「以前にもまして演奏が楽しくなった」
傷が癒えたあと、ゴールドベルク変奏曲、イギリス組曲、などのバッハの鍵盤音楽を多く録音した。これらは一度聴いてみたいものである。しかし、その後も傷の状態は完全ではなかったようだが、60歳代に入りようやく指の調子も戻り演奏活動を再開している。
よく言われることだが彼のピアノは指をケガした前と後では少し変わったと。以前は明るい打音と冴えわたるリズム感が持ち味であったが、その後、構成力がさらに高まり、音の陰影が深まり、逞しさが増した。彼は指揮者でもあって自ら弾き語り指揮をすることも多い。ケガの前の70年代から80年代にかけて収録したイギリス室内管弦楽団とのモーツァルトピアノ協奏曲全集は評価が高い。でもこうしてみると彼の演奏はほとんど知らないことに気づく。(京都コンサートホールのロビーで何か衝動買いしそうだ)
若き10代の頃にマールボロ音楽祭に参加して、カザルスやゼルキンなどの大巨匠とも出会い、多くの影響を受けた。そして30歳半ばになって今度はホロヴィッツとも一緒に仕事をする機会を得て、ここでも多大な影響を受ける事になる。
今日、共演するハイティンクとは相性が良く、ロイヤル・コンセルトヘボウ管と一緒にアジアツアーなども行った間柄である。そんなこともあって今日のモーツァルトのコンチェルト、息の合ったところをじっくりと愉しみたい。


2015年 07月 10日
小山実稚恵ピアノ・リサイタル
2015年7月10日(金)

d0170835_18541522.jpg明日、びわ湖ホールの大ホールでピアノ・リサイタルがある。今年でデビュー30周年を迎える小山実稚恵のピアノ演奏会だ。彼女のピアノは4月にフェスティバルホールで、大野和士指揮東京都交響楽団との共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いたのが初めてであるが、その時の印象は力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。今回は協奏曲ではなく、シューベルト、ショパン、そしてリストとそれぞれのピアノ曲をじっくりと聴けるということで期待している。 曲目もどれも親しみやすいものばかりで彼女の人柄に直に接することができることだろう。

<演目>
シューベルト:
即興曲 変イ長調 作品142-2
即興曲 変ホ長調 作品90-2
シューマン:
フモレスケ 変ロ長調 作品20
バッハ/ブゾーニ:
シャコンヌ
リスト:
愛の夢 第3番 変イ長調
巡礼の年 第3年より 第4曲「エステ荘の噴水」
ショパン:
ピアノ協奏 第2番より 第2楽章 「ラルゲット」(ピアノ・ソロ版)
ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 「英雄」



追記:
2015年7月11日(土)
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d0170835_18121086.jpgこの人のピアノは最初少し大味に感じないこともないが、曲が進につれて興に乗ってくるタイプ。今日の演奏でも最初のシューベルトは物足りなかったが、シューマン、そして後半プロ最初の「シャコンヌ」は圧巻であった。まるでオルガンの音色を彷彿させるようなスケールの大きい、神々しさに満ちた演奏を聴かせた。このあたりから調子が上がり、あとのリスト、ショパン、さらにアンコールを4曲も披露。なかでも3曲目の「ヴァルトシュタイン」のロンドにいたっては、これ一曲聴いただけでも今日のリサイタルに足を運んだ価値がある。
偉らそばらず気持ちの良いピアニストだ。

小山実稚恵のラフマニノフが予想以上に良かった。力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。
大野和士の指揮は今日で3回目だが、今迄でいちばん生き生きと溌剌としたもので、新しい門出に相応しいものであった。東京都交響楽団はすべての楽器において水準の高さを示し、どのパートも音をしっかり出し切ることに長けており、特に管の響きには安定感がある。コンサートマスターの矢部達哉は先々月号かの「音楽の友」で小山実稚恵と対談していたが、好感のもてる人柄で、この人から感じる誠実さそのものがオケの顔そのものであるように思えた。
プログラムに矢部氏が指揮者大野和士の印象を述べている。
オーケストラの存在意義というものを考えた時、まずは僕らが精一杯良い演奏をして、お客様に喜んでいただくことが大前提。それは今後も続けていくわけですけど、一方でベートーヴェンやブルックナーの作品が、100年以上経った現在もなぜ生きているのか、改めて考えるようになりました。その理由は、オーケストラが作曲家を深く理解して、真髄に迫ることを続けてきた、それが聴き手にも認められたから。だからこそ作品が生き続けたのではないか。クラシックには200万枚売れるアルバムはないですけれど、200年聴き継がれる曲はたくさんある。そうやって生命を保ち続けるものが芸術だろうと。
大野さんの姿勢はまさにそこにあって、作曲家の心に入り込んで、何を表現したかったのか、何を伝えたかったのか、真髄に迫ることができる。本当に稀な指揮者だと思います。

d0170835_1831204.jpg今日のチャイコフスキーの4番、本場ロシアのオーケストラ並みに迫力ある響きを聴かせたが、来月に聴くモスクワ放送響もチャイコフスキー5番をやる。それとまた小山実稚恵がビアノを弾く、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。あの堂々とした弾きっぷりでやるのだろう、これまた愉しみである。


久々にポリーニのピアノを聴く。格調高い演奏は朝の冷たい空気によく混ざり合う。
偶然だが、ポリーニはミケランジェリ、ブレンデルと同じ1月5日生まれ。3人は11年ずつ年が離れている(ミケランジェリは1920年、ブレンデルは1931年、ポリーニは1942年生まれ)
そして3人とも格調高い演奏をする。


ギレリスときたら次はやはりリヒテルだろう。ロシアの両雄は何かにつけて個性のある実力派ピアニストであった。二人の比較はまた別の機会として、ここではスヴャトスラフ・リヒテル
(Sviatoslav Richter、1915~1997)に触れる。彼のピアノを愛する日本人ファンは多いが、でもリヒテルが初めて日本の土を踏んだのは遅く、1970年の万博の時で、もう55歳になっていた。それまでは「幻のピアニスト」と称され、当時西側諸国で演奏に接する機会は全くなかったし、ただただソ連に凄いピアニストがいるといった噂話だけであった。どんな事情かよく知らないが、ギレリスが早くから西側で演奏をしたのとは対照的である。強烈に印象深い逸話がある。指揮者のユージン・オーマンディがギレリスと共演し、彼に最高の賛辞を贈ろうとしたら、ギレリスはこう言った。「リヒテルを聴くまでは待ってください」と。
繊細な感受性を持ち合わせたリヒテルはまた、何かと話題の多いピアニストでもあった。スタジオ録音が嫌い、演奏会でも気が載らなかったらキャンセルする、飛行機嫌いなので活動範囲が限られていた、等々。そんな彼は、一方では、場内の照明を消し、ピアノだけにスポットライトが当たるように演出したり、小さな演奏会場で演奏曲目を予告せずにリサイタルを行うなど、ユニークな試みも実践した。

彼のピアノはダイナミックで劇的で、それでいて反面、繊細で緻密で・・・といったものだった。遺した多くの演奏のなかでも一押しに上げるのは「テンペスト」である。同曲で、この演奏を越える演奏を僕はいまだに知らない。
オルガニストでもあった父親の手ほどきもそこそこに、訓練めいた練習は子供の頃より積んでこなかった。チェルニーなんて弾いたことがない、音階の練習もしなかった、自由奔放に弾いた。最初に彼がピアノを前にして弾いたのは、ショパンのノクターンであり、この「テンペスト」であった。

ショパン:
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 op.11
ショパンの母国ポーランド生まれのピアニスト、 クリスティアン・ツィマーマン(1956~)
音の”色つけ”においては彼の右に出るものはいない、現代最高のピアニストのひとりだろう。ここにショパンのピアノ協奏曲第1番の二つの演奏がある。
ひとつは1978年11月のロサンゼルスでのライヴ、もう一枚は1999年8月、トリノでの演奏。前者はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団との共演、後者はポーランド祝祭管弦楽団を自らが指揮し、独奏も兼ねた演奏である。22歳と43歳、この20年あまりの開きは、演奏にどのような違いをもたらしたのか。
17歳でベートーヴェン国際音楽コンクールで優勝したあと、2年後の1975年、ショパン国際ピアノコンクールにおいても史上最年少で優勝するという天才ぶりを若くして示すが、この最初の演奏では、信じられないほどの澄みきったピアニズムが、豊潤な音楽作りに定評のあるジュリーニの棒のもとで、生き生きとわるびれることなく自己主張をしている。やはり、この頃から只者ではなかったのだ。そして着実に実績を積み、世界の檜舞台で活躍するようになってからの2回目のショパンは、さらに磨きがかかり、その上に、ツィマーマンの個性が思う存分に発揮され、歌いに歌い上げるかなり個性的な演奏といえるのではないか。
第1番は、実は第2番より後に書かれた。ロマンティックな2番にくらべて、曲として構成がしっかりしていてスケールも大きい。ただ以前より指摘されていることであるが、ピアノ独奏部に対してオーケストラ部分が貧弱であり、第三者によりオーケストレーションされた可能性が高いとも言われはしているが、今日に及んでもやはり偉大なピアノ協奏曲の一つとして挙げられる。
いずれにしてもポーランドの血を引くツィマーマンにとって、やはりショパンは切っても切れない、もっとも肌にあった音楽であることには変りない。この人の、無理がなく自然に流れるような美しいピアニズム、そしてその安定した音色は、これも彼の右に出る人はいないだろう。ショパン弾きの天才である。

アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931~)はチェコ出身のオーストリアのピアニストである。最近まではとくにそうは感じなかったが、アバドとの共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の人間味豊かな秀演を聴き感動した。
そしてまた今、モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」ニ長調 をほかの日本人ピアニストの演奏と聴き比べて見て、そのあまりにもの違いと、彼の音楽性の高さを今更ながらに思い知らされることとなる。この曲は、1789年(フランス革命)モーツァルト 晩年の作品で、人気作曲家として名を知られるようになっていたが、経済状況はどん底にあった中、ポツダムで出会ったチェロ奏者ジャン・ピエール・デュポールの作品に基づいてこの変奏曲が作曲された。和音が美しく響くのが特徴で、転調やオクターブによるダイナミックさも加わり、聴く以上に変化に富んだ深さを見せるピアノ曲である。しかし、音楽性に乏しいピアニストが弾くと、単なるピアノ練習曲にしか聴こえないから不思議だ。この曲を他の誰よりも、彼は、丁寧に、気持をこめて弾ききる。そこには真摯な態度に満ちた人間性さえ浮かび上がってくるようだ。

ブレンデルの演奏は、華麗さや派手さはなく、地味ではあるが、知的で、音楽性に富み、王道を行くピアニストと言える。それに、彼の人間性の豊かさであろう。
レパートリーはたいへん広く、中でもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった、ドイツ・オーストリア音楽に長け、とくにベートーヴェンとシューベルトはその中心をなす。
NML のラインナップを探して見ると、彼の30歳前半の若い時期のディスクがある。その中でハイドンのピアノ協奏曲ニ長調Hob.XVIII:11を聴くが、どちらかと言えば単調で変化に乏しいハイドンが、ここまでも生き生きと、飽きさせない、しかも深い音楽になるかと感心する。
彼は確かにレパートリーは広いが、録音に関しては、こだわりを持ち、重要であると考える作品は何度もレコーディングを重ねた。たとえば、d0170835_23425498.jpgベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲やピアノ協奏曲は3度録音し、シューマンやブラームスのコンチェルトも2度、さらにはシェーンベルクのピアノ協奏曲といった珍しいものまで2度録音している。
NML ではズービン・メータ指揮ウィーン交響楽団とのピアノコンチェルトを聴くことができる。
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 「皇帝」 Op. 73

数年前に引退宣言をしたため、残念ながら、今聴けるのは彼の数多くのディスクにおいてのみである。

そうそう、もう一曲、シューベルトを挙げておこう。即興曲を聴いていると、シューベルトという作曲家もホントいいなーと思う。
コメント
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手当たり次第に音楽を聴いてみて!シューマンにどっぷり浸かってきたのは、凄く共感するところがあるからです。

2016-11-28 21:03:39 | 音楽
シューマンにとって、表現媒体は詩でも文学でも良かった。たまたま音楽だった。シューマンは巨大な思想を表現したかっただけである。ショパンが天才ならシューマンは天才を超えた天才かもしれない



しかし、同時に妻・クララシューマンもヨーローッパ随一のピアニストとして、当時、脚光を浴びていました。

クララの父、ヴィークはクララとシューマンの結婚を頑なに反対します。
そして、1年以上にわたる裁判でついにシューマンが勝訴。
二人は、結婚することが出来ました。
世間ではヴィークを親のエゴと取る人も多いでしょう。
実際、文献にもヴィークは天才ピアニストだった娘を一気に世間に売り出したかった、だから反対したという説もあります。

シューマンは音楽家になる為の教育をうけていなかった。しかし、ショパンやその他の作曲家は音楽家になるしかない教育を受けていた。この違いは大きいと思っています。シューマンの型破りなメロディは時に、思想や詩をそのままメロディにあてはめただけじゃないか?というものがあります。一方ではトロイメライのような誰が聴いても名曲だなという曲をさっと書ける。シューマンの天才は少し、特殊であったように思います。

全く飽きないんですよね。私の嗜好もあるのでしょうが、シューマンの曲は飽きない。


「私が生涯愛し続けるのはロベルト、ただ一人です」
ロベルト・シューマン死後、クララがブラームスにあてた手紙である。

シューマン死後、ブラームスはクララと一緒に、シューマンの仕事を整理していきます。そして、クララとの手紙のやり取りを続けていくわけです。ブラームスがクララをずっと片思いで思っていたのは確かでしょう。しかし、クララはお姉さんのような態度で接します。そして、クララが亡くなった後、ブラームスも後を追うように死にます。

巨星がここにも堕ちたのです。


伊藤─ 全曲取り組んでいくと、"どの曲"というだけではなくて、シューマンの"音そのもの"がとても大切になりました。どの曲のどの音も、全部シューマンが書いた音だと思うと、もうすべてが私にとっては大切と思えるようになったというか。例えば、最後の方に録音した《フーガ》という曲。彼が尊敬していたバッハのような形式を用いてはいますが、『音』はやっぱりシューマンの音楽なんですね。だから、「最後にとっておいてよかった」と思いました。二十年という長い間かけて取り組んできて、シューマンの音楽の素晴らしさというのが分かってから、この曲を録音できて良かった、と。一枚目に入れた《クライスレリアーナ》という曲も、私がヨーロッパで習ったハンス・ライグラフ先生から初めていただいた曲という意味で、すごい思い入れがあります。

ピアニストとしては、良いことしか思いつかないかな。よく門下の生徒たちには、私は二十四時間ピアノのためだけに生きているのよ、と話すと、生徒たちはすごく驚くんです。でも、おいしいものを食べることも、健康のために家の近くを走ることも、自然の中を散歩することも、すべて音楽につながっているんですね。子供の頃は、努力は嫌いだったんですが、今は一日じゅうピアノ弾いてると、すごく幸せですね。
常に自分の心を磨いて、ピュアな心を目指さないと、良い音楽はできないような気がします。言うのは簡単!だけど自分の心を常にピュアにするというのは、なかなか難しいことですね。お坊さんの修行と一緒かもしれません。あなた方はまだ若いけど、ピアノという形で"修行"しているのね。今、不況で、たくさんのお金や物を失って、というような話が、テレビでもしょっちゅう聞こえてくるけれど、私たちがピアノを練習して、何か新しい曲を弾けるようになったら、それは他の誰にも奪い取れない、絶対に失われない、素敵なことですよね。確かにもうイヤだなと思うこと、もちろん私もあるんですが、例えば何か弾けなかった曲を新しく勉強して、それが弾けるようになった時ってすごく嬉しくないですか?それ以上に嬉しいことって案外見つからないくらい、本当に嬉しい経験ですよね?それが、あなた方の本当に大切な"財産"だと思うんです。私たちの"修行"は、素晴らしいものなのよね。
だから、あなた方の年齢の頃にやれる限りの曲に取り組んで、自分のものにしておくことが大切だと思います。あなた方が今勉強した曲って、一生忘れません。特に二十代までかな。素直に、どんどん挑戦することが、全部自分の血となり、肉となって、人生をすごく豊かにすると思います。ですから、"影"はなし!

聴いてる人が、私が弾いているということを完璧に忘れて、たまたまそこでシューマンを弾いていたら、そこにシューマンがいるみたいな、ブラームスを弾いていたら、そこでブラームス自身が弾いているような、そんなふうになりたいですね。これはもうずっと言い続けて、いつも願い続けていて、いつか叶ったらいいなと思っていることです。
例えば、なぜここにブラームスがフォルテを書いたかということを、私たちは一生懸命考えなくてはいけないと思うんですね。それが『情熱的に』なのか、『広々とした』なのか、『運命に抗うように』なのか、可能性がいくつもあるでしょ?その可能性を、一番作曲家が意図したであろうところとして読み取りたいわけです。けれど、それってやっぱり難しいし、ブラームスには質問できないでしょ?だから、結局は弾いている人の解釈になるとは思います。
私はアルフレッド・ブレンデルがすごく好きなんですが、彼の演奏って、まぎれもなく彼の解釈だと思うんです。だけど、ブレンデルを通して見えてくる偉大なベートーヴェンの心とか、シューベルトのものすごい世界観というのは、やっぱりブレンデルが弾いてるということを忘れて見えてきます。それでいて、私は『ブレンデルという媒体』を通して、それ聴くのが好きなわけですね。だから、もしかすると、『私という媒体を通して、作曲家の音楽が聴こえてくる』というのが、理想なのかなと思います。

シューベルトの《冬の旅》(歌曲集)、聴きました?私の門下の子にも、シューベルトの曲を持ってきたら、《冬の旅》を聴いて~って言います。それで、もうレッスン要らず。そのくらい、歌を聴けばシューベルトの音楽の真髄が分かるんです。
ベートーヴェンも同じ。彼のシンフォニーを聴いたら、ソナタをどのように弾いたらいいか、自然と見えています。なぜかというと、オーケストレーションが思い浮かんでくるから。この部分はオーボエ、フルート、ここは弦...、色々な楽器の音で聴こえてくるはずです。
例えば、今、ある和音に5つの音があるとしたら、それを5人で弾いてると考えて、それぞれの人の横のラインで見ていきます。そうすると、例えばここにミ~ラ~レ~ミ~♪ってメロディを弾いてる人がいて、ド~ド~レ~シ~♪って内声の人たちが弾いてる、という見方で見えてくるわけです。私たちピアノ奏者は一度に同時の音をジャンって出せるので、その見方で見過ぎていますが、指1本1本がオーケストラ1人1人だと思って楽譜を読むと、ちょっと違う音楽、になると思います。 本や映画や絵に触れることもとても大切だけど、やっぱり一番大事なのは『音楽聴いて!』ということ。それも、自分が勉強している曲を聴くのではなくて、別の曲を聴くことが大切。シューベルトのソナタを弾くなら、もちろんそのソナタのCDも聴いた方がいい、けれどそれよりは、別のソナタを聴いてみたり、別のピアノ小品を聴いてみたり、《冬の旅》や《死と乙女》(弦楽四重奏曲)のような他の分野の曲を聴いてみてほしいです。私は、全部そうやって音楽から教わっています。ですから、今とても忙しいけれど、音楽会だけは年間五十回くらいは行ってるかもしれません。音楽祭にも行くし、オペラも観ます。あなた方も学校も部活もレッスンもあって忙しいとは思うけど、是非音楽会に行ってみてください。

今日、私が言いたかったのは『音楽を死ぬほど聴いて!』ということ。何でもいいから手当たり次第、うん、手当たり次第、というのが一番いいかもしれないね。例えば、オーケストラの定期会員になるといいですよ。私もオーケストラの定期会員になってるんですが、『何この曲?』っていう知らない曲の公演のときもありますよ。本当に面白いのかなと思いながら、おそるおそる行くんです。そうしたら素晴らしい曲で!自分が興味がない曲ほど、自分の新しい世界に出会えます。その未知の世界に、大切なことがいっぱい詰まっているんです。自分が今やらなくてはいけないことに目を向けていないといけないけれども、そこで終わらないで、そこにたくさんの枝葉を付けていってほしい。「生」の音楽っていうのは、空気で伝わってきますし、そうやって私たちが聴いて心の中に入った音楽は、他の誰にも取れない、奪えないもの。それってすごく素敵なことだと思います。
それから、音楽の勉強って、すごく時間がかかるんですよね。そのことはみんなに覚えておいてほしい。けれど、時間をかけて理解しないと、作曲した人に失礼だと思う。私たちは、やっぱりそこに時間をかけるべきだし、わからなくて、『なぜ?』って何度でも問いかけることが大切なことなんだと思いますね。じっくり考えて、分からなくて、でも『なぜ?』と問い続けながら音楽のことを考えるのが、今、私には一番楽しくて大切な時間かな。


2015.04.29 Wednesday
伊藤恵
 自分の信じた道をひたすら歩み、でき得る限りの努力をし、夢に向かって邁進すれば、必ずいい結果が得られる。
 今日の伊藤恵のピアノ・リサイタルは、その意味合いを教えてくれた。
 伊藤恵はシューマンのピアノ曲全曲録音で知られるが、いつかシューベルトのピアノ・ソナタも演奏・録音したいと願っていた。
 彼女はドイツ留学時代にブレンデルのシューベルトを聴き、その命を削るような演奏に触れて自分はまだまだだと思い、長年シューベルトは自分のなかで封印してきた。
 ようやくそれを解く時期が訪れ、2008年から8年連続演奏会でシューベルトの作品と対峙することになった。今日はその最終回で、ピアノ・ソナタ第19番、第20番、第21番がプログラムに組まれた。
 彼女は先日のインタビューで、シューベルトのこれら晩年のソナタの難しさをことばを尽くして語っている。
 まず、第19番は、ベートーヴェンを敬愛するシューベルトがその思いを乗り越え、自身の語法と音楽性を確立した作品。
 決然とした出だしから、伊藤恵の今回のリサイタルに対する強い意志を読み取ることができる。全編に美しいカンタービレがちりばめられ、情感豊かで起伏に富んだ曲想が特徴。伊藤恵は、転調の妙を際立たせ、変化に満ちた楽想を鮮やかに描き出していく。
 続く第20番は、古典的な構成とスケールの大きさをもつロマンあふれるソナタ。第1楽章からシューベルトならではのロマンティックな旋律が現れ、第2楽章では孤独感や寂寥感が前面に浮き彫りになり、シューベルトの歌曲「冬の旅」へといざなわれるようだ。
 こうした旋律美と様式感は、伊藤恵の得意とするところ。第3楽章の軽妙洒脱なスケルツォ、第4楽章の歌心あふれるロンドへと進むうちに徐々にシューベルトのリートの世界が濃厚になる。
 前半が終了した時点で、ひとことトークが挟み込まれた。
「ようやく高い頂のふたつを登った感じです。ハンス・ライグラフ先生にはいつも、こんなすばらしい作品を演奏できることは何と幸せなことか、シューベルトに感謝するようにといわれました。あとひとつ登りたいと思います」
 そして後半は、最後のピアノ・ソナタ第21番の登場。この作品こそ、伊藤恵がエベレストのような高い山へと登頂する気分を抱いているのではないだろうか。第1楽章の深遠で大胆な主題が徐々に高揚し、幾重にも様相を変えていく転調による主題がゆったりとしたテンポで奏でられると、私は次第に感極まってきた。
 第2楽章のほの暗く内省的な主題、第3楽章のかろやかな動き、そして第4楽章のすべてが昇華していくようなフィナーレへと突入すると、次第に涙腺がゆるんできたのである。
 マズイなあ、これは、と思ったが、伊藤恵の紡ぎ出す見事なまでに作品と一体化した演奏に、もはや涙が止まらなくなってしまった。
 終演後、楽屋であいさつしたときも、まだ目がウルウル状態。
 すると伊藤恵が「シューベルトの力ですよね。シューベルトがそういう思いにさせてくれるのでしょうね」といって、ちょっぴり涙目に…。
 彼女は、すべての演奏が終わったとき、ステージから聴衆に向かって語りかけた。
「みなさんとともにシューベルトのシリーズを無事に終えることができました。一緒にシューベルトの旅をしていただいて、本当にありがとうございました。今日は、みなさんから力をいただき、弾き終えることができました。これから少しお休みをいただき、また新たな方向を目指して進んでいきたいと思います」
 この謙虚さ、誠実で率直で常にまっすぐ前を向いて作曲家と対峙していく。その演奏は、私に強いエネルギーを与えてくれた。
 なお、5月13日には「シューベルト ピアノ作品集6」の録音もリリースされ、そこにはピアノ・ソナタ第18番と第21番が収録されている(フォンテック)。
 今日の写真は、私が目頭を押えて涙をこらえていたため、彼女もちょっと涙目に。それほどすばらしいシューベルトだった。
 恵さん、ありがとう!!

「まだまだ修業の身。シューベルトのようにさすらいの旅を続けます」。この謙虚さが新たな啓示をもたらすだろう。

 だがシューベルトへの憧れは拭えなかった。「シューマンを弾きながら、シューベルトとはどんな人だったのかと思いを巡らし、憧れの気持ちが募った」と話す。「最後の3つのソナタは全部が『さよなら』と言っているような曲。音楽の中には出会いもあれば失恋もある。女性と結ばれることもなく、独身のまま31歳という短い生涯を閉じた人。かわいそう。母性愛にも似たものを感じてしまうのでしょう」とシューベルト青年への思いを語り始めたら止まらない。

伊藤は大変な読書家で、純文学の愛読書を挙げたら切りがないほどの人だ。堀辰雄や福永武彦ら日本の作家の作品に加えて、ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンなどのドイツ文学も当然話題に挙がる。ドイツ=オーストリア音楽を得意とする正統派ピアニストといわれてきただけに、ドイツ文学からもシューベルトにアプローチしてきたのだろう

シューベルトの音楽について「さすらうことの孤独、さまよってついにここに来たという思いが聞こえてくる」と指摘する。そんな言葉を思い出しながら「第19番」の第4楽章を聴いていると、ヘッセの小説「クヌルプ」が思い浮かんできた。行く先々の小さな町や村の人々に愛されながらも、定住場所を持たないクヌルプ。恋に破れ、天涯孤独で放浪を続け、最期は積雪の中に倒れて神の声を聞く。シューベルトが生きた時代から100年近くたって書かれた小説ながら、シューベルトの孤独の世界になんと近いことか。現代社会から見れば青臭い青春小説にすぎないのかもしれないが、シューベルト作品の演奏にはこの青臭さが実は決定的に重要と思われる。

■珠玉のリサイタル&室内楽 
伊藤 恵 ピアノ・リサイタル
2017年3月24日(金)19:00 ヤマハホール

●出演
伊藤 恵

●曲目:
R.シューマン/幻想小曲集 Op.12   
L.v.ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
F.シューベルト/ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D959

●料金
座席指定5,000円

第32回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門にて日本人として初めて優勝し、サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団との共演でデビュー以来、国内外で活躍を続けるピアニスト、伊藤恵がヤマハホールコンサートシリーズに登場。
 彼女の得意とする、ロマン派を代表する作曲家シューマンの幻想曲集、そして、そのシューマンに多大な影響を与えたシューベルトとベートーヴェンのピアノ・ソナタをお届けする。
 円熟味を増した正統派ピアニストによる、磨きぬかれたドイツロマン派ピアノ。


2017年1月9日(月) 14:00開演
クレメンス・ハーゲン&河村尚子
【横浜市】神奈川県立音楽堂
問合せ先:神奈川県立音楽堂業務課 / TEL.045-263-2567

クレメンス・ハーゲン(チェロ)&河村尚子(ピアノ) デュオ・リサイタル
Clemens Hagen(cello),Hisako Kawamura(piano) Duo Recital
公演日時: 2017年01月09日(月) 14:00開演 (13:30開場)  

チラシデータ 表 ・ 裏

深く心に刻まれる、ふたりの名手によるリサイタル
世界最高峰の弦楽四重奏団のひとつである<ハーゲン・クワルテット>の創設メンバーであり、世界一流のオーケストラと共演を重ねるチェロの名手、クレメンス・ハーゲン。

ドイツを拠点にし情熱あふれる演奏で聴くものを魅了する若手実力派ピアニスト、河村尚子。

両者の内に秘められた深い音楽性から生み出されるラフマニノフのチェロ・ソナタは必聴であり、いちどでも彼らの演奏にふれたものは、その虜となるに違いない。

出演
クレメンス・ハーゲン(チェロ)
河村尚子(ピアノ)
プログラム
シューマン:5つの民族風の小品集 作品102
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番ト短調 作品5-2
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19

曲目・曲順は、やむを得ず変更となる場合があります。あらかじめご了承ください。

R.Schuman:5 Stucke im Volkston op.102
L.v.Beethoven:Sonate for Cello No.2 op.5-2
S.V.Rakhmaninov:Sonate for Cello op.19
プロフィール
クレメンス・ハーゲン(チェロ) Clemens Hagen, Cello
 6歳からチェロを始め、2年後にザルツブルク・モーツァルテウム音楽院においてウィルフリード・タケツィおよびハインリッヒ・シフのもとで研鑚を積み始めた。若い演奏家のためのコンクールで数々の賞を獲得したほか、カール・ベーム賞、ヘンリク・シェリング賞、ウィーン・フィルハーモニー賞という栄えある3つの賞を受賞している。
 ハーゲン・クァルテットの創立メンバー。これまでにアルゲリッチ、クレーメル、ポリーニ、A・シフ、ツィメルマン、内田光子など錚々たる演奏家とも室内楽を共演している。
 オーケストラとの共演も多く、95年夏のザルツブルク音楽祭では、アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団と共にシューマンのチェロ協奏曲を演奏。また、ハーディングやアバドの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と度々共演、さらにクレーメルとともにソリストとしてアーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演、この時のブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲はライヴ録音されている。
09年にはアーノンクール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演。この成功により10年、ウェルザー・メスト指揮ウィーン・フィルと再共演を果たした。
 1989年からはザルツブルク・モーツァルテウム音楽院においてチェロと室内楽を教えている。


河村尚子(ピアノ)
 1986年渡独後、ハノーファー国立音楽芸術大学で学んだ。06年 にはミュンヘン国際コンクール第2位受賞。翌年、多くの名ピアニストを輩出しているクララ・ハスキル国際コンクールにて優勝を飾った。
 ドイツを拠点に、積極的にリサイタルを行う傍ら、ウィーン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、モスクワ・ヴィルトゥオーゾなどのソリストに迎えられている。また、ルール・ピアノ祭(ドイツ)、オーヴェール・シュル・オアー ズ(フランス)、ドシュニキ、日本ではラ・フォル・ジュルネや「東京の春」などの音楽祭に参加。
 日本では、2004年小林研一郎指揮/東京フィルハーモニー定期演奏会で デビュー。以来、準・メルクル指揮NHK交響楽団を含む日本国内の主要オーケストラと相次いで共演を重ねる一方、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響、ルイージ指揮ウィーン響の日本公演のソリストにも選ばれている。最近ではヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団やプレトニョフ指揮ロシアナショナル管弦楽団の 日本ツアーに参加、またNHK交響楽団(ノリントン指揮)やアンサンブル金沢などの定期演奏会へ初登場などが絶賛を博した。2013年はテミルカーノフ/読売日本交響楽団、ラザレフ/日本フィルハーモニー交響楽 団、ビエロフラーヴェク/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ハーゲン・クァルテットの名チェリスト、クレメンス・ハーゲン等と共演し、いずれの公演も大成功であった。
 2009年名門RCA Red Sealレーベルよりメジャー・CDデビュー。最新譜CDは「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、チェロ・ソナタ」
 2009年新日鉄音楽賞、出光音楽賞、日本ショパン協会賞、2010年井植文化賞、2011年度文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞、2013年ホテル・オークラ音楽賞などを受賞。
  これまで、ウラディーミル・クライネフ、澤野京子、マウゴルジャータ・バートル・シュライバーに師11年5月よりドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術 大学にて2011年5月より非常勤講師を、2015年10月より教授を務める。又、東京音楽大学にて2013年4月より特別講師を務める。兵庫県西宮市生まれ。
チケット発売
07月16日 : かながわメンバーズ(KAme)先行発売(インターネットのみ)
かながわメンバーズ(KAme)とは?
07月23日 : 一般発売
料金
全席指定 一般:6,000円 シルバー(65歳以上):5,500円<売切> 学生(24歳以下)3,000円
託児サービス
託児料:お子様1人あたり2,000円
(お問い合わせ/お申し込み)マザーズ 電話0120-788-222(土日祝日をのぞく10時~12時、13時~17時)公演1週間前までに要事前予約。
お問い合わせ
神奈川県立音楽堂業務課  045-263-2567(9:00~17:00 月曜休館)
主催
神奈川県立音楽堂[公益財団法人神奈川芸術文化財団]




すばらしい曲!《フモレスケ》
--- ではそろそろ本題に。個人的な話で恐縮ですが、私はシューマンの良さというものがよくわからないのです。今日は是非「河村尚子が考えるシューマンの魅力」というものを教えていただきたい、と思って参りました。
河村: 実は私もシューマンがすごく苦手だったんですよ! はじめ、私の恩師が勧めてくれたのは、《ウィーンの謝肉祭の道化師》作品26で、それを16歳の時に弾いたんです。でも、何でこんな訳がわからないものを、皆は褒めるんだろう、と思ってました。開眼のきっかけは、23歳頃に弾いた《フモレスケ》。もう酔ってしまうほどにすばらしい曲! 曲の浮き沈みが激しく、彼自身の感性がそのまま曲に現れている、素直な音楽です。情緒的な部分、激しい音楽、対照的なものが交互に現れます。ドイツ人が言う《フモレスケ》という言葉には、「ユーモラス」というのとはちょっと違う、皮肉っぽい感じが込められているように感じます。この時期のシューマンが、クララとの結婚を求めて、お父さんに自分の才能を証明する必要に迫られ、それだけ努力した、ってことのあらわれですよね。給料三ヶ月分以上の「婚約指輪」(笑)。

--- こんな婚約指輪をもらったクララがうらやましいです(笑)。ほぼ同時期に《クライスレリアーナ》も作曲されてます。
河村: シューマンはただの作曲家ではなく、ピアニストであり、指揮者であり、ジャーナリストでもあった。彼には作家の知り合いもたくさんいて、その中にE. T. A. ホフマンもいた。彼の小説《クライスラー》を読んで影響されて、そのクライスラーの世界の妄想を(笑)音で描いたわけです。この作品にはいろいろな登場人物が出てきます。その中でも、シューマンがこの曲の主人公クライスラーにこめたと言われる、フロレスタンの行動性とオイゼビウスの思索性という対比が、とてもよく表現されているのではないでしょうか。

--- ご自分はフロレスタンとオイゼビウス、どちらに近いと思いますか?
河村: 私の中にはどちらの要素もあると思います。妄想ばかりしてぽーっとしていることもあれば(笑)、集中してガーッと活動することもある。弾くときはシューマンの気持ちを後から追体験する、といった感じです。客観的に弾くとどこか「作った」音楽になってしまう。素直に見つめるのが一番、という気がするんです。


「新鮮さ」を大切に
--- シューマンのピアノ曲の難しさというのは、たとえばショパンのそれとは本質的に違うものですか?
河村: シューマン自身が指を痛めてしまったのは、それだけ無茶な弾き方を強いるような曲を書いたからでしょう。弾きにくいところが多く、ショパンやリストの曲みたいに、手にしっくりこないんです。ピアニストとしてこう指を動かしたい、という生理に逆らっているところ、クネクネしたところとか、これは本当に弾けるんだろうか、と(笑)。思いのたけばかりが強くて、弾けるかどうかは二の次、みたいなところがあるのでしょう。指先じゃなくて、頭で考えたことが先走っている。フレーズとパッセージの形を先に作って、それを別の調に移して、という「操作」している感じでしょうか。頭がよすぎて繊細だから、晩年は悲惨な結末を迎えたのかもしれません。

--- 次に弾いてみたいと思われているシューマンの曲は何でしょう?
河村: 《幻想曲》作品17ですね。あと機会があれば、歌曲の伴奏なども是非やってみたい。《詩人の恋》などは、歌とピアノで「会話」しています。詩から生まれた音楽を聴くと、シューマンの感性がよくわかるような気がします。歌曲の場合は詩の助けがありますが、ピアノ曲にはそれがない。そうした物語を感じてもらえるような音楽を・・・

--- 是非感じさせてください(笑)。
河村: 音楽にとって本当に大切なのは新鮮さだと思います。私たち音楽家というのは、毎日練習して、演奏会のために練習して、毎日同じ曲とつきあって、新鮮さがなくなってしまいがちです。それを演奏会の時には、初めて聴くお客様のために、新鮮さを伝えなくてはいけない。この曲がまるで、いま、ここで生まれたかのように演奏したいと思っています。

KAWAMURA Hisako
1986年渡独。ハノーファー国立音楽芸術大学在学中にヴィオッティ、カサグランデ、ゲーザ・アンダなど数々のコンクールで優勝・入賞を重ね、06年難関ミュンヘン国際コンクール第2位受賞。翌年、クララ・ハスキル国際コンクールにて優勝を飾り、世界の注目をあびる。ドイツを拠点に、ヨーロッパ各地で積極的にリサイタル出演、オーケストラとの共演、各国の音楽祭に参加するなど、国際的な活動を広げている。2011年10月には、M.ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団と関西を含む全国ツアーを行う予定。
2009年度新日鉄音楽賞、出光音楽賞、日本ショパン協会賞を受賞。


[雑談]アンスネス、シューベルトについて語る Add Star

アンスネスは文句なく素晴らしいピアニストで、アンスネスのシューベルトはとてもいい演奏なのになぜか心に響かない。

彼独特の清々しい見通しの良い演奏は演奏家として好感が持てても、シューベルトの世界とは違うような気がする。


アンスネスとは違うタイプの音楽家だけど、ブレンデルもそう。上手いしバランスも良い、構成もきちんと考えられている。でもシューベルトの音楽は彼に対する「共感=シンパシー」が絶対だ。シューベルトの音世界は彼に対する共感の深さと大きさがどれだけ有るかにかかっていると思う。


じゃあ、シューベルトへのシンパシーが感じられる演奏家って誰?と言えば、いつも通りの答えだけど、内田光子、コヴァセヴィッチ、シフとかになる。(ペライア、田部京子、ピリスとかのシンパシーのレベルでは心は打たれない。)


で、アンスネスに戻るけど、アンスネスの演奏は技術的にも上手だし見通しが良い。情感もあるし、感性も鋭い。とにかく完成度は高い。

でも、シューベルトを演奏するには、何かが足りないように思う。その「何か」を掴んだら本当に人の心を強く打つような凄い演奏家になるのに、と思わずにはいられない。


で、最近レコ芸に出てたアンスネスのインタビューで、なんとなく理由がわかってきた。彼はインタビューの中で、シューベルトに取り組んで「疲弊した」と語っていて、またシューベルトは「抽象的で難しい」とも表現している。


いや、納得!!

正にこの部分がシューベルトの魂を掴みきれていない理由だと思う。シューベルトは彼自身に共感すれば抽象的とは全く反対の音楽であるし、共感していないから疲弊するのだ。内田光子があるインタビューで、「どんな作曲家に取り組んで集中している時でも、ちょっとシューベルトを弾いてみると止まらなくなるんです。なんて美しいんだろうと、ひたすら耽ってしまうんです。」

内田光子のようにシューベルトの孤独を分かち合い、彼の私小説的な音世界へ逃げ込めるような魂の共有がないと難しい。もしくはシフのシューベルトへの愛情に満ちた視線、コヴァセヴィッチのシューベルトの絶望への共感。共感が無く、彼の世界が理解できないからこそ、「抽象的で難しい」と言ってのけてしまうのだろう。(これにはさすがに自分もビックリしたが...)


インタビューだけで独断するのも良くないのだが、彼のインタビューから若い頃から安定していて満ち足りた人生を送っているのがわかった。多分、ここの辺りが違うのだろう。彼のベートーヴェンも彼がもっと年をとったら感動するような演奏になるのだろうか?シューベルトは年を取ったからといって良くなる事はないので(年を取って人生を振り返るような枯れた要素はシューベルトには皆無だから。)、すでに30を回って「シューベルトが抽象的で難しい」と言ってしまったアンスネスのシューベルト演奏で感動することは多分もう無いだろうな。




シューベルト:歌曲集「冬の旅」 ボストリッジ(T)アンスネス(P)


ボストリッジが瑞々しく「冬の旅」を歌い上げている。つぶやくような声からドラマティックな表現までを駆使して、若者の心の痛みをリアルに伝える。アンスネスのピアノが優しく雄弁に描くシューベルトの世界も聴きものだ。

ドラマを感じさせる迫真の歌唱を聴かせるボストリッジが、鬼気迫る演奏を繰り広げている「冬の旅」。ピアノは、これまでもソナタと組み合わせるユニークなシューベルトで共演してきたアンスネス。


村上春樹のシューベルトのソナタD850
2015年6月3日(水)

思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりにいくつかの名曲を持ち、自分なりに何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。そしてシューベルトのニ長調ソナタは、僕にとってのそのような大事な「個人的引き出し」であり、僕はその音楽を通して、長い歳月のあいだに、ユージン・インストミンやヴァルター・クリーンやクルフォード・カーゾン、そしてアンスネスといったピアニストたちーこう言ってはなんだけど、決して超一流のピアニストというわけではないーがそれぞれに紡ぎだす優れた音楽世界に巡りあってくることができた。当たり前のことだけれど、それはほかの誰の体験でもない。僕の体験なのだ。
そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。

村上春樹によれば、かの吉田秀和をしてもシューベルトのこのソナタを「イ短調ソナタは聴いても、このニ長調は苦手だった。シューベルトの病気の一つといったらいけないかもしれないが、とにかく冗漫にすぎる」と。
またシューベルトのニ長調ソナタD850は、『名曲のたのしみ、吉田秀和』のなかでこのように書いてある。
シューベルトって人はソナタを書いて、ベートーヴェンに張り合うつもりで苦労した。ひじょうに苦心しながら、うまくいってみたり、うまくいかないんで途中でやめちゃったりと、考えたりやったりする。いろんな彼の音楽的思考のあとがみえて、ソナタをきくのがおもしろいんですけどね。しかしこの曲は、やっぱりはじめはベートーヴェンに近いことをやりながら、途中で「これちょっとまずいかなあ」と思いながらも、よく我慢しておしまいまで書いた、っていう感じがありましてね、我慢してるところがやっぱり出来がよくなかったかもしれないんだけど、しかし、それを我慢し通して、吹っ切って、最後の楽章になると、かつて誰も書いたことがないような、天才的なのんきさ、ってのもおかしいけど、まるで鼻歌でもうたっているような調子の主題でもって終楽章を書き出すんですよ。
村上春樹はよほどこの曲を気に入っているらしく、15種類の演奏家のレコードやCDを持っていることを明かす。そしてそれらを録音時期に応じて、初期、中期、現代の3分類に分けて順次説明を加えていく。ここでのそれぞれのピアニストの演奏評が素人の域をはるかに超え、説得力を持ち、なかなか読んでいて面白いのである。
吉田秀和がいう”鼻歌でもうたっているような”部分は、村上春樹は「いかにも、”これがウィーンだ”という空気が流れ込んでくる」といった表現を使いながら、彼が推奨するヴァルター・クリーンの演奏を紹介する。d0170835_1614611.jpg中期(70~90年代の録音)の演奏ではこのクリーンの演奏が際立っていて、地味なピアニストだが大人の風格を持ち合わせ、いつの間にか引き込まれてしまうような演奏をする。方や、同じ中期でも、ブレンデルとアシュケナージは、楽章と楽章のつながりが悪く、総体としての音楽世界がうまく立ち上がっておらず、ただだらだらと退屈な演奏と切り捨てる。
d0170835_1665436.jpg初期(70年以前)の演奏では、クリフォード・カーゾンを称える。「クリスプで正確なタッチ、わざとらしさのない簡潔なユーモア、長く着込んだ上等のツイードの上着のような心地よさ、柔軟な間合いの取り方、とりわけ緩徐楽章におけるいかにもたおやかな、優しい音楽の捉え方、どれをとっても一級品だ」と最上の褒め言葉で持ち上げる。他にケンプは「好感は持てるが、なにか一枚、薄い布にくるまれたような感じ」、ヘブラーは「品がよくて、サロン的で、午後の紅茶の香りがする」と絶好調だ。ただ、旧ソビエトのリヒテルとギレリスに関してはこの曲の演奏については、どちらも「今となっては、歴史の引き出しの中にそっとしまい込んでおくのが賢明なのかもしれない」とまでおっしゃる。
現代(90年以降)ではノルウエイの気鋭ピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスには、「何よりも流れの筋が良い。全体の音楽的スケールは大きいが、門構えはコンパクトに抑えられている、そのへんの設定に、このピアニストの聡明さを感じないわけにはいかない」といった、もう一つ意味不明な表現で褒めあげる。
こうして読み進めていく中で音楽へのこだわりや愛情が充分に感じ取れ、こちらまでが楽しい思いをする。文章そのものがライト感覚で、読んだ尻から空中に舞い上がっていくような、そんな書き方が読者を束縛しないからかもしれない。この人の小説を読みたいとは思わないが、多分、このライト感覚が今の若者たちにフィットしているのではないかと、ふと思ってみたりもするのである。

シューベルトのピアノ曲は最近よく好んで聴くが、「即興曲」や「楽興の時」など小品集が主であって、長大なピアノ・ソナタは敬遠しがちである。今回、この書物で紹介されたD850を何度もいろんな演奏家で聴いてみた。そしていままで冗長にすぎる印象を持っていたこのソナタが聴きこむにつれて魅力を放つ楽曲であることにも気づいた。


シューベルト:
ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 「ガシュタイナー・ソナタ」 Op. 53, D. 850
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2010.12.25(土) 塔ノ岳5本/1日 の記録  

2016-11-19 08:40:32 | 橋本駅コース
大倉バス停→橋本駅北口42回目 10.10/24(日)の記録


大倉バス停7:03:00-堀山ノ家7:48:44-塔ノ岳8:21:47-9:29:06蛭ケ岳9:32:24-11:07:46焼山登山口バス停11:10:18-三ケ木11:45:55-橋本駅北口12:44:13( 5:41:13)


0:00:00-1:18:47-2:26:06-4:04:46-4:42:55-5:41:13

10.11/13(土)


大倉バス停7:06:21-堀山ノ家7:52:31-塔ノ岳8:25:06-9:28:23蛭ケ岳9:33:03-11:03:33焼山登山口バス停11:09:44-三ケ木11:45:16-橋本駅北口12:48:03( 5:41:42)


0:00:00-1:18:45-2:22:02-3:57:12-4:38:55-5:41:42

10.12/23(土)

倉バス停7:03:04-堀山ノ家7:51:46-塔ノ岳8:26:05-9:32:57蛭ケ岳9:42:01-11:32:27焼山登山口バス停11:39:00-12:15:36三ケ木12:16:24-橋本駅北口13:17:16( 6:14:12)


これを経て

12/25

大倉ロッジ峠6:16:04-7:53:25塔ノ岳7:56:01-大倉ロッジ峠9:03:21(2:47:17)


大倉ロッジ峠9:13:21-10:39:10塔ノ岳10:42:31-大倉ロッジ峠11:51:34(2:38:13)


大倉ロッジ峠12:04:17-13:36:23塔ノ岳13:42:37-大倉ロッジ峠14:52:49(2:48:32)


大倉ロッジ峠15:12:49-16:53:39塔ノ岳16:59:54-大倉ロッジ峠18:21:54(3:09:05)


大倉ロッジ峠18:56:04-20:49:59塔ノ岳21:02:54-大倉ロッジ峠22:38:32(3:42:28)


ラスト5本目の頂上はクリスマス寒波で吹雪で氷点下10度でした



登り合計8:22:56  下り合計6:24:13  計14:34:14 休憩計1:48:14


12/30


大倉ロッジ峠6:31:25-8:03:13塔ノ岳8:08:08-大倉ロッジ峠9:11:52(2:40:27)


大倉ロッジ峠9:26:30-10:50:29塔ノ岳10:54:49-大倉ロッジ峠11:51:30(2:25:00)


大倉ロッジ峠12:05:30-13:23:21塔ノ岳13:26:48-大倉ロッジ峠14:18:15(2:12:45)


大倉ロッジ峠14:31:15-16:00:05塔ノ岳16:17:50-大倉ロッジ峠17:27:17(2:56:02)





25も30も別々の格上のトレランさんと一緒の行動でした


11.1/8


大倉ロッジ峠6:16:00-7:43:51塔ノ岳7:47:26-大倉ロッジ峠8:41:53(2:25:53)


大倉ロッジ峠8:54:00-10:10:42塔ノ岳10:13:18-大倉ロッジ峠11:05:04(2:11:04)


大倉ロッジ峠11:14:00-12:30:21塔ノ岳12:33:32-大倉ロッジ峠13:29:27(2:15:27)


大倉ロッジ峠13:41:27-15:09:29塔ノ岳15:15:17-大倉ロッジ峠16:08:32(2:27:05)



今思えば下りが素晴らしかったです


これから7年の時が経ち、下りはボロボロです


車をベースにして塔ノ岳を一日複数回やっていた頃です
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大倉バス停→橋本駅北口 全170回の軌跡 

2016-11-16 20:43:55 | 橋本駅コース
やはり

2006.10.21が記念すべき第一回目は記憶に残ります

だが、いきなりではなく、三ケ木まではその前に少なくとも10回以上はやっていた

余裕があったら橋本まで行ってみようと言うことで

大倉バス停9:05:19-塔ノ岳10:29:45-11:45:24蛭ケ岳11:52:17-12:27:48姫次12:32:18-焼山13:02:56-13:35:17焼山登山口バス停13:43:12-三ケ木14:17:55-橋本駅北口15:24:30( 6:19:11)   


2   10.30   6:29:14

3   11.03   6:30:10

4   11.12   6:31:25

5   11:18   6:25:33

6   11:25   6:19:13

7   12:02   6:14:00

8   12:06   6:08:25   これは、自信になりました

2007年                この年は山中湖コースを10回だったので少ない

9   11.04   6:38:12

10  11:08   6:37:51   10

11  11:11   6:36:08

2008年                故障もあって少ない

12  08.17   6:56:53

13  09:28   6:29:01

14  10:04   6:44:58

15  10:11   6:46:54

16  11:01   6:28:50

17  11:03   6:21:39

18  11:08   6:35:43

2009年

19  01.02   6:01:42

20  01.04   5:56:10   20 

21  03:15   6:09:20

22  03:28   6:15:08

23  04:19   5:45:00  初めてTTを意識させた

24  04:29   6:01:33

25  05:02   5:50:08

26  09.12   6:22:07

27  09.22   6:40:24

28  10:04   6:08:47

29  10:10   6:44:48

30  10:17   6:12:09   30

31  11:23   6:12:53

32  11:28   6:16:44

33  12:29   5:46:56  蛭ケ岳(2:14:13)TTのついでで流した

2010年

34  01.02   6:22:58

35  01.11   6:15:50

36  01.17   6:51:10

37  01.30   6:22:05  「のまさん」と初めて一緒に

38  03.22   6:47:01

39  09.26   6:29:51

40  10.16   6.29:57   40

41  10.24   5:41:13

42  10:31   6:04:03

43  11:03   6:40:08

44  11.06   6:28:28

45  11:13   5:41:42

46  11:20   6:00:03 「甘栗さん」と初めて 姫次→焼山登山口

47  11.23   6:21:26

48  11:27   6:10:01

49  12:04   6:03:40

50  12:23   6:14:12   50

2011年
 
51  01.10   7:22:30

52  01.29   7:12:30

53  04.02   7:40:10

54  04:16   6:33:34

55  04:24   9:43:47  ユーシン→檜洞丸→神ノ川→袖平山→焼山登山口廻り

56  05:04   7:04:42

57  05.08   7:10:33

58  05:21   6:36:43

59  06:04   6:44:34

60  06:18   6:43:45   60

61  06:25   7:04:50

62  07:02   7:09:37

63  08:13   7:06:43

64  08:20   6:12:26

65  08:28   6:44:15

66  09:24   6:49:34

67  10:02   6:59:20

68  10:23   6:14:54

69  11:23   6:07:01

70  12.04   6:18:50   70

71  12:11   6:59:19

72  12:25   6:40:22

73  12:29   7:34:23

74  12.31   7:07:11

2012年

75 01.02   6:53:29

76 01.07   6:53:23

77 01.09   6:08:33  「のまさん」と2回目

78 01.14   6:50:01

79 04.15   6:19:36

80 05.04   6:43:28   80

81 05.05   6:53:55

82 05.20   6:28:57

83 05.26   7:50:14  渋沢駅発

84 06.02   6:41:44

85 06.14   6:28:00

86 06.17   7:08:48

87 06.23   6:56:53

88 06.30   6:51:57

89 07.14   7:31:41

90 07.15   6:39:55   90

91 07.21   7:36:43

92 07:28   6:42:50

93 08.04   6:46:44

94 08.12   6:12:10

95 08.16   7:43:28

96 08.19   6:40:44

97 08.25   6:56:25

98 09.01   6:27:46

99 09.08   6:49:35

100 09.17   6:13:14  100

101 09.22   6:10:41

102 09.26   6:09:29  

103 09.29   6:48:11

104 10.06   6:16:13

105 10.08   5:41:16

106 10:13   5:52:29

107 10.17   5:51:23

108 10.20   5:46:51

109 10.24   6:24:19

110 10.27   5:55:43

111 11:03   5:32:26 ☆

112 11:10   6:01:46  

113 11:17   5:51:54

114 11:24   6:05:11

115 11:27   6:36:11

116 12:01   6:16:41

117  12:08   5:31:51 ☆自己ベスト



118 12:24   6:27:01

119 12.31   7:09:57

2013年               タイムより回数狙いで、蛭ケ岳1000回を意識して
 
120 01.03   7:27:16  

121 01.05   7:14:58

122 01.12   7:29:17

123 01.13   6:55:05

124 01.30   8:29:18

125 02.09   9:09:56  東野経由

126 03.01   7:53:40

127 03.03   7:30:07

128 03.12   7:39:59

129 03.16   7:20:17   

130 03.20   7:24:15

131 04.04   7:10:52

132 04.07   6:51:28

133 04.11   6:36:01

134 04.29   6:08:31

135 05.12   6:43:03

136 06.01   7:22:45

137 06.02   8:09:16 ボッカ駅伝応援経由

138 06.08   6:30:32 「大海さん」「k野さん」と初めて

139 06.15   6:55:05  

140 06.22   6:58:27

141 06:29   6:41:08

142 06:30   7:31:31

143 07.06   8:03:03

144 07.15   7:46:41

145 07.27   7:44:20

146 07.28   7:51:46

147 08.25   7:24:00   
   
148 09.07   6:36:13  「kazeさん」と初めて

149 09.14   7:43:04  

150 09.23   6:22:31

151 09.28   5:58:25  「kazuさん」と初めて

152 09.29   7:17:03

153 10.05   8:10:46

154 10.13   7:07:56

155 10.14   7:30:19

156 10.19   6:12:51

157 10.22   6:49:30

158 10.27   6:02:40

159 11.02   6:15:27  

160 11.04   7:16:40

161 11.09   7:04:55

162 11.16   7:11:05

163 11.23   6:24:47

164 11.24   6:58:02

165 11.30   6:42:28

166 12.01   7:33:03

167 12.07   6:49:56

168 12.14   6:45:42

169 12.22   8:06:11  軟らかい新雪  

170 12.28   9:59:29  東野経由  積雪多し 蛭ケ岳998回目 



(ロード編) 焼山登山口→橋本駅北口 自己ベスト
2013-12-16 06:24:14 | 橋本駅コース
2013.12になってから

山は冬季シーズンとなり、やや悪路かな

全コースを通してのタイム・トライアルはやりにくくなりました


しかし

ロードに限っては

最適ロード・シーズンとなりました

暑くも寒くもなく

途中の給水も一回くらいで


今までの枠から

少し大きな目標を掲げてやっています


ここのところ

単独走ではなく

フル・マラソンの実力者に引っ張ってもらい

無理やり突っ込んでの入りで

やっています


2013.12.14(土)実施


大倉バス停→焼山登山口バス停までは5:10:43で


焼山登山口スタート

0:00  

梶野交差点

9:40

前戸バス停

12:23( 2:43)

橋野沢バス停

14:32( 2:09)

地蔵前バス停

17:29( 2:57)

鮑子取入口バス停

18:21( 0:52) 

衛生センター前バス停

23:29( 5:08) 

青山バス停

24:51( 1:22)

三ケ木新宿バス停

25:59( 1:08)

三ケ木交差点

28:25( 2:26)

大沢交差点

35:39( 7:14)

日赤病院前バス停

42:08( 6:29)

城山高校前バス停

53:20(11:12)

久保沢交差点

1:00:24( 7:04)

原宿交差点

1:04:47( 4:23)

東原宿交差点

1:06:54( 2:07)

二本松交差点

1:09:53( 2:59)

相原台交差点

1:13:50( 3:57)

橋本駅北口

1:20:58( 7:08)


私の記録ですが

ラスト2区間が惜しまれます

2つの交差点での信号待ちと踏み切り待ちでした

これだけがロス・タイムで

二本松交差点までは、ほぼ、自分の中では完璧ペース

東原宿交差点までは

前を走る「K野さん」の後姿もありましたが

信号で引っかかってしまい

その後見失いました

「K野さん」は川尻交差点で引っかかったのみで後はスルー

信号に引っかかるのも実力のうちです


この区間での

ロード最高記録は

「K野さん」の1:18:10となっています
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