丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 

乗りバス(三ケ木⇒橋本)が好きです
大倉尾根in 焼山out
1980年から2024年まで蛭ケ岳通い続けています!!

朝のひとときは   ヴェリタス弦楽四重奏団 エール弦楽四重奏団  いい一日を

2021-12-16 20:17:02 | 音楽

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エール弦楽四重奏団 躍動のアンサンブル

メンバー4人が内外の著名なコンクールで上位入賞歴をもち、それぞれソロ活動も行う。2011年高校生の時に結成された、現在最も期待を集める若手アンサンブルの一つ。 メンバー4人が国内外の著名なコンクールに上位入賞歴をもち、それぞれがソロ活動も行う。2011年高校生の時に結成され、現在最も期待を集める若手アンサンブルの一つ【演奏】山根一仁(バイオリン)毛利文香(バイオリン)田原綾子(ビオラ)上野通明(チェロ)【曲目】弦楽四重奏曲D.810「死と乙女」(シューベルト)、弦楽四重奏曲 作品10から(ドビュッシー)【収録】2021年2月19日 紀尾井ホール(東京)

エール弦楽四重奏団は、高校時代に桐朋学園で出会った4人が2011年に結成。エールはフランス語で「翼」を表し、大きく羽ばたいていけるようにという願いをもとに名付けられた。ふだんは、それぞれがソリストとして海外を拠点に活動している。不定期に集まって演奏している。2021年で結成10周年を迎えた。
バイオリン 山根一仁
バイオリン 毛利文香
ビオラ   田原綾子
チェロ   上野道明

Q4人にとってエール弦楽四重奏団とは
山根一仁:久しぶりに今回このメンバーで弾いてるんですけど、リハーサルのときとかもやっぱり室内楽っていいなと思う瞬間がたくさんあったし、音楽家としても友達としてもすごく尊敬できて、楽しい仲間なので、そういった仲間と室内楽ができる自分、それが幸せでした。
田原綾子:よく話すのは、コノカルテットはエール弦楽四重奏団という名前はついているけれども感覚的にはファミリーみたいだよねとよく言ってます。
毛利文香:カルテットとして、常設のカルテットみたいにすごく頻繁に一緒に弾いているというわけではなくして、やっぱりそれぞれの勉強、ソロだったり別の室内楽やったりとか、そういうのをしながらたまに集まってカルテットを弾く感じなので、ちょうどいい頻度で演奏のために集まれてるのかなと、私自身はそういう感じがしてます。
上野道明:みんなそれぞれ違うところにいて違う場所で違う先生について、違う音楽のしゃべり方などを身につけてるから、久しぶりに集まったときは正直同じ音楽を作るのに楽ではない。みんなけっこう別の感じだから。だけどそんな中でお互いその違いを楽しみながらというか、その違いに影響を受けて刺激し合いながら作れるのがすごいいいと思います。

今回みんながそろったのは3年ぶりで、集まると昨日も会ったみたいなテンションでまた合わせの日々が始まるという感じなそうです。

カルテットって面白くって、例えば、4人いるうちの3人が同じメンバーだったとしても、たった一人が入れ替わっただけで全く別のグループの音になってしまいます。それくらい、カルテットは繊細で面白いもので、奥深い世界だと思います。そこにピアニストが入ると、4人だけで出来上がっている世界を広げてくれる。きっと北村くんなら、さらに広げてくれるような気がするので今から本番がすごく楽しみです。

――今回共演するピアニストの北村朋幹さんとは以前からお知り合いでしたか?

田原:北村君と私は以前、それこそフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》を一緒に弾いたことがあります。さらに、エールQと北村君の組み合わせでは、ブラームスの《ピアノ五重奏曲》を演奏したことがあります。北村君の演奏を聞かせてもらったり、一緒に弾いていると、あんなに命を削って音楽に向き合っている人はいないだろうと思います。すごく自分に厳しい人なので、『(自分の甘さに反省しつつ)ごめんね、いつもありがとう』と思いながらいつも弾くんですけど(笑)。
北村君はとてもリハーサルを大切にしているのですが、私もその考え方には共感しているので、一緒に演奏出来ることがとても嬉しいです。

――一緒に演奏していて、やはり刺激を受けますか?

田原:そうですね。自分一人で演奏していると、自分の中で完結してしまう。例えば、感じ方であったり音楽の捉え方であったり、自身で経験したこと以上のものは広がらないのですが、他の人と一緒に演奏すると「あぁ、こういう考え方もあるのか」と刺激を受けます。
特に私は、エールQを組んだ当初は、ヴィオラも初心者でしたし、何もかもが初めてだったので、刺激を受けてばかりでした。ヴィオラに転向した後は、様々な人と出会い、これま301030mohri012c.jpgでよりも一層色んな刺激を受けています。自分以外の人から新しいことを知ることになるので、視野が広がるような感じです。301030mohri049a.jpg

――演奏する時の「相性」も関係しますか?

 

 

――今回の演奏会に向けての抱負をお聞かせください。

田原:個人的にはエールQ&北村君と一緒にこのホールで演奏させていただける、それだけで何よりも嬉しいというのが正直な気持ちです。大切で特別なメンバーたちと長い時間、この素敵なホールで弾けるというのは本当に幸せなことですし、みんなの背中を追いかけて頑張ってきて本当に良かったなと思いますね。

田原:相性はありますね。不思議なもので、演奏の相性は本当に人間関係と一緒だと思います。
少し喋ると「この人とはちょっと話しにくいな」、「噛み合いにくいな」って思ってしまうことがありますよね。人それぞれタイプや性格が違うから当然のことなのですが、演奏する時にもきっとそれがあると思うんです。
ヴィオラって相手とシンクロさせることが多い楽器なので、一緒に演奏しているとその人の本質を感じやすい気がします。もちろん大変なことはあるのですが、それゆえに室内楽ってすごいなぁ、音楽って素晴らしいなぁと思います。演奏している最中に「楽しいな」と思える出会いがあると幸せですし、本番で良いものが生まれると「音楽をやっていて良かった」と心底思います。

ピアニストの北村君の場合で言うと、彼がメロディーを弾いている上で私が演奏する時、あるいは同じ旋律やハーモニーを彼のピアノに重ねた時に、とっても幸せな気持ちになります。またそういう気持ちを味わうことが出来るんだと思うととても楽しみです。

フォーレに捧ぐ ― 北村朋幹×エール弦楽四重奏団

室内楽の最高峰との呼び名も高い、仏人作曲家フォーレによる2曲のピアノ五重奏曲。濃密なテクスチュアと深い情感に満ちた名曲ですが、その難しさから日本ではなかなか取り上げられません。この難曲に堂々と挑むのは、いま旬の若手ピアニストと国内トップ奏者が集結したカルテット。この秋、注目の室内楽コンサートです。

[ピアノ] 北村 朋幹 

[弦楽四重奏] エール弦楽四重奏団
山根一仁・毛利文香(ヴァイオリン)
田原綾子(ヴィオラ)上野通明(チェロ)

[曲目]
フォーレ:ピアノ五重奏曲第1番 ニ短調 op.89
シェーンベルク(ウェーベルン編):室内交響曲第1番 op.9
フォーレ:ピアノ五重奏曲第2番 ハ短調 op.115

 

桐朋学園のティーンエージャーでつくる俊英、古典の大作にいざ挑戦!

前評判の高い桐朋の高校生のカルテットがシューベルトの「死と乙女」、そしてベートーヴェンの後期の最高峰の一つとされている作品131に取り組むという。考えてみると、私も彼らと同じ高校3年生の時にモーツァルトの後期の6楽章もある弦楽トリオ、ディヴェルティメントK.563に挑戦したし、21歳の時にヴァイオリンからヴィオラに転向した時もバルトークの最後の作品、ヴィオラ協奏曲から入った。今から思えば凄い冒険だったけれども、たとえそのような大曲の真髄を極めることが十分出来なくても、若ければ若いなりにしがみついてでも理解したいという意気が大切だったのだろうと思う。
エール弦楽四重奏団は各人が素晴らしい技量と可能性を持った音楽的パーソナリティーの持ち主で、将来がもっとも期待されているカルテット。何時までもエベレストに登るような血気を持って頑張って欲しい。

 

 

―――北村さん、山根さんこんにちは。今日はお忙しい中、インタビューを受けていただき、ありがとうございます。おふたりは今回11月10日(日)開催の「フォーレに捧ぐ」にご出演されますが、はじめに、京都コンサートホールからフォーレの《ピアノ五重奏曲》全曲演奏のオファーが来た時、どう思われたか教えてくださいますか。

山根一仁さん(以下、敬称略):僕はフォーレのピアノ五重奏曲を全曲演奏することに対して、ピアニストの大変さを知らなかったのですが、僕自身「これはいい機会だな」と思いました。

北村朋幹さん(以下、敬称略):僕はこんな機会は絶対ないから、やりたいと思っていました。ただ、プログラムについてエール弦楽四重奏団のメンバーと話し合った時、僕は「もし、ちゃんとリハーサルが取れないのであったら、フォーレはどちらか一曲だけにして、2曲目はもっと簡単な曲にしよう」と強調して伝えました。
それくらい本気で挑まないといけない作品だからです。

山根:これから先に演奏する機会があるかどうかを考えたときに、このメンバーで今回これらの作品に挑戦することはとても勉強になるだろうなと思いました。
実際に演奏活動をしている中で、いま自分の周りにいる音楽の仲間で一番心から信頼している人はだれかと質問されたとしたら、今回のメンバーは一番に名前が挙がる人たちなのです。
このような機会を与えてくださり、とても感謝しています。

―――私たちも、皆さんに演奏していただくことが叶い、とても嬉しく思います。特に今は全員が海外在住でいらっしゃるので、タイミングよく京都にお越しいただけることになったことは非常に幸運なことです。
ところで、フォーレのピアノ五重奏全曲を演奏することは早々と決まりましたが、もう一曲、どのような作品をプログラミングするかという話になった時、色々な意見が出ましたよね。

北村:そうですね。確かフランクとか・・・・

―――そうでした。でも、最終的にはシェーンベルク(ウェーベルン編曲)の室内交響曲第1番になりました。なぜこの作品にしようと思いましたか?

北村:まず、演奏会をする上で、演奏家は聴き手のことも考えないといけないですよね。本当は、フォーレのピアノ五重奏曲を連続して演奏した方がプログラムとしてはまとまりが良いのかもしれませんが、それだと合計1時間強も連続で音楽を聴くことになります。それはお客様にとってあまりよくないだろうと考えました。

フォーレのピアノ五重奏曲2曲とシェーンベルクのプログラム順についても色々と考えていたのですが、フォーレの《ピアノ五重奏曲第1番》は冒頭の流れるようなアルペジオが美しいということと、個人的にフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》の後には何も弾きたくないということから、必然的に間に何かを入れようという案になりました。
そこで、何がいいかなってずっと考えていたのですが、「ピアノ五重奏」、そして「20世紀」という時代のことを考えたとき、シェーンベルクが挙がったんです。

シェーンベルクという作曲家は12音技法を駆使した人物ですが、彼は新しいことにたくさんチャレンジした、時代の最先端を行く作曲家でした。同時に、「ロマン派時代を崩壊させた作曲家」というイメージをどうしても皆さんお持ちなんですよね。
でも、“時代の最先端にいる”ということは、“前の時代の一番あと”でもあるんです。
だから、僕自身はシェーンベルクのことを究極のロマン派だと思っていて、特にOp.9はロマンティックな作品だと思います。
その直後に書かれたOp.11のピアノ作品で、彼は新たなステップを踏み出したのですが、その前に作曲されたOp.9は、まさに「究極のロマン派」。これ以上は行けないんだろうなって作品が、この室内交響曲なんです。
一方でフォーレという作曲家は、シェーンベルクとは全く違うベクトルの音楽を書いた人でした。二人とも全く違う方法で、「ロマン派」という逃げられない場所から新しいものを生み出していった作曲家だと思っています。
こういったことが、このコンサートのテーマになるんではないかな?と思いました。

―――ロマン派という逃れられない場所から、新しいものを生み出した……。それが二人の共通点なのですね。

北村:多少無理やりですが、そうだと思います。
二人とも新しいものを生み出しつつも、前の時代を捨てることはしなかった。それが僕自身にとって重要なことなんです。もっと後の時代の曲だと、まるで点描画のような作品もありますよね。でも僕はそういう音楽よりも、エモーショナルでメロディックな曲のほうが好きですね。
このシェーンベルクは、聴けばすぐに分かりますが、リヒャルト・シュトラウス (1864-1949) とかワーグナー (1813-1883) 、ブルックナー (1824-1896) の影響がいたる所に感じられて、破裂寸前の風船みたいな印象を受けるのです。
その風船には「ロマン派」がいっぱい詰まっていて、もう「バン!」と爆発しちゃうくらいにエモーショナルな曲です。そして、とてもクレバーに書かれていて、完璧な作品の一つだと僕は思っています。そういった作品を、シェーンベルクの一番の理解者であったウェーベルン (1883-1945) が編曲しています。

フォーレとシェーンベルク、この2人の作曲家はどちらも完璧ですが、2人を比べてみるとその「完璧さ」が違うことに気付かされます。
フォーレは5人が一つの流れで弾いていかなくてはいけませんが、シェーンベルンは全員が全員のパートを理解して、全員が指揮者のようにやっていかなくてはならない。そういった挑戦をこのメンバーと一緒にしてみたかったのです。

―――なるほど。このメンバーだからこそ、演奏したいという気持ちが強くなったのですね。おそらく、なにも知らない方からすると、あのプログラムを見たら、真ん中にシェーンベルクが入っていることにものすごく違和感を感じる人もいるかもしれないと思ったのですが、それは聴いていただくと納得していただけるということでしょうか。

北村:「納得していただける」とは言い切れないかもしれませんが、一つの「20世紀の音楽の在り方」が見えるだろうとは自負しています。

―――山根さんはシェーンベルクの《室内交響曲》をプログラミングしたことに対してはどうお考えですか。

山根:実は僕、シェーンベルクの作品ってコンチェルトとファンタジーくらいしか演奏したことがないのです。だから、リハーサル時間が物を言う作品だろうなぁとは思っています。身を引き締めてと思っております。
フォーレとシェーンベルクということで、どちらも大きな挑戦になるでしょうから、一番の仲間たちとこういった作品にチャレンジ出来ることを今から楽しみにしています。

――北村さんから見て、エール弦楽四重奏団はどのようなカルテットですか?

北村:僕は本当にバランスの取れたカルテットだと思います。
人間的にもそうですが、なによりもまず男性2人がまだ子供でしょう?(笑)
でもそれは重要なことなんです。
僕は客観的にみて、あの4人のなかで音楽を動かしているのは、山根君だと思うんです。違ってたら悪いんだけど、彼は猪突猛進というか、彼の音楽からは「間違っていても自分はこう思うんだから、それを分かってくれ」というメッセージを感じます。
上野通明君(チェロ)はすごくマイペースなんです。人の意見を聞いているのだけど、実際はそれに左右されることなく揺らがない。こういう「石」みたいな人は重要です。
一方、女性2人はとっても大人です。毛利文香さん(ヴァイオリン)はとても客観的に物事を見ている人。冷たいわけではないんだけど、全員の意見を聞いて、必要なことを常に理解している感じ。
僕にとって田原綾子さん(ヴィオラ)は、フレンドリーさや温かさなどを感じる人です。田原さんの力でこの3人がつながっていると思っています。

―――非常に面白い関係性ですね。こういった関係性がきっと音楽にも現れるのでしょう。練習を重ねていく上で、意見の相違などは生じますか。

山根:根本的なことを言うようですが、室内楽だけでなく音楽に対して「理想を追い求め続けていること」と、「理想を叶えるためにあらゆる手を尽くすこと」は非常に大切だと思っています。
それは、自分の理想を突き通すだけでなく、室内楽においては相手の意見を理解しようとする、歩み寄ろうとすることだと思います。意見がぶつかったとしても、それは互いが向かい合っているということですから、非常に良いことだと思いますし、僕はぶつかり合いがないほうが不自然だと思っています。
室内楽をする上でぶつかり合いがないと、気を使われている・妥協していると感じてしまう。それが嫌なのですね。
そういったことが自然にできる相手が北村君だったり、エール弦楽四重奏団のメンバーであったりします。
そう感じられる人は決してたくさんはいないですし、そういう場所があるということはとても幸せなことだと思います。贅沢だなぁと思っています。

北村:室内楽の理想は、誰が何を弾いているのか分からないくらい全部が一体化して、休符を演奏している人も音楽を弾いているようであり、音符を演奏している人も休符であるような演奏をすることです。
僕はピアノという楽器に疑いを持っているんですよね。大好きなんだけど、好きじゃないんです。矛盾しているようですが、ピアノはあまりにデジタルな音がする。そこからまず脱却するということが、室内楽をやる上での僕の一番の理想なのです。
ピアノからピアノじゃない音をするっていうのが、僕にとってとても重要です。

山根:北村君のように「脱却する」という考えに至る人ってなかなかいないんです。例えば、大きな音をだ出す、難しいことを完璧に弾く、そういうことを理想とする人ばかりなので、北村くんは稀有なピアニストです。

北村:僕は例えば、カルテットと演奏する時は、自分もカルテットのような音を出したいと思うし、逆にカルテットに対してピアノみたいな音を出して欲しいと思う時もある。そのように、音を融合させていきたいと思っています。

――お二人のお話をお伺いしていると、5人のハーモニーが今にも聴こえてくるような気がします。本当に楽しみです。それでは最後に、京都公演にお越しくださるお客様に一言ずつメッセージを頂戴できますでしょうか。

山根:この3曲を1つの公演で聴けることは滅多にありません。世界中を探してみてもなかなか見つけることは出来ないでしょう。
僕たちがベストを尽くせば絶対にいいコンサートになると思うので、色々な先入観を取り払っていただいて、ぜひご来場いただきたいです。僕たちにとってもお客様にとっても印象的なコンサートにしたいと思っています。

北村:こんなこと絶対言っちゃいけないでしょうけど、本当は50人くらいの小さなサロンで演奏したいと思うようなプログラムですよね(笑)。
山根君がいったような先入観は本当に必要ではなく、音楽って弾く方も聞く方も「自分はこの曲が好きだ」という個人的な関係だと思うんです。
この「好き」は他の人には伝わらないことが多い。だから、来てくださった結果「これがシェーンベルクの音楽」「これがフォーレの音楽」とは簡単に分からないかもしれませんが、「あぁ、いまの曲すごく好きだったな」となり得る3曲です。
こういったことは人生において尊い体験だと思いませんか。
なのに、作曲家の一つの側面だけを見て「シェーンベルクって難しそうだから聴くのをやめよう」となると、その人は一つ損をしていると言いたくなります。だから、とてもシンプルに楽しんでいただきたいなと思っています。

 

時間をかけて、もう明日からでも、
日々磨いて行かなくては…と
思っています✨

11月21日は宗次ホール。


今回は、
ベートーヴェンの、
明るく春の訪れを感じられる5番の
ソナタで始まり、
没後50年の記念年である
ストラヴィンスキーの
イタリア組曲。

後半は、同じく記念年の没後100年、
サン=サーンスの
序奏とロンドカプリチォーゾ
メインには、
広瀬さんのフランス的な美音に
包まれたくてフォーレの
1番ソナタを選びました。

どの曲も、メロディーが美しい、
希望に湧いてくるような
作品です。

まさに、今この時世、私が
共有したい音楽を並べました。

遂に4楽章で、弾きながらの
感涙…
こんなに沁み入るとは
思わなかった🥲

ブラームスが、
様々な曲をかいてきて
最後に辿り着いた音や気持ち。

そのブラームスの想いが
(特に悲しみ切なさ)
ダイレクトに心に
刺さりました。

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♫ヴェリタス弦楽四重奏団♫ 
岩崎 潤(1stヴァイオリン) 
島田真千子(2ndヴァイオリン) 
小倉幸子(ヴィオラ)
工藤すみれ(チェロ)

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ヴェリタス弦楽四重奏団は、2015年夏、サイトウ・キネン・オーケストラに集った、岩崎潤、島田真千子、小倉幸子、工藤すみれと、日本が誇る新世代の名手たちによって結成された。同年12月に沖縄でデビューコンサートを行う。

小澤征爾氏が結んだ俊英たちによる至高のカルテット

 第1ヴァイオリンの岩崎はナッシュヴィル交響楽団のコンサートマスター、第2ヴァイオリンの島田はセントラル愛知交響楽団のソロ・コンサートマスター及び水戸室内管弦楽団のメンバー、ヴィオラの小倉は、シカゴ交響楽団のメンバーを経て、フィルハーモニア管弦楽団の首席奏者、チェロの工藤はニューヨーク・フィルのメンバーをそれぞれ務めている。

弦楽器による四重奏を奏でるのは、フィルハーモニア管弦楽団のヴィオラ副主席奏者の小倉幸子、セントラル愛知交響楽団のソロコンサートマスターであるヴァイオリン奏者の島田真千子。

そして、ニューヨークフィルハーモニックのチェロ奏者である工藤すみれ、ナッシュビル交響楽団のコンサートマスターであるヴァイオリン奏者の岩崎潤のヴェリタス弦楽四重奏曲団。

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ラヴェル作曲 弦楽四重奏曲

今回は7/31日、NHKBS3で見た、ヴェリタス弦楽四重奏団によるラヴェル作曲の弦楽四重奏曲について記します。この番組は早朝5時からの放送でヴィデオ録画しておいたものを見るのですが、最近は弦楽四重奏団の演奏をちょくちょく放送してくれるのでありがたいと思っています。このヴェリタスカルテットという楽団を今まで知らなかったのですが、とても上手でレヴェルの高い楽団だと思います。団員は皆、海外のオーケストラに在籍しているせいか、何か違うものを感じました。

特にラヴェル作曲の弦楽四重奏曲になると明らかに他の楽団とは違う、柔らかさと息の合ったところを感じさせてくれました。私はこの曲が好きで、随分聴いた記憶があります。28歳でこの曲を作曲したことや、フランクやドビュッシー作曲の弦楽四重奏曲に比べても決して遜色ない作品として認められています。そして、この作品は彼の師であるフォーレに捧げられているということも私の好むところです。好むと言えばこの曲の特徴の一つとして、スペイン風のテーマが活躍し、技巧的に最高度のものを要求しながら決してそれが無理な物になっていない点などが思い起こされます。

この名曲をやすやすとひいてしまい、聴衆に曲の素晴らしさを味わわせてくれた、ヴェリタス弦楽四重奏団感服し彼らに拍手を送りたいと思います。

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シューマンのフモレスケを河村尚子のピアノで聞く

2016-12-01 21:25:53 | 音楽
ショパン:ソナタ第3番&シューマン:フモレスケ
河村尚子


上品で趣味がよく「美しい」抒情をたたえた知的で洗練されたピアニズム。それがこのCDを聞いた感想です。

輝きに溢れた『夜想(ノットゥルノ)~ショパンの世界』から2年半、ついに河村尚子のRCA Red Sealからのセカンド・アルバムが登場します。ファースト・アルバムで河村が類稀な親和性を感じさせたショパンは、「ピアノ・ソナタの王様」ともいうべき大作『ピアノ・ソナタ第3番』を、河村が愛してやまないシューマンの作品からは、心情の移り変わりの細かな襞を描いた秘曲『フモレスケ』を収録。シューマン=リストの『献呈』が最後を飾ります。対象的な作風を持つ大曲2曲をメインに据えて、河村尚子のスケールの大きなピアニズムとイマジネーションが大きく飛翔します。今年後半で最も期待されるピアノ・ソロ・アルバムといえるでしょう。
1枚目同様、カラヤン/ベルリン・フィルの録音で知られ、世界的にも音響効果の優れたベルリン・イエス・キリスト教会でのレコーディング、SACDハイブリッドでの発売です。(ソニーミュージック)

【収録情報】
・ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
・シューマン:フモレスケ 変ロ長調 作品20
・シューマン=リスト:献呈
 河村尚子(ピアノ)
 録音時期:2011年5月23日~25日
 録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
 録音方式:デジタル


上品で趣味がよく「美しい」抒情をたたえた知的で洗練されたピアニズム。それがこのCDを聞いた感想です。できる限り演奏に寄り添うような気持で2回ほど聞いたのですが、冒頭の感想以上のものは感じられませんでした。私には高評価をしている諸子のような感受性と耳がないのかもしれませんね。FMで聞いたベートーヴェン・ピアノ協奏曲のライブがすばらしく、「世界トップレベルのピアニスト」という感想を抱いていただけに、このCDから心を動かす...

とてつもなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、正に満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」がおさめられている

河村が類稀な親和性を感じさせているショパンの作品からは、「ピアノ・ソナタの王様」にもなぞらえられるべき大作『ピアノ・ソナタ第3番』を、河村が愛してやまないシューマンの作品からは、心情の移り変わりの細かな襞を描いた秘曲『フモレスケ』を収録。堂々たる急-急-緩-急の4楽章構成のソナタであるショパンのソナタ第3番、起伏に富んだ楽想が切れ目なく続くシューマンの『フモレスケ』という、いわば対照的な作風を持つ大曲2曲。河村は深くロマン派音楽の神髄へと分け入り、スケールの大きなピアニズムで作曲者の魂を描き出していきます。あらゆる音やフレーズが全く新しく吟味されたかのごとく新鮮な輝きを放ち、作品全体が生き生きとした躍動感を帯びていくさまを体験することは、まさに河村尚子の演奏を聴く上での醍醐味といえるでしょう。
アルバムの最後を飾るのは、シューマン=リスト編曲の『献呈』。ショパンの『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』と同様、河村尚子のアンコールの定番であるこの名曲。録音直前に急逝した師ウラディーミル・クライネフへの河村の深い祈りが込められた「献呈」でもあります。


河村尚子さんの演奏は、以前にもショパンか何かを聞いた記憶があるのだけれど、その時は素晴らしいセンスだと思ったけれど、あまり気に入らず、そのままになっていた。
新しいシューマンの評判が良いので、取り寄せて聞いてみたのだけれど、これはとても良いと思った。
ラドゥ・ルプーの美しい録音がデッカにある(DECCA/440 496-2)が、他にもホロヴィッツの1979年のライブ録音があった。古いイヴ・ナットの録音も良かった。他にもいくつか聞いているが、私の気に入ったものは…。人それぞれ好みがあるので、あれがないとかはご容赦。

いくつかの部分に分かれるものの、続けて演奏されるこの作品は、シューマンのこの時期を代表する傑作中の傑作。だから録音も多いかというと、そう多くはないのは不思議だ。
それでも上にあげた名演があるので、私はとりあえず不自由はしていない。が、この河村尚子さんの演奏を聞くと、また他にも聞いてみたくなった。ひょっとして聞き逃した名演があるのかもと思ってしまったのである。
それほどこの演奏は目覚ましいものがある。

深いブレスで、ゆったりと演奏される冒頭。実際はそれほど遅くもないのだが、一杯いろんなものが詰まっていて、それらがスローモーションのように饒舌に語るからそんな感想を持つのである。決して単調なのではない。
ピアニスティックな意味で見事なのは、やはりホロヴィッツの録音であるが、この河村さんの演奏は全く異なる表現方法でありながら、実にピアニスティックで美しい。華麗さや豪華さといった言葉はホロヴィッツに献上するとして、対極にある「思索的」な演奏なのだ。ホロヴィッツがただの練習曲のように弾いている等と言っているのではないので、誤解無きよう。
それにしても、この演奏のカンタービレ、歌い廻しのさりげなさと、気をつけて聞けば充分に考え、感じ、表現されている「歌」の美しさはたとえようもないほど。
シューマン好きの方には、ぜひお薦めしたい。ショパンも良い演奏だということだが、まだシューマンだけを2度ほど聞いて、今3回目に入っているところ。何とも良い演奏で、盛り上がるところでも、充分な力感がある。













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気になるピアニスト  すばらしい世界、クラシック音楽をたくさん聴いてください。

2016-11-30 04:49:19 | 音楽
「あなたにとって音楽とは?」アーティストからのメッセージをお届けします。というコーナーで、先週8日の放映ではピアニスト イリーナ・メジューエワ が次のようなメッセージを贈っている。
「音楽は、作品を通して死んだ人と対話でき、新しい発見がいつでも出てきます。
奥行きの深い世界、豊かな世界、終わりのない世界、すばらしい世界、クラシック音楽をたくさん聴いてください。
そして、自分の心、自分の世界を豊かにしてください。」


吉田秀和は、バッハは邪魔しない音楽と言ったが、バックハウスのベートーヴェンも、聴く者を安らぎの世界に誘ってくれる。
ヴィルヘルム・バックハウス
(Wilhelm Backhaus, 1884~1969)はドイツ・ライプツィヒ出身のピアニスト。、ピアノの流派をたどると、バックハウス→ダルベール→リスト→ツェルニー→ベートーヴェンというところからベートーヴェンの直系の弟子とされる。
同時代のギーゼキングが当代屈指のモーツァルト弾きなら、バックハウスは、不世出のベートーヴェン弾き出あった。


レイフ・オヴェ・アンスネスについては・・・
アンスネスはレパートリーにも慎重な姿勢で、じっくりと取り組みをみせてきた。同時代の作品への目配りもあれば、ハイドンの清新な録音もあるように、絞り込んだなりに多彩な作品を手がけている。それでも、彼は自分が弾く必要を感じるときまで、機が熟すのを待つように作品を待たせておく。<略>
音楽はどこからやってくるのか。そして、聴き手をどこへ連れて行くのか。
たとえば、彼の弾くラフマニノフには、澄んだ音の向こうに壮大な自然が広がる。2011年9月にはヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でNHK交響楽団と協奏曲第3番を演奏した。「ラフマニノフは、風と波、鐘の音がする」と語る彼の言葉は、響きの想像力と確実に繋がっていた。構築的な演奏を見通しよく展開し、第二楽章での深々とした歌いかけを経て、堂々としたフィナーレまで、端正なピアノがラフマニノフの大きな世界を呼び覚ましていった。
アンスネスの評価は好意的に書かれており、見た通りの誠実な人でありそうだ。今年2月のサロネンとフィルハーモニア管弦楽団との共演でのベートーヴェンの第4番、終演後のサイン会での彼の表情を思い出す。



イギリスのピアニスト、ポール・ルイス(1972~)のピアノは、完璧度の頂点を極めるテクニシャンのそのものだ。  


イギリスのリヴァプール生まれ。アルフレッド・ブレンデルに師事し、1994年のロンドン国際ピアノコンクールで2位受賞。2010年夏のBBCプロムスで異なる指揮者とオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏、一人の演奏家がプロムスのワン・シーズンでベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏するのはプロムス史上初めてのことであった。イルジー・ビエロフラーヴェク指揮BBC響と第1番&第4番、アンドリス・ネルソン指揮バーミンガム市響と第2番、ステファン・ドヌーヴ指揮ロイヤル・スコティッシュ響と第5番、そしてサー・マーク・エルダー指揮ハレ響と第3番を共演した。
   
またニューヨーク・タイムズ紙のアンソニー・トマシーニは語る。「もしベートーヴェン・ソナタ全集の録音を推薦するとしたら、私ならばポール・ルイスの録音を選ぶだろう」


エリソ・ヴィルサラーゼ(1942~ )
グルジアの女性ピアニストで、演奏家としてのみならず、教育者としても名高い。祖母よりピアノの指導を受けた後、トビリシ音楽院、モスクワ音楽院で学んだ。1962年にチャイコフスキー国際コンクールで3位に入賞、1966年にはロベルト・シューマン・コンクールで優勝した。スヴャトスラフ・リヒテルと親交を結び、深く影響を受けた。
ルドルフ・バルシャイ、キリル・コンドラシン、リッカルド・ムーティ、クルト・ザンデルリング、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、エフゲニー・スヴェトラーノフ、ユーリ・テミルカーノフ、などの著名な指揮者、世界の主要なオーケストラと共演している。ヨーロッパの作曲家の作品や、チャイコフスキーをはじめとするロシア音楽を主要なレパートリーとするが、特にシューマン作品の解釈には定評があり、リヒテルはヴィルサラーゼを「世界一のシューマン奏者」と称えた。

経済雑誌「エコノミスト」アートのコーナーで昨年のジュネーブ国際コンクールピアノ部門で1位になった萩原麻未のことが載っていた。

「とりわけピアニッシモが驚くほど美しい。最弱音にもかかわらず、風にゆれてきらめく光のように、輝かしく豊かに響く。フォルティッシモが必要なところでも決してピアノの鍵盤を叩くことはなく、やわらかな響きのまま大きく跳ねる。まるで会場の紀尾井ホールが光に満たされてくるようだった。
このような、やわらかな美しさに輝くピアニッシモはこれまでに聴いたことがない」と、ここまで書いている。

丁寧な若いピアニスト?
ジャンルカ・カシオーリ(1979~ )
イタリア出身のピアニスト兼指揮者、兼作曲家。

ベートーヴェンの「Dolce」に惹かれて

 2007年、シューマン・ピアノ曲全曲録音を果たした伊藤さんは、日本を代表する“シューマン弾き”としても知られている。
「有賀先生の前でも、ライグラフ先生の前でも、初めて弾いたのはシューマンでした。留学中にはライグラフ先生が次々シューマンの曲を課題にくださって。気づいたら、約20年間、シューマンと向き合っていました」
 その後、伊藤さんは、シューベルトの作品に力を入れてきた。CDとしてはすでに、「シューベルトピアノ作品集」の1~5が発表され、この5月には最新作6が発売になる。また、8年連続で開催してきたシューベルト中心のシリーズ「新・春をはこぶコンサート」が、4月29日、最終回を迎えようとしている。
 大きな区切りを迎えるいま、伊藤さんは、今度の展開をどう考えているのだろうか。
「次に私が向き合っていくのは、おそらくベートーヴェンだと思っています。もちろん、シューマンとシューベルトは“私の宝もの”なのでこれからも大切にしていきます。ときどきはブラームスに浮気しながら(笑)」
 シューマンはシューベルトを尊敬していたし、シューベルトが尊敬していたのは、ベートーヴェン。伊藤さんは、30年以上の歳月をかけて、その流れをたどっていくことになる。
今後、私たちにどんなベートーヴェンを聞かせてくれるのだろうか。
「ベートーヴェンといえば、過酷な運命と向き合う“闘う男”という印象が強いでしょう。でも、中には、彼の別の一面を見せてくれるものがあります。たとえば、ピアノソナタ第28番や30番など……そうした作品を中心に、挑戦していきたいです。私が惹かれるのは、ベートーヴェンの楽譜にたびたび現れる「Dolce」の部分です。彼のドルチェほど優しいドルチェを私は知りません。おそらく彼は、本当は誰よりも優しい人だったのではないでしょうか。そんなベートーヴェンの一面に、スポットを当てたいと思っているのです」



ピアニスト▽
ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連⇒アイスランド→スイス)
エマニュエル・アックス(ウクライナ⇒米国)
ジュリアス・カッチェン(米国)
ウィリアム・カペル(米国)
エミール・ギレリス(ソ連)
リリー・クラウス(ハンガリー⇒イギリス)
エレーヌ・グリモー(フランス)
アルトゥル・シュナーベル(オーストリア→米国)
ルドルフ・ゼルキン(チェコ)
シューラ・チェルカスキー(ウクライナ)
イェフィム・ブロンフマン(ロシア)
マイラ・ヘス(イギリス)
バイロン・ジャニス(米国)
マレイ・ペライア(米国)
ウラディミール・ホロヴィッツ
(ウクライナ⇒米国)
ベンノ・モイセイヴィチ(ロシア)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ポーランド)
アレクシス・ワイセンベルク(ブルガリア)
ピアニストにしたって凄いメンバーが揃っている。ホロヴィッツ、ルービンシュタインの両雄を中心に、ギレリス、ゼルキン、女流のクラウスやグリモーまで出てきて、どうなっているの、といった世界。


今若手ピアニストで将来を期待され最も人気があるのは男性ではロシアの25歳ダニール・トリフォノフ、女性では中国人ピアニストの王羽佳(ユジャ・ワン1987~)だろう。とくに彼女はこれから音楽の道を歩もうとする多くの学生たちに絶大な人気があるらしい。それは自由奔放な彼女の生き方に共感を覚えるからだろう。
11月に来日するマイケル・ティルソン・トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団の大阪公演を今から首を長くして待ち望んでいるが、トーマスの指揮もさることながら、実はピアノ協奏曲第2番で共演するユジャ・ワンのピアノも大きな楽しみの一つなのである。
40年前の小澤征爾と武満徹の対談でも語っていたが、近い将来中国人演奏家たちが世界のクラシック界を席捲する予想は見事に当たったようだ。それはとくにピアニストに顕著で、中国人ピアニストとして先に李雲迪(ユンディ・リ1982~)が世に出たし、同い年の郎朗(ラン・ラン1982~)の活躍は今やもっとも目覚ましいものがある。他にも中国系のアメリカ人ピアニストで、まだ20歳を越えたばかりの昨年のチャイコフスキー国際コンクールで2位に入賞したジョージ・リー(1995~)など、新星の出現を挙げると枚挙にいとまがない。

シューマンのピアノ曲。コーデリア・ウィリアムズという女流ピアニストが弾いている。
Cordelia Williams has been acclaimed as a pianist of great power and delicate sensitivity, drawing in audiences with her rich sound, natural eloquence and “spell-binding simplicity”. She has performed all over the world, including concertos with the English Chamber Orchestra, in Mexico City, and City of Birmingham Symphony Orchestra, and recitals at Wigmore Hall, Royal Festival Hall and Beijing Concert Hall. In December 2014 she made her debut with the Royal Philharmonic Orchestra, playing Beethoven’s Emperor Concerto at Barbican Hall, London and Symphony Hall, Birmingham.

At the core of Cordelia’s musicality is a fascination with the human soul and the artistic expression of struggles and beliefs; alongside her performing career she gained a First in Theology from Clare College, Cambridge. She is recognised for the poetry, conviction and inner strength of her playing and the depth and maturity of her interpretations. Cordelia is drawn especially to the music of the late Classical and early Romantic periods: her debut CD, featuring Schubert’s complete Impromptus for SOMM Recordings, was released to critical acclaim in July 2013 and she recently recorded music by Schumann for release in July 2015.

Her curiosity towards religions and faith has led to her current project, Between Heaven and the Clouds: Messiaen 2015. In collaboration with award-winning poet Michael Symmons Roberts, Lord Rowan Williams and artist Sophie Hacker, this year-long series of events and performances explores the music, context and theology of Messiaen’s Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus.

Cordelia has a great enthusiasm for presenting and introducing music; her Cafe Muse evenings bring classical music out of the concert hall and into the relaxed setting of bars and brasseries. She is also a passionate chamber musician, having appeared with the Endellion, Fitzwilliam and Maggini quartets among others. Since becoming Piano Winner of BBC Young Musician 2006, she has performed with orchestras including London Mozart Players and Royal Northern Sinfonia, and given recitals at the Barbican Hall and Purcell Room, as well as in France, Italy, Norway, Switzerland, Austria, Thailand, China, America, Mexico, Kenya and the Gulf States. This season includes appearances at the Cheltenham Festival, Cadogan Hall and Kings Place.

Hearing her mother teach piano, Cordelia wanted to learn to play too, and began lessons at home as soon as she could climb onto the piano stool. She gave her first public piano recital to celebrate her eighth birthday. She spent seven years at Chethams School of Music in Manchester, studying with Bernard Roberts and Murray McLachlan. She went on to work with Hamish Milne in London, Joan Havill and Richard Goode, and is grateful to have received support from the Martin Musical Scholarship Fund, the Musicians Benevolent Fund, the Stanley Picker Trust, the City of London Corporation, the Arts and Humanities Research Council and the City Music Foundation.

View Cordelia’s past concerts.


シューマン:
ダヴィッド同盟舞曲集/幻想曲/創作主題による変奏曲
コーデリア・ウィリアムズ - Cordelia Williams (ピアノ)
録音: 10-11 January 2015, Turner Sims Concert Hall, University of Southampton, United Kingdom

朝もやの向うに見える山景色のように、光と影が交差するような、そして時折葉陰から眩い朝日がさすような、そんな音楽であります。


バッハの曲を聴いていていつも思い出すのは吉田秀和氏の語ったことだ。長年連れ添ったドイツ人の奥さんを亡くした時、悲しみに明け暮れし、何もする気がおきず、仕事も投げ出した。その時はさすがに音楽すらも受け入れられなかった。そして徐々に音楽を聴きだすようになっていったが、しかしどれも強く訴えすぎて気持ちが受け容れられなかった。「でも、バッハだけは何も邪魔しなかったな・・・」と呟いた。

フレデリック・ショパンの舟歌嬰ヘ長調作品60は、1846年に作曲・出版された。三部形式で書かれ、シュトックハウゼン男爵夫人に献呈された。この作品の叙情性は「ノクターン」に通ずるが、イタリア的な明るさが垣間見え、ヴェニスのゴンドラの揺れを表わす左手の伴奏形が提示された後、優美な右手の旋律が現われる。一度聴けばいつまでも記憶に残る素敵なメロディーをもつピアノ曲である。


心を癒してくれるシューマンの嬰ヘ長調
2015年11月19日(木)

いい曲、なんの曲。
シューマンに「3つのロマンス」 Op. 28というピアノ・ソナタがある。
1839年、29歳のシューマンがウィーンに滞在していた頃の作品で、シューマンとクララとの結婚の仲介役となったロイス=ケストリッツ伯に献呈された。3曲はそれぞれ異なる傾向をもっているが、ここで採りあげる第2番 嬰ヘ長調が断然好い。気分を和らげ心を癒す、そんな素敵なソナタだ。昨夜聴いたアリス=紗良・オットはDGのアーティストなので、残念ながらNMLでは聴けないが、アリスの若い時の演奏でCAvi-music盤が一枚だけあるが、そのなかにこの嬰ヘ長調が収められている。

シューマンは晩年精神を病み、最終的に精神病院で亡くなりました。そのような境遇がシューマンの人生のすべてだったと誤解させているのかもしれませんね。

それで、みんながシューマンはその人生のほとんどの時間正常であったことを忘れ、彼の作品を狂ったように誇張して演奏し、彼が一生涯精神を病んでいたように思わせるのです。実は、シューマンが精神病院に入ってから創作した作品ですら、世の中の人々が思っているほど狂ってはいません。みんな大げさに考え過ぎています。シューマンの作品の豊かな感情表現や情景描写は、一概に語ることはできません。演奏者は音楽の情感、音符に込められた意味を真摯に理解すべきです。たとえば、多くの演奏者はシューマンが楽譜に書いた「アッチェルランド」を見ると、まるで突進するように弾いて音楽全体のバランスを崩し、前後の段階に何が書いてあるのかを考えようとしません。
私はシューマンに向き合うもっともよい方法は、やはり楽譜に戻ることだと思います。楽譜から彼の本心を探り出すのです。シューマンの作品には深い情感が流れています。それらの情感を汲み取ることは容易ではありませんが、真剣に楽譜を読み、注意深く考えながら弾いているうちにそれらを感じ、正しい解釈ができるようになるでしょう。

ヴィルサラーゼがシューマンの音楽について雑誌の取材で以前語っていたことがある。

シューマンの作品は深遠でとても複雑です。シューマンを演奏するには、作品を深く理解するだけでなく、作品以外の多くのことも理解しなければなりませんが、もっとも重要なことはシューマンに対する感覚です。シューマンに共感する何かがなければ、彼の世界に入って行くことはできません。~
シューマンを演奏するときに一番危険なことは、それぞれの作品を同じようにとらえることです。シューマンの作品は複雑で、ひとつひとつの小節が変化します。それをうまく処理しないと、すべてが同じような紋切り型の表現になってしまいますが、やり過ぎて一小節ごとに変化させると、これもまたすべて同じ、千篇一律になってしまいます。

それでは、どのように弾けばよいのですか?

とても簡単で、でも実際にやるのはとても難しい秘訣がひとつあります。それは、ルバートです。シューマンは言うまでもなくショパンでも、演奏者はできる限りルバートを使わなければなりません。しかもルバートしているということを、聴衆に絶対に気づかれてはいけません。もし聴衆が気づいたのなら、それはルバートではなく、アッチェルランドかリタルダンドです。テンポが変わったと気づかせずに、自在にテンポを操るのがルバートなのです。
ある人がランドフスカに、「ルバートをどのように弾いたらいいでしょうか」と尋ねたとき、彼女はこう答えました。「私がどこでルバートしていたか、例を挙げて言っていただけますか?」。ルバートとは、まさにそういうことなのです。ここでルバートしていると指摘できたら、それはすでにルバートではないのです。

マレイ・ペライア(Murray Perahia, 1947~)はアメリカ生まれのユダヤ人ピアニストで指揮者。老けた感じでもっと高齢かと思っていたらまだ60歳代だった。
今日、ロンドン響の演奏会に出かけるがベルナルト・ハイティンクのブルックナー第7番の方ばかりに注目しがちだが、実は前半のプログラムはペライアのモーツァルト第24番のコンチェルトが用意されている。
彼のレパートリーは多様で、なかでもウィーン古典派やドイツ・ロマン派音楽を得意としている。ピアニストとしてこれから円熟期を迎えようとする43歳の時に不幸にも右手の負傷というアクシデントに見舞われる。ピアノが弾けない間、バッハ音楽の研究に没頭したという。音楽家が不幸に落ち込んだ時、いつも愛の手を差し伸べてくれるのはバッハ一人しかいないようだ。ベートーヴェンではより深刻に落ち込んでしまうだろうし、モーツァルトでは心情を逆なですることだろう。音楽家評論家の吉田秀和が高齢になって愛妻を先に亡くした時、何をするにも手が付けられず、困っていたがあれだけのモーツァルト信奉者が「唯一救われたのはバッハだった」と供述している。そして同じくペライアもこう言う。「以前にもまして演奏が楽しくなった」
傷が癒えたあと、ゴールドベルク変奏曲、イギリス組曲、などのバッハの鍵盤音楽を多く録音した。これらは一度聴いてみたいものである。しかし、その後も傷の状態は完全ではなかったようだが、60歳代に入りようやく指の調子も戻り演奏活動を再開している。
よく言われることだが彼のピアノは指をケガした前と後では少し変わったと。以前は明るい打音と冴えわたるリズム感が持ち味であったが、その後、構成力がさらに高まり、音の陰影が深まり、逞しさが増した。彼は指揮者でもあって自ら弾き語り指揮をすることも多い。ケガの前の70年代から80年代にかけて収録したイギリス室内管弦楽団とのモーツァルトピアノ協奏曲全集は評価が高い。でもこうしてみると彼の演奏はほとんど知らないことに気づく。(京都コンサートホールのロビーで何か衝動買いしそうだ)
若き10代の頃にマールボロ音楽祭に参加して、カザルスやゼルキンなどの大巨匠とも出会い、多くの影響を受けた。そして30歳半ばになって今度はホロヴィッツとも一緒に仕事をする機会を得て、ここでも多大な影響を受ける事になる。
今日、共演するハイティンクとは相性が良く、ロイヤル・コンセルトヘボウ管と一緒にアジアツアーなども行った間柄である。そんなこともあって今日のモーツァルトのコンチェルト、息の合ったところをじっくりと愉しみたい。


2015年 07月 10日
小山実稚恵ピアノ・リサイタル
2015年7月10日(金)

d0170835_18541522.jpg明日、びわ湖ホールの大ホールでピアノ・リサイタルがある。今年でデビュー30周年を迎える小山実稚恵のピアノ演奏会だ。彼女のピアノは4月にフェスティバルホールで、大野和士指揮東京都交響楽団との共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いたのが初めてであるが、その時の印象は力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。今回は協奏曲ではなく、シューベルト、ショパン、そしてリストとそれぞれのピアノ曲をじっくりと聴けるということで期待している。 曲目もどれも親しみやすいものばかりで彼女の人柄に直に接することができることだろう。

<演目>
シューベルト:
即興曲 変イ長調 作品142-2
即興曲 変ホ長調 作品90-2
シューマン:
フモレスケ 変ロ長調 作品20
バッハ/ブゾーニ:
シャコンヌ
リスト:
愛の夢 第3番 変イ長調
巡礼の年 第3年より 第4曲「エステ荘の噴水」
ショパン:
ピアノ協奏 第2番より 第2楽章 「ラルゲット」(ピアノ・ソロ版)
ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 「英雄」



追記:
2015年7月11日(土)
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d0170835_18121086.jpgこの人のピアノは最初少し大味に感じないこともないが、曲が進につれて興に乗ってくるタイプ。今日の演奏でも最初のシューベルトは物足りなかったが、シューマン、そして後半プロ最初の「シャコンヌ」は圧巻であった。まるでオルガンの音色を彷彿させるようなスケールの大きい、神々しさに満ちた演奏を聴かせた。このあたりから調子が上がり、あとのリスト、ショパン、さらにアンコールを4曲も披露。なかでも3曲目の「ヴァルトシュタイン」のロンドにいたっては、これ一曲聴いただけでも今日のリサイタルに足を運んだ価値がある。
偉らそばらず気持ちの良いピアニストだ。

小山実稚恵のラフマニノフが予想以上に良かった。力強く堂々としたピアニズムで、今や、内田光子に継ぐ実力派ピアニストの筆頭だろうと思わせるような確かなピアノ技術と風格を感じさせた。
大野和士の指揮は今日で3回目だが、今迄でいちばん生き生きと溌剌としたもので、新しい門出に相応しいものであった。東京都交響楽団はすべての楽器において水準の高さを示し、どのパートも音をしっかり出し切ることに長けており、特に管の響きには安定感がある。コンサートマスターの矢部達哉は先々月号かの「音楽の友」で小山実稚恵と対談していたが、好感のもてる人柄で、この人から感じる誠実さそのものがオケの顔そのものであるように思えた。
プログラムに矢部氏が指揮者大野和士の印象を述べている。
オーケストラの存在意義というものを考えた時、まずは僕らが精一杯良い演奏をして、お客様に喜んでいただくことが大前提。それは今後も続けていくわけですけど、一方でベートーヴェンやブルックナーの作品が、100年以上経った現在もなぜ生きているのか、改めて考えるようになりました。その理由は、オーケストラが作曲家を深く理解して、真髄に迫ることを続けてきた、それが聴き手にも認められたから。だからこそ作品が生き続けたのではないか。クラシックには200万枚売れるアルバムはないですけれど、200年聴き継がれる曲はたくさんある。そうやって生命を保ち続けるものが芸術だろうと。
大野さんの姿勢はまさにそこにあって、作曲家の心に入り込んで、何を表現したかったのか、何を伝えたかったのか、真髄に迫ることができる。本当に稀な指揮者だと思います。

d0170835_1831204.jpg今日のチャイコフスキーの4番、本場ロシアのオーケストラ並みに迫力ある響きを聴かせたが、来月に聴くモスクワ放送響もチャイコフスキー5番をやる。それとまた小山実稚恵がビアノを弾く、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。あの堂々とした弾きっぷりでやるのだろう、これまた愉しみである。


久々にポリーニのピアノを聴く。格調高い演奏は朝の冷たい空気によく混ざり合う。
偶然だが、ポリーニはミケランジェリ、ブレンデルと同じ1月5日生まれ。3人は11年ずつ年が離れている(ミケランジェリは1920年、ブレンデルは1931年、ポリーニは1942年生まれ)
そして3人とも格調高い演奏をする。


ギレリスときたら次はやはりリヒテルだろう。ロシアの両雄は何かにつけて個性のある実力派ピアニストであった。二人の比較はまた別の機会として、ここではスヴャトスラフ・リヒテル
(Sviatoslav Richter、1915~1997)に触れる。彼のピアノを愛する日本人ファンは多いが、でもリヒテルが初めて日本の土を踏んだのは遅く、1970年の万博の時で、もう55歳になっていた。それまでは「幻のピアニスト」と称され、当時西側諸国で演奏に接する機会は全くなかったし、ただただソ連に凄いピアニストがいるといった噂話だけであった。どんな事情かよく知らないが、ギレリスが早くから西側で演奏をしたのとは対照的である。強烈に印象深い逸話がある。指揮者のユージン・オーマンディがギレリスと共演し、彼に最高の賛辞を贈ろうとしたら、ギレリスはこう言った。「リヒテルを聴くまでは待ってください」と。
繊細な感受性を持ち合わせたリヒテルはまた、何かと話題の多いピアニストでもあった。スタジオ録音が嫌い、演奏会でも気が載らなかったらキャンセルする、飛行機嫌いなので活動範囲が限られていた、等々。そんな彼は、一方では、場内の照明を消し、ピアノだけにスポットライトが当たるように演出したり、小さな演奏会場で演奏曲目を予告せずにリサイタルを行うなど、ユニークな試みも実践した。

彼のピアノはダイナミックで劇的で、それでいて反面、繊細で緻密で・・・といったものだった。遺した多くの演奏のなかでも一押しに上げるのは「テンペスト」である。同曲で、この演奏を越える演奏を僕はいまだに知らない。
オルガニストでもあった父親の手ほどきもそこそこに、訓練めいた練習は子供の頃より積んでこなかった。チェルニーなんて弾いたことがない、音階の練習もしなかった、自由奔放に弾いた。最初に彼がピアノを前にして弾いたのは、ショパンのノクターンであり、この「テンペスト」であった。

ショパン:
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 op.11
ショパンの母国ポーランド生まれのピアニスト、 クリスティアン・ツィマーマン(1956~)
音の”色つけ”においては彼の右に出るものはいない、現代最高のピアニストのひとりだろう。ここにショパンのピアノ協奏曲第1番の二つの演奏がある。
ひとつは1978年11月のロサンゼルスでのライヴ、もう一枚は1999年8月、トリノでの演奏。前者はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団との共演、後者はポーランド祝祭管弦楽団を自らが指揮し、独奏も兼ねた演奏である。22歳と43歳、この20年あまりの開きは、演奏にどのような違いをもたらしたのか。
17歳でベートーヴェン国際音楽コンクールで優勝したあと、2年後の1975年、ショパン国際ピアノコンクールにおいても史上最年少で優勝するという天才ぶりを若くして示すが、この最初の演奏では、信じられないほどの澄みきったピアニズムが、豊潤な音楽作りに定評のあるジュリーニの棒のもとで、生き生きとわるびれることなく自己主張をしている。やはり、この頃から只者ではなかったのだ。そして着実に実績を積み、世界の檜舞台で活躍するようになってからの2回目のショパンは、さらに磨きがかかり、その上に、ツィマーマンの個性が思う存分に発揮され、歌いに歌い上げるかなり個性的な演奏といえるのではないか。
第1番は、実は第2番より後に書かれた。ロマンティックな2番にくらべて、曲として構成がしっかりしていてスケールも大きい。ただ以前より指摘されていることであるが、ピアノ独奏部に対してオーケストラ部分が貧弱であり、第三者によりオーケストレーションされた可能性が高いとも言われはしているが、今日に及んでもやはり偉大なピアノ協奏曲の一つとして挙げられる。
いずれにしてもポーランドの血を引くツィマーマンにとって、やはりショパンは切っても切れない、もっとも肌にあった音楽であることには変りない。この人の、無理がなく自然に流れるような美しいピアニズム、そしてその安定した音色は、これも彼の右に出る人はいないだろう。ショパン弾きの天才である。

アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931~)はチェコ出身のオーストリアのピアニストである。最近まではとくにそうは感じなかったが、アバドとの共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の人間味豊かな秀演を聴き感動した。
そしてまた今、モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」ニ長調 をほかの日本人ピアニストの演奏と聴き比べて見て、そのあまりにもの違いと、彼の音楽性の高さを今更ながらに思い知らされることとなる。この曲は、1789年(フランス革命)モーツァルト 晩年の作品で、人気作曲家として名を知られるようになっていたが、経済状況はどん底にあった中、ポツダムで出会ったチェロ奏者ジャン・ピエール・デュポールの作品に基づいてこの変奏曲が作曲された。和音が美しく響くのが特徴で、転調やオクターブによるダイナミックさも加わり、聴く以上に変化に富んだ深さを見せるピアノ曲である。しかし、音楽性に乏しいピアニストが弾くと、単なるピアノ練習曲にしか聴こえないから不思議だ。この曲を他の誰よりも、彼は、丁寧に、気持をこめて弾ききる。そこには真摯な態度に満ちた人間性さえ浮かび上がってくるようだ。

ブレンデルの演奏は、華麗さや派手さはなく、地味ではあるが、知的で、音楽性に富み、王道を行くピアニストと言える。それに、彼の人間性の豊かさであろう。
レパートリーはたいへん広く、中でもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった、ドイツ・オーストリア音楽に長け、とくにベートーヴェンとシューベルトはその中心をなす。
NML のラインナップを探して見ると、彼の30歳前半の若い時期のディスクがある。その中でハイドンのピアノ協奏曲ニ長調Hob.XVIII:11を聴くが、どちらかと言えば単調で変化に乏しいハイドンが、ここまでも生き生きと、飽きさせない、しかも深い音楽になるかと感心する。
彼は確かにレパートリーは広いが、録音に関しては、こだわりを持ち、重要であると考える作品は何度もレコーディングを重ねた。たとえば、d0170835_23425498.jpgベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲やピアノ協奏曲は3度録音し、シューマンやブラームスのコンチェルトも2度、さらにはシェーンベルクのピアノ協奏曲といった珍しいものまで2度録音している。
NML ではズービン・メータ指揮ウィーン交響楽団とのピアノコンチェルトを聴くことができる。
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 「皇帝」 Op. 73

数年前に引退宣言をしたため、残念ながら、今聴けるのは彼の数多くのディスクにおいてのみである。

そうそう、もう一曲、シューベルトを挙げておこう。即興曲を聴いていると、シューベルトという作曲家もホントいいなーと思う。
コメント
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手当たり次第に音楽を聴いてみて!シューマンにどっぷり浸かってきたのは、凄く共感するところがあるからです。

2016-11-28 21:03:39 | 音楽
シューマンにとって、表現媒体は詩でも文学でも良かった。たまたま音楽だった。シューマンは巨大な思想を表現したかっただけである。ショパンが天才ならシューマンは天才を超えた天才かもしれない



しかし、同時に妻・クララシューマンもヨーローッパ随一のピアニストとして、当時、脚光を浴びていました。

クララの父、ヴィークはクララとシューマンの結婚を頑なに反対します。
そして、1年以上にわたる裁判でついにシューマンが勝訴。
二人は、結婚することが出来ました。
世間ではヴィークを親のエゴと取る人も多いでしょう。
実際、文献にもヴィークは天才ピアニストだった娘を一気に世間に売り出したかった、だから反対したという説もあります。

シューマンは音楽家になる為の教育をうけていなかった。しかし、ショパンやその他の作曲家は音楽家になるしかない教育を受けていた。この違いは大きいと思っています。シューマンの型破りなメロディは時に、思想や詩をそのままメロディにあてはめただけじゃないか?というものがあります。一方ではトロイメライのような誰が聴いても名曲だなという曲をさっと書ける。シューマンの天才は少し、特殊であったように思います。

全く飽きないんですよね。私の嗜好もあるのでしょうが、シューマンの曲は飽きない。


「私が生涯愛し続けるのはロベルト、ただ一人です」
ロベルト・シューマン死後、クララがブラームスにあてた手紙である。

シューマン死後、ブラームスはクララと一緒に、シューマンの仕事を整理していきます。そして、クララとの手紙のやり取りを続けていくわけです。ブラームスがクララをずっと片思いで思っていたのは確かでしょう。しかし、クララはお姉さんのような態度で接します。そして、クララが亡くなった後、ブラームスも後を追うように死にます。

巨星がここにも堕ちたのです。


伊藤─ 全曲取り組んでいくと、"どの曲"というだけではなくて、シューマンの"音そのもの"がとても大切になりました。どの曲のどの音も、全部シューマンが書いた音だと思うと、もうすべてが私にとっては大切と思えるようになったというか。例えば、最後の方に録音した《フーガ》という曲。彼が尊敬していたバッハのような形式を用いてはいますが、『音』はやっぱりシューマンの音楽なんですね。だから、「最後にとっておいてよかった」と思いました。二十年という長い間かけて取り組んできて、シューマンの音楽の素晴らしさというのが分かってから、この曲を録音できて良かった、と。一枚目に入れた《クライスレリアーナ》という曲も、私がヨーロッパで習ったハンス・ライグラフ先生から初めていただいた曲という意味で、すごい思い入れがあります。

ピアニストとしては、良いことしか思いつかないかな。よく門下の生徒たちには、私は二十四時間ピアノのためだけに生きているのよ、と話すと、生徒たちはすごく驚くんです。でも、おいしいものを食べることも、健康のために家の近くを走ることも、自然の中を散歩することも、すべて音楽につながっているんですね。子供の頃は、努力は嫌いだったんですが、今は一日じゅうピアノ弾いてると、すごく幸せですね。
常に自分の心を磨いて、ピュアな心を目指さないと、良い音楽はできないような気がします。言うのは簡単!だけど自分の心を常にピュアにするというのは、なかなか難しいことですね。お坊さんの修行と一緒かもしれません。あなた方はまだ若いけど、ピアノという形で"修行"しているのね。今、不況で、たくさんのお金や物を失って、というような話が、テレビでもしょっちゅう聞こえてくるけれど、私たちがピアノを練習して、何か新しい曲を弾けるようになったら、それは他の誰にも奪い取れない、絶対に失われない、素敵なことですよね。確かにもうイヤだなと思うこと、もちろん私もあるんですが、例えば何か弾けなかった曲を新しく勉強して、それが弾けるようになった時ってすごく嬉しくないですか?それ以上に嬉しいことって案外見つからないくらい、本当に嬉しい経験ですよね?それが、あなた方の本当に大切な"財産"だと思うんです。私たちの"修行"は、素晴らしいものなのよね。
だから、あなた方の年齢の頃にやれる限りの曲に取り組んで、自分のものにしておくことが大切だと思います。あなた方が今勉強した曲って、一生忘れません。特に二十代までかな。素直に、どんどん挑戦することが、全部自分の血となり、肉となって、人生をすごく豊かにすると思います。ですから、"影"はなし!

聴いてる人が、私が弾いているということを完璧に忘れて、たまたまそこでシューマンを弾いていたら、そこにシューマンがいるみたいな、ブラームスを弾いていたら、そこでブラームス自身が弾いているような、そんなふうになりたいですね。これはもうずっと言い続けて、いつも願い続けていて、いつか叶ったらいいなと思っていることです。
例えば、なぜここにブラームスがフォルテを書いたかということを、私たちは一生懸命考えなくてはいけないと思うんですね。それが『情熱的に』なのか、『広々とした』なのか、『運命に抗うように』なのか、可能性がいくつもあるでしょ?その可能性を、一番作曲家が意図したであろうところとして読み取りたいわけです。けれど、それってやっぱり難しいし、ブラームスには質問できないでしょ?だから、結局は弾いている人の解釈になるとは思います。
私はアルフレッド・ブレンデルがすごく好きなんですが、彼の演奏って、まぎれもなく彼の解釈だと思うんです。だけど、ブレンデルを通して見えてくる偉大なベートーヴェンの心とか、シューベルトのものすごい世界観というのは、やっぱりブレンデルが弾いてるということを忘れて見えてきます。それでいて、私は『ブレンデルという媒体』を通して、それ聴くのが好きなわけですね。だから、もしかすると、『私という媒体を通して、作曲家の音楽が聴こえてくる』というのが、理想なのかなと思います。

シューベルトの《冬の旅》(歌曲集)、聴きました?私の門下の子にも、シューベルトの曲を持ってきたら、《冬の旅》を聴いて~って言います。それで、もうレッスン要らず。そのくらい、歌を聴けばシューベルトの音楽の真髄が分かるんです。
ベートーヴェンも同じ。彼のシンフォニーを聴いたら、ソナタをどのように弾いたらいいか、自然と見えています。なぜかというと、オーケストレーションが思い浮かんでくるから。この部分はオーボエ、フルート、ここは弦...、色々な楽器の音で聴こえてくるはずです。
例えば、今、ある和音に5つの音があるとしたら、それを5人で弾いてると考えて、それぞれの人の横のラインで見ていきます。そうすると、例えばここにミ~ラ~レ~ミ~♪ってメロディを弾いてる人がいて、ド~ド~レ~シ~♪って内声の人たちが弾いてる、という見方で見えてくるわけです。私たちピアノ奏者は一度に同時の音をジャンって出せるので、その見方で見過ぎていますが、指1本1本がオーケストラ1人1人だと思って楽譜を読むと、ちょっと違う音楽、になると思います。 本や映画や絵に触れることもとても大切だけど、やっぱり一番大事なのは『音楽聴いて!』ということ。それも、自分が勉強している曲を聴くのではなくて、別の曲を聴くことが大切。シューベルトのソナタを弾くなら、もちろんそのソナタのCDも聴いた方がいい、けれどそれよりは、別のソナタを聴いてみたり、別のピアノ小品を聴いてみたり、《冬の旅》や《死と乙女》(弦楽四重奏曲)のような他の分野の曲を聴いてみてほしいです。私は、全部そうやって音楽から教わっています。ですから、今とても忙しいけれど、音楽会だけは年間五十回くらいは行ってるかもしれません。音楽祭にも行くし、オペラも観ます。あなた方も学校も部活もレッスンもあって忙しいとは思うけど、是非音楽会に行ってみてください。

今日、私が言いたかったのは『音楽を死ぬほど聴いて!』ということ。何でもいいから手当たり次第、うん、手当たり次第、というのが一番いいかもしれないね。例えば、オーケストラの定期会員になるといいですよ。私もオーケストラの定期会員になってるんですが、『何この曲?』っていう知らない曲の公演のときもありますよ。本当に面白いのかなと思いながら、おそるおそる行くんです。そうしたら素晴らしい曲で!自分が興味がない曲ほど、自分の新しい世界に出会えます。その未知の世界に、大切なことがいっぱい詰まっているんです。自分が今やらなくてはいけないことに目を向けていないといけないけれども、そこで終わらないで、そこにたくさんの枝葉を付けていってほしい。「生」の音楽っていうのは、空気で伝わってきますし、そうやって私たちが聴いて心の中に入った音楽は、他の誰にも取れない、奪えないもの。それってすごく素敵なことだと思います。
それから、音楽の勉強って、すごく時間がかかるんですよね。そのことはみんなに覚えておいてほしい。けれど、時間をかけて理解しないと、作曲した人に失礼だと思う。私たちは、やっぱりそこに時間をかけるべきだし、わからなくて、『なぜ?』って何度でも問いかけることが大切なことなんだと思いますね。じっくり考えて、分からなくて、でも『なぜ?』と問い続けながら音楽のことを考えるのが、今、私には一番楽しくて大切な時間かな。


2015.04.29 Wednesday
伊藤恵
 自分の信じた道をひたすら歩み、でき得る限りの努力をし、夢に向かって邁進すれば、必ずいい結果が得られる。
 今日の伊藤恵のピアノ・リサイタルは、その意味合いを教えてくれた。
 伊藤恵はシューマンのピアノ曲全曲録音で知られるが、いつかシューベルトのピアノ・ソナタも演奏・録音したいと願っていた。
 彼女はドイツ留学時代にブレンデルのシューベルトを聴き、その命を削るような演奏に触れて自分はまだまだだと思い、長年シューベルトは自分のなかで封印してきた。
 ようやくそれを解く時期が訪れ、2008年から8年連続演奏会でシューベルトの作品と対峙することになった。今日はその最終回で、ピアノ・ソナタ第19番、第20番、第21番がプログラムに組まれた。
 彼女は先日のインタビューで、シューベルトのこれら晩年のソナタの難しさをことばを尽くして語っている。
 まず、第19番は、ベートーヴェンを敬愛するシューベルトがその思いを乗り越え、自身の語法と音楽性を確立した作品。
 決然とした出だしから、伊藤恵の今回のリサイタルに対する強い意志を読み取ることができる。全編に美しいカンタービレがちりばめられ、情感豊かで起伏に富んだ曲想が特徴。伊藤恵は、転調の妙を際立たせ、変化に満ちた楽想を鮮やかに描き出していく。
 続く第20番は、古典的な構成とスケールの大きさをもつロマンあふれるソナタ。第1楽章からシューベルトならではのロマンティックな旋律が現れ、第2楽章では孤独感や寂寥感が前面に浮き彫りになり、シューベルトの歌曲「冬の旅」へといざなわれるようだ。
 こうした旋律美と様式感は、伊藤恵の得意とするところ。第3楽章の軽妙洒脱なスケルツォ、第4楽章の歌心あふれるロンドへと進むうちに徐々にシューベルトのリートの世界が濃厚になる。
 前半が終了した時点で、ひとことトークが挟み込まれた。
「ようやく高い頂のふたつを登った感じです。ハンス・ライグラフ先生にはいつも、こんなすばらしい作品を演奏できることは何と幸せなことか、シューベルトに感謝するようにといわれました。あとひとつ登りたいと思います」
 そして後半は、最後のピアノ・ソナタ第21番の登場。この作品こそ、伊藤恵がエベレストのような高い山へと登頂する気分を抱いているのではないだろうか。第1楽章の深遠で大胆な主題が徐々に高揚し、幾重にも様相を変えていく転調による主題がゆったりとしたテンポで奏でられると、私は次第に感極まってきた。
 第2楽章のほの暗く内省的な主題、第3楽章のかろやかな動き、そして第4楽章のすべてが昇華していくようなフィナーレへと突入すると、次第に涙腺がゆるんできたのである。
 マズイなあ、これは、と思ったが、伊藤恵の紡ぎ出す見事なまでに作品と一体化した演奏に、もはや涙が止まらなくなってしまった。
 終演後、楽屋であいさつしたときも、まだ目がウルウル状態。
 すると伊藤恵が「シューベルトの力ですよね。シューベルトがそういう思いにさせてくれるのでしょうね」といって、ちょっぴり涙目に…。
 彼女は、すべての演奏が終わったとき、ステージから聴衆に向かって語りかけた。
「みなさんとともにシューベルトのシリーズを無事に終えることができました。一緒にシューベルトの旅をしていただいて、本当にありがとうございました。今日は、みなさんから力をいただき、弾き終えることができました。これから少しお休みをいただき、また新たな方向を目指して進んでいきたいと思います」
 この謙虚さ、誠実で率直で常にまっすぐ前を向いて作曲家と対峙していく。その演奏は、私に強いエネルギーを与えてくれた。
 なお、5月13日には「シューベルト ピアノ作品集6」の録音もリリースされ、そこにはピアノ・ソナタ第18番と第21番が収録されている(フォンテック)。
 今日の写真は、私が目頭を押えて涙をこらえていたため、彼女もちょっと涙目に。それほどすばらしいシューベルトだった。
 恵さん、ありがとう!!

「まだまだ修業の身。シューベルトのようにさすらいの旅を続けます」。この謙虚さが新たな啓示をもたらすだろう。

 だがシューベルトへの憧れは拭えなかった。「シューマンを弾きながら、シューベルトとはどんな人だったのかと思いを巡らし、憧れの気持ちが募った」と話す。「最後の3つのソナタは全部が『さよなら』と言っているような曲。音楽の中には出会いもあれば失恋もある。女性と結ばれることもなく、独身のまま31歳という短い生涯を閉じた人。かわいそう。母性愛にも似たものを感じてしまうのでしょう」とシューベルト青年への思いを語り始めたら止まらない。

伊藤は大変な読書家で、純文学の愛読書を挙げたら切りがないほどの人だ。堀辰雄や福永武彦ら日本の作家の作品に加えて、ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンなどのドイツ文学も当然話題に挙がる。ドイツ=オーストリア音楽を得意とする正統派ピアニストといわれてきただけに、ドイツ文学からもシューベルトにアプローチしてきたのだろう

シューベルトの音楽について「さすらうことの孤独、さまよってついにここに来たという思いが聞こえてくる」と指摘する。そんな言葉を思い出しながら「第19番」の第4楽章を聴いていると、ヘッセの小説「クヌルプ」が思い浮かんできた。行く先々の小さな町や村の人々に愛されながらも、定住場所を持たないクヌルプ。恋に破れ、天涯孤独で放浪を続け、最期は積雪の中に倒れて神の声を聞く。シューベルトが生きた時代から100年近くたって書かれた小説ながら、シューベルトの孤独の世界になんと近いことか。現代社会から見れば青臭い青春小説にすぎないのかもしれないが、シューベルト作品の演奏にはこの青臭さが実は決定的に重要と思われる。

■珠玉のリサイタル&室内楽 
伊藤 恵 ピアノ・リサイタル
2017年3月24日(金)19:00 ヤマハホール

●出演
伊藤 恵

●曲目:
R.シューマン/幻想小曲集 Op.12   
L.v.ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
F.シューベルト/ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D959

●料金
座席指定5,000円

第32回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門にて日本人として初めて優勝し、サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団との共演でデビュー以来、国内外で活躍を続けるピアニスト、伊藤恵がヤマハホールコンサートシリーズに登場。
 彼女の得意とする、ロマン派を代表する作曲家シューマンの幻想曲集、そして、そのシューマンに多大な影響を与えたシューベルトとベートーヴェンのピアノ・ソナタをお届けする。
 円熟味を増した正統派ピアニストによる、磨きぬかれたドイツロマン派ピアノ。


2017年1月9日(月) 14:00開演
クレメンス・ハーゲン&河村尚子
【横浜市】神奈川県立音楽堂
問合せ先:神奈川県立音楽堂業務課 / TEL.045-263-2567

クレメンス・ハーゲン(チェロ)&河村尚子(ピアノ) デュオ・リサイタル
Clemens Hagen(cello),Hisako Kawamura(piano) Duo Recital
公演日時: 2017年01月09日(月) 14:00開演 (13:30開場)  

チラシデータ 表 ・ 裏

深く心に刻まれる、ふたりの名手によるリサイタル
世界最高峰の弦楽四重奏団のひとつである<ハーゲン・クワルテット>の創設メンバーであり、世界一流のオーケストラと共演を重ねるチェロの名手、クレメンス・ハーゲン。

ドイツを拠点にし情熱あふれる演奏で聴くものを魅了する若手実力派ピアニスト、河村尚子。

両者の内に秘められた深い音楽性から生み出されるラフマニノフのチェロ・ソナタは必聴であり、いちどでも彼らの演奏にふれたものは、その虜となるに違いない。

出演
クレメンス・ハーゲン(チェロ)
河村尚子(ピアノ)
プログラム
シューマン:5つの民族風の小品集 作品102
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番ト短調 作品5-2
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19

曲目・曲順は、やむを得ず変更となる場合があります。あらかじめご了承ください。

R.Schuman:5 Stucke im Volkston op.102
L.v.Beethoven:Sonate for Cello No.2 op.5-2
S.V.Rakhmaninov:Sonate for Cello op.19
プロフィール
クレメンス・ハーゲン(チェロ) Clemens Hagen, Cello
 6歳からチェロを始め、2年後にザルツブルク・モーツァルテウム音楽院においてウィルフリード・タケツィおよびハインリッヒ・シフのもとで研鑚を積み始めた。若い演奏家のためのコンクールで数々の賞を獲得したほか、カール・ベーム賞、ヘンリク・シェリング賞、ウィーン・フィルハーモニー賞という栄えある3つの賞を受賞している。
 ハーゲン・クァルテットの創立メンバー。これまでにアルゲリッチ、クレーメル、ポリーニ、A・シフ、ツィメルマン、内田光子など錚々たる演奏家とも室内楽を共演している。
 オーケストラとの共演も多く、95年夏のザルツブルク音楽祭では、アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団と共にシューマンのチェロ協奏曲を演奏。また、ハーディングやアバドの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と度々共演、さらにクレーメルとともにソリストとしてアーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演、この時のブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲はライヴ録音されている。
09年にはアーノンクール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演。この成功により10年、ウェルザー・メスト指揮ウィーン・フィルと再共演を果たした。
 1989年からはザルツブルク・モーツァルテウム音楽院においてチェロと室内楽を教えている。


河村尚子(ピアノ)
 1986年渡独後、ハノーファー国立音楽芸術大学で学んだ。06年 にはミュンヘン国際コンクール第2位受賞。翌年、多くの名ピアニストを輩出しているクララ・ハスキル国際コンクールにて優勝を飾った。
 ドイツを拠点に、積極的にリサイタルを行う傍ら、ウィーン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、モスクワ・ヴィルトゥオーゾなどのソリストに迎えられている。また、ルール・ピアノ祭(ドイツ)、オーヴェール・シュル・オアー ズ(フランス)、ドシュニキ、日本ではラ・フォル・ジュルネや「東京の春」などの音楽祭に参加。
 日本では、2004年小林研一郎指揮/東京フィルハーモニー定期演奏会で デビュー。以来、準・メルクル指揮NHK交響楽団を含む日本国内の主要オーケストラと相次いで共演を重ねる一方、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響、ルイージ指揮ウィーン響の日本公演のソリストにも選ばれている。最近ではヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団やプレトニョフ指揮ロシアナショナル管弦楽団の 日本ツアーに参加、またNHK交響楽団(ノリントン指揮)やアンサンブル金沢などの定期演奏会へ初登場などが絶賛を博した。2013年はテミルカーノフ/読売日本交響楽団、ラザレフ/日本フィルハーモニー交響楽 団、ビエロフラーヴェク/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ハーゲン・クァルテットの名チェリスト、クレメンス・ハーゲン等と共演し、いずれの公演も大成功であった。
 2009年名門RCA Red Sealレーベルよりメジャー・CDデビュー。最新譜CDは「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、チェロ・ソナタ」
 2009年新日鉄音楽賞、出光音楽賞、日本ショパン協会賞、2010年井植文化賞、2011年度文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞、2013年ホテル・オークラ音楽賞などを受賞。
  これまで、ウラディーミル・クライネフ、澤野京子、マウゴルジャータ・バートル・シュライバーに師11年5月よりドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術 大学にて2011年5月より非常勤講師を、2015年10月より教授を務める。又、東京音楽大学にて2013年4月より特別講師を務める。兵庫県西宮市生まれ。
チケット発売
07月16日 : かながわメンバーズ(KAme)先行発売(インターネットのみ)
かながわメンバーズ(KAme)とは?
07月23日 : 一般発売
料金
全席指定 一般:6,000円 シルバー(65歳以上):5,500円<売切> 学生(24歳以下)3,000円
託児サービス
託児料:お子様1人あたり2,000円
(お問い合わせ/お申し込み)マザーズ 電話0120-788-222(土日祝日をのぞく10時~12時、13時~17時)公演1週間前までに要事前予約。
お問い合わせ
神奈川県立音楽堂業務課  045-263-2567(9:00~17:00 月曜休館)
主催
神奈川県立音楽堂[公益財団法人神奈川芸術文化財団]




すばらしい曲!《フモレスケ》
--- ではそろそろ本題に。個人的な話で恐縮ですが、私はシューマンの良さというものがよくわからないのです。今日は是非「河村尚子が考えるシューマンの魅力」というものを教えていただきたい、と思って参りました。
河村: 実は私もシューマンがすごく苦手だったんですよ! はじめ、私の恩師が勧めてくれたのは、《ウィーンの謝肉祭の道化師》作品26で、それを16歳の時に弾いたんです。でも、何でこんな訳がわからないものを、皆は褒めるんだろう、と思ってました。開眼のきっかけは、23歳頃に弾いた《フモレスケ》。もう酔ってしまうほどにすばらしい曲! 曲の浮き沈みが激しく、彼自身の感性がそのまま曲に現れている、素直な音楽です。情緒的な部分、激しい音楽、対照的なものが交互に現れます。ドイツ人が言う《フモレスケ》という言葉には、「ユーモラス」というのとはちょっと違う、皮肉っぽい感じが込められているように感じます。この時期のシューマンが、クララとの結婚を求めて、お父さんに自分の才能を証明する必要に迫られ、それだけ努力した、ってことのあらわれですよね。給料三ヶ月分以上の「婚約指輪」(笑)。

--- こんな婚約指輪をもらったクララがうらやましいです(笑)。ほぼ同時期に《クライスレリアーナ》も作曲されてます。
河村: シューマンはただの作曲家ではなく、ピアニストであり、指揮者であり、ジャーナリストでもあった。彼には作家の知り合いもたくさんいて、その中にE. T. A. ホフマンもいた。彼の小説《クライスラー》を読んで影響されて、そのクライスラーの世界の妄想を(笑)音で描いたわけです。この作品にはいろいろな登場人物が出てきます。その中でも、シューマンがこの曲の主人公クライスラーにこめたと言われる、フロレスタンの行動性とオイゼビウスの思索性という対比が、とてもよく表現されているのではないでしょうか。

--- ご自分はフロレスタンとオイゼビウス、どちらに近いと思いますか?
河村: 私の中にはどちらの要素もあると思います。妄想ばかりしてぽーっとしていることもあれば(笑)、集中してガーッと活動することもある。弾くときはシューマンの気持ちを後から追体験する、といった感じです。客観的に弾くとどこか「作った」音楽になってしまう。素直に見つめるのが一番、という気がするんです。


「新鮮さ」を大切に
--- シューマンのピアノ曲の難しさというのは、たとえばショパンのそれとは本質的に違うものですか?
河村: シューマン自身が指を痛めてしまったのは、それだけ無茶な弾き方を強いるような曲を書いたからでしょう。弾きにくいところが多く、ショパンやリストの曲みたいに、手にしっくりこないんです。ピアニストとしてこう指を動かしたい、という生理に逆らっているところ、クネクネしたところとか、これは本当に弾けるんだろうか、と(笑)。思いのたけばかりが強くて、弾けるかどうかは二の次、みたいなところがあるのでしょう。指先じゃなくて、頭で考えたことが先走っている。フレーズとパッセージの形を先に作って、それを別の調に移して、という「操作」している感じでしょうか。頭がよすぎて繊細だから、晩年は悲惨な結末を迎えたのかもしれません。

--- 次に弾いてみたいと思われているシューマンの曲は何でしょう?
河村: 《幻想曲》作品17ですね。あと機会があれば、歌曲の伴奏なども是非やってみたい。《詩人の恋》などは、歌とピアノで「会話」しています。詩から生まれた音楽を聴くと、シューマンの感性がよくわかるような気がします。歌曲の場合は詩の助けがありますが、ピアノ曲にはそれがない。そうした物語を感じてもらえるような音楽を・・・

--- 是非感じさせてください(笑)。
河村: 音楽にとって本当に大切なのは新鮮さだと思います。私たち音楽家というのは、毎日練習して、演奏会のために練習して、毎日同じ曲とつきあって、新鮮さがなくなってしまいがちです。それを演奏会の時には、初めて聴くお客様のために、新鮮さを伝えなくてはいけない。この曲がまるで、いま、ここで生まれたかのように演奏したいと思っています。

KAWAMURA Hisako
1986年渡独。ハノーファー国立音楽芸術大学在学中にヴィオッティ、カサグランデ、ゲーザ・アンダなど数々のコンクールで優勝・入賞を重ね、06年難関ミュンヘン国際コンクール第2位受賞。翌年、クララ・ハスキル国際コンクールにて優勝を飾り、世界の注目をあびる。ドイツを拠点に、ヨーロッパ各地で積極的にリサイタル出演、オーケストラとの共演、各国の音楽祭に参加するなど、国際的な活動を広げている。2011年10月には、M.ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団と関西を含む全国ツアーを行う予定。
2009年度新日鉄音楽賞、出光音楽賞、日本ショパン協会賞を受賞。


[雑談]アンスネス、シューベルトについて語る Add Star

アンスネスは文句なく素晴らしいピアニストで、アンスネスのシューベルトはとてもいい演奏なのになぜか心に響かない。

彼独特の清々しい見通しの良い演奏は演奏家として好感が持てても、シューベルトの世界とは違うような気がする。


アンスネスとは違うタイプの音楽家だけど、ブレンデルもそう。上手いしバランスも良い、構成もきちんと考えられている。でもシューベルトの音楽は彼に対する「共感=シンパシー」が絶対だ。シューベルトの音世界は彼に対する共感の深さと大きさがどれだけ有るかにかかっていると思う。


じゃあ、シューベルトへのシンパシーが感じられる演奏家って誰?と言えば、いつも通りの答えだけど、内田光子、コヴァセヴィッチ、シフとかになる。(ペライア、田部京子、ピリスとかのシンパシーのレベルでは心は打たれない。)


で、アンスネスに戻るけど、アンスネスの演奏は技術的にも上手だし見通しが良い。情感もあるし、感性も鋭い。とにかく完成度は高い。

でも、シューベルトを演奏するには、何かが足りないように思う。その「何か」を掴んだら本当に人の心を強く打つような凄い演奏家になるのに、と思わずにはいられない。


で、最近レコ芸に出てたアンスネスのインタビューで、なんとなく理由がわかってきた。彼はインタビューの中で、シューベルトに取り組んで「疲弊した」と語っていて、またシューベルトは「抽象的で難しい」とも表現している。


いや、納得!!

正にこの部分がシューベルトの魂を掴みきれていない理由だと思う。シューベルトは彼自身に共感すれば抽象的とは全く反対の音楽であるし、共感していないから疲弊するのだ。内田光子があるインタビューで、「どんな作曲家に取り組んで集中している時でも、ちょっとシューベルトを弾いてみると止まらなくなるんです。なんて美しいんだろうと、ひたすら耽ってしまうんです。」

内田光子のようにシューベルトの孤独を分かち合い、彼の私小説的な音世界へ逃げ込めるような魂の共有がないと難しい。もしくはシフのシューベルトへの愛情に満ちた視線、コヴァセヴィッチのシューベルトの絶望への共感。共感が無く、彼の世界が理解できないからこそ、「抽象的で難しい」と言ってのけてしまうのだろう。(これにはさすがに自分もビックリしたが...)


インタビューだけで独断するのも良くないのだが、彼のインタビューから若い頃から安定していて満ち足りた人生を送っているのがわかった。多分、ここの辺りが違うのだろう。彼のベートーヴェンも彼がもっと年をとったら感動するような演奏になるのだろうか?シューベルトは年を取ったからといって良くなる事はないので(年を取って人生を振り返るような枯れた要素はシューベルトには皆無だから。)、すでに30を回って「シューベルトが抽象的で難しい」と言ってしまったアンスネスのシューベルト演奏で感動することは多分もう無いだろうな。




シューベルト:歌曲集「冬の旅」 ボストリッジ(T)アンスネス(P)


ボストリッジが瑞々しく「冬の旅」を歌い上げている。つぶやくような声からドラマティックな表現までを駆使して、若者の心の痛みをリアルに伝える。アンスネスのピアノが優しく雄弁に描くシューベルトの世界も聴きものだ。

ドラマを感じさせる迫真の歌唱を聴かせるボストリッジが、鬼気迫る演奏を繰り広げている「冬の旅」。ピアノは、これまでもソナタと組み合わせるユニークなシューベルトで共演してきたアンスネス。


村上春樹のシューベルトのソナタD850
2015年6月3日(水)

思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりにいくつかの名曲を持ち、自分なりに何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。そしてシューベルトのニ長調ソナタは、僕にとってのそのような大事な「個人的引き出し」であり、僕はその音楽を通して、長い歳月のあいだに、ユージン・インストミンやヴァルター・クリーンやクルフォード・カーゾン、そしてアンスネスといったピアニストたちーこう言ってはなんだけど、決して超一流のピアニストというわけではないーがそれぞれに紡ぎだす優れた音楽世界に巡りあってくることができた。当たり前のことだけれど、それはほかの誰の体験でもない。僕の体験なのだ。
そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。

村上春樹によれば、かの吉田秀和をしてもシューベルトのこのソナタを「イ短調ソナタは聴いても、このニ長調は苦手だった。シューベルトの病気の一つといったらいけないかもしれないが、とにかく冗漫にすぎる」と。
またシューベルトのニ長調ソナタD850は、『名曲のたのしみ、吉田秀和』のなかでこのように書いてある。
シューベルトって人はソナタを書いて、ベートーヴェンに張り合うつもりで苦労した。ひじょうに苦心しながら、うまくいってみたり、うまくいかないんで途中でやめちゃったりと、考えたりやったりする。いろんな彼の音楽的思考のあとがみえて、ソナタをきくのがおもしろいんですけどね。しかしこの曲は、やっぱりはじめはベートーヴェンに近いことをやりながら、途中で「これちょっとまずいかなあ」と思いながらも、よく我慢しておしまいまで書いた、っていう感じがありましてね、我慢してるところがやっぱり出来がよくなかったかもしれないんだけど、しかし、それを我慢し通して、吹っ切って、最後の楽章になると、かつて誰も書いたことがないような、天才的なのんきさ、ってのもおかしいけど、まるで鼻歌でもうたっているような調子の主題でもって終楽章を書き出すんですよ。
村上春樹はよほどこの曲を気に入っているらしく、15種類の演奏家のレコードやCDを持っていることを明かす。そしてそれらを録音時期に応じて、初期、中期、現代の3分類に分けて順次説明を加えていく。ここでのそれぞれのピアニストの演奏評が素人の域をはるかに超え、説得力を持ち、なかなか読んでいて面白いのである。
吉田秀和がいう”鼻歌でもうたっているような”部分は、村上春樹は「いかにも、”これがウィーンだ”という空気が流れ込んでくる」といった表現を使いながら、彼が推奨するヴァルター・クリーンの演奏を紹介する。d0170835_1614611.jpg中期(70~90年代の録音)の演奏ではこのクリーンの演奏が際立っていて、地味なピアニストだが大人の風格を持ち合わせ、いつの間にか引き込まれてしまうような演奏をする。方や、同じ中期でも、ブレンデルとアシュケナージは、楽章と楽章のつながりが悪く、総体としての音楽世界がうまく立ち上がっておらず、ただだらだらと退屈な演奏と切り捨てる。
d0170835_1665436.jpg初期(70年以前)の演奏では、クリフォード・カーゾンを称える。「クリスプで正確なタッチ、わざとらしさのない簡潔なユーモア、長く着込んだ上等のツイードの上着のような心地よさ、柔軟な間合いの取り方、とりわけ緩徐楽章におけるいかにもたおやかな、優しい音楽の捉え方、どれをとっても一級品だ」と最上の褒め言葉で持ち上げる。他にケンプは「好感は持てるが、なにか一枚、薄い布にくるまれたような感じ」、ヘブラーは「品がよくて、サロン的で、午後の紅茶の香りがする」と絶好調だ。ただ、旧ソビエトのリヒテルとギレリスに関してはこの曲の演奏については、どちらも「今となっては、歴史の引き出しの中にそっとしまい込んでおくのが賢明なのかもしれない」とまでおっしゃる。
現代(90年以降)ではノルウエイの気鋭ピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスには、「何よりも流れの筋が良い。全体の音楽的スケールは大きいが、門構えはコンパクトに抑えられている、そのへんの設定に、このピアニストの聡明さを感じないわけにはいかない」といった、もう一つ意味不明な表現で褒めあげる。
こうして読み進めていく中で音楽へのこだわりや愛情が充分に感じ取れ、こちらまでが楽しい思いをする。文章そのものがライト感覚で、読んだ尻から空中に舞い上がっていくような、そんな書き方が読者を束縛しないからかもしれない。この人の小説を読みたいとは思わないが、多分、このライト感覚が今の若者たちにフィットしているのではないかと、ふと思ってみたりもするのである。

シューベルトのピアノ曲は最近よく好んで聴くが、「即興曲」や「楽興の時」など小品集が主であって、長大なピアノ・ソナタは敬遠しがちである。今回、この書物で紹介されたD850を何度もいろんな演奏家で聴いてみた。そしていままで冗長にすぎる印象を持っていたこのソナタが聴きこむにつれて魅力を放つ楽曲であることにも気づいた。


シューベルト:
ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 「ガシュタイナー・ソナタ」 Op. 53, D. 850
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オススメ 交響曲ランキング ベスト30

2015-01-15 05:24:22 | 音楽

1. ブラームス 交響曲第4番
2. ベートーベン 交響曲第5番<運命>
3. マーラー 交響曲第5番
4. ベートーベン 交響曲第9番
5. ブラームス 交響曲第2番
6. チャイコフスキー 交響曲第6番<悲愴>
7. ショスタコービッチ 交響曲弟5番<革命>
8. ブラームス 交響曲第3番
9. ベートーベン 交響曲第7番
10. ベートーベン 交響曲第4番
11. チャイコフスキー 交響曲第5番
12. チャイコフスキー 交響曲第4番
13. シューベルト 交響曲弟8番<未完成>
14. ベートーベン 交響曲弟3番
15. マーラー 交響曲第1番<巨人>
16. ブルックナー 交響曲第5番
17. フランク 交響曲ニ短調
18. ブルックナー 交響曲第9番
19. ブラームス 交響曲第1番
20. ドヴォルザーク 交響曲第9番<新世界>
21. ドヴォルザーク 交響曲第8番
22. ブルックナー 交響曲第4番<ロマンチック>
23. メンデルスゾーン 交響曲<スコットランド>
24. サン=サーンス 交響曲第3番
25. ブルックナー 交響曲第7番
26. ブルックナー 交響曲第3番
27. マーラー 交響曲第4番
28. マーラー 交響曲第9番
29. シューマン 交響曲<春>
30. シューベルト 交響曲第9番<グレイト>


ブルックナー 交響曲第8番もこの中にいれておきたい


シューマンの4つの交響曲は一括りで入れたい


エントリー・リスト を見ると


私の選択においても


これに準じてます


誰が選んでも順位はともかく


エントリー・リストは普遍のものだと思います


ブラ4は好いですねえ


一番に持って行く理由は充分にあります


ベートーヴェンの交響曲に順位は必要ないと思います

一番、二番が好いんですね

運命の三楽章、四楽章だけで天に昇れます!!

このエントリー・リストは秀逸でした






聴いて衝撃をうけた指揮者は

①カルロス・クライバー

②ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
③エフゲニ・ムラヴィンスキー

④アルトゥーロ・トスカニーニ(好きではないですが・・・)

です。



上の指揮者はちょっと変わった演奏になっているので、

最初に聴くのはさけて、下記のスタンダードないい演奏をする指揮者を先に聴いた方が上の指揮者のすごさがわかると思います。

①ヘルベルト・フォン・カラヤン

②ギュンター・ヴァント

③カール・ベーム

④オットー・クレンペラー



■曲ごとのおすすめ指揮者

(注)彼らがその曲の一番っていう紹介よりは多くの指揮者が得意な曲を重点に書いてみました。

   できるだけ多くの指揮者を聴いた方がいいと思ったからです。

   特におすすめも知りたい方もおられると思い、特に良いものは◎をつけてみました!



ベートーベン交響曲なら・・・◎カルロス・クライバー(5番、7番)、◎ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(第九)、ジョン・エリオット・ガーディナー


ブラームス交響曲なら・・・◎ギュンター・ヴァント、カール・ベーム、クラウディオ・アバド、サー・ジョン・バルビローリ(2番)、◎シャルル・ミュンシュ(1番)




マーラー交響曲なら・・・◎レナード・バーンスタイン、ブルーノ・ワルター(1番巨人)、オットー・クレンペラー



チャイコフスキー交響曲なら・・・◎エフゲニ・ムラヴィンスキー(4・5番)、◎ヘルベルト・フォン・カラヤン(6番悲愴)



ベルリオーズ幻想交響曲なら・・・◎シャルル・ミュンシュ



モーツァルト交響曲なら・・・ニコラウス・アーノンクール、フランス・ブリュッヘン



ブルックナー交響曲なら・・・◎ギュンター・ヴァント、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・シューリヒト、カルロ・マリア・ジュリーニ、オイゲン・ヨッフム



ショスタコーヴィチ交響曲なら・・・◎レナード・バーンスタイン、キルル・コンドラシン、ベルナルト・ハイティンク



ドヴォルザーク交響曲なら・・・ラファエル・クーベリック、ジョージ・セル、◎イシュトヴァン ・ケルテス(新世界)



メンデルスゾーン交響曲なら・・・◎アルトゥーロ・トスカニーニ、オットー・クレンペラー




シューマン交響曲なら・・・◎レナード・バーンスタイン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ラファエル・クーベリック




シューベルト交響曲なら・・・ジョス・ファン・インマゼール、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、◎カルロスクライバー(未完成)




ハイドン交響曲なら・・・フランス・ブリュッヘン




シベリウス交響曲なら・・・パーヴォ・ベルグルンド




ラヴェル管弦楽曲なら・・・アンドレ・クリュイタンス




ホルスト組曲なら・・・エードリアン・ボールト




ストラヴィンスキーバレエ曲なら・・・ピエール・ブーレーズ、ワレリー・ゲルギエフ

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