河童淵ではカッパさんに会えず少しがっかりしましたが、たぶん遠野を訪れてカッパに出会った人は少ないと思うので仕方がありません。
で、河童淵から車で1分、歩いても5分とかからない所に「伝承園」がある訳です。
伝承園 入り口
伝承園の入り口は趣が在って良い感じであります。
ナント申しましょうか、これと似たような雰囲気の家で生まれた自分としては遠い記憶の我が家を思い出されるのでありました。
伝承園で買ったおみやげ 2点
いや、趣のある佇まいとは裏腹に入ってすぐが関所でありまして、入場料を支払う番台がある訳です。
で、傍らは土産物売り場と食道になってまして、中々の商売上手な訳であります。
そんな訳で私はサッサと土産物を買ってしまったのが災いし、その後の見学中ずーっと袋を下げて歩いたのでありました。
この言い回し 好きです
この先立ち入り禁止、では雰囲気が壊れちまいますが「この先にカッパさんはいないようです」とか、「カッパさんはここには来ないようです」ナンて書かれちまうと気持ちがほんわかしてしまいます。
良く分からない キャラクター
佐々木善善の記念館前にたっていた美少女キャラでありましたが、遠野物語の話者の資料館とどう言う関係なのかは分かりませんでした。
左が「板倉」正面が 「工芸館」
いや、結構な広さの敷地にこの地方の家や倉や道具が展示されたり転がっていたりするんですが、どれもが郷愁を誘う物な訳です。
例えば工芸館の横には荷車が置かれているんですけれども、昭和30年代なら仙台市内でもまだ見られたものであります。
で、郊外の畑のそばで肥桶を積んだ荷馬車と遭遇した時の匂いなどを思い出したのであります。
女物の下駄
遠野近在は桐の産地だそうで下駄作りは盛んであったらしい。
で、美し下駄を見て思ったのは・・・少しくらいの雪なら歩ける様に高歯なのか、と、寒く無い様に前被りなのか、と。
こんな下駄を履いた娘が今でも居そうな遠野・・・そんな事は無いですけど。
赤ん坊を入れる籠
これも昭和30年代には見られたものでありました。
特に稲刈りの時などは田んぼにこれが置かれ赤ん坊が寝ていたのであります。
懐かしい・・・と、言いつつ自分は入った記憶はありませんが。
いろり端
立派ないろり端であります。
ですが、綿入れの座布団ではなく藁で編んだ座布団が似合う気がしました。
この部屋には録音の「遠野物語」の語りが流されていました。
この囲炉裏は本物です!!!
私の生家の囲炉裏もこんな感じでありました。
囲炉裏の上には藁を束ねたものに串刺しの川魚が刺さって燻されていましたっけ。
南部曲り屋
左側が厩で、右側が母屋でした。
これは南部曲がり屋でも大きなお屋敷なんでありましょう。
実際中を歩くととても広いのであります。
しかし、身長176センチの私には凡ての入り口が少し低く感じました。
いや、ぶつかりはしないんですがつい腰を曲げてしまうのであります。
あっ、納屋や馬小屋の方は高かった。
なるほどねぇ、そう言う事なんですね。
雪隠
これには感動しました。
いや、雪隠の形は知っていましたが、感動したのは用足しした後の処理方法でありました。
そこには「くそかきべら」が在ったのです。
一休さんの禅問答で有名な「くそかきべら」が使用前と使用後に分けて展示されていたのであります。
私はそれを見た時に禅問答での答えの意味がまた一つ深くなったような気がしたのであります。
伝承園 概要 おわり
つづく
で、河童淵から車で1分、歩いても5分とかからない所に「伝承園」がある訳です。
伝承園 入り口
伝承園の入り口は趣が在って良い感じであります。
ナント申しましょうか、これと似たような雰囲気の家で生まれた自分としては遠い記憶の我が家を思い出されるのでありました。
伝承園で買ったおみやげ 2点
いや、趣のある佇まいとは裏腹に入ってすぐが関所でありまして、入場料を支払う番台がある訳です。
で、傍らは土産物売り場と食道になってまして、中々の商売上手な訳であります。
そんな訳で私はサッサと土産物を買ってしまったのが災いし、その後の見学中ずーっと袋を下げて歩いたのでありました。
この言い回し 好きです
この先立ち入り禁止、では雰囲気が壊れちまいますが「この先にカッパさんはいないようです」とか、「カッパさんはここには来ないようです」ナンて書かれちまうと気持ちがほんわかしてしまいます。
良く分からない キャラクター
佐々木善善の記念館前にたっていた美少女キャラでありましたが、遠野物語の話者の資料館とどう言う関係なのかは分かりませんでした。
左が「板倉」正面が 「工芸館」
いや、結構な広さの敷地にこの地方の家や倉や道具が展示されたり転がっていたりするんですが、どれもが郷愁を誘う物な訳です。
例えば工芸館の横には荷車が置かれているんですけれども、昭和30年代なら仙台市内でもまだ見られたものであります。
で、郊外の畑のそばで肥桶を積んだ荷馬車と遭遇した時の匂いなどを思い出したのであります。
女物の下駄
遠野近在は桐の産地だそうで下駄作りは盛んであったらしい。
で、美し下駄を見て思ったのは・・・少しくらいの雪なら歩ける様に高歯なのか、と、寒く無い様に前被りなのか、と。
こんな下駄を履いた娘が今でも居そうな遠野・・・そんな事は無いですけど。
赤ん坊を入れる籠
これも昭和30年代には見られたものでありました。
特に稲刈りの時などは田んぼにこれが置かれ赤ん坊が寝ていたのであります。
懐かしい・・・と、言いつつ自分は入った記憶はありませんが。
いろり端
立派ないろり端であります。
ですが、綿入れの座布団ではなく藁で編んだ座布団が似合う気がしました。
この部屋には録音の「遠野物語」の語りが流されていました。
この囲炉裏は本物です!!!
私の生家の囲炉裏もこんな感じでありました。
囲炉裏の上には藁を束ねたものに串刺しの川魚が刺さって燻されていましたっけ。
南部曲り屋
左側が厩で、右側が母屋でした。
これは南部曲がり屋でも大きなお屋敷なんでありましょう。
実際中を歩くととても広いのであります。
しかし、身長176センチの私には凡ての入り口が少し低く感じました。
いや、ぶつかりはしないんですがつい腰を曲げてしまうのであります。
あっ、納屋や馬小屋の方は高かった。
なるほどねぇ、そう言う事なんですね。
雪隠
これには感動しました。
いや、雪隠の形は知っていましたが、感動したのは用足しした後の処理方法でありました。
そこには「くそかきべら」が在ったのです。
一休さんの禅問答で有名な「くそかきべら」が使用前と使用後に分けて展示されていたのであります。
私はそれを見た時に禅問答での答えの意味がまた一つ深くなったような気がしたのであります。
伝承園 概要 おわり
つづく
「くそかきべら」は見たことがありませんが{汗}</太>
昔の家は住んでみたら不便なんですけれども、趣はありますよね。
自分も古民家が大好きです。
生まれが田舎なのものですから、なんとなく故郷と重なるんであります。
くそかきべら・・・ただの木の棒なんですが、処理に使った後は薪になるんだそうで、無駄がありませぬ。
臭そうですが・・・。