目的は 音を聴くこと
陸前落合駅のホームの端っこで電車を待った
自分の中の仙山線とは違う列車がホームに入った
山形に着いて駅前の歩道橋から、取り敢えず撮ってみた
取り敢えず歩いたら この人が居た(山形城開祖の人?)
帰りの電車は一番前のかぶり付でカメラを構えた
日本の鉄道にも草ボウボウ線路が有る事に驚いた
山寺駅に入ろうとしている所
ナントカ式鉄橋で日本一高い熊ヶ根鉄橋(高さが分からない!!!)
どう言う訳か鉄道に乗りたくなって、手近な仙山線の陸前落合駅から山形まで行ってみた。
幾つか案は有って、山寺で降りて立石寺で修行でもして来るかと言うのも少し有ったし、面白山で降りて散歩と言うのも良いな、と、言うのも少し思った。
しかし、仙山線に乗ってみれば、落合駅から山形まで殆ど座れる席は無く・・・いや、4人掛けに二人座りとかも見られるので無理すれば座れるのだが、立って行った方が景色も見えるし、で、敢えて立って行った。
いや、子供の頃に仙山線に馴染みが深かったのでその記憶が強く残っていて、今の仙山線には違和感ばかりを感じた。
と、言いつつ、この所空港に行くのにもっぱら電車を使う事を覚え幾度か利用しているんで今の仙山線は昔とは違う事は知っている。
知っているのだが、向かう方向が山形となれば話しは違う・・・私の中の山形の記憶はあの時のままなのだから、そこへ向かう列車もそうあるはずだと疑いもせずに乗ったのだ。
少し仙山線の蘊蓄を述べよう。
仙山線の陸前落合と熊ヶ根間こそは、日本で初めて交流電化の為された、由緒正しい路線なのだ。
仙山線は当時としては異様に長い「仙山隧道」5361mが有るため、排気の関係で蒸気機関車はもとより、気動車も使えないと言う事で始めは直流電化で開通していた・・・らしい。
しかし、直流は送電に問題が多く効率が悪いとの理由から交流電化を進めた・・・らしい。
Wikiで調べれば済む話しなのだが、昔の仙台の子供は「交流」と言う言葉を学校に上がる前から使っていた。
今、仙山線の事情を紐解いて思う事は、自分が生まれた年に交流化が為され、その一大ニュースの名残を聞かされていたのだろうかと。
奥新川も山寺も平日にも関わらず散策の人が多く、随分な人が下車して行った。
それを見た自分は・・・山形まで行って帰ろう、と、思った。
10時30分に落合駅を出た電車は11時28分に山形駅に着いた。
電車を降りると目の前に左沢線のディーゼル車が停車していて乗りたい衝動に駆られたが、帰りの事を思って諦めた。
山形駅を見て驚いた。
当たり前なのだが、自分が知る山形駅前では無く、広い通路とショッピングセンターが一つになった今風の駅前ビルになっていた。
昼少し前だったが駅ビルで蕎麦でも喰って戻ろうかと思ったが時刻表によれば塩梅の良い電車は12時55分だった。
それなら、昔よく行っていた市役所裏の蕎麦屋に行ってみようかと思い外に出た。
仕事で何度か通ったニチイのビルが見当たらない・・・十字屋はあったが。
その他の雰囲気も、自分が知る山形駅前では無く知らない街だった。
これは・・・蕎麦屋なんて無くなってるかもな、と、歩きながら考えた。
山形は暑い。
冬は寒いのに夏は暑い・・・だからラフランスが美味いと言われても、あれは好きじゃないし、サクランボが美味いと言われても、あれも沢山食べるもんでもないし、と、意味不明を呟きつつ、すずらん通りとやらを歩いて行った。
自分の記憶のままだとすれば、山形の繁華街は七日町・・・あそこまで行っても街を見るだけだし、と、蕎麦屋の事も宛にならないし・・・やはり12時55分で帰ろうと適当な所で駅に向かった。
20~30分、2キロ程も歩いたろうか、ぐるりと廻って駅前に戻って来た時に蕎麦屋を見つけた。
駅前の蕎麦屋か・・・鬼門だなと思ったが他に宛も無いし、駅ビル本体よりは済われるだろうと店に入った。
品書きも見ずに「天笊」と言った。
笊でも蒸篭でも籠でも皿でも・・・要するに冷たい蕎麦に天ぷらが着いていれば良いのだ。
蕎麦は山形には珍しくしゃきっとした更科で美味かった。
天ぷらも美味いのだが、山形と言う思い入れがある余所者としては、エビ天やイカ天よりも山菜やらキノコやら、なんなら雑草でも構わないのだが、そう言う物の方が嬉しいと思った。
蕎麦屋を出てすぐ、今時珍しい模型屋を見つけた。
店頭のゴム動力の飛行機に目が行って、あまりの懐かしさに脳味噌が沸いた。
飛行機800円と、組み立てに必要な木工ボンド180円を山形土産に買った。
これは嬉しかった。
少し時間も有ったので店内を眺めようかと思ったが、見れば買わずに帰れない自分を知っているので止めた。
駅に戻り970円のキップを買い求め、売店で女房へのまんじゅうを一つ買いホームへ降りた。
発車まで20分近く有ったが電車は既に入っていてドアも開いていた。
私は一番前の車両の一番前の席に座った。
思惑が有るのだ・・・先頭車両からは前が見え、前方の写真が撮れるのだ。
結果から言うと、写真はろくな物が撮れなかった。
ドアとフロントのガラスの二枚有るのを透かして撮るのだが、そんな事よりも揺れるのでどうにもならなかった。
帰りの電車も混んでいた。
仙山線って、今は終日これなのか、と、驚くとともに、仙台の持つ吸引力と、さっき少し歩いた山形駅前の変貌に思いが及び一瞬考え込んだ。
今日の目的は、鉄の音を聞く事だったが、それは大いに満足した。
車輪と線路、鉄と鉄が出す音は堅く力強く、そして心地良い。
列車の速度で変わるリズムはどんな音楽にも勝る。
ただ乗るだけが目的の電車の旅。
いや、旅と言うには余りに小さいけれど、でも、満たされた物は大きかった。
ゆえに、これは紛れも無く旅であった、と。
いや、トンネルは健在で、今もビシバシ使われています。
昔は単線のローカル列車で哀愁を感じましたが、今は車両も新型で明るいローカル列車です。
面白山駅には錆びた小さなターンテーブルも残っていましたが、大したものでは無さそうで、騒がれる事も無いでしょうね。
仙山線にそんな秘密があったとは知りませんでした。まだそのトンネル自体は現役で使われているのでしょうか?なんとか遺産とかにはならないかもしれませんが、ずっと現役で頑張ってほしいものです。