じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

HIキャンプ~パンボチェへ

2014-12-13 10:37:40 | ネパール旅日記 2014

 11月18日 月曜日 快晴 パンボチェ(3930m)へ下る

 5時には目を覚ましていたのだが6時まで誰も起きず。
目を覚ましていたのだが皆して陽が昇るのを待っていたようだ。
今朝は冷え込んでいた。
今までで一番寒いのでは無いかと思う朝で、寝袋の顔の周りは自分の吐く息が凍って真っ白だった。
テントの内側も真っ白く凍って少しでも触れば霜が振って来る有様だった。
しかしこの状況は日本の冬山程厄介な事にはなら無い。
もうすぐ陽が当たり全てのものはあっという間に乾くのだ。


コッフェルの中は完全な氷で融かすのも厄介だ

6時、ラムさんが氷を溶かしてお湯を沸かし紅茶を入れてくれた。
水が出来るとカンニさんがラーメンを作ったのだが二人とも食欲が無いのかラーメンを残していた。
ネパール人が食べ物を残すのを初めて見た。
私はソイジョイを齧っていたのだが、喰わないなら貰うよと言ってラーメンを食べたが、二食分は食べ切れなくて残りはカラスとライチョウに分けてあげた・・・要するに捨てたのだが。


ジャガイモの喰い過ぎだろうか?食欲が無いと言う

食事後、のそのそとそれぞれがパッキングをするが、その手は遅く捗らない。
昨日まであった緊張感が消えて何処と無く「終わった感」が漂っていた。

カンニさんとラムさんがゴミを分別してポリ袋に入れていた。
なんでそんな事をするのかと尋ねるとナムチェまで持って帰ってSPCC(サガルマータ国立公園管理局?)の事務所に提出するのだと言う。

サガルマータ国立公園内の山に登るにはそれぞれの山のパーミットの他にサガルマータ国立公園管理事務所にも登山届けを提出しなくてはなら無い。
その際には、登山隊が持ち込む様々な消耗品のリストの提出と、ゴミのデボジットとして250ドルを預けなければなら無い。
そして、下山後にSPCCにゴミを持ち込み報告が了承されるとデポジットの250ドルが返される仕組みになっている。
特に気に掛けるのがガスカートリッジとバッテリーなどのようだった。


振り返るとテントとアイランドピークの山頂が小さく見えた

7時30分、テントを乾かして後から行くと言うラムさんらを残し出発。
たった二晩のキャンプだが、岩だらけの荒涼とした風景にも馴染み立ち去り難い思いに駆られた。

下りは楽である。
ましてや高所順応が出来た身体で下って行くと何処からとも無く力が湧いて来て歩くのが楽しくて、登りに1時間半掛かったベースキャンプまで30分で降りてしまった。


ベースキャンプが嘘のように閑散としていた

一昨日、三つあるテントサイトはほぼ一杯だったが、今日は一番上のサイトはテントはゼロで、その下もまばらだった。
今朝、早朝にアイランドピークを目指したクライマーもそれ程多くは無かったようだった。

昨年のアンナプルナサーキットでも感じた事だったが、11月も後半に入ると一気にトレッカーの姿は減るのだった。
今年のシーズンは終わりなのかも知れないと思った。


勝手にトーフ岩と名付けた存在感の有る岩

往きにもトーフ岩を見て此所で休んだのだが、クライミングの事しか頭に無くこんな面白い岩に何も感じる事無く通り過ぎた。
しかし、今は余裕が在るので何を見ても面白く、そして新鮮だった。
何度も見たはずの山の姿に再度感激してシャッターを切っていた。

トーフ岩でラムさん達を待ったのだが中々来ないのでゆっくり歩き出した。
チュクンで休んでいるとラムさんが追いついたがカンニさんは来ていなかった。
どうも調子が良く無いらしい。
ラムさんはカンニさんを待つと言うので自分はディンボチェまで一人でいく事にした。

途中の小さなカルカに家が一軒有った。
そこで大型の三脚を立てて写真を撮っている日本人を見掛けた。
被写体はネパール人の生活の姿なのか、子供らが遊び大人が何やら作業をしている風景にカメラは向けられていた。
自分はどう言う訳かカメラの前は横切れなくて道を外して迂回した。

ディンボチェからトレッキングに来ているのか、それとも先に進んでチュクンまで行くのか分からないが日本人のグループを二組見掛けた。

下るにつれ風の中から冷たさが消え丸くなった。
少し風が吹くと凍えていた高所とは一線を画する空気になった。

12時丁度にディンボチェの宿に着いた。
少し遅れてラムさんとカンニさんも到着して預けてある荷物を受け取った。

ディンボチェの昼飯を楽しみにしていた。
3日ぶりにジャガイモとラーメンとフリーズドライから解放されるのだ。
此所の食べ物は大概美味いので迷ったが、昼飯らしくツナサンドとミルクティーを頼んだ。

昼飯が出来る間にパッキングをし直したのだが、食料などが減って簡単に納まると思った荷物が入り切らない。
仕方が無いので適当に自分のザックに仕舞い込んで良しとした。
しかし、ザックの重さは推定で10キロを軽く超えてしまった。
此所から先ルクラまで、基本的には下りだからと自分に言い聞かせるが、どうしていつもこんなに荷物が重いのか腑に落ちなかった。
トレッキングだけの人と違ってクライミングの道具が重いのは分かっているが、それにしてもポーターが居るのにこんな大きなザックを背負っている人は見掛けない。
これ以上削れるものは無いと思うのだが・・・そうか、ダッフルバッグを大きくすれば良いのだ!!! この次はもっと大きいのを買うと決めた。

13時15分 ディンボチェ出発。

この宿には三泊し、そして今日も昼飯を食べ荷造りをし世話になった。
ここでも立ち去り難い思いがして、2~3日日向ぼっこなどしながら過ごしてみたいな、などと思った。
いや、ここは食事が美味くて、本当は水牛だと言われるがメニューではヤクステーキのデミグラスソースは普通にレストランの味だし、トマトソースのスパゲッティーも美味いのだ。
因みにチュクンのカングリリゾートのオーナーは従兄弟だそうで、だからどちらも食事が美味いのかも知れない。


標高4000mからは雲の下になる

15時00頃パンボチェ着。
下り基調の道とは言え距離は20キロ程になり、しかも小さな登り返しも度々有って楽な行程では無かった。
だが、降りるに従って濃くなる空気は身体に活力を与え続けるのか、膝に来ているなとは思ったが、体力的に参った感は無かった。
だからラムさんもカンニさんも振り切って先に歩いた。

ラムさんがパンボチェには馴染みの宿は無いので好きな所を選べと言った。
私は新しい感じの宿を指差したが、ラムさんは違う宿に入って行き今夜の宿を決めて来た。
部屋に行く時にラムさんが、此所の宿には美人の日本人が泊まっています、と言ったが、何時そんな人を見ていたんだ?と、驚きつつ、俺は日本人の女性なんか敬遠なんだけどな、と思っていた。

美人の日本人女性は確かに居たのだが、イギリス人のご主人と二人連れのトレッカーだった。
その日の夕食のダイニングは日本人のチームが二組だったがそこで交わされる言葉はイギリス英語で、自分だけがいつものように無口であった。

 19時00 就寝

 11月18日 酸素濃度 データー

 パンボチェ(3950m)93% 心拍数71 (PM3:00 )


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