じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

旅先の子供達

2014-09-15 10:58:00 | 2014 タイ&カンボジア
歳の為す技か? 見知らぬ子供の笑顔に心が和むようになった。
子供は国の宝とか言うが、違うだろう。
国境を越えて、地球の宝だろうに、と思う。

国境かぁ~・・・
厄介の塊だなと言いつつ、時に、国境の内と外の不公平を見るにつけ、己が国の位置を確かめ安堵する身勝手さ。

カンボジアの旅で一番多く接したのは物売りの子供達だったが、写真には撮らなかった。
物売りの声に立ち止まり写真など撮ろう物なら始末に負えない騒ぎになる。
そして、大概の子供は、土産物を飼うかモデル料を払うかと迫る。
余りのしつこさに辟易し、聞く耳を捨てた。



撮られるのを拒否する目だと思った


砂遊びに興じていた兄弟


カメラを向けたら笑顔で寄って来た


トンレサップ湖の水上生活者の村の子供


歩くべき地面が無いのだから必然的に船だ


年頃になれば服を着て街に出るのだろう


子供の足はタライだった


男の子も女の子も区別無く遊ぶようだ


土盛りされたらしい地面はお寺で子供が沢山いた


小さな子がより小さなこの面倒を見る


怪訝そうにこちらを伺っているのには訳がある


真剣に向かって来るのには大きな訳がある


発泡スチロールの破片で作った浮きは自作なのか?


この子達は落胆させてしまった

陸上で出会った子供達は先に書いた通り物売りの子が多く写真に撮らなかった。
本当は撮りたいのだが、後が厄介なので止めておいた。

トンレサップ湖の水上村に近付くとそこかしこに子供がいて、どれもこれも良い被写体なのだが、如何せん、こちらは走るボートの上で、被写体も揺れるとあって中々決まった写真になり難かった。

マニュアルの一眼を持って来なかった事を少し悔いたが、どうせ一度ハードディスクに入ったらほとんど見られる事も無い写真だからこれで良いのかとも思うが。

幾つかの写真の子供がこちらを真っ直ぐ見て漕いで来ているのは、私がお菓子を持っているのを知っているからだ。

残念ながら、小さな袋菓子を20個持っていたのだが、全員に配る事は適わず、最後の船の子供らには気の毒だった。

恐らく、この様な「子供の餌付け」には反対される人も多いと思う。
観光地で出会う「物乞い」の子供を気の毒がって小銭を上げるのは良く無いと言う風潮が強くなった。

理由は至極真っ当で、子供が学校に行く時間が無くなるし、その稼ぎを当てにした大人が働かずに昼間から酒など呑むようになる、と言うのだ。

多分、半分は当っていて、半分は外れていると思う。
ハズレだと思う子供は、「物乞い」をしなくても学校には行かせて貰えないし、何か違う労働をさせられるだけの事だと思う。

熱帯アジアの途上国の貧困は、先進国(物質文明国か?)の物差しは当てはまらない尺度だと思う。

国に喰わせてもらえない親は子供に喰わせてやる事も適わず、子供は生まれた時からそれが当たり前の環境なのだから、生きるのに一番楽で確実で手っ取り早い手段として、金を持っている観光客に的を絞るのは当然であり、お為ごかしの綺麗事は無用だと自分は思うのだ。

いや、こんな事を言うと、それだからいつまで経っても負の連鎖から出られないのだと言うのだが、観光客が要らぬ心配などしなくても、子供として同情してもらえる年齢は短く、「物乞い」をしていられる期間は長くは無い。

そうして「物乞い」で鍛えた度胸と要領と耳学問で覚えた英語を武器に、次は「物売り」になるのだろうと思うのは私の勝手な推測なのだが、たぶん、当っていると思う。

推測序でにもう一つ言えば、物売りを卒業すると、次は「私設ガイド」になるのだろうと思う。
国から許可を貰い登録されている正規のガイドとは別に、各遺跡には流暢な英語を話す「自称ガイド」が居て客を引いている。

私の勘では、「物乞い」は幾度かの脱皮を繰り返し、ガイドで成虫なのでは無いかと思うのだ。




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