まっ、アレです・・・現代では普通の人が普通に暮らしていたら人に殴られるとか、また,殴り掛かるとか、そう言うチャンスはほとんど無いと思う訳です。
で、私のように昭和の中期と言いますか、ガキの頃にはまだ幾分戦時色の名残が漂っていた世代ですと、けっこう普通に殴られたり殴り合ったりと、言うのがあった訳です。
無いか? やっぱし、クラスに50人居たとして、先生に殴られた人って4~5人も居たかドーか、ですかね?
いや,先生は頻繁に生徒を殴っていた訳ですが、それって、毎回似た様な奴なんで、特定の人が殴られていたと言う事で宜しいかと思いますが。
いや,私は時たま殴られていた方ではありません・・・毎日です"
「先生は僕を殴るとクビになるんでしょ」と挑発の小学生存在
こんなガキは憎たらしいと言いますか、恐らく、親がそう言う感覚で会話しているんでしょうね。
事の善悪よりも、ああすればこうなる理論の個人的解釈とでも言いましょうか、セコい現実を恥ずかし気も無く子供に教え、上手く立ち回るのよ、とか,やってるんじゃないんですか?
いや,ヒョットすると親が日教組の教師で,担任がそうでない教師と知ってガキに突ついて来い、とかやっていたりして・・・ああ、そうだ、その線だわ・・・ガキが自分でそんな知恵持つはず無いもん。
まっ、ナンであれ、こんなガキが出来上がると言う事は、大人を敬い、師を敬う・・・そんな気持ちを持たせない親が上に居るからでありますな。
いや,体罰は反対ですよ、基本的に・・・しかし、やっぱし、法律でも、それを犯した者は罰を受ける仕組みなんでありますから、学校と言う閉鎖社会のルールを犯す者は、その場での罰を受けてしかるべきだと思う訳です。
そう言う基本的な「罪と罰」の仕組みを身につける意味でもある程度の痛みを伴う罰は必要だと思うんですけれどもねぇ。
で、体罰云々に関しては、体罰その物を禁止する風潮では無く、先生が痛みの伴う罰を生徒に与える基準と言いますか、個人的な怨みや憂さ晴らしに殴ったり出来ない縛りが必要なんじゃないかと・・・まっ、バカオヤジの妄想ですけど。
学校での座高測定とぎょう虫検査、来年度で廃止
座高測定ねぇ~・・・これは,特に女子は恥ずかしかったよなぁ。
オメ、足長いな・・・どうも(胴も) は,流行りましたね。
で、私はギョウ虫検査と言うと,先生からの非常な体罰を即座に思い出す訳ですが・・・。
その昔のギョウ虫検査と言うのは検便でして、文字通り便を検査するんで、小さなブリキの缶に雲虎を入れて行った訳です。
で、先生から雲虎の詰め方の諸注意として、他人の者はダメ、自分のを入れて来い、と言うのと、大盛りはダメ、はみ出させるなよ、とかがあったと記憶する訳です。
で、私は検便の提出日、いつものように学校に向かっていた訳ですが、ランドセルの中に入れっぱなしの雲虎缶が未だ空っぽであった事に気が付いた訳です。
で、あっ、また先生に叱られる、と咄嗟に思った私は、野糞をして雲虎を詰めようかと考え、通学路の土手の陰に入った訳です。
すると、あれぇ~雲虎があるぅ・・・と,そこにまだ生々しい雲虎を発見したのでありました。
私はすかさず棒切れを見つけ雲虎をほじくり,検便缶に詰めた訳であります。
その後私は提出期日を厳守して、立派に提出を終えた訳であります。
さて、それから暫くして先生に呼ばれた私は、検便に土手の糞を入れた事などとっくに忘れていましたから、何事であるか,と,予想がつかなかった訳であります。
が、しかし、入学以来叱られたり殴られたりした事は数え切れない訳ですが、褒められるので先生に呼ばれた事は皆無なので良い予感は無かった訳であります。
さて、職員室に入って先生の机の前に行くと「お前、この野郎」と・・・まっ、そんな感じで、と言う事で・・・バチーンと,一発ビンタを張られた訳であります。
そして、先生は返す裏手で又もや、これはアレですか、拳法や空手で言う所の裏拳ですか? 手の甲で顎を殴ったんであります。
いや,流石にこれには参りまして脳震盪を起こしたらしく、私は保健室で一陣分の授業をやり過ごした訳ですが、それが職員室での出来事にも関わらず、問題になるどころか、後日自分の母ちゃんが学校に呼ばれまた追加で叱られたと言う・・・検便と聞くとこの思い出が懐かしく心に蘇る訳であります。
いや,検便に犬の糞を入れて行ったのは二度やった訳です。
一度目のときは女の先生で殴られもしなかったんですが、その事件以後学年が変わって担任が替わるまで、殆ど口を利かれなかった楽しい思いでもある訳です。
で、私のように昭和の中期と言いますか、ガキの頃にはまだ幾分戦時色の名残が漂っていた世代ですと、けっこう普通に殴られたり殴り合ったりと、言うのがあった訳です。
無いか? やっぱし、クラスに50人居たとして、先生に殴られた人って4~5人も居たかドーか、ですかね?
いや,先生は頻繁に生徒を殴っていた訳ですが、それって、毎回似た様な奴なんで、特定の人が殴られていたと言う事で宜しいかと思いますが。
いや,私は時たま殴られていた方ではありません・・・毎日です"
「先生は僕を殴るとクビになるんでしょ」と挑発の小学生存在
こんなガキは憎たらしいと言いますか、恐らく、親がそう言う感覚で会話しているんでしょうね。
事の善悪よりも、ああすればこうなる理論の個人的解釈とでも言いましょうか、セコい現実を恥ずかし気も無く子供に教え、上手く立ち回るのよ、とか,やってるんじゃないんですか?
いや,ヒョットすると親が日教組の教師で,担任がそうでない教師と知ってガキに突ついて来い、とかやっていたりして・・・ああ、そうだ、その線だわ・・・ガキが自分でそんな知恵持つはず無いもん。
まっ、ナンであれ、こんなガキが出来上がると言う事は、大人を敬い、師を敬う・・・そんな気持ちを持たせない親が上に居るからでありますな。
いや,体罰は反対ですよ、基本的に・・・しかし、やっぱし、法律でも、それを犯した者は罰を受ける仕組みなんでありますから、学校と言う閉鎖社会のルールを犯す者は、その場での罰を受けてしかるべきだと思う訳です。
そう言う基本的な「罪と罰」の仕組みを身につける意味でもある程度の痛みを伴う罰は必要だと思うんですけれどもねぇ。
で、体罰云々に関しては、体罰その物を禁止する風潮では無く、先生が痛みの伴う罰を生徒に与える基準と言いますか、個人的な怨みや憂さ晴らしに殴ったり出来ない縛りが必要なんじゃないかと・・・まっ、バカオヤジの妄想ですけど。
学校での座高測定とぎょう虫検査、来年度で廃止
座高測定ねぇ~・・・これは,特に女子は恥ずかしかったよなぁ。
オメ、足長いな・・・どうも(胴も) は,流行りましたね。
で、私はギョウ虫検査と言うと,先生からの非常な体罰を即座に思い出す訳ですが・・・。
その昔のギョウ虫検査と言うのは検便でして、文字通り便を検査するんで、小さなブリキの缶に雲虎を入れて行った訳です。
で、先生から雲虎の詰め方の諸注意として、他人の者はダメ、自分のを入れて来い、と言うのと、大盛りはダメ、はみ出させるなよ、とかがあったと記憶する訳です。
で、私は検便の提出日、いつものように学校に向かっていた訳ですが、ランドセルの中に入れっぱなしの雲虎缶が未だ空っぽであった事に気が付いた訳です。
で、あっ、また先生に叱られる、と咄嗟に思った私は、野糞をして雲虎を詰めようかと考え、通学路の土手の陰に入った訳です。
すると、あれぇ~雲虎があるぅ・・・と,そこにまだ生々しい雲虎を発見したのでありました。
私はすかさず棒切れを見つけ雲虎をほじくり,検便缶に詰めた訳であります。
その後私は提出期日を厳守して、立派に提出を終えた訳であります。
さて、それから暫くして先生に呼ばれた私は、検便に土手の糞を入れた事などとっくに忘れていましたから、何事であるか,と,予想がつかなかった訳であります。
が、しかし、入学以来叱られたり殴られたりした事は数え切れない訳ですが、褒められるので先生に呼ばれた事は皆無なので良い予感は無かった訳であります。
さて、職員室に入って先生の机の前に行くと「お前、この野郎」と・・・まっ、そんな感じで、と言う事で・・・バチーンと,一発ビンタを張られた訳であります。
そして、先生は返す裏手で又もや、これはアレですか、拳法や空手で言う所の裏拳ですか? 手の甲で顎を殴ったんであります。
いや,流石にこれには参りまして脳震盪を起こしたらしく、私は保健室で一陣分の授業をやり過ごした訳ですが、それが職員室での出来事にも関わらず、問題になるどころか、後日自分の母ちゃんが学校に呼ばれまた追加で叱られたと言う・・・検便と聞くとこの思い出が懐かしく心に蘇る訳であります。
いや,検便に犬の糞を入れて行ったのは二度やった訳です。
一度目のときは女の先生で殴られもしなかったんですが、その事件以後学年が変わって担任が替わるまで、殆ど口を利かれなかった楽しい思いでもある訳です。
とは言えその頃はヤンチャな女番長だったので苛めがクラス全体に広がることはなく。でももし私が大人しいタイプだったらと今思うとゾッとします。
そこから私が学んだのは教師でも大人でも糞はいる。もし子どもを産んだら自分の体験から師を敬えとは素直に言えないと思います…
そうですね、教師が全て師だなんて0yaziも思っていませんで、師に値する人を師と戴く、と言う事でしょうか?
そうですね!尊敬できる方は本当に尊敬していると思いますよ(どんな職業でも、年下でも、同い年でも、年上でも…)。
こっそり0yaziさんのことも尊敬しております。ふふ~
こらっ,オヤジをからかうんじゃ無いっ!!!
照れるぜ・・・。