いや、便所の落書きにも劣る私のブログではありますが、こんなモノでも記する当人はけっこう考えながら捻り出しているわけであります。
で、捻り出すといえば文字通りアレであり、ナニな訳ですが、気張っても出ないときは出ないもんでして、そんな時の心境はクソッタレ、であります。
で、クソッタレは食べないと出ないのが道理なんですが、ブログなどのアウトプットも一緒で、インプットが無いと出るモノも無いのであります。
誰が言ったか忘れましたが、全ての創作は所詮模倣である、なんてことを聞いたんですが、インプットって刺激が創作に結びついて花が咲くとしても、その種は他所から持ってこないといけない・・・いや、私がボンクラだから真っ新からの想像ができず模倣になるのかも知れないので断言できませんけど、でも自分はインプットが無いとアウトプットも無く、だから働いているよりも遊んでいる時の方がいろんな事が脳みそ内に沸くのであります。
いや、小説家や俳人や詩人も大御所は皆して旅ばかりしているのは、やっぱしインプットを求めてでは無いかと思うんであります。
ついでに言うと、旅先での刺激を倍加して強いインパクトを求めると色恋沙汰に持ち込み、そして敢えて問題をややこしくし、強烈なアウトプットを得ていた、なんて思うんであります。
もっと言うと強烈で新鮮なアウトプットを求めて行き詰まると大概の人は死んでしまうわけでして、だから芸術家は自 殺するんでありましょう・・・と、思いますが、私ゃそこまで思い詰めた事がないので想像であります。
で、インプットの邪道として薬物やアルコールがあって、今時だと音楽関係の人や・・・あっ、スポーツ選手も居ますけどね、まっ、いいでしょう。
で、古くはポン中が居たしアル中は時代を超えて共通でして、そんなことを鑑みると脳みそに刺激が来るもんならなんでも良さそうな感じであります。
自分の場合はその刺激を「危険」に求めた事があったんですが、年をとるにつれ、放っておいても先は短いと察し命根性が意地汚くなり今は安全な生き方を旨としているわけであります。
しかし、安全で安定した生活はインプットが薄味でして、年々人格も丸くなり、ブログに書くことも棘がなくなり詰まらんものになっていると思うんであります・・・へっ、素より詰まらんだろう、ですか? そーですね、反論できません。
で、何を言いたいのかといいますと・・・旅に出たい、であります。
本など読んで受ける刺激もインプットには違いないんですが、それで出てくるアウトプットは模倣というよりもパクリでして、あんまし潔いものではないと思う今日この頃・・・大雨の地方の皆様は早めのジタバタをを心がけてくださいよ。
いや、井原西鶴の続きを読んでいたら書きたい事がたくさん浮かんだんですが、所詮は西鶴の脳みその方が何枚も上なんで自分ごときが屁理屈捏ねても恥を書くばかり・・・ああ、謙虚になったともいえますかね? なんちゃって。
で、やはりこの遣る瀬ないモヤモヤの救いは旅の宿にしか無いと思うんであります。
おっとぉ・・・立民の政策宣伝カーなんてのが煩く通っていくではありませんか・・・岡本敦子と名乗ってますが、これは解散があるのかな?
しかし、こんな山奥のタヌキとイノシシの方が多く住んでいる団地で騒いでいずに都会へ出た方が良いと思うんですけど、まっ、いいでしょう。
嗚呼、旅に出たい・・・いやいや、ジジイの好きな海外の場末の飲み屋で若い娘を相手に酒など飲めれば幸せ至極ですけれども、近所の温泉でも良いんであります。
が、しかし・・・インプットを得るには先に行ったように幾つかの条件が揃わないとダメなんですが、今の私の身の上には矢切の渡しのような話は皆無ですし、さざんかの宿も無縁であります。
私ゃ韓国モノは大概毛嫌いしているんですが桂銀淑と趙 容弼だけは捨て難いのであります。
桂銀淑の「すずめのなみだ」とか趙 容弼の「想いで迷子」なんてのは国籍無関係で演歌の真髄を貫くものとして聞くわけであります・・・まっ、優れた作詞と作曲の賜物とも言えますが。
と、いう事で、私ゃインプットしないと枯れそうでして、旅に飢えているんであります。
とは申しましても、このご時世ですから、私の愛用する大江戸温泉物語や伊藤園チェーンの格安では危険もありそうですし、何よりも温泉に入ってまったりしたからって強いインプットなど有る筈も無く・・・やっぱしこーなったら薬物ですかね?
あっ・・・支離滅裂を羅列している間にバイトに行く時刻が迫ってました。
んじゃ、とても嫌ですが行ってきますんで。
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