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じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

リダー ヘ No.16

2014-01-01 09:54:36 | ネパール旅日記 2013
 
 11月20日 水曜日 薄曇り~快晴

 マナン(3540m)からリダー(4200m)へ向け、7:40分出発。

 目前に迫るガンガプルナの山容に圧倒されながら、馬糞が風に舞う道を行く。
ここから先はバイクも来なくて、驢馬や馬が歩くのみだった。

 ここからが本当のアンナプルナサーキットと言って良いと思う。
ジープロードだろうと馬道だろうとアンナプルナ街道には違いないのだが、ここからトロン・ラ・パス越えとその後の下りはアンナプルナサーキットの核心部で、歩く辛さも景色の変化も別格だった。

 昨日までのガイドと客の関係は払拭し、主導権は完全に自分が握った。
ネパールにやって来る日本人が特別温厚なのか、それとも、彼らが相手にした日本人がそうだったのかは知らないが、自分は彼らの知るいつもの日本人とは異質な事を十分に分かってもらえたようだった。

 「俺の前を歩くな。5m以上離れて歩け。逆らったらクビだ。」と、今朝も言ってから歩き始めた。
こんな事を言う客とガイドが良い関係で歩けるはずは無く、殆ど会話も無く、自分は独りで歩いている気分になり、かえって気楽で良かった。

 この道を使った輸送手段は驢馬や馬や人が荷を背負って行くので今まで以上に茶店が多く、自分は日当りが良く景色が良い茶店を見つけると立ち寄っては紅茶を飲んで休んだ。

 ピサンピークで高度順化が済んでいる事も有り、4000m近くになっても呼吸は楽で、白人の若いトレッカーをずんずんと追い越して歩いた。

 休みが多い割りには距離は進み、11時30分に今日の予定地だったヤクカルカに着いてしまった。
自分はドルジに「ここで昼飯にして泊まりは次の街に行く」と告げた。
ドルジは観念したのか愛想笑いを浮かべながら、それは良い考えだと言った。

 ヤクカルカと言う地名だけにヤクがたくさん居るのかと思っていたのだが期待はずれだった。
放牧地に数頭のヤクがいたが、写真や本で読んだような壮大な風景とはほど遠かった。
ナーランに「ヤクが少ないな」と言うと、冬に入る前にして良い時期が有って相当なヤクがされ干し肉になるのだとか。
さらに、今は牧草も無い季節だから放牧もされていないし、いるとすればもっと下の方に居るんじゃないか、と言った。
そして、目の前の建物の二階を指差すので見ると、ヤクの肉が部屋いっぱいに吊るされていて、窓から微かに煙が出ていた。
ヤクの薫製を作っているらしかった。

 12:15分ヤクカルカを出発し13:15分にリダーに着いた。
リダーの村に宿は3軒しか無く、そこそこ早い時間に到着したにも拘らず一階のトイレの隣の日当りの良く無い部屋しか取れなかった。
ガイドブックやトレッキングの記事を読むとヤクカルカに泊まるのが普通のようなのでリダーは空いていると睨んできたのだが、誤算だった。
ドルジ曰く、高度順化の為に停滞しているグループが居て、上のトロンフェディーへ行っては戻って様子を見ているらしい。
そして、今日も昨日も高度障害でレスキューされたトレッカーが居たとも言った。
なるほどなぁ~もう高山だものなぁ、と、思ったが、自分はすっかり順応が出来ているので快適だった。

 ここら辺りからは登り方にも工夫が必要になって来る。
一つ下のヤクカルカ(4000m)に泊まり、次はトロンフェディー(4450m)と刻んで、さらにトロンハイキャンプ(4950m)と慎重に行くトレッカーも居るが、自分らのようにリダー(4200m)からトロンハイキャンプと進み、トロン・ラ・パス(5416m)を越えるトレッカーも居る。
すべては高度順化が出来るかどうかに掛かっているので体力や過去の経験は余り宛にはならない。
エベレストを経験しているガイドが6000mの山で高山病で参ってしまいレスキューされる事も有るのだ。
理想的なのは、一度高度を稼いでから一つ下の村に降りて滞在することだろう。
今日の標高差は700mでそこそこの登りが有ったのだが苦にならなかったのは、完全に順応できたからだろう。

 トイレの隣でドアの音がバタンバタンと煩い。
その上窓の外に突き出た煙突からゴミ焼きの煙が出ていて風に乗って部屋に侵入する。
何とも言えない嫌な匂いで頭が痛くなる。
マスク代わりにタオルを巻いて凌いでみたが効果は薄かった。
満室故に文句を言っても部屋を変えてもらう事も出来ず諦めるしか無かった。

 暫くして、日没近くに到着した白人のペアが二階の自分の真上の部屋に入った。
野郎、ドルジめが、わざと最悪な部屋を取りやがったのか?仕組みやがったか、と疑ったが、どうも先着の人が居て複数の部屋を押さえていたようだ。

 高度が上がったからかも知れないがドルジはロキシー(ネパール麦焼酎)も呑まず大人しい。
そして、何かに付け愛想笑いを浮かべご機嫌を取ろうとするのがかえって不気味だった。

 この部屋には電気が無かった。
そもそも、ヤクカルカの電力も村独自の小型水力発電でまかなわれていてマナンから先に電線は伸びていなかったと思う。
万年雪を戴くヒマラヤの山は水が豊富だから何処でも水力発電が可能だ。
無理して送電線を引くよりも村や街の規模に合わせた水力発電施設を個別に持つ方が合理的だと思った。

 目の前にガンガプルナが聳えているのだが、アンナプルナ山系にこんな秀麗な山が有る事を知る人は少ないと思う。
山好きでアンナプルナの名前は知っている人でもガンガプルナは知らないだろう。
この界隈の地図を見なければ知る由もないので当たり前だが、それにしても美しく、そして威厳に満ちた山である。
ドルジに「あの山はどうやって登るんだ」と問うと「決まったルートが無いので誰も登らない」と答えた。
7454mは決して低くは無いのだけれど、8000m峰ではないので初登でなければ値打ちは無いのかもしれない。
ヒマラヤヒダが美しい北面の壁は、もとより自分には手も足も出せないのは分かり切っているが、若いうちにこの山を見たら燃えたかも知れないと思った。

 日没後ベットに寝袋を広げ潜り込んで日記を書いていたのだが、手袋をしていても指先が冷たくて鉛筆を持つのが苦痛になってきた。
英語が飛び交うダイニングへ行くのは嫌だったが寒さに負け、夕食の予約時刻よりも30分早く行ってみた。

 案の定、英語の会話が楽しそうに充満し、自分が快適に過ごせる空間ではなかった。
しかもテーブルに空きは無く、またもや相席を願い出なければならなかった。

 不思議なのだが、四人掛けのテーブルだとすると外国人の男性二人連れは7対3くらいの確率で隣同士で座っていると思うのだ。
男女のカップルはほぼ100パーセント隣同士に座っていて向き合って座るカップルは見た記憶が無い。
英語を話す人種は男女とも並んで座るのが好きなのかも知れない。
熊のようなごつい男と眼鏡をかけた神経質そうな二人連れの前が空いていたので相席を頼んで座った。

 席についてすぐにドルジが自分を見つけ、キッチンからすぐに夕食を持って来てくれた。
おいおい、どーしたんだドルジ君である。

 夕食はフライドエッグにプレーンライスとオニオンスープだった。
しかし、ライスがいただけなかった。
フリーズドライのご飯を一度戻して再度冷し、それをまた蒸かしたようなぐちゃぐちゃのご飯なのだ。
しかも、ぐちゃぐちゃなだけならまだ食べられるのだが、なんか妙な匂いと味がするのだ。
ヘアーリキッドの匂いとでも言うか、それが味までおかしくしているようで飲み込めなかった。
カチカチのフライドエッグを食べ、オニオンスープを飲み、ミルクティーを持って部屋に戻った。

 部屋に戻り残り三本になったソイジョイを齧りながらミルクコーヒーを飲んだ。
どうにも腹が納まらなくて食料を入れていた袋を逆さにしたら、なんと、アーモンドチョコレートの箱が出てきた。
明後日にはトロン・ラ・パスを越えてムキナートの宿に着いているはずだ。
と、なれば今夜と、明日と、明後日の朝の食料の心配で良いのだ。
ソイジョイが二本、フリーズドライのお粥が一つ、赤飯が一つに味噌汁が二袋、と、アーモンドチョコレートが一箱ある。
昼飯はリンゴとチベッタンパンケーキでナントか凌げるので良いので計算上は十分と言える。
しかしアーモンドチョコレートは非常食として半分は残すべきであるとの思いから、正確に10粒を食べて残を仕舞った。

 満足な味の物を食べていなかったせいでアーモンドチョコレートはとんでもなく美味く感じ、残を仕舞い込むのに相当の葛藤が有った。
こう言う時は寝てしまうのに限る。

 午後6時半就寝。

 相変わらずのゴミ焼きの匂いと、おまけに犬まで吠えていたが、どう言う訳かすぐに眠ったようだった。



 



 

 

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