ふじみ野駅 その5

2017-12-20 15:31:37 | 日記

苗間西公園の背高童子。背筋を伸ばして遠くを見やる姿なので背高。ブラジャーをしています。

東原親水公園のほうを見やっています。園児たちの遊戯時間と重なりまして。園児のひとりが来て挨拶をくれました。苗間の苗は描く。猫。錨(いかり)。苗床の根を下ろす場所です。
背高は背を伸ばす。クロスする肩甲骨が翼や羽が生えたように軽くなる「せいこん」。生痕=聖痕。成婚=聖婚。もちろん鯨のように潮を吹くわけではありません。韻の「腰がぬける」「イキ果てる」。その現れがブラジャーの乳バンド。帯でバンドの演奏。母乳は白い血「ち」ですね。精液のように女性も射精をします。よい性感ならよい音色を返してくれるのよ。

見やっていた東原親水公園は砂川堀の流れに沿っています。真ん中あたりには円陣を組んだ石柱が立ちます。東上線のお臍の象徴が復元の大井戸。

国道254号(川越街道)と砂川堀がクロスする内側にあります。お臍の穴です。

天神橋から龍の脊が「なみ」をうって遊歩道を作っています。そんな東の原(腹)にいるのが弁天童子。どんぐりを頭に載せた弁天童子と背高童子。見かけは兄弟姉妹ですね。

どんぐりは団栗=皁。「しもべ」「飼い葉桶」「うまや」を頭に載せて弁天、辨天、辯天。「わきまえる」。字面の辨は「帰」の左側。 帰=歸。肉食の𠂤「たい」+足(止)。肉食の声なき声の形が帚(ほうき)。祓いたい現れですね。肉を食うなではなく。家畜肉のオリが溜まらない食べ方や畜産ができるようになります。
百の生を出し切った。天命を全うした死体肉は御馳走です。艮のない血肉は体に宿しても「こん」になる事はないのさ。
人間像も同じ。循環紙幣社会で金縛りが解けた人間像。土葬、水葬、風葬(鳥葬)をしても痘痕を残さず虚構自然に歸してくれます。虚構自然は写す世界観の全てです。外側も内側も心模様も。返してくれるのは今「こん」が身軽になった世界観です

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