単身赴任生活を楽しもうぜ!!

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94万人避難「非現実的」!!

2011-12-08 21:45:47 | 日記・エッセイ・コラム
2011_12080009
おニューのカメラでの日替わり弁当!!
色彩が前のカメラとは違う感じかな?
そんなことより、チョッと真面目に・・・。94万人避難「非現実的」!!
新聞の過去記事を整理していて山新11・24の記事が目に着きました!!
原発防災地域の拡大
原子力安全委員会
原子防災対策重点地域(EPZ)を緊急防護措置区域(UPZ)として
半径約30kmに拡大
さらに、半径5kmは事故後直ちに避難する予防防護措置区
域(PAZ)、半径約50kmを目安に屋内退避や安定ヨウ素材服
用等の対策をとる放射性要素防護地域(PPA)として新設
とか。
さらに目に着いたのは、これによる東海第二原発(茨城)周辺自治体の嘆きです!!
 これだけではわかりにくいので、つまり「原発事故があったらとにかく遠くに逃げて安定ヨウ素材も服用しましょう!!」という事がやっと決まったということです。そして、その範囲がこれまでより拡大されたということです。これまでは…?
先日の〇〇〇スペシャルの中での話では、
安全神話~当事者が語る事故の深層~
安全神話の誕生
 東京電力福島第一原発が建てられたのは今から40年も前。
 アメリカから最新技術を導入し、東京電力が初めて造った原発。
 国をあげて推進していた原子力発電は、絶対に壊れることはないとされてきました。
 原発設置基準を定めた国の立地審査指針では、万一の事故が起きても公衆の安全を確保するという理念が掲げられてきたのです。
 指針を作ったのは国の原子力委員会の専門部会。後の原子力安全委員会
 当時、日本には原発を造る技術は無く、殆どの原発がアメリカから輸入したもので、指針もアメリカを参考に作られた。(はずなのに…?)
 アメリカでは、原発の設置(立地)基準にについて低人口地帯を設けるよう義務付けていました。しかし日本では、深刻な事故は起きないことにして、低人口地帯を設けなくても建設を認めることにしました。
 そして、シビア・アクシデント対策もしないことにしました…。
 その後、後の時代になって地震学者や、原子力研究者で異を唱える人も居た。
 わずか2回の議論だけ、議事録には2行だけで全く取り上げてもらえなかったという。
 この地震・火山大国の日本に…。
 「異を唱えるには勇気が要った…。」
 「いい加減だなあと言われても、メリットがあるんだから…。」
 それでも、当時の幹部はニヤケた顔をしながら言っていた…。
 「なに言ってるの
 彼らには、今後一生をかけて原発廃炉のために働いて(頭を使って)欲しいと思いました・・・。
 こんなことを許してきたこれまでの私達までの世代にも少なからず責任がある思いますが、当時の国民の全てにこの知識があったか、与えられていたかと思うと・・・これから?
 戦後間もなくの時代とは全然違い、何が何でも原発のエネルギーが必要な時代とは到底思えません…。
 今も原発は殆ど動いていません!!  「もんじゅ」なんかは一度も役に立っていません!!
 まだ、この自然豊かな国土を汚し、人命を危険に晒してまでもやらなければならないの(財界と政界+自治体の関係がネック?)でしょうかね…?
 今回の原発事故の調査・検証では、第一原発に居た吉田所長のからのコメントが全て公開されてはっきりするんだと思います。
 吉田所長は、(当時の菅さんも言っていたような)かなりのことを覚悟されていたようですね…。私も、素人ながらかなり危ないと思っていましたし、まだまだ油断はできませんね。
 今回の震災を反省・教訓とし、日本の太平洋側プレート境界や活断層等の地震発生確率が国の見通しで急上昇している現状ですが、これだけの大地震がありながら歪がまだまだ解消されていないエリアがあるのは確かなので、暫くは注意が必要だと思います。
 
 二度とこの国で原発事故がありませんように(次に北陸辺りであったら、富山・新潟・山形・秋田・宮城・岩手も日本では安心して食べられる美味しい米は無くなるかも?)と祈るばかりです…。
 
 

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