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あら…最後にまとめようとしたら、愚痴になりました。

2012年06月30日 08時37分33秒 | 野球
いよいよ最後の日がやってきた。



カープが最後に優勝した平成3年のオフ…

知人に誘われ、野村謙二郎選手の後援会に参加した。

この年…野村は優勝に大きく貢献し、人気も抜群。

まさに赤ヘル野球の申し子だった。

彼は司会者に促され壇上に上がり開口一番こう言い放った。

「カープは惜しくも日本一になれませんでした。私は…日本シリーズ最後の打者で、初球を打ちアウトになりました。後に多くの人から批判を受けました。あのチャンスに何で初球から打ったんだと。人は結果論でしかものを見ません。しかし私には、全く後悔はありません。ナゼなら…あれが私のスタイルで、あの球を逃し後悔するのが嫌ですから」

あの年…西武との日本シリーズ。

詳細をご存知ない方に再現すると、9回表カープは1点差ビハインドのなか、最後のチャンスを迎えた。2死満塁…流れは広島に傾き西武は絶対絶命のピンチ…

そこで迎えた打者が野村…

カープファンは、野村に全てを賭けた。

しかし投じられた初球…確かに甘い球であった。

真ん中外よりのストレート系。

当時の野村は、一部でダボハゼというあだ名のある打者で、良く言えば好球必打の積極的な打者。悪く言えば何でもかんでも手を出す打者で有名だった。

結果…何でもないピッチャーゴロでゲームセット。西武日本一という結果になった。


まあ考えてみれば…それが現在でも野村野球の礎であるのだろう。

好球必打…積極的な攻撃…

当たればいいが、外れると淡白な攻撃に見える。





さて話し変わって昨日…

某金融機関からいただいた中期計画ディスクロージャー(金融機関の決算書)に、頭取と野村の対談コーナーがある。

これはシーズン開始前に行われた対談(3月16日)となっている。


その中で思わず…噴き出した野村語録がある。

「リーダーと言うのは、自分から手を挙げてなるものじゃない。周りの仲間が認めてくれる人がリーダー。またリーダーは一人では成り立たず、水戸黄門に助さんや格さんがいたように、サポートしてくれる人がいて成り立つものと感じる。そして何より必要なのは決断力。その決断を迫られたとき、「本当にその決断で良いのですか?」と問いかけてくれる人の存在が必要」

まあこれは許せる範囲だが、問題は以下のコメントである。(他にもあるが)


「決断に際しある程度の案は決まっているので、「聞く耳を持つ」ことはたやすいことではないが、私も努めて耳を傾けている。意見する側も覚悟が必要だと思うので、意見しやすい雰囲気を作ることも必要だと監督就任3年目にしてつくづく感じます」


まあ感じただけでしょうね。


せっかく最後の日なのに…つまらんこと書きました。(すいません)

まだもう少し…今日と言う時間は残ってますので、総括的なものは後ほどにさせてもらいましょう。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あれ? (福山)
2012-06-30 11:47:12
最終戦は確か…大差で負けてます。
野村は…山崎の押し出しで先制の後の
満塁で初球を打ち上げ…

凡打に終ったんです。
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Unknown (安部)
2012-06-30 12:55:34
子供の頃に強いカープをみてる昭和40年代生まれの我々は
将来に希望が持てた80年代に多感な10代を過ごし、バブルが
はじけた影響の少ない頃に就職し、家庭も持てた・・・

戦前、戦後含めて、最も豊かな世代なのかもしれない。
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Unknown (走れ!タカハシ)
2012-06-30 14:21:45
満塁で初球打ち凡退、第7戦の5回表じゃなかったですかね?
現役時代から野球脳のない人間でした

明日もこのブログが続いていることを願ってます
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長らくご愛顧ありがとうございました (管理人)
2012-06-30 17:56:00
最後に大間違いな記憶を飛ばしまして申し訳ありません。

こんないい加減な男にお付き合いいただき、感謝申し上げます。

ありがとうございました。
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