旅の途中から

2005年1月9日ひっそりとスタート、旅はまだ続きます。

香川照之

2011-10-04 07:29:19 | Weblog
いや~歌舞伎界、六本木で喧嘩して盛り下げている彼もいましたが。
香川照之は男ですね、ご長男とふたり頑張ってほしいと思います。

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市川亀治郎・香川照之 記者会見全文
9月26日の夜に「香川照之さんが来年6月新橋演舞場に出演」というニュースが流れ、Twitterのタイムラインが賑わっているうちに、27日には、市川亀治郎さんが四代目 市川猿之助襲名、同時に猿之助さんが二代目猿翁、猿之助さんのご長男である香川照之さんが市川中車を襲名して歌舞伎界に入り、香川さんのご長男政明くんが市川団子を名乗り初舞台を踏むというビッグニュースが駆け巡りました。



▼香川照之さん挨拶

 いとこにあたります市川亀治郎が猿之助を襲名します。これは非常に僕自身も納得する話ですし、もとをひもとけば、この猿之助という名前をどうするのか、父ともたまに会う中で話したこともございますし、亀治郎君とも話してきた中で、すんなりと亀治郎さんが快諾して下さったことで僕自身もうれしいです。
 ただ、このテーブルからこちら(香川さんと息子のこと)の話はこれから説明を非常にしなければなりません
 私自身ことしで46歳になりますけれども、歌舞伎の世界とは無縁に過ごして参りましたのは皆様ご存じの通りでございます。しかし2004年に私の右隣にいる政明が誕生いたしました。父も祖父も曾祖父もつけていた「政」という文字を頭につけました。それは偶然ではありません。僕自身の意図があります。それはきょうこういう日を迎えるためでございます。7年かかりましたが、私の中で140年にわたって続いているその代を僕自身が生きていて政明という長男がいて、やらなくていいのか、「この船に乗らなくていいのか」とこの10年、それと彼が生まれたこの7年、ずっと思ってきたことです。
 しかしこの船に乗らないわけにはいかない。いろいろな迷惑も考えました。いま亀治郎くんの方からお言葉がありましたけれども、市川宗家、松竹株式会社、お客様すべての支えがあって初めて成り立つ世界と言うことも重々承知しております。そこに我々のような素人が入っていいものかと本当はきょうも怖くてたまりません。
 しかしもう一度いいますが、この船に乗らないわけにいかないんです。それが僕の人生なんです。幸いなことに20年以上商業演劇の世界で映像の仕事をやっておりますので、少しはお客様の前で気持ちのようなものを出せるかと多少の自分自身の思いはありますが、本当に素人だと思います。本当に色んな人にご迷惑をおかけしてしまいます。しかしこれをやらねばならないと思った僕の気持ちをくんで下されば。くんでくださいというほかありません。
 実はことしの春から45年間無縁でありました父と同居しております。3世代同居です。
これは初めて打ち明けますが、これはいろいろな人のサポートを受けて成立しております。父と24時間、いっしょにいてその病気を横で見て体調を見て、良い日悪い日いろいろなものを見てまいりました。その中で、お弟子さん達も市川猿之助という人で集まっている人がたくさんいる。お弟子さん達の運命も私の父が握っているという思いの中で、では誰がサポートしていくのか、父は2年前の3月に藤間紫さん亡くなられてから1人でございますので、どうにか、父と一緒にという思いの中で実現した同居の中でこの思いを伝えるには、僕がやっぱり立ち上がらなければならないという思いを強くしました。
 私の父の先祖の墓参りをしていたとき(8代目)市川中車さんのお墓があり、中車のお墓の前で手を合わせる度にぼくの名前を出してくれと言っている気が、勝手な想像ですけどずっと致しておりました。
 この名前が気になっていて、それで父と同居する中で、この名前を僕が継いでもよろしいでしょうかという話をしました。もちろん松竹の社長、専務の方にこんなドラマティックなことをしても良いものでしょうか。はっきりいって本当に素人です。何もできません。
 もう何にもできないんです。でもこの船に乗らなくてはいけないんですと話させていただきましたところ、幸いわたしの父も宙を飛んだり、風雲児とかいわれて色々アクロバティックなことをして参りました。その血が僕にも流れていると思って、どうかお願いいたしますということも言わせていただきました。その中で受け入れて下さって本当に松竹株式会社さんと市川宗家にもご相談させていただいて受け入れて下さったことを本当に感謝しています。ただ、本当にご迷惑をかけることになると思います。全歌舞伎役者さん達に対して本当に僕を助けて下さい。ご迷惑をかけます。ダメなら足を洗います。本当に頑張るしかないんです。この船に乗らなくてはいけないという思いでさせていただきます。
 ベースはあくまで映像なんですが、時々本当に小さな役で、できるだけ小さな役で。どこにいるか分からないという感じでやらせていただきたいというのが本心です。
 香川照之という名前をこれは特例として残すと言うことも松竹から了解してもらっています。映像に戻るときは香川照之という名前でいます。そして、父の残した世界を継ぐという使命を帯びたときは「市川中車」を名乗らせていただきます。今後とも色々迷惑をかけると思いますが、ゼロからの出発です。うちの息子も本当にゼロからの出発です。芸は本当にこのおふたりを(段四郎、亀治郎をさして)見ていただいて、私たちはなんて言うんでしょう、「何々パンダ」的なそういうことで、舞台に立たせていただけたらと思います。本当に今後ともご迷惑をおかけします。どうぞ宜しくお願いいたします。

問:お母様は(浜木綿子さん)何と言いましたか

香川照之さん:
 これもまたいろいろな問題もございます。母の方では最終的には快く受け入れてくれて、いろいろな気持ちがあるでしょう。でも僕がやろうとしていることについては最大限のエールを送っていただいてますね。香川照之という名前も残して欲しいと母の方から言われましたし、僕も含めてかなりいろいろな思いがあると思います。
 一番心を痛めているのは母かもしれません。ただ彼女にも言いましたが、僕はこの船に乗らずに死ぬわけにいかないですね。
 ただそれだけです。それが僕の人生なので、母に感謝しています。最終的に母が許してくれなかったら前に出なかった話です。そういう意味では本当に感謝しています。
ういうことです。

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