旅の途中から

2005年1月9日ひっそりとスタート、旅はまだ続きます。

凋落

2008-11-05 02:01:21 | Weblog
まあ彼が悪いのですが、彼だけが悪いというより金があるとそれにたかる良からぬ輩が一杯いるということでは?わが世の春をまさしく謳歌した時期があるだけに詐欺で逮捕までいってしまうのはちと気の毒のような気がします。足るを知るなかなか難しいことだと思いますが、起死回生のヒットをと言いたいところでしょうが、いったん×(罰)がついてしまった人間にチャンスを与えるほど人間社会は甘くなく、今回の件が解決しても過去の栄光の亡霊を追いかけて残りの人生を生きていくしかないのでしょうか?諸行無常です。
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日本の音楽界の頂点を極めた小室哲哉。たぐいまれな音楽の才能を絶賛されながらも、ここ最近は困窮ぶりがたびたび伝えられ、かつての栄光は見る影もなく消え去っていた。


 小室は東京都出身。3歳からクラシック音楽に親しみ、10代から作曲活動を始めていた。1983年5月に宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORKを結成。小室のコンピューターを駆使した斬新なサウンドは注目を集めた。86年1月、渡辺美里に提供した「My Revolution」がチャートで1位を獲得、バンドも87年、シングル「Get Wild」が50万枚のヒット。88年にはNHK紅白歌合戦に初出場した。


 94年にバンドを一時解散、音楽プロデューサーとしての活動に軸足を移すと、trf、H Jungle with t、安室奈美恵、華原朋美ら「小室ファミリー」と呼ばれたアーティストたちが軒並みミリオンヒットを記録。自身も95年に結成したglobeでヒット曲を連発。96年4月にはオリコンシングルチャートで1位から5位までを小室プロデュース曲で独占した。


 「TKサウンド」の黄金時代を裏付けるように、小室は高額納税者番付の常連になった。96、97年と2年連続で高額納税者番付の第4位になり、推定年収はそれぞれ20億円、23億円に。華原との交際もクローズアップされ、このころが公私ともに絶頂期だった。


 しかし、転落の引き金はこのころすでに引かれていた。念願のアジア進出に乗りだそうと96年12月、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。2年後に「ロジャム」と改称して音楽や映画のコンテンツ販売を手がけたが2004年に撤退。多額の負債を背負った。


 私生活も乱れた。「無類のアイドル好き」と周囲から言われるほど女性遍歴も多く、87年12月に元アイドルの大谷香奈子と結婚。92年に離婚したが、その後、華原との仲が取りざたされ、98年秋に破局している。華原はのちに自殺未遂を引き起こした。


 2001年5月には、KABA.ちゃんらと3人組ユニット「dos」でダンス・コーラスを務めた吉田麻美と“出来ちゃった婚”。9月には長女が生まれたが、翌02年3月、わずか10カ月で離婚した。その7カ月後にはglobeのKEIKO(KCO)と電撃結婚して周囲を驚かせた。


 この結婚のウラでは吉田への10億円とも7億円とも言われる慰謝料支払いが滞っていた。吉田は3年前、週刊誌に「慰謝料として私と娘が住むためのマンションの賃貸料、娘が成人するまでの養育費をそれぞれ月払いの分割で払うことで決着しました」と明かし、2年ほどで家賃と養育費の振り込みがストップしたと暴露している。


 肝心の音楽面も21世紀になると一気に急降下した。


 大ブームの反動かTKサウンドは全く関心を集めなくなった。


 01年からは吉本興業とマネジメント契約を結んだが、さしたる活動もなく07年6月に契約満了。妻のKEIKOは今年3月にTBS系のテレビ番組で「食事はオリジン弁当、ハンバーガー、ピザのローテーション」と極貧生活ぶりを明かすなど、小室容疑者の窮乏ぶりは周知の事実となっていた。


 今月1日、埼玉のFM局「NACK5」開局20周年記念番組に出演した小室は、20年の活動を振り返り「前半10年と後半10年は全然違う。98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」と苦悩を語っていた。一方で「作曲数は来年には1000曲にいくんじゃないか」とも豪語していた。