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家康は関ケ原では危うい状況であった

2023年01月07日 | 歴史
⑪今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。
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福島、池田ら東軍諸将が、おりからの豪雨のなか、西上をはじめたのは七月二十六日であつた。
家康は、出立(しゅったつ)してゆく彼らを眺めつつ、内心の怯(おび)えを近臣(きんしん)たちに語った。
「左衛門大夫(福島正則)は先手となりしが、太閤の縁者なれば、二心を抱きおるやも知れず。さすれば、甲斐守(かいのかみ)(黒田長政)も誘われて奉行方に就くであろうな」

近臣本多正信が進言した。
「福島殿に異心なきやを見さだめるには、黒田殿を道中より召し返さるるがよしと存じまする」
正則に異心があれば、すでに長政を誘っている。長政が正則と通じておれば、呼び戻されても帰ってこないというのである。家康はただちに使者を走らせた。相模愛甲郡厚木で長政に追いついた使者は、家康の意を伝える。長政はただちに小山に戻り、家康はようやく安心した。

家康は、長政に頼んだ。
「もし左衛門が心替わりいたすときは、そなたがいい聞かせてくれい」
長政が依頼をひきうけたので、家康は引出物として、長久手の戦いのときに用いた*羊歯(しだ)の兜と梵字の采配を与えた。

家康の立場は、そのような心配をしなければならないほど、あやうかったのである。五十九歳の家康は、天下分け目の大博打に命を賭けていた。
成算など立てられる情況ではない。戦勢が非に傾けば、関東にたてこもるよりほかはなかった。

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*羊歯の兜:歯朶具足(しだのぐそく)は、兜の前立(まえだて)に植物のシダ(歯朶/羊歯)をあしらった甲冑。「羊歯具足」とも表記される。

(小説『勝ちの掟』作家・津本 陽より抜粋)

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