㉑今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
――――――――――――――――――――――――
四月十九日、秀吉は八代城(熊本県)に入った。
地元の大小の土豪は、大手門のまえに堵列(とれつ)して秀吉を迎えた。
彼らは秀吉の輿(こし)が、厳重に護衛されているのにおどろく。
屈強な足軽たちが、防弾用の竹杷(さらい:長い柄の先に粗い歯をつけた、熊手のような農具)をつらね、輿を取りかこんでいるので、秀吉の顔をかいま見ることさえできなかった。
はるばる上方から下ってきた関白とその軍勢の、華麗な行装を見物するため、沿道に人垣をつくつた老若は、たずさえた素槍の穂先に眩しく陽をはねる軍兵たちに叱咤(しった:大声で叱ること)され、おどろいて引きさがる。
「こりや、さように近くにおるのではない。もっと退きて拝むがよい。さっさと退け。ぐずつく奴輩は槍の柄で空臑(からずね:あらわにしたすね)を薙(な)ぎはらってくれるわ」
秀吉は陽気な性格であると噂に聞いていたのに、これはどうしたことであろうかと、地侍たちはいぶかしむ。
竹杷にとりかこまれた輿のなかにいる秀吉は、道筋にざわめく人声を聞くと、輿から出て手を振ってやりたい。
ついでに銭や餅も撒いてやり、百姓の老若をよろこばせ、自らの威福(いふく:威圧を加え、ときに、福徳を施すこと)をひろめたいのだが、四月四日に秋月街道八丁越え(福岡県)で狙撃された恐怖がまだ胸奥に残っており、人前に姿をさらす気になれなかった。
-儂(わし)もすくたれ者になりしものだわ
彼は真夏を思わせる暑気にうだりながら、輿の扉を開ける気にもなれない臆病なわがふるまいを自嘲(じちょう)する。
四年前の賤ケ岳合戦の頃までは、秀吉は野戦の経験をかさねた勇将であった。
敵味方の軍兵が屍山血河(しざんけつが)の白兵戦を展開するただなかにいて、臆することはさらになかった。
銃丸に胴をつらぬかれる兵が、空樽を棒で打たれるような大音響とともに血をふりまき、薙刀(なぎなた)に首にはねられた首が毯(けむしろ:毛織りの敷物)のように宙に飛ぶのを見ても、心を動かさなかった。
そのような光景を、秀吉は見なれており、自分がいつ死んでも定命が尽きたにすぎないと、思いきわめていた。
だが、関白太政大臣となったいま、秀吉は臆病になっていた。
-儂(わし)は信長旦那とは違うだわ
秀吉は輿のうちで外部の物音に耳をそばだてつつ考える。
信長は天下一統への目的達成のためには、前途をはばむなにものをも粉砕する闘志に満ち、自らの得たものを守ろうとかえりみることがすくなかった。
(小説『夢のまた夢』作家・津本陽より抜粋)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます