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世界最強バルチック艦隊を迎撃した日本海海戦

2016年04月21日 | 日本

歴史ものが二日続きます。今日は幸運であった「日本海海戦」についてのお話です。

日露戦争が開戦したのは、1904(明治37)年2月10日のことでした。

明治天皇の開戦の詔勅(ちょうちょく:天皇が公に意思を表示する文書)が下され、日本のロシアへの宣戦布告がなされたのです。

 

当時、日本がロシアに勝てると考えていた者は、欧米はもとより、日本国内でもほとんどいませんでした。事実日本は、ロシアに比べれば国力も軍事力もケタ違いに劣る小国でしかなかったのです。

 

ところが、実際に勝ったのは日本の方だったのです。日露戦争は、東洋の小国日本が大国ロシアを打ち負かし、まさに世界中を驚かす歴史的な戦争でした。

 

その日露戦争で、日本がロシアに引導を渡した戦いといえば、1905年5月27日早朝の、連合艦隊とバルチック艦隊の日本海・対馬海峡での海戦でした。当時世界最強と言われたロシア・バルチック艦隊が、連合艦隊の前に砲撃開始後わずか30分で、ほぼ壊滅する大敗北を喫したのでした。

 

これは一進一退を繰り返す戦況にあった日露戦争を、一挙に決着させる、実に華々しい勝利だったのです。

 

日本がこの海戦で勝利できた背景には、バルチック艦隊が母港ウラジオストクに向けた長い船旅の中途にあったことや霧が濃く、視界が利かない早朝の海戦であったことなどがあげられています。

 

だが、この海戦を決するポイントに、大きな偶然があったのです。というのも、そもそも連合艦隊はバルチック艦隊がどのルートを巡航するのか、まったく把握できていなかったのです。

なんといっても、連合艦隊がバルチック艦隊に遭遇できたことが、日本側にとって大きな幸運だったのです。

 

この時、バルチック艦隊は、旅順陥落の知らせを受け、38隻の大艦隊で仏領インドシナから北上し、ウラジオストクへ向かっていた。一方連合艦隊は、この機をバルチック艦隊を迎え撃つ最大のチャンスととらえていた。

 

だが、太平洋側を迂回する安全なルートを行くのか、最短ルートの日本海側を行くのか、判断ができずにいた。決断を誤れば、バルチック艦隊迎撃は空振りに終わることになる。さすれば、バルチック艦隊はウラジオストクで態勢を立て直し、ロシア太平洋艦隊(旅順艦隊)と合流すれば連合艦隊は負けていた公算が大きかったのです。

 

連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥は、日本海説をとった。これは早い話がカンでしかない。レーダーも偵察機もない時代に、事前に敵の進行ルートを判断し、戦闘態勢を取るのは、賭けに等しいものであった。

 

結論は、歴史が示す通り、そこにバルチック艦隊がやって来た。知らないうちに賭けに負けたバルチック艦隊は、連合艦隊の急襲の前にあえなく、敗れ去ってしまうのです。

 

バルチック艦隊の被害は38隻のうち、19隻が撃沈し、5隻が捕獲、2隻が沈没自爆するという、文字通り壊滅的な敗北であった。残りの逃亡艦も途中で沈没したりして、ウラジオストクにまで帰り着いたのは、わずか2隻にすぎなかったという。

 

もし、バルチック艦隊が安全な太平洋ルートを通っていれば、日露戦争はどのような展開になっていただろうか。日本は軍備が底をつき、長期戦に耐えられなくなって行く手には、暗雲が広がっていたことは確かである。

 

この日本海海戦でもう一つの幸運についてお話しましょう。

司馬遼太郎の代表作の一つとされる長編歴史小説『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山真之はこの日本海海戦で連合艦隊参謀を務めていた。

 

日本海海戦出撃の際の報告電報の一節である「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、秋山真之の名文とされている。戦闘開始にあたって連合艦隊の旗艦『三笠』に掲げられたこのときのZ旗の信号文「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ,各員一層奮励努力セヨ」も真之の作である。

 

この電文が、戦員を奮い立たせ、武官の指揮を高めたことは、間違いがないと思っている。この日本海海戦は有名であるために、映画になり、テレビドラマでも広く知られています。

 

何が幸運なのかと言いますと、

最近知ったことですが、この海戦では、アルゼンチンの新戦艦2隻が入っていたのです。

それは、アルゼンチンは隣国チリとの紛争に備えて、アルゼンチン海軍がイタリアに戦艦2隻を発注していたのですが、ローマ法王の仲介で国境紛争が片付き不要となり、日本の求めに応じて売却していたのです。

 

2隻とは7,700トンの装甲巡洋艦「春日」と「日進」です。私は、この話を知って、大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑み、歴史的な勝利をおさめたことについて、この時に、日本の神々がお働きになり、この日本を滅ぼしてはならないと頑張られたのであると確信しました。

 

このように日本の神々のおかげで、窮地を乗り切り、史上まれな侵略未経験の国として、日本は今日に至っているのです。

私が言いたいのは、戦争賛美の話ではありません。戦争は致し方ないという話でもありません。

この日本の国を守っている神々が苦心して、苦労して、日本という国を存続させるために最大限の努力をなされているということを知って頂きたかったのです。

 

日本の神々、とりわけ天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と天照大神に感謝いたします。

 

---owari---

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