なぜ、世界最古の長編小説『源氏物語』が、日本女性によって書かれたのか?
(女性議員の比率を上げたら、、、)
2023年3月頃、あれだけテレビや新聞を騒がせた立憲民主党の小西弘之議員の高市早苗・経済安全保障担当相に対する「放送法解釈変更疑惑」の問題は、どこに行ったのでしょう。誰が書いたのかも分からない、本人にも回覧されていない「行政文書」で追求するという筋の悪いシナリオで攻撃する小西議員と、ぶれない答弁をする高市大臣の力量の差は傍目にも歴然としていました。
現在の国会議員の女性比率は衆議院が約10%、参議院が23%で、世界の193カ国中166位と低い水準にあるそうです。そこで政府は2030年までに国会議員の女性比率を35%にするという目標を掲げているので、それが実現して、高市大臣のような女性議員が増えて、小西議員のような男性議員が減ったら、国会議員のレベルも大幅に向上するでしょう。
しかし、そううまくいくとも限りません。たとえば、逆に蓮舫、辻元清美、福島瑞穂各氏のような女性議員ばかり増えたら、民主党政権の悪夢再来となりかねません。結局、女性議員比率を増やしても、議員の質が上がるとは限りません。要は男女の差よりも、どれだけ優れた議員を国民が選ぶか、という問題です。
こう考えると、国会議員の男女比率が「世界の193カ国中166位」というような順位比較は、大して意味のあることとは思えないのです。
私は40カ国ほど、世界の国々を見てきましたが、たとえば「女性が財布を握っている家庭の比率」で見たら、日本がぶっちぎりのトップになるでしょう。日本以外の国ではそんな家庭がほとんどないので、世界各国はそもそも、そういう尺度など思いつかないのです。
(世界文学の記念碑的作品は日本女性によって書かれた)
日本の女性は、世界でも独特な輝き方をしています。その端的な例は、世界最古の長編小説『源氏物語』が紫式部によって書かれていることです。西暦1001年頃に書かれた『源氏物語』と比較して、渡部昇一氏は西洋の各民族が最初に書いた長編小説を次のように列挙しています。
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イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』(1384)、フランスのラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(1532)、スペインのセルバンテス『ドン・キホーテ』(1605)などと比較しても、三百年から六百年早いのである。
女流小説家として考えると、・・・イギリスの女流小説家アフラ・ベーンの『オルノーコ』も、『源氏物語』から六百五十年後のことだし、いまも通用する小説家としては、やはり漱石がほめた『高慢と偏見』で知られるイギリスのジェーン・オースティンがいるが、これは八百年後のことである。
オースティンより八百年も前に、彼女よりスケールが大きく洗練された女流作家が日本にいたことを一般の欧米人はなかなか信じようとしない。
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しかし、英国の東洋学者アーサー・ウェイリーが1925年から33年にかけて『源氏物語』を英訳して、"The Tale of Genji"が出版されるや、たちまちベストセラーとなり、イタリア語、ドイツ語、フランス語などに二次翻訳されました。英訳も、その後、サイデンステッカー訳など、さらに3種類が出ました。
(「やがて私は、『源氏物語』に心を奪われてしまった」)
ウェイリー訳に触発されて日本学者となったドナルド・キーンは、『源氏物語』に魅了された体験をこう語っています。
キーン氏は第二次大戦中の1940年秋、ニューヨークの中心にあるタイムズ・スクエアのいつも立ち寄る本屋で、ある日、”The Tale of Genji”(『源氏物語』)というタイトルの本が山積みされているのを見つけたのです。挿絵から、日本に関する本だと察し、買って帰りました。
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やがて私は、『源氏物語』に心を奪われてしまった。アーサー・ウェイリーの翻訳は夢のように魅惑的で、どこか遠くの美しい世界を鮮やかに描き出していた。私は読むのをやめることが出来なくて、時には後戻りして細部を繰り返し堪能した。・・・
源氏は深い悲しみというものを知っていて、それは彼が政権を握ることに失敗したからではなくて、彼が人間であってこの世に生きることは避けようもなく悲しいことだからだった。
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こうして始まったキーン氏の日本文学研究の集大成と言える大著が『日本文学史』全18巻ですが、その中で、まるまる1章を『源氏物語』にあて、こう結んでいます。
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世界で初めて書かれた長編小説として、世界文学の記念碑的作品でもある。まぎれもなく日本的でありながら、全世界に感銘を与える作品といえよう。
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(平安時代の女性の叡知)
平安時代の女流文学は紫式部ばかりではありません。世界最古の随筆と言われる『枕草子』を書いた清少納言、全40巻で約200年間の歴史を語った『栄花(えいが)物語』の主要作者とされる赤染衛門(あかぞめえもん)、日記文学では和泉式部の『和泉式部日記』、藤原道綱母の『蜻蛉(かげろう)日記』等々、、、
和歌の世界でも女性の活躍は目立ち、『百人一首』では21人の女性の歌21首が選ばれています。ギリシャやローマで詩を書いた女性も例外的には伝えられていますが、これほど女性の歌が大量に、かつ当たり前のように伝えられている国はないのではと思います。
上述の赤染衛門の夫、大江匡衡(おおえのまさひら)は文章博士として活躍した当時一流の文人です。二人の間の和歌のやりとりが、当時の男女の対等ぶりを表しています。赤染衛門に子供ができて、乳母を雇ったところが、その乳母に乳が出ない。それで匡衡はこんな歌を詠みました。
はかなくも 思ひけるかな 乳(ち)もなくて 博士の家の 乳母(めのと)せんとは
乳には「知」がかけてあり、「乳も出ない(すなわち知識もない)女が博士の家の乳母になるとは、随分ばかなことを考えたものだ」という、戯れの歌です。それに対して、赤染衛門はこういう歌を返しました。
さもあらばあれ 大和心し かしこくば 細乳につけて あらすばかりぞ
(一向に構わないではないでしょう。大和心さえかしこければ、お乳など出なくても子供を預けてちっともかまわないのです)
くだらぬ洒落を得意気に歌にして、乳母を小馬鹿にした匡衡の浅慮を叱りつけるような歌です。当時一流の文人も、賢夫人にかかれば、かたなしです。小林秀雄は、この話を紹介した後で、こう語っています。
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ここでも、かたくなな知識と反対の、柔軟な知恵を大和心といっていた事がよくわかる。その頃、知識、学問は男のものだったでしょう。しかもみな漢文だった。漢文の学問ばかりやっていると、どうして人間は人間性の機微のわからぬ馬鹿になるかと、女はみな考えたのです。
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(「男は学問にかまけて、大和心をなくしてしまっていた」)
漢文の学問ばかりやって「人間性の機微のわからぬ馬鹿」になった男と、「柔軟な知恵」を大和心として持っていた女性との違いが鮮やかに描かれています。ここから、小林秀雄はこう述べます。
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『源氏物語』という大小説が女性の手になったという事には理由があるのです。一と口に言うなら、男は学問にかまけて、大和心をなくしてしまっていたのです。大和心をなくしてしまうように、日本人は学問せざるを得なかった、これは日本の一つの宿命なのです。
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現代でも同じ事が言えます。明治以降は、欧米の学問を「大和心をなくしてしまうように」、日本人は学ばざるを得なかったのです。そもそも欧米近代の学問自体が理屈一点張りで、そこには世間智がほとんど入っていません。ローマ帝国を築いたローマ人や、大英帝国を築いた英国人たちの深い叡知はもはや窺(うかが)えないのです。
たとえば、私が学んだアメリカの経営学大学院での授業にはクラスでの討論がよく行われましたが、欧米人がいかに理屈に簡単に騙されるのか、何度か驚くべき体験をしました。
議論を戦わせるので、当方も単純化した論理で、「現実には違う場合もあるんだけどなあ」と思いながらも、それを隠して勝負しなければなりません。相手はその議論に負けると、急に「そうだ、君の言うとおりだ」などと、手のひらを返すように賛同したりすることもありました。その負けっぷりの良さはすなわち欧米人の論理一辺倒ぶりを示しています。
こういう論理一辺倒の人間は、共産主義やナチズムなどの論理に騙されると、どこまで暴走するのか、判りません。
それに比べて思い起こされるのは、日本で生産現場の作業者と議論した時です。こちらの主張に対して、「それは理屈だ。現実は違う」と反対します。単なる負け惜しみではありません。現実は複雑ですから、95%は理屈が通っても、5%は理屈通り行かない、という健全な体験智がそこにあるのです。
こういう体験智が大和心の一部であり、それを失うように学問をしていると、「人間性の機微のわからぬ馬鹿」になってしまうのです。平安時代の日本女性たちは、そういう学問を学ばず、あるいは学んでもそれに騙されずに「人間性の機微」を見つめ続けることによって、「全世界に感銘を与える作品」まで生み出したのです。
(「和歌の前の平等」と「すべては神の分け命」)
なぜ平安時代の女性たちは、「人間性の機微」に触れた文学作品を書くことができたのか。私はそこには和歌の伝統が根強く働いているのを、感じます。短歌創作をしてみると、すぐに分かることですが、頭の中で観念的に空想したことを言葉にした歌と、自分自身の心を見つめて、その思いを精確に表現した歌の違いはすぐに判ります。
たとえば、紫式部はたった2年の結婚生活で夫を亡くしてしまい、陸奥国(宮城県)の塩竃(しおがま)で火を焚いて塩を煮詰めている絵を見て、こう歌っています。
見し人の 煙(けぶり)となりし 夕(ゆうべ)より 名ぞむつましき しほがまの浦
(夫が葬られて煙となった夕べから、塩釜の浦という名さえ懐かしく思われます)
塩を焼く煙から、亡夫の火葬した際の煙を思い出してしまう心の動きが歌われています。これと、前述の「乳(ち)もなくて」の歌を比べてみれば、「人間性の機微」に触れた歌と、そうでない歌の違いは歴然としています。このように、和歌を通じて、自分の心を見つめ続けていれば、それが「人間性の機微」に徹して、「全世界に感銘を与える作品」となるのも、不思議ではありません。
我が国では万葉集の時代から、男女や身分の上下を問わず、人の心の真実を歌った歌こそ、良き歌として歌い継がれてきました。渡部昇一氏は、これを「和歌の前の平等」という言葉で表しています。
その根底には「すべては神の分け命」という生命観があったのです。その神の命が、たまたまこの世で男に生まれたり、女に生まれたりするだけのことと考えれば、男女差別など心ない人の仕業となってしまいます。この世では男女の役割の違いはありますが、それは互いに補い合う、本来対等な命なのです。
そして自分自身の心の奥深くに宿る神の分け命を見つめて、そこから真実の思いを言葉で表現した歌こそが名歌であり、その分け命を十分に発現させて生きることが善き生き方だとと考えられてきたのだと思います。
(世界に大和心のありようを示す責務)
平安時代の大和心を十二分に発揮した女性たちから、『源氏物語』のように「全世界に感銘を与える作品」が生み出されたことは、現代世界に重大な示唆を与えています。
すなわち大和心とは、日本人だけの特殊な文化遺産ではありません。それは人類全体の精神の根っこに繋がっており、国境や文化の違いを乗り越えて、人々が共感・共有しうるものです。そして、それは余りにも観念的に走りすぎて、「人間性の機微」を忘れてしまった現代の思想学問の欠陥を癒やしてくれる可能性を持つものです。
幕末に日本に駐在したアメリカの初代公使タウンゼント・ハリスは当時の日本社会を見て、こう書いています。
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彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。
私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。
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あいにく、ハリスの「日本を開国して外国の影響を受けさせること」の懸念は的中してしまいました。明治日本は西洋の科学技術を吸収して独立を護り、わずか70年足らずで国際連盟の常任理事国となる、という世界史上の奇跡を成し遂げましたが、その過程で大和心を忘れ去ってしまいました。
特に戦後は日本人の伝統的叡知を押し隠し、「人間性の機微のわからぬ馬鹿」を育てる教育が続いてきました。その結果、「国会議員の女性比率を35%にする」というような浅薄な目標まで立てられるような政治の貧困を招いたのです。
ただし、忘れたものは思い出せば良いのです。我々のご先祖様の残した大和心は、たとえば平安時代の女流文学を紐解けば、たちどころに目の前に現れます。そういう偉大な精神的遺産を引き継いだ子孫として、我々は世界に大和心を持って、お互いに思いやり支え合う高貴な国を示す責務があるのです。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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