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伝統技術が未来を開く(後編)

2021年09月19日 | 日本
数千年に渡って蓄えられてきた日本の伝統技術が、最先端の現代技術に生かされ、明日を開きつつある。

(「漆の一滴は汗の一滴」)
漆は「ウルシ」の木の樹液を原料とする。ウルシ科で漆を採取できる樹木は日本、朝鮮、中国、インドネシア半島など、東アジア地域にしか自生せず、漆工芸が東洋独自の工芸として発達した原因となっている。日本産のウルシの樹液が最上級とされ、国内の工芸品の仕上げのほとんどはこれを用いるが、樹木の不足などで現在では日本で使われる漆液の大半が中国からの輸入品である。

ウルシの木は10年ほどで高さ20メートル、幹の周囲25~30センチの成木に育つ。その表面に傷をつけて、4、5日経つと、指の先ほどの樹液がたまる。それをヘラで掻き取り、また少しずらした所に傷をつける。昔から「漆の一滴は汗の一滴」と言われるように、非常に根気のいる作業である。

傷は浅すぎても深すぎてもだめで、熟練を要する。漆掻き職人は「一年で20貫目(約75キロ)集められると一人前」とされた。ウルシの木は一年で漆液を採りきって伐採され、その切り株から新しい芽が出て育つまで10年間大切に育てられる。

(「漆は生き物なので、人のおもいどおりにはならない」)
ウルシの木から採取した漆液を精製する過程も根気と熟練を要する。まず綿をちぎって入れて、加熱・濾過し、綿と共にゴミや木の皮を取り出す。次に約2時間ゆっくりかきまぜると、とろっとした柔らかさが出る。水分と油分が0.01ミリほどの均一な粒になって、よく混ざり合うのである。

それから40度前後の温度でゆっくり暖めながら、水分を約30パーセントから3~4パーセントまで徐々に飛ばしていく。この時に55度を超えると、あとで漆を固める役割を果たすラッカーゼ酵素が変質して働かなくなってしまうため、職人は神経を集中し、勘に頼りながら温度を保たねばならない。

漆特有の深みのある黒色を出すためには、釣り針作りなどでできた水酸化鉄を入れて、一晩寝かせると化学変化によって漆液が「漆黒」になる。ふたたび綿をちぎって入れて、水酸化鉄を付着させて取り除く。できあがった漆は、黒い輝きと鏡のような艶やかさをたたえている。

漆の精製職人である会津若松の武藤勝彦さんはこう言う。
漆は生き物なので、生かさず殺さず、つくっていく。それでも人のおもいどおりにはならない。職人は生きたり死んだりする気まぐれな相棒と、じっくり腰をすえて、付き合わなければならない。

(30~40工程もの漆塗り作業)
漆を器に塗る作業は、30~40工程にもなる。それは奈良時代に行われていた方法とあまり変わりない。漆器の素地としては木材のほか、竹、紙、金属、陶磁器、皮などがあり、それぞれの素地作りに専門の職人がいる。

木材にしても、用途にあった材質とくせを熟知していなければならない。板物は硯箱など箱状のものを作るためで、檜(ヒノキ)、杉などが用いられる。挽き物は欅(ケヤキ)、栃(トチノキ)などを、ろくろで回して削り出しながら、腕やお盆など回転体を作る。

これらの素地にうすく漆を塗っては乾かす、という作業を何度も繰り返す。ほこりが入ると台無しになってしまうので、塗りは一番奥まった部屋で行い、作業中は人の出入りを禁ずる。

「伏し上げ(塗った際のほこりを取る作業)3年、へらつけ(漆の下塗り)8年」と言われるように、長年の熟練がいる。輪島塗などの高級漆器は30回以上の上塗りが施される。

蒔絵を施す場合には、中塗り面に漆で模様を描き、蒔絵粉(金や銀の粉)を蒔いた後に、上塗りをする。一晩経って固い塗膜ができた後で、炭で研ぐと埋め込まれていた金銀の模様が現れる。その上に、透明の漆を繰り返し塗って平らにする。最後は鹿の角などで磨き、艶を出して仕上げる。

(湿気の中での乾燥!?)
漆を乾かすには、引き戸のついた「湿(しめ)し風呂」という特別の棚に入れる。この中で温度20~30度、湿度65~80パーセントを保つ。なんと漆は高い湿度の中において乾かすのである。この不思議なメカニズムを科学的に解明したのが、明治16年に吉田彦六郎という研究者がイギリス化学会誌に発表した論文であった。

漆が固まるのは、主成分であるウルシオールの分子どうしが相互に固く結合されるからである。その縁結びの役割を果たすのがラッカーゼ酵素だが、この酵素は湿気が高いと活性化して、空気中の酸素を取り出し、それを使ってウルシオール分子同士の結合を促進する。

人工漆の開発に取り組んでいる京都大学工学部の小林四郎教授は、このメカニズムをウルシの木の生体防御システムではないか、と推察している。動物が傷つくと血が固まって傷口を塞ぐように、ウルシの木も樹液で樹皮の傷を塞ごうとする。その時にラッカーゼ酵素を使って、空気中の酸素を取り込み、ウルシオール分子の結合反応を進める。こういう生体防御システムが漆器に備わっているのであるから、「漆は生き物だ」というのもあながち誇張ではない。

ラッカーゼ酵素は湿気があればいつまでも働き続け、ウルシオール分子の結合は20年も続くと言われる。時を重ねていくに従って、ますます艶が出てくるという漆の特徴はここから来る。漆塗りの職人も、塗り上げた時に良くできたかどうかは分からない。塗り方を工夫してから、何年も経ってその結果を見る、そんな忍耐強いサイクルを繰り返しながら、漆の技術は蓄積されてきたのである。

(21世紀の未来を開くのは)
漆工芸のプロセスを見て感じることは、まずこの伝統技術が自然現象に対する実に細やかな観察に基づいている事である。漆の乾燥には高い湿度が必要だ、というような発見が、どれだけの長年月の試行錯誤と観察の上になされたものか、まさに想像を絶する。

それは現象を極端に単純化した上で法則化する西洋近代科学のアプローチとは異なるが、ラッカーゼ酵素の働きを巧みに生かすなど、自然の物理的化学的法則性を見事に活用している。伝統技術の背景にこのような合理的思考の姿勢があったからこそ、明治期における西洋近代科学の導入も急速に進んだのであろう。

もう一つ印象深いのは、そうした製造プロセスの創意工夫が長い歴史を通じて、無数の人々によって積み重ねられてきていることだ。様々の素材に対して、多様な技法やデザインが生み出されてきた。無数の職人たちが、師匠から技術を厳しく仕込まれて一人前になった後は、少しでも先代を追い越そうと、倦まず弛まずに新しい工夫をしてきたのであろう。明治以降においても、また戦後の復興においても、製造現場でのこうした弛まぬ創意工夫の姿勢が急速な産業発展の原動力であった。

「精密な自然観察」と「弛まぬ創意工夫」、この二つの姿勢は漆だけでなく、和紙、金箔、磁器、日本刀などの伝統技術を生み出した。そして和紙技術は電解コンデンサー・ペーパー、金箔技術はプリント基板の電解銅箔、磁器技術は携帯電話のセラミック・フィルターなどに生かされ、それぞれの分野で日本企業が圧倒的な世界シェアを持つ原動力となっている。

21世紀の未来を開くのは、このようなキーマテリアル、キーデバイスである。これらの先端技術分野でどのようにリーダーシップを維持していくかが、もの作り大国・日本に問われている。しかし案ずるには及ばない。そのお手本はすでに我々のご先祖様が数千年に渡って示してくれているからである。(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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