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日本人はなぜ愛国心を知らないのか?(第1話)

2018年12月23日 | 日本

(憎しみから生まれる愛国心)

いま地球上で、もっとも愛国心の希薄な民族は、いうまでもなく、日本民族である。世界中の世論調査の結果、データがそれを示している、それでいいのか?

 

もちろん、よくない。なぜよくないのかといえば、それでは世界の仲間入りができないからである。

世界中の人々がタキシードとイヴニングドレスで集まるパーティーに、日本人だけが裸で出席するみたいなものだからである。

 

では、どうすれば、せめてパンツぐらいははけるのか?

それにはまず、日本以外の国々で生まれた価値観を、根本から、しっかり認識しなければならない。

 

一口に愛国心と言っても、どこの国にも共通に通用する既製服のようなものがあるわけではない。それぞれの国が自国の歴史と時代ごとの環境にあわせて仕立てたり、仕立て直ししたりしながら着服するものである。

 

フランス人とドイツ人の持つ愛国心は、宇宙服と潜水服ほどの違いがある。それでいながら、どこの国の愛国心を比較してみても、現われ方や表現の仕方はお国柄で違いつつも、その根本には同質の要素があるのだ。

 

他国や他民族に対する嫉妬、憎悪、恨み、不信などがその根本である。

日本を除く世界中の国家は(韓国、北朝鮮、中国は言うに及ばず)国民に他民族への憎悪を忘れさせないため、常々細心のマインドコントロールを怠らない。それが愛国心の正体なのだ。

 

この正体を否定的に受けとってはいけない。なぜなら他国への憎悪、それこそが国家サバイバルの唯一のエネルギー源だからである。排他的なマイナスの感情を(愛国心は理論ではなく、完全に感情・情緒であるのだが)自己認識というプラスに転じることこそ、国の安泰と繁栄、ひいては他国との共存・共栄にもつながるのだから。

 

わかりやすい一つの例として、ここオーストラリアの愛国心を観察してみる。

オーストラリア人は世界の文明国のなかで、比較的愛国心の希薄な国民である。なにしろまだ建国二百年の歴史しか持っていないし、人口の九十五パーセントがコーカシアンといえども、清教徒が独自の意志で荒海を押し渡ったアメリカのような華々しい歴史体験がない。

 

強制運行で島流しにあったという負い目は、どこかに潜在し続ける。だからこそ、いっそう愛国心助成の政策は、奇妙に屈折してみえる。

 

たとえば彼らの愛国心の裏返しであるアメリカ嫌いは、他国の反米思想とは一味違い、近親憎悪の色合いが濃い。これも嫉妬がどれほど愛国心と表裏一体なものかの実感例である。

 

豪州軍は同じ連合軍でありながら。太平洋戦争中、マニラ半島からオーストラリアに逃げ込んできたマッカーサーの指揮下に編入された。作戦執行でもアメリカの下目についた経験は、大英帝国をカサに着る彼らにとって、屈辱の経験だった。「虎の威」はこの大戦を境に、完全にイギリスからアメリカに移行したのである。

 

進駐したアメリカ兵の素行も悪かった。今でもアメリカ人は豪州人を極端にバカにしている。当時はアメリカ駐留軍のレイプ事件も頻繁に起き、194211月にはブリスベンの駅前でアメリカ軍部隊と豪州兵の部隊が大乱闘を起こし、果ては発泡、死者まで出た。こうした経験も、オーストラリア人の屈折した愛国心を育てている。

 

アメリカと比べて特に欠落しているのは、独立戦争とか南北戦争といった内乱を一度も体験したことがないことである。いかなる民族でも、愛国心の遺伝子は、革命などの血塗られた悲惨な戦争からしか生まれない。同じ殺す側の同胞と、ともに力を合わせて殺すべき敵の識別こそ、自国民アイデンティティの核なのだ。

 

この経験がまったくないといっていいほどにないオーストラリア人は、自国史でたった二回の世界大戦参加体験を、それこそ「虎の子」のように最大限に利用しようとする。毎年425日の「アンザック・デイ」は、1915年の第一次世界大戦のとき、イギリス軍にいいように利用されてほぼ全滅したガリポリの戦闘を記念するものである。

 

この日、各主要都市では退役軍人を先頭に、ウラミ・ツラミの裏返しである愛国心を鼓舞するパレードが延々と続いて盛り上がる。ついでのオマケのように、史実では当時同じ連合軍側にあった日本への憎しみも織り込む。

 

猿ヅラの東洋人は、実に容易に憎悪の対象となるからだ。新参の移住日本人は、この日「絶対外出しては駄目だ」と、長年ここで生活している同胞から注意される。うっかりパレードを見物しにいった日本人が生卵をぶつけられた話は、私も知っている。

 

しかし何といっても彼らの愛国心が最大に発酵するのは、815日の戦勝記念日である。第二次世界大戦でのオーストラリアからの参戦者数は993,000人、死傷者は27,073人、日本軍捕虜22,306人、うち死者は8,031名という数字は、彼らにとって金科玉条にも匹敵する憎しみの象徴、この国の歴史が続くかぎり消えることはない。

 

日本が憎いからというよりも愛国心を持続させるためである。日本刀を振り上げた日本兵が、地上に正座しているオーストラリア兵の捕虜の首を今まさに切り落とそうとしている。同じ1枚の写真が、そのたびに飽くこともなく、毎年毎年、何度も何度も各新聞に載せられる。

 

その意味では、靖国神社参拝や広島・長崎の原爆記念日が、日本人共通の憎しみと恨みの発露にならない限り、日本に愛国心など生まれ根づくはずはないのである。平和を祈る愛国心など、どの国にもない。

 

こうしたオーストラリアの愛国心鼓舞の政策や方法は、世界中、基本的には同じである。屈折して発露される分、その構成分子が露骨に現れて、わかりやすい例となるのだ。

 

そこではっきりわかることが(繰り返すが)、愛国心とは他国・他民族に対する憎しみと嫉妬によってのみ生まれ、そこに同根分岐で醸し出される自民族の優越意識は、単にこの2つの要素の裏返しに過ぎない、ということである。

 

そして、地球上、このメカニズムを持たない国家は、日本国家とそこに完全不感症で暮らす日本民族だけなのだ。

 

いい悪いを言っているのではない。事実を言っている。

そして今や、われわれは、どうしても彼らと遜色のない愛国心を育てなければならない時代と世界情勢の中にいる。実感として学ばねばならない。

 

今後世界は、貧しい資源の奪い合いを中心に、否応なく、ますます愛国心を振りかざさねばならない時代に突入するからである。

 

---owari---

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