水の恵みを神々に感謝し、水の力、美しさに賛嘆するご先祖様の感性が、豊かな国土を創り上げてきた。
(「恐ろしくも、有り難い水」)
東日本大震災の津波で「水がこんなに恐ろしいとは」と語っていた被災者が、たちどころに水に困り、給水を受けて「水がこんなにありがたいと思ったことはなかった」と話していた。水は時に恐ろしく、時に有り難い存在である。この水の両面を陛下は皇太子時代の平成27(2015)年にニューヨークで行われた「第二回国連水と災害に関する特別会合」の基調講演でこう語られていた。
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山から流れ出る水は飲み水として、あるいは農業のために私たちに多くの恵みをもたらします。しかし、水は時に不足したり多すぎたりし、人々に大きなダメージを与えます。
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「恐ろしくも、有り難い水」を我々のご先祖様は神様の賜としてお祀りしていた。その水を司る神様を祀るのが、京都の北部、鞍馬山と貴船山に挟まれた谷間に鎮座する貴船神社である。貴船神社という名前の神社は全国に5百社以上、ご祭神を同じくする神社は2千社以上あるという。それらの総本宮である。
貴船神社の高井宮司は、平成15(2003)年の第3回世界水フォーラムが日本で開かれると決まった時、「これは貴船神社の出番ではないか」と考え、氏子の青年たちや京都の大学生に呼びかけて様々なイベントを行い、京都への誘致に成功した。本番のオープニング・セレモニーでは建築家の安藤忠雄氏と一緒に基調講演を行った。
それ以来、高井宮司は水に関する講演などを行うようになり、それらをまとめて『水と森とお米の国』と題した著書を刊行された。実はこの第3回世界水フォーラムでは今上陛下も名誉総裁として記念講演をされている。
陛下はこの後も水問題に関する国際会議で何度も講演されてきたのだが、その内容は日本人が水問題に取り組んだ歴史に基づいたものが多い。その一部は、高井宮司の本でも紹介されており、宮司の神道からの解説と合わせ読むと、日本人がどういう心持ちで水に取り組んできたのかが、よく分かる。
(たくさんの水の神様たち)
高井宮司は「一口に水の神様といっても、じつはたくさんいらっしゃいます」と言う。
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水そのものの神様は○象女神(みずはのめがみ、○は網の右側のつくり)、水の流れ出す口の所に静まる神様は水速日神(みずはやびのかみ)、山の上で降った雨をあっちの谷こっちの谷に分配される神様を天之水分神(あめのみくまりのかみ)、麓から平地へと流れる水を分配する国之水分神(くにのみくまりのかみ)、流れの速い川の瀬にいらっしゃる瀬織津姫(せおりつひめ)の神、
ほかにも、川には川の神様、水の瀬にいらっしゃる神様、河口にいらっしゃる神様、それから海には海の神様がいらっしゃいます。
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貴船神社が祀るのは水の供給を司る神様で、雨の下に口を三つ横に並べ、その下に龍と書く、その一字で「おかみ」と読む。口はお祀りに使う器を表し、龍の神様をお祀りして雨を祈っている様を表している。
我々のご先祖様は、雨が山に降って、それがそこここの谷川に集まり、平野に出て、やがて海に注ぐという水の流れを精密に観察し、その自然の驚異に神様の存在を感じとっていたのである。陛下が平成29(2017)年の歌会始で披露された次の御歌は、ご先祖様たちの思いに通じている。
岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく
(水の持つ力と美しさ)
ご先祖様たちは水には様々な力がある事を感じとってきた。神社で参拝前に口をすすぎ、手を清めるのは「手水(ちょうず)」。庭先や玄関先を掃除した後に撒く水は「打ち水」。単にほこりが立たないようにするだけでなく、心が洗われる感じをもたらす。
水の中に入って、「身をそぐ」ように穢(けが)れを祓うのが「みそぎ」である。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻って「我は穢(きたな)き国に行った、体を清めよう」と水に入られたのが「みそぎ」の始まりだが、そこから天照大神、月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのをのみこと)が誕生した。
穢れを祓い、清めることによって貴いものが生まれてくる、とご先祖様は考えられ、そこに水の清めの霊力を見てとった。
穢れの語源は「気枯れ」で、体内の水分がなくなると体が弱り、また体が汚れて不快になる。水を飲み、体を洗い清めることで、元気を回復する。相撲で取り組みの前に口に含む水を「力水」と言う。水には身体に力を与える霊力が籠もっていると見たのである。
世界保健機構などの調査によると、世界では約7億4800万人の人々が安全な水を飲めず、毎日千人規模の子供が下痢で死んでいる、という。水の霊力に恵まれない人々の不幸である。
また、清らかな水は美しい。そこから我々の祖先は「みずみずしい」という言葉を使うようになった。漢字では「瑞々しい」と書くが、「瑞」とは中国語では宝石の美しさを表す。中国人が宝石に見た美しさを、日本人は水に見た。
我々のご先祖様たちも、日照りで水が無くなった時の苦しみはよくご存じだったろう。だからこそ、清らかな水の持つ力と美しさに賛嘆の念を込めて、「力水」「手水」「みずみずしい」などの言葉を生み出したのである。
(棚田は水のダム)
水の力を賛嘆していたご先祖様たちは、清らかな水の恵みを安定的に広範囲にいただけるよう、太古の昔からいろいろな工夫を凝らしてきた。その一つが水田、特に斜面に造成された棚田である。陛下は言われる。
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良好に管理された棚田は、作物の豊かな稔りをもららすだけでなく、大雨の際にはため池としての役割を果たし、下流に広がる平野の洪水を軽減してくれることにもなるのです。また、田に引かれた水の一部は地下に浸透し、地下水となって下流部を潤します。
小さいながらも、人々の手によって新たな水循環がつくられることになるのです。(第1回アジア・太平洋サミット開会式、平成19(2007)年
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山の傾斜地を何段もの棚田にすることは、いかにも山国らしい工夫であり、苦労である。美しい景観をなす棚田は稲の稔りをもたらすだけでなく、ダムとして水の恵みを安定していただけるよう役割を果たしている。
日本書紀には、天照大神が稲を得られた際に、「其の稲種を以ちて、始めて天狭田(あまのさだ)と長田(ながた)とに殖(う)う」とある。狭い田、細長い田とは、まさに山間の田を思い起こさせる。
---owari---
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