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このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

日本人の生き方、祈り方(前編)

2025年04月19日 | 日本
日本人は「祈り」と「天命追求型」の民族。

(神社は「願う」場所ではなく「祈る」場所)
お正月に神社に初詣に行った人も多いと思うが、何をお祈りしただろうか。私は昔から神社で個人的なお願いをするのは、よくないのではないかと考えていた。たとえばたまにしか合わない相手が、あなたに会うたびに「あれをしてください」「これを頼みます」とお願いするばかりだったら、神様だって「いい加減にしてくれよ」と思うだろう。

それよりは会うたびに「お陰様で元気でやってます」などと感謝されたら、「これからもいろいろ面倒をみてやろう」と思うはずだ。だから神社とはお願いをする場所ではなくて、感謝をする場所ではないか、と考えていた。

身体のどこかに多少の不調があっても、まずまず元気で毎日を過ごしていけること。名声や富とは縁遠くとも、張り合いをもって日々の仕事や家事、育児に取り組める。そうしたことを神様に感謝するのである。

しかし最近読んだ本で、それも不十分だ、ということを知った。「ありがとうございます」と言うのも、自分に関することで感謝しているだけでは、まだまだ自分本位だ、とその本は言う。白駒妃登美さんの最新刊『幸せの神様に愛される生き方』である。

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・・・「願い」というのは、自分のために叶えたいもの。それに対し、世のため人のため、自分を超えた存在のために叶えたいものが「祈り」なのだよと、ある方が教えてくださいました。・・・
日本人の誇りを育むためにも、神社は、「願う」場所ではなく「祈る」場所でありたいなと思います。
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(江戸時代の経営者は「商売繁盛」とは祈らなかった)
商売人や経営者は、神社にお参りして「商売繁盛」を願う人が多いだろう。ところが、江戸時代の経営者は「諸国客衆繁盛」を祈ったという。

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「諸国」は「全国」、「衆」には「すべての」と言う意味があります。自分の店に商品を買いに来てくれる人だけではなく、仕入先や取引先も含めて、広い意味で、「すべてのお客様」、それが「客衆」です。
「商売繁盛」は、「自分の商売がうまくいきますように」と言う願いです。それに対して「諸国客衆繁盛」というのは、「自分につながるすべてのお客様の商売がうまくいきますように」と、すべてのお客様の繁栄を祈るものなのです。
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拙著『世界が称賛する 日本の経営』でも、「売り手良し、買い手良し、世間良し」の「三方良し」が伝統的な日本の経営の理想であることを述べたが、この「諸国客衆繁盛」こそ、その「三方良し」への祈りだったのだろう。

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「商売繁盛」は、自分が幸福であるために、自分で自分に鞭打って頑張る感覚です。でも、「諸国客衆繁盛」の世界では、自分以外の全ての人が、自分を応援してくれる人なのです。これならば、絶対商売がうまくいきますよね。
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(地獄と極楽の違い)
この道理を子供にもわかるように説いた譬え話がある。
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私は以前、子供向けに描かれた仏教の絵本を見て、驚いたことがあります。その絵本によると、地獄も極楽も、人々を取り巻く環境は、なんと同じなのです。どちらも、目の前に、素晴らしいご馳走が並んでいます。そして地獄も極楽も、人々は三メートルぐらいある長い箸を使って、そのご馳走を食べなければいけません。
地獄はみな、その長い箸を使って自分で食べようとするので、うまく食べられません。みな、カリカリ、イライラしているのが地獄です。
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しかし極楽では同じ環境なのに、皆がとても上手に食べて、皆満ち足りていて、ニコニコとびっきりの笑顔で過ごしている。白駒さんは小学校入学前の息子さんに「どうやって上手に食べているのか」尋ねた。「わかった、手で食べるんだ」とか「箸がぐにゃと曲がるんだ」と最初は答えていたが、「違う」と言われると、しばらく考えていて、突然、瞳がキラキラっと輝いた。

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「わかった! 隣の人に「あーん」ってしてあげるんだよ。そうしたら、その隣の人が次の隣の人に「あーん」ってしてあげて、また次の人が「あーん」。最後は僕が誰かに「あーん」ってしてもらえるから、皆が食べられるんだね」と言ったのです。
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皆が自分だけの事を願うよりも、皆が他者のために祈っている方が、はるかに社会全体が幸せになる、と言うごく簡単な原理を、このたとえ話は説いている。


(「人間は本能的に、人のために生きることを喜びとする」)
白駒さんと息子さんの会話の部分で感銘深いのは、次の一節である。
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私は、そうやって人々と助け合う姿を思い浮かべた時の、息子の瞳の輝きが尋常ではなかったので、人間は本能的に、人のために生きることを喜びとするという一面を持っているのだなと、とても驚き、感銘を受けたことを覚えています。
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1月末に発行される拙著の最新刊『日本人として知っておきたい皇室の祈り』の「あとがき」で、こう書いた。

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利他心とは人間の本能に備わった特質なのではないか、と私は考えています。・・・

人間が群れをなして暮らす動物であった以上、利他心はグループ全体の生存のために必要なことです。それゆえに進化の過程で、利他心が人間の本能にビルトインされたと考えれば、極めて合理的な仮説のように思えます。とすれば、利他心を発達させることは自己実現の一つのステップとして、幸福に至る道なのではないかと考えられます。
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息子さんの「瞳の輝き」は、「利他心は人間の本能の一部」という仮説のもう一つの例証だろう。

(「夢」と「志」の違い)
冒頭で引用した「願い」と「祈り」の違いを説明したところでは省略したが、次のような一文が挟まれていた。

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「願い」と「祈り」の違いは、「夢」と「志」の違いと重なります。夢以上に志を大切にしてきた日本人は、「祈り」の民族でもあるのですね。
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「夢」と「志」の違いを、白駒さんは次のように説明している。

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「夢」は、自分が叶えたいもの。言ってみれば「for me」の思いが「夢」なのだと思います。でも「志」は、自分が叶えなくても他の誰かが叶えてくれたらそれでいいと思えるような、我を超えた、我を手放した、もう一段高いレベルの思い。言ってみれば「for you」の思いが「志」なのではないかと思うのです。
そして私は、「志」を持った時に、私たち日本人のDNAがオンになるのではないかと感じています。
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---owari---

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