あなたがたは、人生に新たな発見を持っているか。
新たな発見を続けることができるか。
きのう、あなたは、いったい何を発見したか。
きょう、あなたは、いったい何を発見したか。
朝、目を覚ましてより、何を発見したか。
昼に、夕べに、そして夜の一時に、
あなたは何を発見したであろうか。
いつのまにか、陽の暖かさを忘れ、
いつのまにか、風のさわやかさを忘れ、
いつのまにか、人の言葉の、その素晴らしい響きを忘れ、
いつのまにか、花の香りの、馥郁(ふくいく)とした、その感じを忘れ、
いつのまにか、春の到来の、あの喜びを忘れ、
いつのまにか、夏に向かうときの、あの胸のときめきを忘れている。
そう、それが老いさらばえてゆく人間の姿であるのだ。
心のなかに花を咲かせよ。
心のなかに情熱の目を見開け。
あなたがたは、日々、発見のなかに生きなくてはならない。
日々、素晴らしい人々を見つけてゆかねばならない。
きょう出会った人のなかに、
どれだけの美を見つけることができただろうか。
人々の心のなかの美を、そして外面の美を、
どれだけ見つけることができただろうか。
たとえ、その生まれが、いかに卑しいものであっても、
たとえ、その外見が、いかに醜く見えるものであっても、
その者のほほえむとき、
口元からは白い歯がのぞき、
かすかな笑顔が、全世界に向かって解き放たれるのだ。
その笑顔の素晴らしさを、
あなたは素直に認めてやったことがあるだろうか。
もう一つ言うならば、
若き者だけではなく、
老いてゆく者へ、去ってゆく者への慈しみを
持ったことがあるだろうか。
年寄りの顔に皺(しわ)のみを見、
そこに苦渋のみを見るのは、
正当な見方ではあるまい。
その皺のなかに年輪を見、
その顔のなかに経験の輝きを見、
その額に叡智の光を見いだすことこそ、
真に優れたる道ではないであろうか。
すべての人の持っている輝きを見いだしてゆく情熱は。
どうしてもどうしても忘れてはならない。
さて、それにも増して言っておかねばならないことがある。
それが何であるかといえば、
まさに、あなた自身の人生についてなのだ。
「あなた自身の人生が、いかほどのものであるか」ということなのだ。
さあ、あなた自身は、どういう人であるのか。
いかに生きてきて、いかに生きてゆこうとしているのか。
それを情熱的に語ることができるだろうか。
自分というものを、情熱を込めて語ることができるだろうか。
この私の問いかけに、「はい」と答えられる人が、
いったい、どれだけいるであろうか。
自分の人生に希望を持って、
熱っぽく、人々に、その生きがいを語ることができるだろうか。
もし、「そうでない」と言うならば、
あなたの幸福は、満月のようなものではありえない。
あなたの幸福は、まだ三日月のようなものであろう。
その先に角がある。
その先にとがったものがある。
その大部分が、まだ隠されていると言わざるをえない。
忘れるな、忘れるな、
みずからの人生を情熱的に説くことができることの素晴らしさを。
忘れるな、忘れるな。
「みずからが、いかに人生を駆け抜けてゆくか」ということの、その美を。
忘れてはならない。
決して忘れてはならない。
自分自身に言い聞かせよ、
「いかほど素晴らしい生を、いま自分が生きているか」ということを。
あなたがたは決して動物ではないのだ。
あなたがたのなかには偉大なるものが光っているのだ。
その偉大なるものを見失ってはならない。
決して見失ってはならない。
あなたがたは、そのなかに、
仏より点じられた聖火の、その火がともっているということを、
忘れてはならない。
この火を大切にせよ。
たとえ、マラソンを走ったとて、
この火が燃え尽きるものではあるまい。
その火を、その松明を高く掲げて、
しかして、丸一日を走り抜け。
しかして、一生涯を走り抜け。
そこに、美しき生涯が展開するであろう。
(仏法真理)
---owari---
目を開きましょう(^-^)
みんなのブログからきました。
詩を書いています・・・よろしくお願いします。
たびたびコメントを頂き、有難うございます。
おっしゃるとおり、発見することや目を開くことは大切ですね。
私のブログも日常生活のなかで、発見することや感動することを中心に書かせて頂いています。
今後ともよろしくお願いします。