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中島みゆきさんの「時代」はなぜ名曲なのか?

2016年06月25日 | 音楽

中島みゆきさんの歌は名曲が多すぎます。時が経っても多くの人々に愛される名曲がきらきらと輝いています。作曲の素晴らしさもありますが、歌詞の内容が聴く人の心に深くしみいるのです。そして、みゆきさんの歌い方が聴く人の心をわしづかみにして放さないのです。

 

みゆきさんの「時代」は多くの人がカバー曲として出されていますが、私は彼女の歌い方、彼女のパッションやテンションが歌詞と一体となって、醸し出す歌声に参ってしまうのです。

歌詞、メロディー、歌声が三位一体となって迫ってくる、この迫力が私たちの心を揺さぶるのだと思います。

 

みゆきさんの「時代」は、発表されてから、もう40年が経ちました。

彼女が広く知られるようになったのは、1975年10月のヤマハ主催の第10回ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン)、同年11月の第6回世界歌謡祭でこの曲を歌ってグランプリを受賞してからでした。

 

後年、卒業式で歌われたり、音楽の教科書に掲載されたりして親しまれ、2007年に「日本の歌百選」にも選ばれています。みゆきさんの初期の代表曲と言える曲で、いつまでも残したい名曲だと言われています。

この「時代」は世に出てから40年の歳月が経っていますが、今もなお色あせることがありません。

 

みゆきさんがデビューしたのも40年前ですが、もちろん今でも現役のシンガー・ソングライターであり、シンガー・ソングライターの枠を越えたアーティストとしても活躍されています。

 

彼女の歌は、フォークソングでもなく、演歌でもありません。歌のスタイルに捕らわれることなく、聴く人の心に一番届きやすい手法で歌っておられるように思います。それが結果として、癒しの歌であったり、人生最大の応援歌であったりするのです。

 

みゆきさんが「時代」を書いたのは、彼女の才能を見出した、川上源一さん(ヤマハ社長=当時)と、お父さんの存在が大きかったのではないかと、言われています。

みゆきさんのお父さんは彼女がデビューする直前に脳溢血で倒れられ、デビュー翌年に亡くなられています。そんな大変な状況のみゆきさんを見て、川上さんは自分がお父さまの代わりになって彼女を応援しようと思われたのかもしれません。

 

みゆきさんのお父さん(眞一郎さん)は産婦人科の開業医をされていました。

『赤ひげ先生』と呼ばれ、貧しい患者さんも診察する立派な人だったようです。

しかし、そんなお父さんも1975年9月に脳溢血で倒れ、こん睡状態に陥ってしまいます。

 

みゆきさんはその9日後にデビューし、10月には「第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)」を控えた大事な時でしたが、お父さんの意識は戻りませんでした。みゆきさんは病室から会場へ向かいました。そこで披露されたのが「時代」でした。

 

当初は別の曲を歌う予定でしたが、急きょ変更したと言われています。

お父さんが倒れ、医師に「覚悟をしてほしい」とまで言われたことで、人生に絶望感と再び希望を見いだす「時代」が彼女の心境にぴったり合っていたのではないでしょうか。

 

歌いだしこそ絶望感を感じさせるのですが、その後は「そんな時代もあったのと」卓見し、「今日の風に吹かれましょう」とすべてを受け入れるのです。

 

私はこの「くよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」というフレーズがとても好きです。

時代の風は、強風もあり、暴風もあるけれども、それを乗り越えれば、涼やかな風があり新緑の匂い香る素敵な風にもめぐり会えるでしょう、と言っているように聞こえるのです。

 

彼女にしては父にもう少しだけでも意識を持っていて欲しかったでしょうね。自分のグランプリ受賞を知らせたかったと思います。

けれども、その苦難が差し迫っていたからこそ、コンテストの舞台であの名曲「時代」を思う存分に表現できたのではないでしょうか。その時の彼女の心境は察して余りあるものですが、『赤ひげ先生』の父親が彼女にくれた最後で、最高のプレゼントではなかったのでしょうか。

 

不謹慎な見方だとみゆきファンから叱られそうですが、お父さんの病気があまりにも劇的なタイミングだったので、私はそのように感じました。

 

当時の彼女の年齢は23歳ですが、この「時代」を作詞作曲したのは18歳でした。この若さで「諸行無常」や「転生輪廻」といった仏教のテーマを分かりやすく、人々の心に届ける彼女の才能にびっくりさせられます。

 

みゆきさんの曲はこのように人生を達観した修行僧のような名曲がたくさんあります。

明らかにみゆきさんは秀才を超えた天才であると思っていますし、なぜ、このような名曲が書けるのか不思議でなりません。この世に生まれ落ちてからの年数だけでは書けないと思っているからです。

 

以前の私のブログ「天才モーツアルトの秘密」で、お伝えしましたように高級霊たちは、この世以外のあの世でも自分の生涯の目標である天職(みゆきさんの場合は歌を通して世の人々の心を癒したい、救いたいという意思)を向上させ続けているがゆえに、この世に生まれて、若干18歳という若さでありながら、作品を世に問うことができ、グランプリを獲得できる能力が備わっていたのです。

 

そして、見逃してはならないことは、お父さんが『赤ひげ先生』と慕われた人格者であったということです。この家系の良さも彼女の歌がいつまでも色あせずに、名曲として慕われている源になっているのではないのでしょうか。

 

日本にこのような素晴らしい歌姫を授けて頂いたことに感謝いたします。

 

(歌詞「時代」)

 

今はこんなに悲しくて

涙もかれ果てて

もう二度と笑顔には なれそうもないけど

 

そんな時代もあったねと

いつか話せる日がくるわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

だから 今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

 

まわるまわるよ 時代はまわる

喜び悲しみくり返し

今日は別れた恋人たちも

生まれ変わって めぐりあうよ

 

旅を続ける人々は

いつか故郷に出会う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る

たとえ今日は果てしもなく

冷たい雨が降っていても

 

めぐるめぐるよ 時代はめぐる

別れと出会いをくり返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって歩き出すよ

 

まわるまわるよ 時代はまわる

別れと出逢いをくり返し

今日は倒れた旅人たちも

生れ変って歩き出すよ

 

今日は倒れた旅人たちも

生れ変って歩き出すよ

 

----owari---

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (シベール)
2018-04-15 23:50:18
中島みゆきさんの弟さんも、名の知られた、移植医ですよ。
返信する
はじめまして (“このゆびと~まれ!”です)
2018-04-16 17:40:07
シベールさんへ

弟さんの情報、有難うございます。
お父様のご意志を引き継ぎ、医師(移植医)になられたのですね。
東京の有名な病院に勤められているようです。
ご活躍を期待します。

またのご訪問、お待ちしております。
返信する
誰にでも当てはまる (シベール)
2018-12-18 20:32:30
「時代」が、素晴らしい曲だと認識できたのは、7年前の東日本大震災の時です。あの日、会社の出張帰りで、東海道線に乗っている時、激しい揺れで電車から降ろされ、、平塚駅まで歩かされ、近くの小学校に泊まりました。その夜に、テレビで震災の様子がたくさん放映されていました。翌朝、家に帰るため、平塚駅に行ったのですが、駅では、津波の様子が放映されおり、そのバックに「時代」が流れていました。その映像と音楽に多くの、ヒトが見入り聞き入っていました。その時に感じました、この「時代」は、中島みゆきが父を失った悲しさ・苦しさから作られたかもしれませんが、彼女の詞には、普遍性があり、人生に於いて困難を味わった人の多くが共感できる詞になっている。だから、若い人の支持は少ないかもしれないが、50歳以上の人の多くは共感できる。
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こんにちは (“このゆびと~まれ!”です)
2018-12-19 15:08:42
シベールさんへ

今年4月に続き、コメントをいただき、有難うございます。

東日本大震災当日の被災映像は本当に驚かされました。経験したことがないとはいえ想像以上の映像が流れていたことを私も思い出しました。
その時に流れていた「時代」は癒しの歌であり、鎮魂歌でもあったのでしょうね。

「彼女の詞には、普遍性があり、人生に於いて困難を味わった人の多くが共感できる詞になっている」というお言葉は、大いに賛同いたします。
若い人を含め共感していただきたいと願っています。

またのご訪問、お待ちしております。
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