(一つの分野に絞り込んだほうが実りが大きい)
人生に成功するためには、やはり、何か一つの分野にグーッと特化していくことが必要です。能力が溢れている人は、二つ、三つの領域で成功することもありますが、あまり領域の数が多くなってくると、それぞれのレベルが落ちてきます。そういうことは知らなければいけません。
いろいろなことをやると、才能が散りはじめます。才能は、分割していると、小さくなってしまうので、余計なことは、あまり手を出さずに、なるべく本業のほうにグーッと絞り込んだほうがいいと思います。そうしないと、実りが出てこないのです。
ストイシズムとは、ある意味で、自分自身への見切りです。そういう見切りは必要なのです。見切って絞り込んだほうが意外に実りが大きいのです。「あれも、これも」と、手を出した場合には、そうはなりません。
若いころに頭のよかった人、あるいは才能の溢れていた人が、その後、四十代になると、あまり成功していないように見えることがあります。「なぜかな。どうして成功しないのかな」と、不思議で、不思議で仕方がないのですが、やはり、自分にほんとうに向いた才能のところで、ずうっと掘り抜いていく努力が足りず、埋没したことが原因でしょう。
世の中には、さまざまな能力を測る物差しが数多くありますが、それで測って、満遍なく、そこそこよくても駄目なのです。どこか一つの領域でグーッと押していくことが大事です。それには情熱なり根性なりが要ります。グーッと押していけないと、成功できないのです。
「能力のある人、優秀な人は、高校時代には、たくさんいたのに、それが、だんだん消えていく」ということがあります。前述したように、「東大へ入ったあと東大生の群れのなかで自信をなくし、シュンとなって、マス(大衆)の一部になってしまう」というようなことがあるのです。そして、「周りの人たちが就職するようなところに自分も入れたらいいかな」と思って、そういうところに就職し、その後、消えてしまうわけです。そういう人が数としては多いのです。
そのような場合には、むしろ”性格が悪い”人のほうが成功するように見えます。ここで言う「性格が悪い」というのは、「自分の型を崩さない。自分の型を押し通す」ということです。そういう人は、「自分は自分なのだ。これが、自分のスタイル、自分の考え方、自分の個性なのだ」と考えるのです。
そういう人を、いろいろな人が“叩く”わけですが、叩かれても叩かれても自分の型を崩さない、やや性格的に「いびつ」と見える面もある人のほうが、どうも成功するように見えるのです。
人にしつけられる段階において、「尖(とが)った部分がない、バランスのとれた人になるように」と、一生懸命に教育されます。ところが、いくら教育されても、そうならず、ある程度のところで、教師から匙(さじ)を投げられ、家族や同僚などからも諦められた人が、けっこう大成していくのです。意外なものです。
そういう人は、結局、「他人との勝ち負けではなく、自分自身との戦い、競争に生きている」ということでしょう。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます