(最大の試練と対決しているときこそ、神にいちばん近いところにいる)
私たちが今世を生きているなかで、いろいろな苦しみがあります。例えば、経済的な貧困や重い病気、異性関係のもつれなどですが、それが過去世からの*カルマである場合、どういう境地でそれを受け止めて生きていければ、「カルマの刈り取りができた」と言えるのでしょうか。また、不幸なカルマを百八十度好転させる方法とはどのようなものなのでしょうか。
「カルマと対決する」といいます。そのカルマと対決する最中こそ、私たちの人生の最大の試練であることは、ほぼ間違いがないでしょう。その試練こそ、今世の最大の試練でしょう。そのときに、百八十度の転換をということですが、実は、「そのいちばんの試練と対決しているときこそ、あなたは神にいちばん近いところにいる」ということなのです。
そうした試練のなかにある人は、もう裸なのです。もう心が裸で、とにかく飾るものもなく、その試練のなかで無力です。無力で、流されていく川のなかのような所で泳いでいるわけです。「もうすぐ溺(おぼ)れそうだ」という瞬間です。
このときに、どうしますか。
このときに、溺れそうな子供は親の名を呼びます。当然ですね。親の名を呼びます。助けてほしい人の名を呼びます。それが、人間にとっては神の名であります。
数多くの方が真理の縁を経て現在を生きておられると思いますが、その人たちは今まで幸福だった人ばかりではありません。いろいろな苦労をしてこられました。事業で倒産をされたり、大病をされたり、あるいはお子さんを亡くされたり、あるいは伴侶に死に別れたり、離婚をされたり、そういう苦しみを味わってこられた方が数多くおられます。
「彼らは、やはりカルマと対決してきたのだろうけれども、その最中にこそ、神にいちばん近いところにいるのだな」ということを私は感じます。「たいへんご苦労な体験であった」と思うけれども、それがあって、やっと辿(たど)り着いてきているわけです。
そういう苦難を礼賛する気持ちはございませんが、そのなかにも「神への道」はあるし、あるいは「神にいちばん近いところに、今、自分は立っている」ということを忘れてはなりません。
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*カルマ・・・・・仏教で言う「業」のことで、過去世の経験やこれまでの人生における思いと行いによってつくられた「魂の傾向性」や「解決すべき人生課題」を指す。カルマは死んでも消えることはなく、次の転生に持ち越される。
---owari---
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