現政権(安倍政権)は、今、経済的繁栄のほうに話を持っていこうとしています。それも大事なことではありますので、それをあえて「すり替え」とは言いません。二十五年間も経済が発展せず、止まっているこの日本の国を、もう一度、再起動させることや、ほかの国のように二倍、三倍の経済規模になっていなければいけないはずなのに、そうならなかった点を反省し、やり方を変えることなどは、当然のことなので、考えてもよいと思います。
しかし、私には、現政権がまだ有効な手を打てているとは思えないのです。それは、金融政策に頼りすぎているからです。
「日銀からお金を大量に供給すれば、市場にお金が溢れ、人々がそれを使うようになるだろう」という発想から金融政策が取られているわけですが、現実には、人々の財布の紐は固くなっています。消費が冷え込んでいます。お金を使わなくなってきています。それは、安心して未来を見ていられないからだと思います。
「未来に経済的繁栄が来る」と思えば、人は手元にある資金を使い、いろいろなことを始めるのですが、まだ、それに成功していません。「*マネタリズム」という近代経済学の一手法だけで経済的繁栄を起こすことはできないのです。
やはり、「仕事とは何か」ということを考え、実際に仕事をつくり出していくことが大事です。そして、よく働くことにより、賃金が上がり、GDPが増えていくことが極めて大事なことだと言えます。
そういう実体経済というものを常に念頭に置いておかなければいけないと、私は思うのです。ここにも、やはり、一つ欠けている視点があるように思えてなりません。
経済における、安倍政権のもう一つのウィークポイントは何でしょうか。
「アベノミクス」といわれているもののなかには、「円安・株高誘導」があります。しかし、この円安誘導によって、国際収支での赤字がかなりかさんでいます。円安だと外国から買うものが高くなるため、輸出企業には有利であるものの、その恩恵を受けるのは十パーセント程度の企業のみです。
そして、政府は「株高」を演出しています。「資金を大量に供給すればお金の使い途がないから株を買うだろう」と見ているわけです。
しかし、いちばんのポイントは、たとえ、日経平均株価が二万円になったとしても、それだけで景気がよくなるわけではないということなのです。
金融機関の株価が上がらなければ、人々のところに資金は行き渡らず、事業資金は回りません。安倍政権下においては平均株価は上がっていても、残念ながら、金融機関の信用は取り戻していないのです。ここが大きなウィークポイントです。
1990年代に、銀行は、「グローバリズム」「グローバリゼーション」という言葉の下に、「自己資本を充実し、不良債権を引き揚げろ」と命令をされ、突如、“貸し剥がし”をしたのです。「融資した金を返せ」と、中小企業に言って回って資金を回収したために、次々と会社が倒産したり、あるいは、社長自身が会社を潰したり、自殺したりするようなことも数多く起きました。
今はまだその“後遺症”から立ち直っていないのです。そのため、銀行から「お金を貸しましょう」と言われても信用できないし、銀行自体も、自分たちのことでさえ、いつどうなるか、信じられないでいるのです。
したがって、まず、金融機関にもっと信用をつけなければなりません。その法則を編み出さなければ、次の道は開けないのです。
金融機関に信用があれば、そこからの融資は力強いものになります。そして日本列島を再び改造するだけの力が出てきます。また、新幹線だけでなく、リニアモーターカーやその他の交通機関を通すこともできるでしょう。さらに、リニアモーターカーを、北海道から、シベリア、モスクワ、ロンドン、そして、ヨーロッパの国々へと通すような巨大な構想であっても、やろうと思えばできます。
しかし、ひとり日銀が奮闘しても、そうしたことは実現できないのです。そのようになるためには、金融機関に信用がなければいけません。それを編み出すことが次のステップです。
アベノミクスに付け加えるとすれば、次のステップはここでしょう。ここを攻めなければ、いくら資金を供給しても、人々は絶対に消費には入りません。この一点を注意しておきます。
こういうことを理解していなければ経済もよくなりません。そのことを知っておいてください。
今の野党に日本の国政を任せられるところはありません。現政権にも問題はありますが、頑張っていただくしか、今は方法がないのです。
以上
*マネタリズム:政府の裁量による財政・金融政策の有効性を主張するケインズ的な経済政策を批判し、「自由な市場に経済を委ね、貨幣量の増加率を一定率に固定するにとどめよ」とする政策的立場。アメリカの経済学者であるミルトン・フリードマンに代表される。
---owari---
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