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日本の進む道

2018年02月22日 | 政治・経済

今、私たちは「第三次世界大戦に続くかもしれない崖っぷち」に立っています。

日本は、しっかりと「国是」を立てるべきです。

 

「国家について正しい信条を持ち、近隣諸国との間に平和を築き、自国を防衛する」ということは、国政を担う政治家がやるべき義務です。責任転嫁をして、これから逃げることは悪なのです。そのことを、はっきりさせなくてはなりません。

 

また、経済的な発展においては、もう一度、二宮尊徳的な「自助努力の精神」を取り入れ、「資本主義の精神」とは何かと見据えて、「やるべきことは何なのか」を考えることが大事です。

 

老後の問題についても、「やるべきことは何なのか。家族の責任とは何なのか。何のために家族をつくるのか」ということから入っていかなくてはなりません。

 

親が子供をつくっていた理由は何なのでしょうか。おそらく、昔は「老後の面倒を見てもらうため」だったでしょう。

 

しかし、子供が一人だけだと、“当たり”ではなく、“はずれ”の場合もあるので、二人以上産もうとしたのでしょう。二人か三人を産んでおけば、一人ぐらいは親の面倒を見てくれるかもしれません。一人だけだと、“はずれ”の可能性がありますし、わがままになるので、「一人では駄目かもしれない」と思い、二人三人と産もうとし、それで子供が増えたのでしょう。

 

「少子化」は別に幼稚園や保育所が足りないせいではありません。今は、子供がもう親の面倒を見なくてもいいような風潮になり、「老後については、国家が面倒を見てくれ」という投げやりなスタイルなので、少子化になっているのです。

 

家族や親族、友人その他の共同体において、「宗教的な絆」がもっともっと深くなければいけません。それが大事だと私は思うのです。そういう絆があれば、その共同体をもっと信頼して生きていくことができると思います。

 

高齢の方には厳しく聞こえるかもしれませんが、「年を取った方を、国家が全部、面倒を見ればよい」と考え、国家を頼りすぎると、どうなるでしょうか。それは、もっと少子化が進むことを意味しているのです。

 

それから、「学校教育の無償化」にも問題があります。気をつけないと、親に対する感謝が子供からまったくなくなるのです。「生まれたら、そのあと全部、無料で教育を受けられるのだから、親に面倒を見てもらっていない」と子供に言われかねません。

 

かつては、親に弁当をつくってもらい、子供はそれを「うれしい」と感じていたのに、今では、「給食代も無料にしようか」という流れになっています。

 

親切なのは結構なことですが、いろいろな面で国が子供の面倒を見ると、「親孝行の人」は全部いなくなり、核家族ばかりになるのです。

 

また、離婚が当然のようになってくれば、結婚するのがバカバカしくなって、結婚しなくなり、ますます少子化は進みます。これだと、少子化は直らないです。

 

もう少し、宗教心に基づく、きちんとした道徳教育と社会設計がなされなくてはいけません。

したがって、「余計な補助金を入れて変な学校をたくさんつくらないでください。そんなものは、ぶち切ってください」と私は言いたいのです。

 

国に害を流しているような学校の経営的な人が、文部科学省の大学設置・学校法人審議会の会長になり、学問的な業績はゼロに等しいのに、審査をするというようなことは避けなければいけないと思うのです。

 

この国の体制として、「もう一段、きちんと経営論理に則って、やるべきことはやり、やるべきでないことはやらない。我慢すべきところは我慢する。国民に対しても、国に要求しても無駄なことについては、しっかりと教育する」ということが大事だと思います。

 

“ご機嫌取りの政治”は、もうこれ以上、要りません。世界的に見て当然のことを、当然のこととして言える国をつくらなくてはいけないのです。やはり、「正義」を一本通さなくてはいけないと思います。

 

---owari---

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