ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

他人に対する態度

2021-05-31 11:34:50 | 日記
人間は他人を所有し、支配し、より優位に立とうとする鼻持ちならない傾向を持っている。いわゆる「マウンティング」。ネットには次のような説明がある。

「マウンティングとは、自分の方が相手よりも立場が上であること、また優位であることを示そうとする、行為や振る舞いのこと。特に、対人関係において、自分の優位性を示そうと自慢したり、相手を貶したりすることを指す。
(マウンティングの語源)
マウンティングは本来、サルなどの霊長類の動物が、相手に対して馬乗りになって自身の優位を示すことであり、この行為が対人間のマウンティングの語源となっている。マウンティングの語が浸透したきっかけは、2014年に放送されたテレビドラマで使用されたことにある」
(新語時事用語辞典)

サルの社会では、力の強い個体が力で劣る個体を支配するが、ニンゲン社会では、事情は大きく違っている。ニンゲンの場合は、「価値評価」という観念的な操作が闘争の武器になるため、「弱者が強者を支配する」という逆転現象がしばしば生じることになる。有名どころで言えば、ニーチェのいう「ルサンチマン」がこれに該当する。
「ルサンチマン」についての解説はネット上にいくつかあるが、私が見る限り、次の解説が的を射ている。

「ニーチェのキリスト教批判における中心概念で、「恨み」や「妬み」を意味する。『道徳の系譜』(1887年)において、ニーチェは、キリスト教の起源をユダヤ人のローマ人に対するルサンチマンに求め、キリスト教の本質はルサンチマンから生まれたゆがんだ価値評価にあるとした。被支配階級であるユダヤ人は、支配階級であるローマ人の力強さ、能動的に生を楽しむこと、自己肯定的であることに対して恨みや妬みを抱き、このルサンチマンから、強い者は「悪い」、強くない私は「善い」、という屈折した価値評価を作り出した。この価値の転換はさらに屈折の度合いを深め、「貧しき者こそ幸いなり」ということばに代表されるような、弱いこと、欲望を否定すること、現実の生を楽しまないことこそ「善い」とする価値評価が生まれ、最終的にキリスト教の原罪の考え方、禁欲主義、現世否定主義につながっていった、とニーチェは考えた。」
(コトバンク)

キリスト教の価値評価はどのようにして生まれたのかーー。この問いをめぐるニーチェの見解は強烈に独特なものだが、「価値評価」という観念的操作を武器にして他人の優位に立とうとする種々の「マウンティング」の事例は、我々の周囲の日常世界にもしばしば見られる。以下、そのいくつかを取りあげることにしよう。
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