ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

奥まった自分の部屋で

2017年08月14日 | デキんレジの雑記帳

とくにハードだった3連勤明けの目には眩し過ぎた、紅色。
明るい時間に歩くのは久しぶりで(おかげで誰にも成果を見せることのない美白ケアだけは進む)思わずパシャリ。

サルスベリっていうんですよーこれ。北国には咲いてないでしょうけど。さして好きな花でもないからあってもなくても平気。
ただこんな、あまり上品でもないそこらじゅうに植わってる花がモチーフにされてる便箋なんか見つけちゃうと
変に感激して買っちゃうんだよね。


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Wenn du aber betest, so geh in dein Kaemmerlein und schliess die Tuer zu
MATTHAEUS 6:6

きのう夜勤に一緒に入ってくれた、内科一畏れられている先生(実際“やっぱりおそるべし!”とひたすら思わされて一晩が過ぎた…)が一年生を見て
「俺なら上級医の前では意地でも本読まなかったけどな。コソ勉だよコソ勉。」
とおっしゃってたのを思い出した。
そういうこと敢えて言っちゃうところが先生の人間らしさだけど笑

私も、強いられてではあるけれど
世間が寝静まってから動き出す生活。
「どこ行くの?」「なに読んでるの?」
ふだんなら必ず降りかかる声かけひとつない。
はじめはそれを寂しく不安に感じていたけれど
そういう時にこそやりたいこともあるものだ。

宿題①
読む。いつもみたいに部分的に引用するのではなく、順を追って。

宿題②
その感想も含めて“おしゃべり”する練習をなさい。心の中でいいから、

ただし、心の中の対象に向かって。

ああ、ここが欠けてたのかなあと思った。
言葉にするのが苦手になったのはいつからだろうと思ってた。
中高生の時なんか…そう、食前のお祈りとかも平気でできてたもの(このまえ友人も思い出話のなかで“なんかお弁当の前に歌う歌あったよね…??”って言ってた。さすが食べ盛りだった私たちの記憶 笑)。
今は、仕事中あれだけベラベラ喋ってるのに
自分のこととなるとすぐに言葉が出てこない。
それを見透かされているような気分になって、
さらに先生は、話しかければ応答があるのは何に対してでも同じだなんて言うから
なんだか泣きたくなった。そんなの自信ない。


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サルスベリの花言葉、【雄弁】だって。
眩し過ぎた訳だ。