Ⅴ GHQ占領期の描き方
■基礎知識
<ウィキペデア:連合軍占領下の日本>より
・「象徴天皇制 昭和天皇
1946年(昭和21年)11月3日
連合国軍は皇室改革を指令し、天皇は憲法上における統治権力の地位を明示的に放棄し、日本国憲法第1条の規定により、「日本国および日本国民統合の象徴」となった。
ただ、明治憲法と同様に、立憲君主制は維持された。
また、皇室財産が国や自治体等に下賜ないしは特別税として国庫に収容されることになるに伴い、多くの皇族は皇籍離脱を余儀なくされた。
また人間宣言によって天皇が現人神であることは否定されたが、多くの日本人はこの人間宣言と象徴天皇制を平静に受容した。
終戦直後の1946年(昭和21年)に毎日新聞が実施した世論調査では、象徴天皇制への支持が85%、反対が13%、不明2%となっており終戦直後でも国民の多くが皇室の存続を支持している。」
<ウィキペデア:人間宣言>より
・「人間宣言(にんげんせんげん)は、1946年(昭和21年)1月1日に官報により発布された昭和天皇の詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』の通称である。
当該詔書の後半部には天皇が現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される部分があり、狭義にはその部分を表現する名称としても用いられる。
なお、「人間宣言」という名称は当時のマスコミや出版社が付けたもので、当詔書内には「人間」「宣言」という文言は一切ない。」
(※松永注:当時の「マスコミや出版社」は、歴史上まれにみるような、GHQのきわめて厳重な検閲下にあった。参照<ウィキペデア:民間検閲支隊><ウィキペデア:プレスコード>)
■実物コピー
【育鵬社】 ※記事中に「人間宣言」の言及なし。
※上記中:「GHQはこの動きをおさえた。」 ・・・つまり、GHQが撮った(または撮らせた)写真を、新聞社に提供して掲載させたということ。
【自由社】 ※写真も「人間宣言」もなし。
【東京書籍】
【帝国書院】
【教育出版】
【日本文教】 ※「人間宣言」の言及なし。
【清水書院】 ※写真も「人間宣言」もなし
【学び舎】 ※「人間宣言」の言及なし。
■「⑥昭和天皇の描きかたのちがい」全体のまとめと考察
・2・26事件については<78>に記述ずみ。
・いわゆる「人間宣言」について
戦後の学校で教えられ続けてきた、いわゆる「人間宣言」はとてもうさんくさい。今考えると、《アメリカの日本支配のための、それまでの日本の弱体化》の工作の一つであることはまちがいない。
なぜなら、この詔書を普通に読めば、天皇陛下による《明治維新の御誓文の精神に立ち返って、「新日本を建設」しよう》という国民への呼びかけが主で、
後半の一部に《連合国が作りだした日本への誹謗中傷に反論する部分》をふくんで成り立っている、と理解できるからだ。(※今の日本にだっておおむね当てはまるような高遠な内容だ。)
したがって、「人間宣言」などと言っている東京書籍・帝国書院・教育出版は、いまだにGHQ洗脳工作をもとにしている時代遅れの歴史教科書ということになる。
※参照:【中学歴史教科書8社を比べる】53 ⑽ 神道 ⑥ GHQ占領期の神道の描き方<その3>
~次回、今上天皇陛下の描き方~
<全リンク⇒1へ> 天皇<55・①索引など56・②仁徳天皇陵57・58・59・③系図60・61・62 ④聖徳太子63・64・65・66・67/68/⑤明治69・70・71・72・73・74/⑥昭和75・76・77・78・79・80・81/⑦今上天皇+天皇総まとめ82(この項完)>