野洲市周辺のお城跡探索
=小堤城山城=
そこは佐々木六角氏の家臣馬渕氏の被官だった永原氏
が15世紀末に築いたとされている小堤城山城(こづ
つみしろやまじょう)跡です
その小堤城山城跡はこんな姿でした
ここは小堤城山城の山頂です。主郭部はここを下った所にあります
この時代の有事の籠城はおおよそ山の頂に築かれたとのことでこの城
もその点ではなるほどと納得です。でもはそれにしてはここも小規模で
狭い?ところがその城の主郭に辿り着いた時に疑問は一瞬にして解消、
広大な敷地に曲輪(くるわ:土塁や石垣で囲まれた敷地で防衛の建物が)が主に
東尾根に築かれていました。そして何と言っても何か所にも築かれた石
垣です(後述)
希望が丘文化公園からみた城山(小堤城山城跡)
この城山には国道8号線やこの公園から登る事が出来ます。 ややきつ
い坂や滑り易い砂地に注意すればどなたでも辿り着くことが出来ます。
標高は286mで素晴らしい眺望も楽しめます
現地の案内版です。やはりかなり広い城郭のようです
滋賀南部では最大規模に属す中世の城郭だとのことですが、確か
に山頂から山腹、尾根上に至る強硬な詰城であったと伺い知れます。
城跡石垣群
ここ中腹部の郭は広くてこの写真に見るような多くの石垣がありま
す。更にそこにあった案内版(上の写真)にもこの辺一帯が城の主
郭と表記されていました
これだけ高く積まれた石垣も多く見られます
堀切です。 城には必ずあります
多賀町佐目の城跡では、砂や木の葉がその掘切に積もってしまいこれ
が堀切だと教えていただかない限り気が付きませんでしたが、ここはち
ゃんと整備され深く掘った要害が見えておりました。
新しく覚えた事実:
石垣について
私が所属する「淡海の城」友の会で教わったことですが石垣が多用
されるのは安土城以降だと言う事です。ところが石垣が多用されて
いるこの城郭はそれより古い年代のものです。しかしそこは六角氏
の有力家臣永原氏の城郭という歴史的裏付けがあるのでしょうか。
希望が丘周辺の城跡:3~5つの城跡があるとの事です
林誠三氏(滋賀県希望が丘文化公園青年の城担当)から戴いた著書の原稿文
を引用させていただきます。(ご本人のご了解をいただいております)
希望が丘の北稜にあたる小堤城山から鏡山間には3~5つの山城があっ
たとされる。この小堤城山城は永原重秀、古城山岩倉城または桜本
城に馬渕泰信、鏡山星ケ峯に星ケ崎城主鏡久綱が城を構えた。あと
2つは立石岩倉城であるが、古城山と同一かもしれないとされている。
弥勒寺城も馬渕高昌が城主と明治30年ころの村誌に記載されているが
現在、発見されていないと報告されている。
終わりに
私はお城を熱心に研究をしているのではありませんが、何故か歴史それ
も郷土史に興味があり史跡に立ち今日の日本が辿ってきた時代を習っ
てきた事と照らし合わせて思いにふけることに喜びを。そんな動機で最近
史跡歩きをしております。
私の故郷、滋賀県の北部にある集福寺若山城(幼い時から学校の裏の山
にお城があったと聞いておりました)を尋ねることを楽しみにしております。
今日もご覧くださいましてありがとうございました
滋賀県には、まだまだ山城跡が沢山あるんだ!
この本の城郭跡すら部分的にしか探訪できていないのに、私にとってはプラスαのうれしい追加編です。いずれ現地に・・・・
ところで、ご説明に出てくる永原氏は、上記『探訪』に載っている野洲にある「永原御殿跡」「上永原城跡」の「永原」とは関係があるのでしょうか。
(この本には永原氏の説明がありませんので。)
また、城山の登り口の場所、標識など教えて下さい。