武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

青春の苦しみ(7)

2024年06月09日 02時22分40秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

8)屈辱

 それから一週間ほど経っただろうか、春の陽光がまぶしく輝くある日の午後、行雄は文学部の生協食堂で軽食をとった後、たまには演劇博物館でも覗いてみようと本校舎の方へ歩いていった。 学生会館の前を通り過ぎてキャンパスに入ってすぐ、20メートルほど前方から歩いてくる男女3人の姿を見て、彼はハッとして立ちすくんだ。

 徳田が中野百合子ともう一人の女子大生と連れ立って、こちらの方へ向ってくるところだった。一瞬、姿を隠そうかと思ったがもう遅い。 見通しが良いので、徳田は行雄とほぼ同時に相手に気付いた。「やあ、村上君、先日はどうも。ちょうど良いところで出会ったね、お茶でもどうかな」 徳田が人なつこい笑顔を浮かべて近づいてきた。

 仏頂面の百合子がいるので戸惑ったが、行雄は覚悟を決めた。「この間はありがとう、ずいぶん飲んだから酔っ払ってしまったよ。でも楽しかったね」と言うと、徳田は「いやいや、あのくらいの飲み方は、高村も僕もよくやっているんだよ。 おっと、彼女の前であまり言わない方がいいかもしれないな」と答えて、右隣の女子大生の顔を窺った。

「ちょうどいい、紹介するよ。 彼女が、この前言っていたAクラスの小野恭子さんだ。こちらはBクラスの村上行雄君・・・」徳田の紹介で、行雄と小野恭子は軽く会釈を交わした。 小野は色白で小柄な痩せた女だった。隣にいる大柄な百合子に比べるといかにも貧弱な感じがするが、顔立ちは可愛げがあって“理知的”な印象を受ける。しかし、この女子大生と徳田が肉体関係を持っているということに、潔癖な行雄は信じられない思いがした。

 徳田が続ける。「きょうは3人で、安藤教授の所へ4時半に伺うことになっているんだ。中野さんが連れてってもらいたいと言うんだが、小野さんも一緒に行きたいと言うのでやって来たところさ。 ちょうどいい、まだ時間があるからお茶でも飲もうよ。どう?」

 徳田の誘いに行雄は少し迷ったが、百合子と一緒だと気詰りになるのは目に見えているので止めることにした。「僕はこれから、演劇博物館に行こうと思っているんだ。又ということで」と断ると、徳田は「残念だな・・・それじゃ今度、中野さんも入れてお茶を飲むことにしよう。それでいいかな?」と言う。

 それを強いて断る理由もないので、行雄は「ああ、いいよ」と生返事で答え3人の側を通り過ぎた。別れ際に徳田と小野には挨拶したが、百合子は無愛想にそっぽを向いているので、行雄は声をかけることができなかった。彼女は俺の“呪いの手紙”を読んで、きっと怒っているのだろうと思うしかなかった。

 

 それから一ヵ月ほどの間に、行雄は徳田や高村から百合子を交えて喫茶店に行こうとか、学生会館でお喋りをしようなどと数回誘われた。 しかし、彼女に出した絶交状のことを思い出すと、行雄は気が重くなって彼らの誘いに乗ることができなかった。

 もし、百合子との交際を再開しようと思えば、まず彼女に詫びなければならない。それも「呪い殺す」などと尋常ではない酷い内容の手紙を出したのだから、土下座するくらいの謝り方をしなければ、とても彼女の許しを得ることはできないだろう。

 そう思うと、彼の心はますます重苦しくなっていった。 一度は己の退路を断って絶交状を出し、決然とした気持になって九州旅行までしたというのに、今さら百合子に哀願してまで交際を再開してもらおうというのか。それは男の沽券(こけん)に関わるというものだ。そんな事ができるというのか。行雄はあれこれ思い悩んだ。

 悩んだあげく、彼は暫くは「成るようになれ」という心境になった。これは自分では結論が出せない、自主性のない、あなた任せの態度と言うしかなかった。 行雄にもう少し心の余裕があれば、徳田らの誘いに乗って百合子とお茶を飲む機会もあっただろう。しかし、彼の性格は内向的で独りでウジウジと考え込む癖があった。その結果が「成るようになれ」だったのである。

 そうは言っても、行雄は次第に百合子との絶交状態を悔やむようになっていた。彼女の手紙を焼き捨てたことも申し訳ないと思うようになった。 あの中にあった「なぜ貴方は現実の私に対してなにもしようとはされないのですか。 なぜ幻覚を現実のものにしようとはしないのですか」という文が思い出される。

 自分は彼女が言う「幻覚」を「現実」のものにしようと努力したが、一向に上手くいかなかった。その点は不運であり不幸であったが、もう一度出直してみようではないか。徳田や高村もいろいろ言ってくれているのだ。 自分は人との接し方が下手だが、素直に謝って謙虚に交際を求めれば、百合子だって考え直してくれるかもしれない。

 行雄はそのように思い直し、まずは百合子に素直に謝ろうという気持になった。あんな“呪いの手紙”を彼女に出したというのに、仲直りしたいという思いが強まると、彼はそれが現実に容易にできるだろうと楽観するようになった。

 ある日のこと、仏文学「演劇論」の講義が終った後だった。 十人ほどの学生が教室を出たあとに、たまたま行雄と百合子、他に二人の男子学生がそこに残った。学生の一人は眼鏡をかけた色の浅黒い宮部進で、もう一人は、静岡出身の小太りで既に頭髪の薄いSであった。

 二人がいなければより好都合だったのだが、行雄は、この機会に百合子に話しかけないとなかなかチャンスが巡ってこないと考え、彼女に近寄って前の座席に腰を下ろすと、つとめて冷静さを装い低い声で語りかけた。

「中野さん、この前は大変失礼な手紙を出してしまって済まなかった。あの後で、ずいぶん反省し後悔しているんだ。本当に済まなかった。 もう一度、君と仲直りしたいと思っている。僕はどうも気が短くて、すぐにカッとなる癖があるんで・・・今とても反省している。 済まなかったと思っている。どうだろうか、もう一度・・・」

 宮部らに話しの中身を聞かれては恥ずかしいので、行雄の声はますます低く“か細く”なっていった。徳田や高村に促されたこともあるので、彼は百合子から程よい返事がもらえるものと期待していた。 どんなに悪くても「考えてみましょう」ぐらいの返事はあるものと期待していた。

 ところが、数秒の間に百合子の頬が見る見るうちに紅潮し、行雄を見つめる両眼が険しく吊り上がって彼女は激烈に叫んだ。「なんですか! あんな手紙を書いておいて、冗談じゃありません!! 仲直りだなんてとんでもない! 私をどう思っているんですか、いえ、もういいんです! もう二度と話しかけないで下さい! 冗談じゃありません!」

 百合子はヒステリックにそう叫ぶと、席を蹴るようにして立ち上がり憤然とした面持で教室の外へ出ていった。 行雄は愕然として声も出なかった。屈辱に打ちひしがれ、茫然自失として席から腰を上げることができない。 宮部とSが含み笑いをしながら、自分を盗み見ているのを痛いほどに感じた。

 二人に百合子との一部始終を見られて、行雄は恥ずかしさで穴があれば入りたい気持であった。“ひょうきん者”の宮部なら、ここで一言冷やかしの言葉をかけてきても良いのだが、この時は黙ったままでいた。 とは言っても、宮部も何と言葉をかけていいものか、あるいは、行雄に話しかけない方がいいものか分からなかっただろう。

 行雄は屈辱に青ざめながら、ゆっくりと立ち上がった。宮部とSは黙ったまま視線を落としているが、明らかにこちらの立ち居振る舞いに全神経を集中させているように見えた。 行雄はその場に倒れ込みたいぐらいの心境だったが、ここで取り乱してはならないと考え、あえてゆっくりとした足取りで教室を出ていった。

 

 9)歌舞伎研究会

 それから数週間、行雄は自分の不甲斐なさと百合子に対する怒りと失望で、やり切れない日々を送った。屈辱の思いと後悔の念が彼を襲った。 徳田や高村に促されて、百合子に仲直りを申し出たことは慙愧に堪えなかった。彼女は他の男子学生がいる中で、これ見よがしに自分を侮辱したのだ。

 やり場のない怒りと悲しみに行雄は悶えた。しかし、どうすることもできない。 彼は徳田や高村との交友も控えるようになり、仏文科の授業にも必要以上には出席しなくなった。大学に行けば、嫌でも百合子と顔を合わせることになる。それを避けようとしたのだ。その結果、行雄は自宅にいる時間が増え、クラシック音楽を聴いたり、どうでも良い哲学書や文学書をひもとくことが多くなった。

  しかし、そんなある日、行雄が必修の講義に出席した時に、珍しくクラスメートの橋本敏夫から声をかけられた。 橋本は授業にほとんど出てこない男だったが、この時は旧友である行雄を見て話しかけてきたのだろう。

  彼は以前、行雄が革命運動に挫折して絶望のどん底に陥っていた時、それを見兼ねてかキリスト教を信じる学生の会に誘ってくれた男だ。 橋本に連れられて、練馬の「友愛の家」を訪れたことや、精神薄弱者の施設のために一日中、便所作りに汗を流したことはよく覚えている。(注・第一部の「死から生へ」の項)

 行雄はキリスト教に付いていけなかったので、あれ以来、橋本とは疎遠になっていたが、憂うつで孤独な日々を送っているだけに、彼から久しぶりに声をかけられて嬉しかった。 二人は講義が終ると、本校舎に近いS喫茶店に入った。

  話しをしているうちに、クリスチャンだと思っていた橋本は、どうやら“デカダン”な生活に陥っているらしく、学業単位の取得もままならず既に留年が確定的な状況だった。 しかし、彼は屈託のない様子で「6年でも7年でも大学にいるさ。中退したって構わないよ」と言う。彼の悠々とした話しを聞いていると、行雄は何か救われるような思いがした。

  自分は百合子のことで悶々と“いじけた”日々を送っているのに、単位の取得も全く進んでいない橋本の方が、行雄よりずっと大らかに伸び伸びと生活しているみたいだ。 こういう生き方を“大陸的”と言うのだろうか。 今や女のケツだけを追いかけているような自分が、情けなく思われる。

  橋本は自身のデカダンな生活ぶりを詳しくは語らなかったが、行雄は彼にある種の魅力を感じた。彼は全学連のデモにもよく来ていたし、クリスチャンとも仲良くするし、美人の山西美佐にも言い寄ったりしていた。 橋本は大陸的で虚無的で、自由奔放な性格のようだ。カミュの「異邦人」が大好きと言うのだから、きっとそうなのだろう。

 「夏休みになったら、一度遊びに来ないか」と橋本は言う。彼の故郷は兵庫県の豊岡という所だ。「のんびりとした田舎だ。君のような都会育ちの人間には、息抜きになると思うよ」そう言う橋本の誘いに、行雄は感謝したいぐらいの気持になった。百合子の呪縛から、多少は解放されるだろうか。 橋本の田舎に行けばリフレッシュできるだろうか。 そんなことを考えながら雑談しているうちに、1時間以上も経ったので二人はS喫茶店を出た。

 

 その後も、行雄は大学へ行くたびに橋本と出来るだけ落ち合うようになった。彼の下宿先は西早稲田にあったので何回か訪ねていったこともあり、急速に親交を深めていった。 橋本も、行雄が百合子と以前付き合っていたことを、誰から聞いたのか知っていたがほとんど何も言及してこなかった。

  そういう態度が行雄を安心させた。徳田や高村のように、百合子との交際を何度も促してくると、彼も気になっておちおちとしていられなくなるが、橋本は他人の事情には無関心という姿勢なので、行雄は気楽に彼と話すことができたのだ。

  やがて夏休みが来た。 行雄は8月になったら豊岡にお邪魔したいと橋本に告げると、彼は快諾してくれて一足先に帰郷した。夏休みを有効に使おうと、行雄は“一大決心”をしてホメロスの「イリアス」をフランス語訳で読むことにした。

  辞書を片手に難解な文章に挑む。英雄・アキレウスがトロイ戦争の中で活躍する壮大な叙事詩を読んでいると、浮世のつまらないことはほとんど忘れ去られていく思いだった。 20日間ほどで「イリアス」のフランス語訳を読了すると、8月の上旬を過ぎていた。

  行雄は橋本と連絡を取って豊岡へ向った。途中、京都と大阪で三泊して観光を楽しんだ後、豊岡に入った。 橋本が温かく迎えてくれたので、彼の家に四泊する。地元の夏祭りを見たり、城崎(きのさき)や玄武洞、日本海に面した海中公園などにも足を伸ばし、行雄は夏の行楽を十分に満喫した。

  日本海の眺望を楽しんでいると、橋本が「堀江青年ってすごいなあ~」と言う。彼が言ったのは、つい数日前、堀江謙一という若者が「マーメイド号」という小さなヨットに乗り、単独で太平洋を横断してアメリカに着いたというニュースのことだった。

 「すごいね」と行雄も答える。まるでアキレウスのようだ。自分達とほとんど年齢の違わない一青年が、大胆にも単独で太平洋を横断した。素晴らしい快挙だ。 行雄はふと、全学連時代の英雄的な闘争を思い出した。デモなどの集団行動と個人的な冒険とは次元が異なるだろう。

  しかし、そこには“若さ”がある、若さが共通している。俺にもまだ若さがあるのだろうか。「20歳」という有り余るエネルギーを持っているはずの俺には、本当に若さが残っているのだろうか。 俺は堀江青年のように、勇敢でたくましく行動することができるのだろうか。

  行雄はそう自問したが、英雄的な時代はもう二度と自分には来ないだろうと予感した。英雄的な行為や献身的な奉仕活動などは、プチブルの日常生活に埋没している俺にはもう無縁だと思う。 俺はプチブルらしく大人しく、毎日を平々凡々と送っていくしかない。そう思うと、彼は諦めにも似た安らぎを覚えるのだった。

  豊岡での滞在を終えて、行雄は浦和に戻った。すっかり日焼けした彼は、その後も市民プールに出かけたり秩父方面をハイキングするなど、健康的な日々を過ごした。 夏休みも残り少なくなると遠出は控え、旧友の向井弘道の家へ遊びに行ったりした。

  行雄は雑談の中で、百合子との交際が破局したことを向井に語った。彼にそういう話しをしたということは、“未練心”がまだ残っていたからだろう。 向井は「そんな女と付き合うのは止めなよ」とあっさり言う。その通りだその通りだと、行雄は心の中で反復した。

  向井の言うことが正しい、自分にあれほど屈辱を与えた女と付き合えるものか、と思う。しかし、時が経つにつれて、情けないことに行雄はまた百合子の幻影に悩まされることになる。 夏休みも終りに近づくと、新学期に大学へ行けば、嫌でもまた百合子と顔を合わすという“強迫観念”に苛まれるようになった。

  彼は自転車に乗って荒川べりに出かけた。草むらに寝ころがって遠い空を眺めていると、雲間から百合子の幻影が浮かび上がってくる。 行雄は、ちょうど3年前、同じ空の彼方に森戸敦子の幻影が浮かんでいたことを思い出した。敦子の白い顔は消え失せ、今はそこに百合子の面影が漂う。

  寝返りを打って雑草に戯れると、夏草の微かな匂いが心地よく感じられた。この匂いは百合子の“体臭”だろうか・・・陶然として行雄は匂いを嗅ぐ、嗅ぎ続ける。 ああ、俺は百合子とは離れられない、百合子の呪縛からは逃れられない、彼女の魔法から抜け出ることはできないのだ。行雄はそう悟った。

  百合子の幻影と心行くまで戯れてから行雄は帰宅した。もうこの時には、向井の忠告も、先に彼女から受けた屈辱のこともすっかり忘れ去られていた。 泥沼から這い上がるような気持で、彼は百合子との仲直りをあれこれ考える。しかし、そこに妙案があるわけではない。もがけばもがくほど、逆に泥沼にはまり込んでいくような気持だ。

  そのうちに、新学期の前日となった。明日は百合子と顔を合わさなければならないと思うと、行雄は追いつめられた心境になり、例によって「成るようになれ」という半ば“やけくそ”の気分になった。 どうしたら彼女と仲直りできるのか、その妙策はあるのか。百合子にすり寄っていってまた侮辱を受けたら、それで一巻の終りではないか・・・

  思いあぐねていると突如、ある考えが閃いた。歌舞伎研究会に入るのだ! 行雄はこれぞ妙案妙策だと思った。百合子が歌舞研のメンバーだから、自分もそこに入れば良い。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ、いや、毒を食らわば皿までだ! これこそ最後の英雄的な行為かもしれない。行雄は決然とした気持になった。

 

  翌日、新学期の授業もそこそこに、行雄は学生会館にある歌舞伎研究会の部室を訪れた。「歌舞伎が好きなので入会したいのです」と、彼は心にもないことを言って200円の部費を払い、入会手続きを済ませた。 理屈好きな行雄は「俺は百合子を愛している、百合子は歌舞伎研究会に所属している、故に俺は歌舞研に入会する」という“こじつけ”の三段論法で、自らを納得させた。

  行雄は歌舞伎がさして好きでもなかったが、そうかと言って嫌いでもなかった。母の久乃は歌舞伎が好きで、行雄が高校一年の時、彼を初めて歌舞伎座に連れて行ったが、その後も新橋演舞場や明治座に一緒に行ったことがある。 その時の演目が何だったか行雄はもう覚えていないが、鏡獅子や連獅子などの舞踊は鮮やかな印象として残っていた。

  歌舞伎の様式美と艶やかさに心を惹かれたが、行雄はのめり込む気持にはなれなかった。その後、森戸敦子との交際を経て安保闘争の疾風怒涛の時代に入ると、歌舞伎のことなどはほとんど忘れ、たまに思い出しても軟弱なもの、女々しいブルジョア演劇だと“革命家気取り”の彼は忌避していた。

  ところが、百合子への愛が芽生えてから、彼女が歌舞研のメンバーだということで歌舞伎に再び接触せざるを得なくなった。 百合子と話しをしたい一心から、一夜漬けで「歌舞伎入門」の本を読んで、早稲田祭の歌舞研のサークル会場に乗り込んで行ったのは、つい昨日のことのように思い出される。あの時から、百合子の存在と歌舞伎の関係は切っても切れないものになったようだ。

  行雄が歌舞研に入会したことを、百合子がどう思ったかは分からない。彼女自身への好意の表れと感じたのか、それとも迷惑なことだと受け止めたのか分からないが、それは行雄にとってどうでも良いことだった。 はっきりしているのは、歌舞研のサークル活動が大体週に2回行なわれるので、それだけ二人の会う機会が増えたということである。

  仏文科の授業とはまったく異なる環境で会う機会が増えれば、二人の関係は予期しない発展を遂げるかもしれない。「成るようになる」という運命論者の行雄は、自らをこれまでと違った環境に置くことによって、運命が少し変ってくるかもしれないという淡い期待を抱くのだった。

  相手が怖いため(それは極度に侮辱されたからだが)、自分では積極的にアプローチできない意気地なしの行雄にとって、環境が変ることは“運試し”みたいなもので、そこに百合子との関係がどう展開していくのか、“もう一人の自分”が傍観者のように見ていこうという側面もあった。


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