矢嶋武弘の部屋

必ず なるようになる
ならないようには 決してならない 
だから 余計な事は考えるな!

老人とSNS③・秀樹とエレーナ

2017年04月23日 05時09分37秒 | 文学・小説・エッセー

「Mさんの方がお姉さんだね。昔のことをよく知っているだろうな~」
秀樹がそう言うと、Mさんは少し笑ってから思い出話を次々にした。彼女の父は戦時中に朝鮮半島から“徴用”で南樺太に連れてこられ、炭鉱の仕事をしていたという。Mさんの一家は旧ソ連領だった北樺太のすぐ南にいたそうだが、終戦直後には多くの日本人がソ連軍に殺された話をした。海が死体の血で赤く染まったという。彼女は当時まだ5歳だったが、終戦時のことを覚えていると言うのだ。
車がユジノサハリンスクへ向かう途中、緑豊かな森林が左右に広がっていた。
「この森林はみな日本人が植えたんですよ。戦前には大きな製紙工場が幾つもありましたから」 Mさんが秀樹の顔を見ながら言った。
そうか、これが日本の製紙工場でパルプの原材料になったのかと、秀樹は思った。戦前、南樺太には王子製紙などの工場が9つあったという。彼が行く予定の真岡(まおか)にも、王子製紙の工場があったのだ。そんな話をしているうちに、車はユジノサハリンスクのVホテルに着いた。1時間半ぐらいかかったと思う。
秀樹ら2人はMさんに案内され、宿泊の手続きをしてそれぞれの部屋に入った。Mさんとは明朝会うことにして別れたのだ。そして、秀樹がシャワーを浴びてからくつろいだ時間を過ごしていると、部屋の電話が鳴った。何だろうと思って出ると、少し甲高い女の声だった。
「関口さんですか? わたし、エレーナ・ティモシェンコと言います。明日の朝、ホテルに伺いたいと思います・・・」
「えっ、Mさんが迎えに来るんじゃないの?」
秀樹がそう言うと、女は一方的に語り始めた。要旨はこうだ。BT旅行会社の指示で私が関口さんを案内することになり、明朝8時半に迎えに行く。明日は天候が悪そうなので、どこを観光するかはその時に決めたい。わたし、エレーナ・ティモシェンコは北浦和の「日本語国際センター」で日本語を習った・・・
“北浦和”と聞いて、秀樹は急に親しみを覚えた。彼は以前、埼玉県浦和市(現さいたま市)の北浦和付近で、30年以上も住んでいたことがあるのだ。

北浦和の「日本語国際センター」

秀樹が泊まったホテル(ユジノサハリンスク)

そうか、担当のガイドはエレーナと言う女性に代わったんだなと思いながら、秀樹は彼女との電話を切った。Mさんの方が樺太の歴史をよく知っているのにと思うが、旅行会社の都合でやむを得ないのだろう。それより、早く寝て旅の疲れを癒そう。電話を切った後、秀樹はすぐにベッドにもぐり込んだ。
翌朝、彼は7時ごろに目を覚ますとすぐに窓の外を眺めた。小雨が降っている。あいにくの天気だ。今日は真岡へ行くのは無理かなと思いながら洗面などを済ませ、ビュッフェで軽い朝食を取った。そして部屋で少しくつろいだ後、まだ時間はあったが外出の用意をしてロビーへ出てみた。
すると、そこにMさんがいるではないか。彼女はもう1人の日本人旅行客と打ち合わせの最中だった。Mさんは秀樹に気づくとすぐに声をかけてきた。「私が関口さんのガイドだったのに、どうして変わったのですか!? 誰と代わったのですか?」Mさんは怒ったように言う。
そんなことを言われても、秀樹に分かるはずがない。BT旅行会社に聞いてくれと思ったが、エレーナ・ティモシェンコとか言うガイドに代わったらしいと秀樹は答えた。Mさんは不満そうな顔をしていたが、やがてもう1人の日本人と一緒に外へ出ていった。それから秀樹は、ロビーにある熊の“剥製”や置物などを眺めていたが、外を見ると雨がかなり強く降ってきたようだ。
どうも今日は“ついていない”なと思っていると、突然、背の高い若い女性が大股で歩いてきて、秀樹が座っているソファーの正面に腰を下ろした。
「関口さんですか? ガイドのエレーナ・ティモシェンコです。よろしくお願いします」
彼女はそう言うと、秀樹の顔を睨みつけるようにして用件を話し出した。なにか威圧的で、微塵も“しおらしさ”のない態度だ。この人が自分のガイドなのか・・・ 秀樹は圧倒された気分になって、エレーナの説明を聞くしかなかった。彼女の日本語は丁寧だが、助詞の使い方が間違ったりしてあまり上手ではなかった。

「今日はずいぶん雨が降っているので遠出は大変です。真岡は明日にして、できるだけ近い所を見ませんか?」
エレーナが単刀直入に言ってきたので、秀樹も了解した。たしかにこの大雨では遠出は無理である。どうも台風の影響らしいが、今日は真岡行きを諦めて近場を回ることにした。 するとエレーナが、まず「大泊(おおどまり)」へ行こうと言う。大泊はコルサコフのことだが、彼女が日本の呼称で言ったことに秀樹は良い感じがした。
2人は日本製の中古車に乗ると、ヴィーチャという中年の運転手とともにコルサコフへ向かった。その近くで天然ガスのパイプラインが建設されており、まずそれを見ようということだ。エレーナは日ロ両国の協力事業になると言っていた。それにしても、激しい降雨はいっこうに止まない。
パイプラインの建設現場に着いても大雨は止まないので、遠巻きに見るだけだった。この後 一行はユジノサハリンスクに戻ったが、その頃になると雨もようやく小降りになった。郷土博物館や巨大なレーニン像などを見て回ったが、特に郷土博物館は“純和風”の建物だけあって、秀樹には最も印象に残るものだった。日本統治時代の昭和12年(1937年)に建てられたのだ。
まだ時間があったので、エレーナは秀樹をショッピングセンターへ案内したが、彼はそこでみやげ物などの買い物を済ませた。大型のショッピングセンターがサハリンにあるとは知らなかったが、エレーナが張り切って案内していく・・・ 秀樹は時々 彼女の軽快な足取りに目をやったが、長身で素晴らしい“プロポーション”に思わず見とれてしまった。
夕方になると、雨はほとんど止んだ。もう1軒 みやげ物店へ行って、秀樹は大好きなマトリョーシカ(入れ子式ロシア人形)を2つ買った。これらは孫たちのために買ったものである。その夜、明日こそは晴れて欲しいと願いながら秀樹は床に就いた。

郷土博物館

レーニン像

マトリョーシカ

翌朝、秀樹は起床するとすぐに窓の外を見た。今日は曇り空だ。どうやら雨は降りそうにない。ホッと一息ついた彼は、エレーナが来る前に散歩でもしようと街に出た。少しでも町中を見たかったからだ。ガガーリン公園などを散歩してホテルに戻ると、しばらくしてエレーナから電話が入った。
「おはようございます。少し散歩がてらに、近くのガガーリン公園にでも行ってみませんか」
「いや、公園にはもう行ったよ」
「あら、早いですね。それなら、Gホテルのカフェで朝食を取ったあと、真岡へ行きますか」
「ああ、そうしよう」
秀樹がVホテルのロビーで待っていると、すぐにエレーナが迎えに来た。運転手のヴィーチャと3人で近くのGホテルへ行き朝食を済ますと、一行は真岡へと向かったのである。
「今日は天気は大丈夫のようですよ。良かったですね」
エレーナが快活な声を出すので、秀樹も落ち着いた気分になれた。待ちに待った“真岡めぐり”である。彼にとって今度の旅行は慰霊と鎮魂の旅であった。もちろん、終戦直後に尊い命をなくした9人の乙女ら、そして戦争犠牲者を追悼するものだ。このために北海道の稚内から渡ってきたのだが、今日が事実上の旅の締めくくりとなる。
そういう意味で厳粛な気持でいるが、今は隣に座ったエレーナのことが妙に気になる。長身の素晴らしいスタイルの“ロシア美人”なのだ。
「エレーナさんは背が高いね。どのくらいあるのかしら」と、秀樹が声をかけた。
「178センチです」
「えっ、178センチ・・・ ご両親も背が高いの?」
「いえ、父や母は普通です。わたしは叔父に似たのかしら」
エレーナはそう言って明るく笑った。彼女は叔父に似ているとのこと、それはどうでもいいが、エレーナとの会話が楽しく弾むようになった。

ガガーリン像

ロシア正教会

ユジノサハリンスクから真岡(ロシア名でホルムスク)まで車で2時間余り、途中はだいたいのどかな田園風景が広がっている。旧ソ連の戦勝記念碑などに立ち寄ったため、到着するのに2時間半ぐらいかかっただろうか。真岡は今も港町、漁港として繁盛しているそうだが、外見はいたって静かな佇まいだ。
「これが真岡・・・なんだか平凡で面白くない町ね」
初めて来たエレーナがつまらなそうに言ったが、彼女はどうもガイドらしくない。何事も自己中心に考えるみたいだ。運転手のヴィーチャが何度も来たようで、真岡町出身者が建てた慰霊碑などに案内した。廃墟と化した旧王子製紙・真岡工場を訪れた時、秀樹はさすがに重苦しい気持に包まれた。
そして最後に、9人の電話交換手が集団自決した「真岡郵便電信局」の地を訪れた。局があった所は今は跡形もなく、ロシアの銀行と郵便局があるだけだ。ここで9人の乙女が青酸カリを飲んで自決したが、婦女子の疎開・引き揚げ命令が出ていながらも、彼女らは電話交換業務に従事したという。当時、電話・通信は樺太の住民にとって大切な“生命線”だったのだろう。秀樹は厳粛に哀悼の意を表したが、さすがにこの時はエレーナも神妙な表情を見せていた。
真岡訪問を終えて一行は帰路についたが、秀樹とエレーナはすっかり打ち解けた雰囲気になった。彼女は北浦和の「日本語国際センター」に1年余り学んだので、北浦和周辺のことをよく覚えていた。また短い留学期間だったが、余暇を利用しては日本国内を観光したようだ。エレーナは日本が好きだったのである。秀樹は北浦和が懐かしかったし、そういう彼女に親しみを覚えた。
「エレーナさんは日本が好きなんだね。ありがたいと思うよ」と言うと、彼女がすぐに答えた。
「わたし、日本とアラブが好きなんです」
「えっ、アラブだって? じゃあ、中東の方にも行ったことがあるの?」
「ええ、わたしはドバイにいたことがあるんです」

真岡郵便電信局跡

近くの鎮魂碑

鎮魂碑の裏面

今は平和な真岡

廃墟と化した旧王子製紙・真岡工場

「ドバイ! どうしてドバイにいたの?」
秀樹が少し驚いて聞き返した。
「向こうで結婚していたのです。2年ぐらいでしたが」
秀樹はますます興味を持って聞いていった。するとエレーナは、アラブ人のある金融関係者と一時 結婚していたことを明かした。
「わたしはこれでもイスラム教徒なんですよ。チャドルを着たこともあるんです。ホッホッホッホ」
「どうして離婚したの?」
秀樹の質問にエレーナは素直に答えていった。彼女はアラブ人男性の“第2夫人”だったが、何か三角関係のようなトラブルがあって別れたという。離婚前にその男性は、刃物まで持ち出して自分自身を傷つけようとするなど、とても危険な状況になったというのだ。エレーナの三角関係について秀樹はそれ以上追及しなかった。これは問い質しても答えはなかっただろう。
離婚してサハリンに戻った時、エレーナは悲しくて丸2日間 泣き明かしたという。その後、彼女は学校で英語の教師をしたり、旅行会社のガイドをして生計を立てている。エレーナはいま33歳だが、過去にそれなりの苦労があったようだ。
「今夜は『トヨハラ』という日本料理店で食事をしませんか。とても美味しいという評判です」 エレーナが話を切り替えてきた。
「ああ、いいですよ」
彼女の誘いに秀樹は快く応じた。トヨハラとは、ユジノサハリンスクが日本統治時代に「豊原」と言ったことに因んだものだろう。旅行の最後の晩餐を“和食”で締めくくるのは一番だなと秀樹は思った。その時、エレーナが意外なことを言い出した。

 「関口さん、もう2~3泊しませんか?」
「えっ、どうしてそんな・・・」
エレーナの唐突な申し出に秀樹は当惑した。ビザはたしか10日間有効だが、明日帰国で家族とも約束している。真岡めぐりも済んだし、どうして滞在を延期する必要があるのか。他に特に見たい所もない。それに手持ちの円やルーブルも少なくなっている。秀樹は彼女の申し出を無視した。
少し気まずい雰囲気になったせいか、エレーナもそれ以上は言ってこない。そうこうするうちに、車はユジノサハリンスクに着き料理店「トヨハラ」へ向かった。ここで運転手といったん別れ、秀樹とエレーナの2人だけが店内に入った。休日でもないのに店はかなり混んでいる。2人は個室に入りようやくホッとした気分になった。
秀樹はまずビールを頼み、メニューを見て定番の日本食コースを注文した。アルコール類が駄目というエレーナは○○ソーダ水を頼み、2人は型どおりの乾杯を交わした。
「わたし、ふだんは5時半以降何も食べません。でも今日は特別です」
そう言って、エレーナはにっこり微笑んだ。彼女はダイエットに非常な注意を払っているようだ。秀樹は、正面に座ったエレーナの“ウェストライン”がどうしても気になる。それは見事に引き締まっており、長身なので余計に美しく見えた。定番コースの料理が次々に出てくる。秀樹は良い気分になって日本酒も飲んだので、酔いが全身に回ってきたようだ。
「エレーナさんはプロポーションが抜群だから、なにかミスコンテストなどに出なかったの?」
「わたし、そういうものには興味がありません」
「へ~ぇ、もったいないな」
そんなたわい無い話をしているうちに、秀樹は相当ほろ酔い気分になった。2時間ぐらい店にいただろうか、運転手のヴィーチャが迎えに来たのでホテルへ戻った。明日は午後の航空便で日本に帰るから、午前中はゆっくりできる。秀樹はエレーナと時間の打ち合わせをして別れた。

ユジノサハリンスク市内

 その晩、秀樹の悪い癖で飲み出すとさらに飲んでしまった。買ったばかりのアルメニア・コニャックについ手を出し、半分ほど明けた。2本買ったので1本ぐらいはいいだろうと思ったのだが、この“名酒”で彼は完全に酔っ払った。倒れ込むようにベッドに潜ると、前後不覚で熟睡したのである。
翌朝(8月23日)、秀樹は8時ごろ目を覚ましたが、意外とすっきりした気分だった。熟睡したお陰だろうか。すぐにビュッフェで朝食を済ますと、ホテルの周りを散歩した。昨夜のエレーナとの会食が思い出される。彼女のことは忘れられないが、今日はこれから日本へ帰るのだと自分に言い聞かせた。
帰り支度をしてホテルのロビーで待っていると、やがてエレーナとヴィーチャが迎えに来た。2人と雑談を交わしていると、エレーナがまたあのことを言い出したのである。
「関口さん、滞在を延ばしませんか? 良ければ、すぐに手続きを取りますが・・・」
「駄目だと言ったら駄目ですよ。君は意外としつこいな~」
秀樹がきっぱり断ると、エレーナは残念そうにうつむいた。少し気まずい雰囲気になったが、彼女は諦めがついたのか顔を上げてまた話し出した。
「あの~、これがわたしのメールアドレスです。関口さんのも教えてもらえますか」
エレーナが紙片を渡すので、秀樹も手帳の余白にアドレスを書いて返した。それから2人はフェイスブックなどインターネットのことを話していたが、彼女がまた踏み込んだ話をしてきた。
スカイプ・Skypeのことを知ってますか?」
「スカイプ・・・なあにそれ?」
すると、エレーナが“国際無料通話”のことを説明し出した。秀樹は暫くその話を聞いていたが、国際通話が無料になることに驚いた。そんなことがあるのか!?
「日本に帰ったらやってみるよ。でも、夢みたいな話だな」
メカにとても無知な彼には信じられないことだ。そうこうするうちに出発する時刻になり、一行はユジノサハリンスク空港へと向かったのである。

アルメニア・コニャック

空港に着くと、秀樹はヴィーチャに別れの挨拶をした。
「ダスヴィダーニャ(さようなら)!」 
片言のロシア語で秀樹が話すと、ヴィーチャは満面に笑みを浮かべ握手を求めてきた。2人は手を振りながら離れたが、気持の良い別れだった。ところが、エレーナはというとずっと“仏頂面”をしている。
ロビーに入っても彼女は黙りこくっている。そこは乗客や見送りの人たちでけっこう混んでいた。待ち時間がかなり長い。2人が身を寄せ合うにして立っていると、突然、エレーナが右手で秀樹の左手を力いっぱい握った。彼は少し驚いたが、そのままにしていると彼女はやがて右手を引いた。
エレーナは秀樹との別れを惜しんでいるのか・・・彼にはそんな思いが去来したが、ようやく出国の手続きが始まる。今度は秀樹がエレーナの手を握り締めた。2人とも沈黙したままだ。やがて、出国審査カウンターを通り過ぎると、秀樹が彼女を振り返ったが、相変わらず仏頂面だ。わがままな女だなと思うと、彼はおかしくなって笑ってしまった。こうして2人はユジノサハリンスクで別れたのである。
帰国すると、秀樹はこれまでにない開放感を味わった。もうヤフー・Yahoo!を相手に訴訟を起こすとか、ヤフー批判を繰り広げるといった気持はほとんど無くなった。もっと前向きの気分に変わったのである。とにかく、エレーナとの交流を始めなければならない。秀樹はすぐにフェイスブック・Facebookで彼女と友達になったり、メールを出したりした。問題のスカイプだが、これはグーグル・GoogleからSkype for Windowsをダウンロードしたが、その先がどうも上手くいかない。
エレーナに聞いたら登録先が違うと言うが、いろいろやっても駄目だった。諦めかけたらたまたま息子が遊びに来たので、相談するとようやくやり方が分かった。近くの電気店で機材を買ってきて設定する。接続OK! 秀樹はITの進化に驚いたが、逆に言うと、ITに振り回されているような感じもした。(続く)

ヴィーチャとエレーナ

エレーナと秀樹。まるで“大人と子供”だね(笑)

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