矢嶋武弘の部屋

風林火山
日一日の命 日々新たなり

宮沢賢治と妹・トシ

2017年06月19日 02時52分08秒 | 文学・小説・エッセー

(以下の文を復刻します。)

『宮澤賢治 その愛』という映画(DVD)を見たが、賢治が妹トシ(とし子)に寄せる想いがいかに深いかを知った。これは家族愛、兄妹愛なのだろう。しかし、なにかそれを越えて神秘的、宗教的な感じさえする。
トシは肝炎や結核の闘病生活を経て、わずか24歳の若さで他界する。その時の賢治の悲嘆、憔悴は尋常のものではなかった。病床の妹を献身的に看護していた彼にとって、その死は痛恨の極みだったのだろう。
宮沢賢治は生涯 独身だったが、自分の短命(彼も病身であった)を予知して妻を娶らなかったという。しかし、それだけで妻帯しなかったのだろうか。どうも違うような気がする。それは、彼にとってトシは“永遠の女性”だったかもしれないのだ。
私は宮沢賢治のことはよく知らない。しかし、映画を見たり話を聞くと、彼は極めてストイックで宗教的な人柄であり、法華経の熱心な信者であった。そして、なによりも詩人であった。純粋無垢な精神の持主だったのだろう。
そういう彼にとって、2歳年下のトシは特別な存在だったかもしれない。彼女はとても聡明で(映画の中で、賢治は「自分よりずっと頭が良い」と友人に自慢している)、東京の日本女子大に入学するが、途中で病に倒れ帰郷する。母親や賢治らが必死に看病するのだが、やがて帰らぬ人になってしまった。 その時の賢治の悲嘆ぶりは先ほども述べたが、それは単なる兄妹愛、家族愛を越えたもののように思える。

トシが亡くなった翌年(1923年)の夏、賢治は教え子の就職を斡旋するという名目で、樺太(今のサハリン)の王子製紙に勤める先輩を訪れた。その役目はもちろん果たしたが、この樺太旅行は実はトシの“鎮魂”のためでもあったようだ。彼は幾つもの挽歌を書いて妹の魂に捧げた。「とし子、とし子」と呼んで・・・(末尾に、参考文献をリンクしておく)
こう見てくると、賢治のトシへの想いは単なる肉親愛ではない。それは最も純粋で崇高な異性愛のように思えてくる。つまり、賢治にとってトシは“永遠の女性”だったのだろう。 私は宮沢賢治のことをよく知らない。しかし、彼の純粋な魂や人柄を思う時、どうしてもそう捉えてしまうのだ。
今月、私はサハリン・樺太へ旅行するが、いろいろ調べているうちに宮沢賢治の話を知った。賢治ファンの何人かが彼の足跡を辿るという。私は全く別の目的で旅行するのだが、彼の話を知ったのは幸いである。 私の考えは間違っているかもしれないが、宮沢賢治にとって、妹・トシは最愛の女性、汚れを知らぬ“永遠の女性”だったと思わざるをえない。(2012年8月5日)

オホーツク挽歌 詩群・・・http://www.ihatov.cc/series/okhotsk.html

賢治が行ったという白鳥湖(サハリン・樺太)

白鳥湖のほとりで筆者(2016年6月)

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