矢嶋武弘の部屋

人は大義に生きる 大義は個人によって みんな違う
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青春流転(4)

2017年06月10日 15時54分11秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

4)愛、そして別れ

 敦子がアメリカへ出発する日も、あと数日に迫ってきた。 行雄が書いた詩は敦子を非常に感動させ、彼女はそれを大切にとっておくと言った。彼の熱烈で、ひたむきな思慕の情が敦子の心を打ったのだ。 彼女はお返しに、この前見せてくれた自分の新しい写真を十数枚も行雄にくれた。彼は敦子の写真を無性に欲しがっていたので、大喜びでそれらを受け取った。

 敦子の写真は以前、長瀞で撮ったものなど十枚ほどしかなかったので、行雄の机の引き出しは、彼女の写真で一挙に花やかになった。 彼は自宅にいる時、しばしばそれらを手に取って長い間見とれていた。

 敦子が出発する三日前、行雄は彼女が良く写っている写真を何枚か持って、友人の向井の家を訪れた。 この前、向井に冷ややかに応対されたことをすっかり忘れてしまったのか、行雄はのぼせ上がったように、敦子のことや彼女への思慕の情を彼に打ち明けた。

 向井は黙って聞いていたが、先日とは打って変って、行雄の気持に水を差すようなことは言わなかった。 彼は微笑みながら、少し行雄をからかうように「太平洋を越えた恋だね」と言った。 太平洋を越えた恋・・・向井はいいことを言ってくれると思い、行雄は嬉しかった。 帰り際に、向井は「二人の友愛が長く続くことを祈るよ」と付け加えた。 彼が素直にそう言ってくれたので、行雄はとても勇気づけられた気持になり、心の中で彼に感謝した。

 胸の温まる思いで行雄は帰宅した。 敦子と会っていられるのもあと三日で終りかと思うと、先日、彼女と手を握り合って散歩したことが、地下から湧き上がる温水のように彼の心に浮かび上がってきた。 ああ、もう一度、もう一度でいいから彼女の手を握り、できれば彼女を抱き締めたい。

 そう思っているところへ、母の久乃が行雄の部屋に入ってきて、「明日の夕方、敦子さんとお母さんが、お別れの挨拶にうちに来るということですよ」と伝えてくれた。 そうか、彼女と会って話しができるのも明日が最後なのだ。彼女になんと言ったらいいのだろう。彼女になにをすればいいのだろうか。

 僕の写真を何枚か持っていってもらおう。 そのうちの一枚は敦子の胸の中にしまって欲しい。そうすれば、僕は彼女と共に一年間アメリカへ行けるのだ。 彼女の胸のぬくもりをいつも感じながらおれるのだ。そして僕は、太平洋を越えて彼女の心の中に生き続けることができる。 そう考えるのは図々しいことだろうか。いや、そんなことはないと行雄は思う。 彼はアルバムをめくって、自分のポートレートを何枚か取り出し、これらを敦子に持っていってもらおうと考えた。

 その夜、行雄は遅くまで敦子の写真を眺め続けた。 彼女の聡明さを物語るようなその広い額。細く長く伸びた眉毛。 すずしい目もとのつぶらな両眼。その下になだらかに伸びた清楚な鼻。やや厚ぼったいが小気味よく結ばれた唇。

 敦子の顔写真をそっと手に取ると、行雄は恐る恐るそれに唇を押し当てた。 なにか勿体ないような気持になった。それは彼女への思慕というより、貴く美しいものへの限りない尊崇の念に似たものであった。

 

 翌日、行雄は朝早く目を覚ました。 なにか落ち着かず、テレビを見たり家の回りを散歩した後、クラシックレコードを聴いたりしながら半日を過ごした。 そして、真夏のじりじりした蒸し暑さの中で、彼は敦子に捧げる最後の詩をつづっていった。

「あなたの胸に抱かれて 僕の心は太平洋を越える  あなたの胸のときめきに 僕は生きる希望を感じる  長き別れの時の中に 二つの命はさらに燃える  あなたの小さく白い胸 その胸を僕はなでるともなく なでてあげよう  あなたは朝露に濡れ 虹の中に美しくよみがえるだろう・・・」

 ああ、敦子、敦子、敦子。 僕は君と別れるのがいやだ。いやだ! 行雄は切なさに胸が締めつけられ、思いきり泣きたい気持になった。 泣けるものなら心ゆくまで泣きたい。それで気が晴れるのなら、彼女と別れた後、子供のように泣きじゃくろう。

 そう思いながらも行雄は、敦子と今日会った時は、彼女を気持良くアメリカへ送り出さなければならない、それが男らしい態度というものだ、と自分に言い聞かせた。

 夕方、敦子は母と一緒に村上家に別れの挨拶にやって来た。 彼女は、先日行雄が貸した「若草物語」を持参してきて「とても良かったわ。ありがとう」と彼に告げた。 行雄は何も答えなかったが、彼女の好意が痛いほど分かるような気がした。

 家では父の国義と母の久乃が、なごやかに二人を出迎えた。 国義は幼い頃の敦子のことをよく覚えていたので、昔話を織り込みながら彼女の利発さを盛んに誉めた。 傍らにいる行雄にとっては、父が敦子を激賞することは、自分の学業成績の悪さを当てつけられているような気がして、あまり面白くなかった。

 皆で夕食を共にしている間も、国義はすっかり上機嫌になり、若い頃、自分が一人で満州へ旅立った話しを持ち出して、アメリカへ行く敦子を激励した。 満州の思い出話しを始めると、国義はいつも止まることがなかった。今日も延々と続くような感じがする。

 父が酒を飲みながら一人でしゃべりまくっているので、行雄は腹が立ってきて、夕食を終えるとさっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。 もうすぐ敦子がこの部屋に来てくれるはずだ。 早く来てくれないかなあ、と思いながら待っているのに、食堂の団らんは一向に終わりそうもない。

 行雄は次第に苛立ってきた。 父が敦子を“一人占め”しているような感じがしてきて、我慢がならなくなった。部屋でじっと待っていることができず、親父の奴めと思いながら家の外へ飛び出した。

 せっかく敦子との最後の晩だというのに、どうして早く二人だけにしてくれないのか。 父への怒りが行雄の心に充満し、彼は腹立ちまぎれに散歩を始めた。近くの公園まで行くと、行雄はベンチに腰を下ろして時間をつぶした。 夜空を見上げると、すでに幾つかの星がまたたいていた。

 もうそろそろ大丈夫だろうと思いながら、三十分ほどして行雄が帰宅すると、国義はまだ敦子を引き留めているようだった。 聞き耳を立てると、国義と久乃と敏子が、共栄銀行の名古屋支店時代の思い出話しをしているようだ。

 行雄はすっかり絶望的になって、ベッドの上に寝転がった。そして、三人の大人を呪った。 それと同時に、敦子に対しても腹が立ってきた。どうして大人達の下らない話しにいつまでも付き合っているのか。 早くなんとか言い訳して、どうしてこの部屋に来てくれないのか。 もう勝手にしろ!という思いだった。

 先ほど家を出たのも、彼女に早く部屋に来て欲しいからそうしたのだ。なんて馬鹿々々しいんだ。 これが敦子との最後の晩だなんて・・・行雄がじりじりと焼け付くような思いで待っていると、国義がいい加減に酔っぱらったのか「それでは元気に行っておいで」と、敦子に上機嫌で声をかけ、自分の部屋に引っ込んでしまった。 ようやく終わったか、と行雄はほっとした。

 

 暫くして敦子が行雄の部屋に入ってきた。 彼が怒っているのを察して、敦子は「ごめんなさい。待たしてしまって」と言った。 「ああ、待ったよ、待ちくたびれた」 行雄はむっとして答えた。

「貴方がさっき、家を出ていったのも知っていたわ」「貴重な時間を台無しにしてしまうなんて、親父も親父だ」 「お父さまのことを悪く言っては駄目よ。とても励ましてもらったわ」 二人が言い合っているうちに、敦子は行雄が寝そべるベッドの端にそっと腰を下ろした。

 すると行雄は立ち上がり、机の引出しから自分の写真数枚と、これまでに書いた詩のノートを持ってきた。 「これ、アメリカへ持って行って欲しいんだ」 彼がそれらを敦子に手渡すと、彼女は黙ったままうなずいた。

 行雄もベッドに腰を下ろしたが、それ以上はもう言葉が出なくなった。 沈黙が始まると、彼の心はみるみるうちに狂おしく悶えてきた。あれほど、敦子と二人になることを待ち焦がれていたくせに、この男は彼女とどう過ごしてよいのか分からなくなった。

 横目でそっと敦子を見ると、彼女はなんと清らかなのだろう。 水色の半袖ブラウスとスカートに包まれた敦子は、花に例えればバラやダリアではなく、アジサイ(紫陽花)やスミレ(菫)という感じだった。 彼女がベッドに腰かけているだけでも、清々しい匂いが漂ってくるようだ。

 行雄が見とれていると、敦子は何かを期待するかのように、視線を床に落としながらじっと座っている。しかし、彼は何もすることができなかった。 暫くすると敦子は立ち上がり、庭に面した廊下へ出ていった。 行雄が廊下に出て見ると、彼女は隅の方でうずくまっていた。まるで腹痛に襲われている感じだった。

「ねえ、オナカが痛いの?」と聞いても、敦子は黙っている。 どうしてよいか分からず、行雄が立ち尽くしていると、彼女はすっと立ち上がり部屋の方へ戻ってきた。 行雄の側を通る敦子の背に、彼がそっと左手を当てると、その瞬間、彼女は白い頬を朱色に染め目が星のようにきらめいた。

 その表情の激変に行雄はびっくりし、思わず敦子を前の方へ突き放した。 彼女は勢い余ってベッドの上に座り込んだ。 同時に行雄は、自分の突拍子もない行動に、胸の底から慙愧の念に襲われ身も心も切り裂かれる思いがした。 彼は、情愛に満ちた少女の扱い方が分からなかったのだ。

 馬鹿だ、自分はなんて馬鹿なんだ。行雄は絶望的な気持になって、“でくの坊”のように立ち尽くしていた。 敦子は顔を伏せてベッドに腰かけていたが、その姿は叱られた少女のように痛ましく、頬も青ざめていた。

 申し訳ない。行雄はいくら後悔しても足りない気持になり、洋服箪笥にもたれかかって目を閉じていた。 謝ればいいのだ、謝れば・・・でも、なんと言ったらいいのか。謝罪の言葉など、すぐには思いつかなかった。 数分の間、重苦しい沈黙が続く。

 ついに行雄は、断末魔の沈黙に耐え切れず、よろめきながら敦子の傍らに身を投げるようにして倒れ込んだ。 そして、罰を受けた子供が許しを乞うように、おずおずと手を伸ばして敦子の手の上に重ねた。 すると、彼女の手の暖かみが、彼の心の困惑を和らげてくれるような気がした。

暫くして、行雄が顔を上げて敦子を見ると、彼女の視線と合った。その目元が微かに笑ったように見えた。 それが行雄の気持をほっとさせ、彼の身体と心から緊迫感が抜けていった。 彼は敦子の手を握りながら身体を起こし、彼女の側に並んでベッドに腰かけた。 「ごめんね」行雄はささやくように言うと、敦子の身体に腕を回してそっと抱いてみた。

 熱い! その熱さといったら、彼女の肉体の中に炎があるみたいだ。 敦子は行雄の抱擁を待ち望んでいたのだろうか。 彼女の肉体の熱さに行雄はたじろぎ、それ以上敦子を抱き寄せることができなかった。彼女の髪の毛が行雄の耳に触れたので、彼は身体中がこわばった。

 こうして敦子を抱いているだけで、行雄の心は感謝の念で一杯だった。これ以上、何を欲することができるだろうか。 行雄は敦子から腕を放すと、ほっとしてベッドの上に仰向けになって寝そべった。 心身のすみずみまで満足感に浸されていた。

 敦子がアメリカへ行く前に彼女を抱くことができた。それだけで、もう何も思い残すことはない。 行雄は感謝と満足感で法悦の状態になっていた。敦子はと見ると、彼女はいつの間にか床に腰を下ろしてベッドに身体をもたせかけ、両腕をその上にながながと伸ばしていた。

 行雄は寝そべったまま横向きになり、彼女の両手を握った。 暖かく湿ったその両手は、まったく力が抜けており、彼のなすがままになっていた。 この前、行雄が感じたとおり、それはお湯とゴムの塊のようであった。

 敦子がまるで降伏した敗残兵のように見えて、行雄はおかしくなった。 彼は急に勝ち誇ったバッカス(酒神)のような気分になり、彼女の手を強く握ったり、ひねったり、ベッドに押し付けたりした。 それでも、彼女の両手がなすがままになっているので、行雄は思わず笑い出してしまった。

「ねえ、敦子ちゃん、もうお別れだね。 アメリカへ行ったら手紙をちょうだいね。君の写真も送って欲しいな。 一年後には、二人でまた長瀞へ行こうよ。この前は、僕が失礼な態度を取ってしまったけど、今度行く時は、きっと楽しくやれると思うよ。僕はあのことをずっと反省してるんだ。ねえ、敦子ちゃん・・・」

 行雄はすっかり上機嫌になってしゃべり始めた。 一方、敦子はむしり取られたスミレ(菫)のように黙り込んでいた。 敦子母子が帰宅する予定の九時が、刻々と近づいてきた。冗舌になった行雄は「あと十分」「あと八分」「あと四分」と、腕時計を見ながら気ぜわしく言うので、敦子が微笑んだ。 しかし、彼女は何も語ろうとはせず、過ぎゆく行雄との一時を満喫しているようであった。

 やがて敏子が、「敦子、もうおいとましますよ」と言いながら、行雄の部屋に入ってきた。ところが、敦子がぐったりと手を行雄に委ねているのを見て、彼女は驚いたように立ちすくんだ。 敏子が入ってきたので、行雄も酔いが醒めたように我に復った。

 敦子はゆっくりと身を起こして立ち上がり、無言で母の後に付いていった。 行雄と久乃が門まで見送ると、そこで敦子は初めてニッコリと微笑み、「さよなら」と行雄に別れを告げた。

 久乃が「それではあさって、横浜にお見送りにまいります」と言うと、敏子も笑って挨拶し、待たせてあったタクシーに敦子と一緒に乗り込んだ。 敦子は去っていくタクシーから顔を出し、行雄らに手を振った。彼もタクシーが見えなくなるまで手を振り続ける。またたく間に、タクシーは闇の中に消えていった。

 

 二日後、行雄は久乃と一緒に、敦子を見送るため横浜港へ出かけた。 八月中旬を過ぎたとはいえ、港にはまだ真夏の強い日差しが照りつけ、船客や送迎客などがごった返し活気づいていた。

 行雄達が着いた時には、敦子はすでに乗船しており、徹三や敏子、弟の徹郎、信二の一家が見送りに来ていた。 徹三が「遠い所を、わざわざお見送りに来ていただいて有難うございます」と、丁寧に挨拶してきた。 久乃は「いいえ、今日は敦子さんの門出の晴れ姿を、ぜひ拝見したくてまいったんですよ」と答え、なごやかに談笑していた。

 しかし行雄は、港に着くと敦子の姿は見えないし、余りに多くの人達がごった返しているのに気押されて、浮かぬ気分になっていた。 そうこうするうちに、徹三が「船に入って、敦子に会ってやりましょう」と言うので、行雄は徹三や徹郎と一緒に乗船した。

 迷路のような船内をくぐり抜けてデッキに上ると、AFSの奨学生達が、埠頭に見送りに来た親類や友人、恩師らに手を振ったり、声をかけ合ったりして別れの挨拶をしていた。 どの顔にも、一年間のアメリカ留学を前にして、肉親や友人との離別の感慨をかみしめる、高校三年生の表情がありありと出ていた。

 涙をぽろぽろこぼしている女の子、やたらに甲高い声でしゃべりまくる男の子。 敦子はと見ると、彼女も真夏の日差しを顔一杯に受けて、なにか陶然とした表情で友人達と別れを惜しんでいるようである。 時おり、「森戸さん、元気でね」とか「森戸、頑張れよ」という声がかかると、彼女は笑いながら手を振っていた。

 行雄も敦子に声をかけようと思って近づいた時、出航を前にして奨学生らの取材をしていたどこかの新聞記者が、彼女にインタビューを始めた。 たぶん、アメリカ行きの感想などを聞いているのだろう。(この当時、高校生が海外留学するのは、極めて異例のことだった。)

 行雄は急に気が滅入ってしまって、敦子に近寄る気持になれなかった。 一昨日、自分が手を握り抱いた彼女が、今は多くの人達の“共有物”になっているように見え、なんともやりきれない悲しみが込み上げてきたのである。

 多くの人達に見送られ、新聞記者の取材まで受けている敦子は、今や行雄の手から遠く離れた近寄りがたい存在に見えた。 彼女が自分の“独占物”ではないと思うと、悔しいと言おうか腹立たしい気持にさえなった。 徹三も、娘が一年間いなくなることに寂しさを覚えるのだろうか、厳粛な表情になっている。

 行雄は敦子や徹三達から離れて船内に降り、それから埠頭の方へ向かった。 母はと見ると、久乃は久しぶりに横浜港に来たからだろうか、楽しそうに周囲の光景を眺めている。 五色のテープが飛びかい、敦子達を乗せた客船の出航する時刻が近づいてきた。

 一昨日の夜の敦子の熱い身体と、暖かく湿った両手を行雄は思い出していた。彼女ともいよいよお別れだ、と彼は痛切に感じた。 しかし、敦子はいま、なんと自分から遠ざかった存在になっているのだろうか。

 彼女は行雄の気持などまったく意に介さないかのように、嬉しそうに笑いながら、見送りの人達に挨拶したり手を振ったりしている。 これがこの半年、自分が親しく交際し、憧れてきた女の子なのだろうか。 彼女はアメリカへ行ってしまうだけでなく、いま自分以外の大勢の人達の“共有物”になっているのだ。

 行雄は腹立たしい気持を抑えながら、じっと敦子を見つめていた。 すると彼女の視線が、自分の姿を捕らえたような気がした。彼女の表情から微笑が消え、暫く行雄を眺めているようであった。 行雄が困惑したままでいると、彼女はさもおかしそうに口を開けて笑った。

 次の瞬間、行雄は思わずカッとなり、その場にいることが耐えられなくなった。「お母さん、僕、先に帰るよ」 彼が突然そう言って後ろを向いたので、久乃はびっくりし「行雄、待ちなさい」と止めたが、彼は衝動的にもうその場から立ち去っていた。

 言い様のない怒りと悲しみが行雄を捕らえ、彼は港のバスターミナルの方へ足早に向っていった。 自分は勝手気ままな人間だとは思うが、どうしようもなかった。バスの中でも、帰りの電車の中でも、行雄は腹立たしくてならなかった。

 敦子、さようなら。 もう僕は、君とまともに付き合うことができないのだろうか。君は、僕の手からまったく離れてしまったのだ。 それでいい、それでいいかもしれない。君には未知のアメリカの生活があるだろうが、僕はこれから、一体どう過ごしていけばいいのか。 君のいない、味気ない毎日をどう送ったらいいのか。

 敦子が近くにいない生活なんて、自分にとっては砂漠をさまようみたいなものではないか。 どんなに腹が立っても悲しくても、彼女はもう日本を離れ、いま太平洋をアメリカへ向っているのだ。

 行雄は帰宅すると、敦子の写真を取り出して口づけした。涙が止めどもなく流れ落ち、子供のように泣きじゃくった。 泣けるだけ泣くと、行雄の心はようやく穏やかになり、安らかな甘い諦めの気持に浸ることができた。

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