ウイング マレーシア・クアラルンプール校

総合学習塾ウイングマレーシア・クアラルンプール校。マレーシア・アジア経済・政治・社会情報など幅広い話題を提供。

カンボジア旅情報(2)

2008年08月30日 | アジア
前回の続きを書かせていただきます。

③バタンバンからシャムリープへの船旅
バタンバンからシャムリープまではバスで4時間、ボートでは3時間~7時間かかると言われていました。船旅は実際にはどれくらいの時間がかかるのか想像できませんでしたが、カンボジアでも最も景色がいい船旅と言われていたので、思い切ってボートを選んでみました。料金は片道20米ドル(2,400円程度)です。ボートでは屋根付きの客室の中か、その屋根の上に座る(席はありません)ことができ、私は思い切って屋根の上に陣取りました。景色は確かにきれいで、「ディアハンター」等のベトナム戦争関連の映画で見たような、茂みに挟まれた幅の狭い川をゆっくりと進んでいきます。川の両岸に村が点在しており、通過するたびに子供達がHello!と手をふってきてくれて、乗客も皆、手を振り返していました。そういう楽しい時間も2時間を経過すると、暑さのせいもあって、だんだんとベトナム戦争当時の兵士達の移動の過酷さを追体験する時間へと変わっていきます。川幅は3メートル程度になり両岸の木の枝が容赦なく屋根の上にいる乗客と襲い、ボートのエンジンは頻繁に止まります。疲れとスリルからか乗客同士自然と話を始めましたが、5時間も経つと、もはや誰も口をききません。そして、突然狭かった川の先に湖が広がった時、乗客たちは立ち上がり「シャムリープに着いた!」と叫びながらカメラを取り出します。そして、その湖が30分後再び小川に戻った瞬間、全員再び無言で座り込んだのでした。
結局、シャムリープに到着するには7時間を要しました。これは価値観の問題ですが、私はボートに乗って良かったと思っています。美しくも素朴な景色、冒険性、そして他の観光客との交流等を考慮にいれますと、貴重な経験といえます。ただし、お乗りになる決心をしたら、ある程度覚悟を決めて、7時間乗るつもりで、前日はよくお休みになこることをお勧めします。

④シャムリープ(アンコールワットの町)
ボートが岸に着いた瞬間に響き渡る、タクシー(トゥクトゥク)運転手たちの日本語「どこまで行きますか?」「ホテルは決まっていますか?」。観光地に来たことを実感しました。シャムリープの町の中心はかなり観光地化されており、レストラン、バー等の赤いネオンサインまででており、50メートルおきにタクシードライバーを声をかけてきます。ただし、そういった観光地的要素を忘れて建物だけをよく見てみると実は植民地時代の建物がよく保存されていることに気づきます。フランス植民地時代の建物をバーやカフェに使っている店が並ぶその名も「バーストリート」にいると、さながらニューオリンズのフレンチクオーター(行ったことはありません)にいるかのようです。
さて、アンコールワットは予想以上に素晴らしいものでしたが、ここではこれ以上は書きません。是非一度訪れてください。シャムリープではプノンペンで入手したDiscover Cambodiaを使ってまわりました。

Angkor Hospital for Children
カンボジアの医療を垣間見れるということと、とにかく献血して欲しいというメッセージが前述のガイドブックに書いてあったので、まずは行ってみました。私は生来血の気が多いほうではないので、献血をしたことはそれまで一度もありませんでしたが、カンボジアに来てからの様々な経験の結果、献血をする決意をしました。
350cc抜くと聞いて、驚き、さらに看護師から「この後めまいがするかもしれないからすぐにホテルに帰ってください。」と言われ、恐怖を感じましたが、続行。終了後、待合室のような場所に戻り、提供されたコーラ(Tシャツとおかしももらえます)を飲んでいると、続々と献血を希望する人がやってくるので少々安心しました。その後、一人の医師がやって来て、病院のガイドツアーをしてくれるというので、色々見せていただきました。様々な医療器機がありましたが、驚いたことに、その全てが先進国からの寄付だそうです。日本製、アメリカ製等様々です。外来病棟、入院病棟とあり、そのどちらにもたくさんの子供たちがいました。入院病棟を周っていたとき、一人の女の子がひどくつらそうにしていたので、ガイドしてくれていた医師に聞くと、彼が担当の医師を紹介してくれました。その子はデング熱にかかったそうで、私が「致命的なんですか」と尋ねると、微笑みながら、直りかけだと教えてくれ、その病気の治療には輸血が必要なので、献血によってこういう子を助けることができると言っていただき、救われた思いでした。更に、退院前に一週間滞在しなければならない、「教育」病棟にも連れて行っていただきましたが、そこでは両親に子供のケアの仕方を一から教えるのだそうです。
外に出てしばらくすると、めまいはしませんでしたが、途方もない眠気に襲われたので、すぐホテルに戻り、2時間ほど眠りました。その後、4日ほどは午後になると凄い眠気に襲われました。やはり、体が驚いたのでしょうか。

一ノ瀬泰造の墓
これはタクシーの運転手に教えてもらった場所です。一ノ瀬泰造はベトナム戦争当時、20代前半で単身ベトナムにわたったカメラマンで、シャムリープ周辺の村でクメールルージュによって殺害されました。1973年にクメールルージュによって拘束された時には日本からも釈放の嘆願がかなりなされたようですが、反応はなく、1979年頃に実はすでに殺されているという情報がはいり、1980年代に入ってから泰造の両親が現地まで行き実際に遺骨を掘り出しました。現在、墓がたっているのはその場所です。泰造は危険とわかっていてもアンコールワットにひかれ、カメラをもってその付近まで行った時に捕まったそうです。拘束中、カメラを取り上げられたことに反抗し、ハンストを始めたところ、クメールルージュの兵士に「再教育が必要」と言って、連れて行かれ、その兵士が帰ってきたときには泰造の靴をはいていたそうです。当時、クメールルージュは弾薬節約のために、捕虜殺害の際には竹の棒等で撲殺していたようなので、相当な痛みを伴う死であったと想像できます。
その墓の前には墓守の親子がいて、様々は資料を見せてくれて、最後に記帳をします。そのノートを見ていくと、日本からジャーナリストやカメラマン志望の若者が多く訪ねてきていることがわかります。ほとんどの人が自分の信じたとおりに生きることへのあこがれについて書いていたようです。
タクシーの運転手に「タイゾー」と言えば、ほとんどの運転手は知っています。

Dr.Beatによる定期演奏
Dr.Beat Richnerはベトナム戦争の頃、初めて、カンボジアに医師として赴任したスイス人で、この人に指導されたKanta Bopha hospitalは現在4つカンボジアにありますが、その1つがシャムリープにあります。アンコールワットに行く際には必ずこの病院の前を通りますので、すぐわかりますが、このDr.Beat 毎週土曜日夜7時過ぎからチェロコンサートを開いています。と言っても、メインはチェロ演奏ではなく、曲間にある彼の話です。30分ほど彼の演奏と話を聞くと、病院の歴史と現在に関するビデオを大きなスクリーンでみることになります。現在、この人はWHOとぶつかっています。問題は、WHOが継続てきる医療を考え、あまり高価な薬等を提供しないのに対し、DrBeatはヨーロッパと同じ質の医療を提供すべきだと考え、方々から資金を集めてそれを実行していることです。また、結核の予防接種は実は逆効果であるとDrBeatは訴え、予防接種を義務づけるWHOとぶつかってもいます。
演奏の合間や映画の終わりに、DrBeatは繰り返し寄付を訴えます。実際、昨年はこのコンサートによる寄付金だけで5億円に達したそうです。ホールをでて出口に向かうと数人のカンボジア女性が壺をかかえて待ち構えています。すると観客達は20米ドル札をぽんぽん入れていきます。私はさすがに20ドル(80RM)を寄付する勇気はなかったので代わりに彼の活動のドキュメンタリーDVDを10ドルで購入しましたが、私が帰る頃には壺はどれもドル札でいっぱいになっていました。

終わりに
 カンボジアの人たちは素朴で誇り高い人たちです。プノンペンでこんなことがありました。戦争で両足をなくした男性が「私は物乞いをしているのではありません。働いているのです」というカードを首からさげて、私のところに絵葉書を売りに来ました。まだ、着いたばかりでお金を使いたくなかった私は断ったのですが、彼の足を見ているといたたまれず、つい少量のお金をあげようとしてしまいました。すると、彼は「やめろ!」といい、私のお金をとりあげ、草むらの中に投げ捨て、私をにらみつけました。私は彼の自尊心を傷つける軽率な行為を謝罪し、その場を立ち去りました。このようなプラカードを首からさげた人はシャムリープにもいます。他の観光客ともよく話したのですが、この世界で最も貧しい国の1つで我々にできることはとにかく物を買うことだと思います。観光客ですから、少々ふっかけられます。それでも自国の物価に照らし合わせると、安い。それなら言い値で買ってあげてもいいのではないでしょうか。寄付をしたいがそのお金が本当に人々に還元されるかというのも、常につきまとう問題です。その意味では上記のDrBeatは間違いのないルートで医療にお金をまわせますから、寄付する人が多いのでしょう。
 公立の学校もまだカンボジアには5校もありません。また、仮に学校をでても仕事も多くありません。プノンペンの国立博物館で一人の若者が私に日本語で話しかけてきました。「日本人ですか?日本語を勉強しているので話し相手になって欲しい」というのです。文法はまだ危ういところがありましたが、それでも流暢に話します。私がある仏像をずっと見ていると、今度は後ろにいた白人の女性に英語で話しかけ、同じことを言います。しかも、やはり流暢です。彼はその後私のところに戻ってきて、しばらく話しましたが、彼は日本語を8ヶ月しか学習していないそうです。優秀な子だなと思っていると、仕事は見つからないから、来年には実家に帰り農家をやると言います。彼がうつむいたまま言った「カンボジアは貧しい国です。」が忘れられません。
 

カンボジア旅情報

2008年08月29日 | アジア
 この夏、カンボジアを単身9日間旅してまいりました。せっかくですの、ガイドブックには載っていない情報をお分けしたいと思います。従って、有名な観光地にはあまり触れませんのでご了承ください。

①プノンペン

首都でありながら、10階より高いビルを見ることがなく、舗装されていない道路をよく目にする楽しい町です。さて、まず最初に行くべき場所はFCC(海外特派員クラブ)です。このカフェは2階にありますが、窓がなくオープンエアーに近い状態で外の景色が見れます(ここから見るメコン川は美しい)。これに加え、旅行者にとって重要なことは、ここでいくつかの小冊子を入手できることです。以下にリストをあげます。

1.Phnon Pen Q&A
2.Phnon Pen D&D(Drinking and Dining)
3.Discover Cambodia(カンボジア全体の情報、オレンジの表紙)
4.在カンボジア日本人向け冊子(!)

最初の3つは英語ですが、4は当然日本語です。これらの冊子はプノンペン在住の外国人向けに書かれているので、最先端のプノンペン情報を知ることができます。その結果、私が実際に訪ねた場所をいくつか紹介します。

Memphis Pub
これはやはりメコン川近くに位置するプノンペンで唯一生バンドの演奏が聞ける店です。演奏の開始は毎晩10時からで、11時までには満員になってしまいます。私が行った晩はフィリピン人のバンドによる演奏でしたが、ボーカルの女性の声がアレサフランクリンそっくりで、歌いだすと、話に興じていた他の客たちも思わず振り返ってしまうほどでした。ちなみにこの店はシアヌーク元国王のいとこの友人が経営しているそうです。

Art Cafe
日中、クメールルージュ関連の場所(虐殺博物館、キリングフィールド)を回った後には、穏やかな気持ちを取り戻せる場所です。この小さなカフェは、プノンペン在住のフランス人男性がカンボジアに教育を広げるためには、まず芸術を広めることが大事だと考え、定期的にクラシック音楽のコンサートを開く場所としてオープンしました。私が行ったときにはピアノ、チェロ(ドイツ人)、フルート(フランス人オーナー)のトリオでしたが、たまたまピアノは日本人の方で、ジャイカの一員として日ごろ忙しく働く中、アートカフェのために練習をされたそうです。このような小さな場所でクラシックが聞けるという意味で、本当に貴重な場所ですし、演奏家の方々の高邁な理想に心が打たれます。

②バタンバン
プノンペンからバスに乗ること5時間(バスの切符はプノンペンのセントラルマーケット(ここは楽しい場所ですよ)のすぐ横にあるバスの発着場で購入可能)、バタンバンはカンボジアでフランス植民地時代の建築が最もよく保存されている場所として有名です。ただし、カンボジアの近年の歴史を考慮にいれれば明らかなように、ペナンやマラッカに比べれば建築物の保存状態はいいとはいえません。しかし、この町の素晴らしいところは、全くと言っていいほど観光地化されていないことで、ゆったりと川沿いに広がるフランス建築に囲まれた美しい道を散歩することができます。
素晴らしいのは西洋建築だけではありません。静かな町にたたずむ仏教寺院は美しく、マーケットでは英語を話す人はほとんどいないため、ボディーランゲージでのコミュニケーションが楽しめます。人々は本当に素朴で、観光客目当てによってくることもなく、笑顔を向けると必ず笑顔で返してくれます。
また、タクシーに頼めば、周辺の観光地(クメールルージュが虐殺を行った洞窟、ライスペーパー(生春巻きの生地)の工房等)を回ることが可能です。赤土の中をバイクで走っていると、まるでアフリカにでもいるような錯覚(アフリカに行ったことはありませんが)を覚え、その中忽然と現れる寺院は本当に美しい。町唯一のツーリストオフィスに行けばアレンジしてくれます。
以下にお勧めのホテルとレストランを書いておきます。

Royal Hotel 
ここは私のようなバックパッカーから年配の夫婦までが泊まれるホテルで、当然部屋にも色々なグレードがあります。ただ、このホテルの素晴らしさは屋上のレストランにつきます。朝6時から朝食が取れますが、朝の薄明かりの中で見る緑に囲まれたバタンバンの景色は絶景です。

White Rose
生ジュースが有名で、凄い濃さのマンゴジュース等が楽しめます。料理も絶品で、私はカンボジア名物ロックラックを食べましたが、他の町で食べたものと比べても相当美味でした。


後半は次回書かせていただきます。

王宮(イスタナ・ネガラ)

2008年08月29日 | マレーシア
KL中央駅に近いところにある王宮(アスタナ・ネガラ)

金色の丸屋根、手入れのゆきとどいた緑の芝生や木々が美しい国王の住居です。門前で衛兵が銃剣を手に立っていて、一緒に記念撮影には応じてくれます。

1時間に一回交代式があり、颯爽と馬に乗った衛兵が横断していきます。見ごたえがあります。

KL観光の定番ですね。

2学期のはじまり

2008年08月27日 | ウイング
本日から日本人学校の2学期が始まりました。

みんな思い思いの夏休みを過ごしたことでしょう。
Wingの夏期講習会で一生懸命勉強した子、日本の一時帰国し、自宅で宿題づけになった子…。様々ですね。

学年にもよりますが、Wingからも全生徒に宿題を与えました。特に、四谷大塚中学受験科の生徒には大量の(?)宿題を出しましたので、悪戦苦闘した様です。しかし、親御さんのご協力もあって、目標をクリアしていました。

長い夏休みでしたが、常に目標をもって、取り組めば、乗り越えられることを今回の宿題を通して、学んでもらえれば幸いですね。

さぁ、新たな気持ちで新学期に望みましょう!!

Wing発見教室~手作り顕微鏡~

2008年08月25日 | ウイング
 本日は”Wing発見教室”の最終日「手作り顕微鏡でたまねぎを観察しよう」を行いました。

 ペットボトルを使用し、直径2mm程度のガラス玉をレンズ代わりにし、たまねぎの細胞を観察することが目的でした。

 ペットボトルのキャップに穴を開け、ガラス玉を埋め込み、レンズの完成!そして、ペットボトルの本体の口にプレパラート代わりのプラスチックをセッティング。そこに、玉ねぎの薄皮をのせ、観察開始!!

 玉ねぎとレンズの距離をできるだけ近づけることがポイントなのですが、その距離を調節することがとても難しかったようです。しかし、中学生の男の子が見事に細胞の形を捉えることができました。私も一安心です!

 この発見教室は身近な物で科学の不思議を発見することが目的で、開講しました。2学期も別内容で開催予定ですので、ご興味のある方はお問い合わせください。

生徒の詩(2)

2008年08月23日 | ウイング
以前、生徒たちの詩を掲載しましたが、今回、夏期講習を利用してまた一人生徒が詩を書きましたので、発表させていただきます。

仔犬
小5女子

クリスマスの夕暮れ
ペットショップで出会ったとき
私の胸の中でささやいた運命
初めてあじわった運命の出会い
その日のうちに
あなたをつれてきた

私をみつめる漆黒のビー玉の様な瞳
私はいやされ、時に罪悪感を感じる
私のベッドで眠る真っ白なクッション
あなたはただそこで寝たいだけ
ついつい探してしまう私の居場所

仔犬、あなたは私の最高の弟
ずっと一人ぼっちだった私に
クリスマスの光とともに
舞い降りた一人の天使
これからも
永遠に私の兄弟でいてね



前回掲載分も含め、生徒たちの詩へのご感想等いただけると生徒たちも喜びますので、是非コメント欄をご利用ください。

2008年8月23日 土曜日

2008年08月23日 | Happy Birthday!!
大安
八白土星

旧暦七月二十三日

処暑
板橋地蔵尊縁日(今日~24日、小田原)

今日8月23日が誕生日

岡江 久美子(1956年)
益岡 徹(1956年)
山田 隆夫(1956年)
乃木 涼介(1964年)
古川 小百合(1984年)
三国 由奈(1985年)
林 裕子(1985年)

2008年8月22日 金曜日

2008年08月22日 | Happy Birthday!!
仏滅
九紫火星

旧暦七月二十二日

鳥屋の獅子舞(津久井)

日韓併合ニ関スル条約調印(明治43年)

今日8月22日が誕生日

井上 昭文(1927年)
天田 俊明(1934年)
みの もんた(1944年)
タモリ(1945年)
郷田 ほづみ(1957年)
円城寺 あや(1960年)
金田 賢一(1961年)
なべ やかん(1970年)
三浦 早苗(1973年)
山口 香緒里(1974年)
菅野 美穂(1977年)
高以 亜希子(1978年)
反田 孝幸(1981年)

タクシン前首相亡命(6)

2008年08月20日 | アジア

英国に逃亡したThaksin Shinawatra前タイ首相一家。

英国での亡命を申請する準備をしているとタイの弁護士が伝えた。タイ国内では家族の安全と自由が保証いないことを理由にしている。

写真は夫妻がタイに帰国して裁判所に出廷して裁判に挑むことを求める大規模なデモである。不在中も今後裁判は継続される予定である。

にほんブログ村 海外生活ブログ アジア情報へ







Avril Lavigneコンサート中止命令

2008年08月20日 | マレーシア

カナダ人歌手のAvril Lavigneのコンサートが中止される。

8月29日に予定されているマレーシア初のコンサートは、独立記念日直前であり、イスラム教徒のラマダン開始前になるため適切ではないと判断されたようである。

しかし、主催者側からの中止の公表はない。

このようにイスラム教を理由にコンサートがキャンセルされることは度々あり、非イスラム教徒からは不満も多い。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へ


”物乞い”許可制

2008年08月20日 | アジア
タイでは、物乞いをするものが増えている。
しかし、それを仕事として地方や海外からバンコクに出て来る人も多い。

内閣ではこの物乞いをすることについて検討されているようだ。
身体者障害者、貧困、ホームレスなどを証明した上で地方行政にて物乞い許可を得ると言うもの。

物乞いを組織化して管理することは禁じられることになり、現在の1941 Begging Control Actは、法改正されることになる。

弱者に物を与えるというタイ人の姿勢を利用した悪徳物乞いが実在していることだけは間違いない。

にほんブログ村 海外生活ブログ アジア情報へ

残念ながらこの独立記念日の花火は中止

2008年08月20日 | マレーシア

マレーシアでは、美しい花火が楽しみである。

英国からの独立を記念する8月31日のKLCCでの花火は中止のようである。

年末年始などで打ちあがるツインタワーの花火は観光客にも地元にも大人気であるが、この独立記念日には行政が経費削減を理由に中止とのこと。

しかし、反対の声が大きければまた復活することになる可能性もマレーシアでは十分に考えられる。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へ






バトミントン スパースター

2008年08月20日 | マレーシア

マレーシアの銀メダリストLee Chong Wei氏は、北京から帰国後一躍スパースターに。

地元紙がAbdullah Ahmad Badawi首相とNajib Tun Razak副首相を表敬訪問したLee氏。

副首相によると、今夜彼の地元Penangで式典が予定され、現金M$300.000(日本円約1000万弱)と年金月額M$3,000が贈られる。

この現金で両親と住む家でも買うと言うことであり、結婚の予定はないという。

また称号の授与も予定されているとのこと。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へ







2008年8月20日 水曜日

2008年08月20日 | Happy Birthday!!
友引
二黒土星

旧暦七月二十日

十方暮
花輪ばやし(19~今日、秋田・産土神社)


今日8月20日が誕生日の人

司 葉子(1934年)
アグネス チャン(1955年)
小林 隆(1959年)
桐島 かれん(1964年)
梅宮 アンナ(1972年)
坂木 優子(1974年)
森山 未來(1984年)
伊藤 夕紀(1986年)