風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

11-060パリ日記201602

2016-06-25 18:58:16 | 旅日記

風の谷通信No11-060     写真追加あり(写真をクリックすると拡大
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ブログ面に画像がアップできない。自分では四苦八苦したけど解決できなくて、只今コンピュータの先生の救援待ち。

 

初日6月05日;まずは街歩きの記録から。朝いちばんに息子に付き従って地下鉄の駅へ行き、切符の買い方を復習する。ついでに10枚一括買いも実習。1枚単独ならば€1.80、回数券10枚ならば€1.41。そのあと街歩きを始める。シテの市の中を通って、サンジェルマンデプレへの途中で裁判所に隣接する教会へ入る。サントシャペル。早朝なのでまだ観光客が少なくて、すぐに入れてゆっくりと見物できた。そのあとすぐに込み合ってきた。あゝラッキーだった。見ものは尖塔の頂点にまで届くステンドグラスの窓。ここの図柄はガラスに描き込んだもの。(着色したガラスをカットしてはめ込んで組み上げたものとは異なる。)教会だから窓の画は聖書物語だろうけど、細かい絵はさっぱり見えないので色だけを楽しむ。

次はドラクロア美術館。サンジェルマンデプレ教会の近くにあって、美術館に多い邸宅ではなく、ごく普通の邸。写真の国旗を掲げた小さな玄関が美術館の入り口。絵画の展示物は忘れてしまったが、「秘密の庭」が気に入った。邸の表は建て込んでいて敷地自体が小さな場所であり、その建て込んだ家並の奥にひっそりと庭が開いている。たくさんの部屋を通りぬけて裏庭の納屋のような2階建ての壁際を降りて行くと裏庭があって、ちょうど絵画教室を開いていた。中庭の解説員がきれいな日本語で話しかけてきた。古い写真を見せながら、荒れていた庭をどんな風に手入れして現状にまで持ってきたかを熱心に解説してくれた。まだ細かい表現はつたないがきれいな日本語を学んでいることが判った。言葉の不自由な日本人には有り難い学芸員さんである。

デプレ教会の前のカフェ≪ドゥ・マーゴ≫で昼食。やっぱり白ワイン・オムレツ・コーヒー。100年以上も前に文人画人たちが集まってにぎやかに過ごしていたという店がそのままの名前で残っているのがすばらしい。日本で言えば「文化文政の頃のお茶屋」が残っているようなものか。但し日本の建物は木造建築で、かの地のものは石造りですぞ。

中世博物館(クリュニー美術館)。蛮族の攻撃隊に対処した石造りの壁の厚さに驚き。その石壁の地下室が一般通路から見える所に残っている。博物館を入ると、同じく厚い石造りの共同浴場がある。ひんやりした石造りの部屋の中に石像が沢山並んでいる。それとは別に5枚連作のタペストリーが有名だと言うがよく判らんかった。

ところで西洋歴史で言う「中世」とは5世紀頃から15世紀頃までと、広辞苑に書いていある。石壁の構築がいつの頃かは不明である。初期ならばゲルマンの大移動の頃であるし、後期ならば既にゲルマンが攻め込まれる側になっていたものと考えられる。ノートルダムドパリ建設が12世紀から13世紀前半である。この頃にはゲルマン一派のゴート族が既に定着していたはずである。重い鎧を着て長い槍を持って馬に乗って戦った騎士たちのフランク王国の時代だろうか。よく判らんけれど、まぁとにかく長い歴史に驚く。

初日にしてはよく歩いたなぁ。

       

 左:クリュニー美術館の石像 中:ドラクロア美術館の玄関 右:仲庭の絵画教室

       

 左から:ドウ・マーゴの店頭、その店内・コーヒー  なんてことはないけど。