うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

午後2時46分、そしてその後

2012年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 揺れ始めたときは書類を書いていた。地震なんてそんなに珍しくも無い。しかし、だんだん強くなってくるし、揺れも強くなってくる。やせ我慢して書き物を続けていたが、さすがに目を上げた。となりの机にあるトレイが落ちて、それを潮に揺れがおさまった。

 ワンセグ付きのウォークマンを持っていたので、それをつけた。ネットでも色々情報が入ってきていたと思う。ウォークマンには録画もしていたのだが、ほとんどの時間は大津波警報で日本列島の地図と、警報が発令されている地域が延々と写っているものだ。録画は先日機械をリセットしたとき、再生できなくしてしまった(データはPCに避難したが、アクセス権限が失われてしまった)。仙台空港に津波が押し寄せている画像は、直接見た。

 会社の子が休暇を取っていたし、同僚がひとり、研修でオフィス近くに外出していた。このふたりと、家族に電話をかけまくったが通じない。同僚はかなり遅くなって、ひょっこり帰ってきた。実家の母親、妹、オフィスにいる父親とも順次連絡(電話またはメール)できた。父親は電車が止まって動けなくなっているので、僕が合流して親戚の家に行くことにした。

 仕事は6時ぐらいまで普通に続けていた。電車は完全に止まっているから、帰れない人もいる。幸い、女性は家が近いか、近くの知人の家に避難する、バスが使えるなど、何らかの手段でオフィスを出ることができた。数人がオフィスに泊まり込んだ。

 5時過ぎに近くのコンビニに行ったら、予想はしていたがサンドイッチやパンはほとんど売り切れていた。蒸しパンのようなものと、おにぎり、カップラーメンなど適当に買い込んだ。蒸しパンは歩いて帰ろうとする若い社員に餞別であげてしまった。その後、道中何度かコンビニに入ったが、すぐ食べられるものはどこにも無かった。探していたのは携帯用の電池だが、もうどこにも無くなっていた。

 午後7時過ぎにオフィスを出た。まず近くのビルの1階ホール(大型テレビがある)に寄る。大勢の人が心配そうに画面を見ている。
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 このときは飲食店などは普通にやっているところが多かったようだ。街の明かりも、ふつうについている。別の写真を見ると、何人かが傘を差している。会社の子も言っていたが、少しの間雨が降ったようだ。
お堀に沿って歩き始めるが、ものすごい人出だ。大晦日の初詣客を思い出す。
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ヘルメット姿やや非常用持ち出し袋を持っている人も多かった。最初はタクシーを捕まえられるかとも思ったが、それどころではない。だいいち、車も大渋滞でうごかない。

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桜田門駅あたり

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 こんな日に国会議事堂はライトアップしてた。この日までは、電気を使うことにそれほど神経質では無かった。

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プリンスホテル。この時点ではまだ営業していた。その後、被災者受け入れ所として活用された。

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四谷駅。JR線は早々と完全運休してしまった。

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新宿御苑前。地下鉄や私鉄の一部は、午後11時過ぎには運転再開したところが多かった。

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鉄道はとまっていたが、繁華街は一見普段通りに見える。だがよく見ると歩道は徒歩帰宅者であふれかえり、駅の中は運転再開を待つ人が座り込んでいる。

 

 新宿の先あたりで、連絡のつかなかった会社の子とようやく連絡が取れた。話し始めるとお互いとまらなくなる。しかし、オフィスを出る頃から頼りなくなっていた電池がついに切れてしまった。

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 僕らは近くの親戚の家に泊まった。そこでテレビを見て、津波の惨状が並大抵では無いことを初めて知ったのだ。

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